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番外編~Deep crimson~

以前投稿したものをそのまま移動しました。



 魔物、と呼ばれるようになったのはいつの頃からか。

 人間が勝手に名づけたその『悪の徴しるし』。自らに敵対する存在を「悪」と罵って憚らないその様は、滑稽だ。

 けれどそれにいちいち反発するのも、滑稽だと思った。

 いつしか「魔物」と呼ばれることにある種の優越すら感じるようになった。

 元々自分たちの存在を分類することがなかったのもあるだろう。人間以上に種族が多く生態も様々、本来の性質もあって群れる事が少なく、仲間意識も薄い。それゆえに己が、己の種族が「何」であるか意識することがなかった。

 「魔物」と恐怖と共に叫ばれて、憎悪と共に睨まれて、改めて『我ら』がどういう存在なのか知ることになった。

 この爪は人間にとって恐怖。この牙は、腕は、肌は、髪は、声は。自らと違う存在を忌み嫌う人間にとって「魔物」は正しく恐ろしい存在だった。

 分りやすい『悪の徴』が魔物という名を得た。人間によって定義された『我ら』は、人間よりも優れた存在であると再認識した。

 なぜなら人間は、魔物を恐れ逃げ惑うのだから。

 悪の象徴というのならそれなりに。畏怖されるのならそれなりに。ならば「魔物」にとって取るに足らない脆弱な人間など蹂躙すればいいのだと、理解する。

 闘争本能のままに、奪い、焼き尽くす。

 それはとても高揚することで。

 炎の赤と血の赤。

 それが世界の全てになった。



★★★



 そこはまるで地獄のようだった。

 炎の洗礼を受けた建物は赤々と燃え上がり、黒煙を吐き出しながら崩れ落ちていく。街路を横切る影は、悲鳴と怒号を撒き散らし、鮮血で石畳を赤く染めた。

 獣の甲高い鳴き声。悲鳴。

 そこかしこに屍が転がり、足の踏み場もないほど。

 それは戦いとは程遠い、一方的な虐殺だった。


「遊びすぎではありませんか?」


 街路を逃げまどう小さな影を眺めながら、彼は短く問いかける。

 そこは街を一望できる小高い丘の上だ。麓に広がる街は、炎の海に沈んでいる。

 その金色の双眸が見据えているのは、通常ならば視認できない代物だ。火の手が届かず、熱風すら感じないその場所では、せいぜいが炎の中に揺らめく建物の影が見える程度だろう。

 だが、彼にはその光景がまざまざと見えていた。

 金色の目の中で、縦長の瞳孔が針よりも細く尖っている。

 彼のすぐ横を一陣の強い風が過ぎていく。目深に被ったフードが煽られ、中からは水色の髪が零れ落ちた。

 水色の髪に金色の目。

 およそ、人間には持ち得ない色彩は、彼が人ではないことを現している。

 人とは一線を画す、この地上で人と敵対する存在―――魔物。

 その色彩を除けば、彼の姿は人と変わりないものだ。その体格も紡がれる声音も、それだけでは彼が魔物だと示す証拠にはならない。色彩と幾つかの特徴を誤魔化せば、容易く人の中に紛れ込めるだろう。


「も、申し訳ありません」


 つっかえながら謝罪を寄越すのは、彼の部下だ。

 その外見は彼同様人の形はしているものの、動物的な特徴が色濃く残っている。魔人、と呼ばれる魔物の一種だ。

 部下は部下だが、彼の直属ではない。部下の部下、そのまた下。身も蓋もない表現をするならば、下っ端だ。本来ならば、彼自身が直接指示をすることは有り得ない事態である。

だが、そうしなければいけないだけの理由が、彼―――スイにはあった。


「楽しむなとは言いませんが、そろそろ終わらせなさい。これは戦いです、児戯ではありません」


 魔物が血と争いを好むことは、最早本能だ。

 力の優劣、その体格や性格に関らず、等しく魔物は血に酔う。スイ自身、その感覚は痛いほど理解できた。増して、今彼らが相手取っているのは、魔物よりも遥かに「弱い」人間だ。腕の一振り、牙のひと噛みで簡単に崩れていくような脆い生き物である。楽しくないはずがなかった。

 だから、楽しみを見出すことを咎める気は、スイにはない。

 問題は、戦争をしている意識が薄れることである。

 相手との能力の差が乖離かいりすればするほど、強者には驕りと侮りが生まれる。

 「戦争」をしているという意識が次第に「遊び」に変わる。

 結果的にそれで勝利すればまだいい。そうなることも珍しいことではない。

 だが、それによって足元を掬われることも、決して珍しくはないのだ。

 現にこれまでそうして「魔物」は駆逐されてきたのである。身体能力では遥かに劣るはずの人間の手によって。


「っ、はい、承知致しました」


 スイの眼光にたじろいでか、魔人は慌てて頷いた。

 その体は、わかりやすく萎縮している。目はうろうろと彷徨い、跪いた膝に添えられた手は微かに震えている。

 それも当然だろう。魔人にとってスイは遠くから眺めるだけの存在である。その実力と噂は散々耳に入っており、彼の力を持ってすれば魔人どころか大抵の魔物は指一本で一掃される。

 目の前の魔人の恐怖は理解していたが、スイは眉を顰める。

 これでは駄目なのだ、と苦く思う。

 知能の低い魔獣は力で従わせればいいだろう。それ以外も、従わせるだけならば十分だ。

 だが、そこにあるのがただの「恐怖」のみでは意味がない。それは更なる恐怖に出会ったときに、容易く上書きされてしまう。

 必要なのは「畏怖」だ。

 恐れ慄き、絶対的な存在だと心酔するほどのものでなくては、意味がない。

 そしてその役目は自分ではないことを、スイは知っている。

 この場にいない主を思い浮かべ、スイはため息をついた。

 それだけの資質を備えた魔物は、そう多くない。己の主が「そう」だといえるほど、スイは盲目的ではなかった。彼の主は、どれだけ目を逸らそうとともかなり難ありな相手である。口にしたこともする予定もないが、戦場では真っ先に死にそうなタイプだと思っていた。

 だが、それでもスイにとっては唯一無二の主だ。

 苛立つことがない訳ではない。ただ、見限るという選択肢は永久に有り得ない。スイの魂は彼の主に絡め取られている。己の歩んできた長い時間の中の、ほんのひと時。その一瞬でスイは彼を絶対的な主君だと認めていた。

 だからこそスイにはわかる。

 永続的な力を見せる必要はないのだ。ただの一瞬、彼が王者たる姿を見せてくれればいい。その瞬間、全ての魔物はひれ伏すだろう。

 己の主にそれだけの力があるのだと、スイは信じていた。


「で、では失礼いたします」


 押し黙ったスイの顔色を伺うようにして、魔人が頭を垂れた。それへ苛立ちとともに頷きかけて、思い出す。


「ちなみに、あとどれほどかかりますか」

「はい、二時間ほど頂ければ制圧できるかと」


 その答えにスイは更に苛立ちを募らせる。

 これだけの兵を用意しておきながら、まだ二時間も必要なのかと思う。自らが力を振るえれば、とうに片が付いている頃だ。しかしそれでは意味がない。

 これは兵士を「使える」ようにするための、いわば訓練なのだから。

 これまで魔物が人に容易く狩られてきたのは、ひとえに個の力に依りすぎる為だ。人は力の差を数で埋め、凌駕してきた。

 こんな状態の魔物ばかりを「兵」として集めたとて烏合の衆でしかない。

 戦術を立て、命令系統を整備する。それが今のスイに課せられた使命だった。


「わかりました。いいでしょう、一時間半で片をつけなさい。できなければお前たちは不要です。街と一緒に処分しますのでそのおつもりで」


 無表情の下に苛立ちを隠して、スイは淡白に告げる。

 半分は本気で、半分は脅しだ。

 結局は恐怖でしか従えられない自身を笑いながら、頭を地面にこすり付ける魔人を見遣る。


「行きなさい」


 その言葉に魔人は勢い良く顔をあげ、礼もそこそこに立ち去った。蒼白を通り越して紙のように白くなった顔が、魔人がスイの言葉を信じた証拠だった。

 先を思いやって、スイの双眸に陰りが生まれる。

 考えねばならないことが幾つも積まれている。それを思うだけでスイの胸のうちは晴れない。

 血と炎の赤。

 体のうちから湧き上がる高揚感に身を浸したのは、どのくらい前の話だったか。

 かつてはあれほど心を躍らせたそれらが、ただ上滑りしていく。

 つまらない、と無意識の呟きが零れる。

 それでも投げ出す訳にはいかなかった。衝動のままに行動するには、スイは主に近すぎる。

 ため息をついたスイは再び眼下の街へと視線を送って。

 ふと、その中に見慣れない姿を見出す。


「……あれは」


 軽く目を瞠り、スイは呆然とした自分の声を聞いた。



★★★



 無人の街路を細い影が進んでいく。

 漆黒の衣装に身を包んだ、若い男。

 細身に纏うのは、よく見ればごく簡素な旅装である。

 所々破れた外套が焼けた風に翻った。一振りの剣を手に周囲を見回す姿は、どこにでもいる旅行者のようにも見える。ただ一点、その全てが漆黒に塗りつぶされていること以外は。

 男の周囲の建物は、赤々と炎を吹き上げている。

 火の粉が大気に舞い、熱風は衣服どころかその奥の皮膚すらも焼き尽くしてしまいそうだ。

 その中を、男は平然とした様子で歩いている。

 端正な顔には赤みすらささず、汗ひとつ浮いていない。まるで温度を感じていないその姿は、いっそ涼しげですらある。熱風に嬲られた漆黒の髪だけが、炎の照り返しを受けて時折赤く煌いた。

 がり、と男の足が屍のひとつを踏む。

 男は足を止め、視線を落とした。

 そこに横たわるのは、背中を大きく抉られた男の屍だ。

 背を真っ赤に染める大きな傷跡は、何か巨大な肉食獣につけられたもののようだった。深い裂傷は恐らく爪跡だろう。背骨すらもやすやすと砕かれているのが一目でわかった。

 凄惨な、思わず目を覆いたくなるような死体。

 だが、それを見下ろす男の顔には、表情というものが完全に欠落していた。

 なまじ整った容貌をしているだけに、一切の感情を排除したその顔は人ならざるものに近い硬質さを纏っている。屍の傍らに佇むその光景は、端から見れば死者を「回収」にきた死神のように見えるだろう。


「助けて!」


 そのとき、路地裏から叫びながら人影が飛び出してきた。

 まだ若い娘だ。傷を負っているのか、腹部を押さえる手は真紅に染まり、衣服も腹部を中心に赤く染め上げられている。

 反射的に顔を上げた男は、娘を一瞥し、剣を握る手から力を抜いた。


「……っ」


 娘は無表情に立ち尽くす黒衣の男と、その足元に転がる屍を見て、ひゅっと息を詰まらせた。

 その両目に恐怖の色を浮かべ、けれども一瞬の後にはふらつく足取りで男に向かう。


「……お願い、助けて。魔物が」


 男は微動だにせず、懸命に話す娘を凝視する。


「死にたくない、お願い。殺される」


 唇の端から赤い糸を引きながら、娘は涙を流して訴える。

 その様を見遣る男の双眸には、何の感情も浮かんでいない。手を伸ばし、縋るような目を向けてくる娘へ、男は残酷な言葉を突きつける。


「無理だ」


 その瞬間、娘が大きく目を瞠った。同時に娘の胸から腕が生える。


「……!」


 娘は大きくのけぞり、宙を見据えたまま崩れ落ちた。

 その胸からずるりと腕が引き抜かれる。

 娘の背後から現れたのは、真紅に染まった腕を垂らした影だった。

 猫のように背を丸めてはいたが、それでも一般的な成人男性よりは二回りほど大きい姿。全身を灰色の毛が覆い、その顔は人間とはかけ離れた異相だ。鼻面は長く両目は爛々と輝く。荒い息を吐いている口には鋭利な牙がずらりと並び、頭だけみれば狼そのものである。だが、その首から下は獣の様相が強いものの、完全な二足歩行をしていた。

 狼数頭分の力をもつと言われる、魔物の一種だ。

 魔物は男の姿を認めて、新たな獲物と喜ぶらしい。真っ赤な口腔から長い舌を垂らし、舌なめずりをする。

 対する男は、それに大した反応もみせなかった。崩れ落ちた娘を一瞥して、魔物へと視線を向けた。それだけだ。

 魔物を見返した漆黒の双眸には、怯えの色どころか緊張の色も見られない。日常の風景を眺めるような、何の感情もない視線。

 それが不満だったのか、それとも不自然に思えたのか。魔物は低くうなり声を上げると、襲いかかるべく姿勢を低くする。


 そこに一陣の突風が吹きぬけた。


 風の過ぎた後には、双方の間に細い姿が佇んでいる。

 水色の髪をなびかせ文字通り降り立ったのは、スイだ。

 スイは魔物を見据えると、口を開いた。


「下がりなさい」


 口調こそ丁寧なものではあるが、声に含まれているのは紛れもない苛立ちだ。


「お前は誰に牙を剥くつもりですか。さぁ、戻りなさい」


 魔物はスイの言葉に明らかに戸惑う様子だったが、相手が己より上の存在だと悟ったのだろう。巨体を精一杯縮めて、じりじりと後退する。

 やがてぱっと身を翻し、闇の中に消えていった。


「力量の差もわからないとは……先が思いやられますね。これだから魔獣は嫌いなのです」


 溜息と共に吐き出して、スイは背後を顧みる。

 そこには、微動だにせず男が佇んでいる。右手には抜き身の剣を握ったままだ。


「それにしてもエル様……そのお姿はどういうことでしょう」


 スイは確信を込めてその名を口にした。

 スイの唯一の主、エル・バルト。

 緋色の髪と深紅の目を持つ、竜の血を継ぐ魔物。

 外見的特徴はすべてにおいて異なっていたが、スイには目の前の男がエルだとわかっていた。

 ただ、スイの記憶と現在のエルの行動が結びつかず、スイは首を傾げる。

 一方、呼びかけられた男はどこか放心しているようだった。スイに注意を払う様子もなく、魔物が消えた先をみつめている。


「エル様?」


 再度の問いかけに、その視線がゆるゆると向けられる。


「……スイ、か」

「はい。確かここにはいらっしゃらないとお聞きしておりましたが……私の聞き違いでしたか」


 主の視線をとらえて、スイは静かに問いかける。予定外の行動に困惑していたが、それが声に現れることはない。


「いや。そのつもりだったが、気が変わった」


 エルはそう答えて、剣を持たない方の手で髪を掻きあげる。すると、その指が触れた部分から色が変わっていく。

 漆黒から、目の覚めるような緋色へ。


「長が城に閉じこもって報告待ちじゃ、いまいち格好がつかないだろう」

「格好の問題ではありませんが……お一人でしかもそのような姿でおいでとは、危険すぎます」

「危険? 誰に言ってる。あの程度の魔獣が俺の敵になるとでも?」


 エルの声音に微かな笑みの気配が混じる。

 それでも表情は硬いままだ。彫像のような横顔をスイに向け、エルは軽く目を伏せる。


「……いいえ。ですが、魔物の多くは貴方の姿を知りません。せめて本来のお姿であるべきかと」

 強い口調でスイは意見を述べる。

 エルが魔物たちの前に姿を見せなくなって久しい。その間も配下は増減を繰り返していた。当然ながら、エルの姿どころかその名すら曖昧な魔物も数多く存在する。

 エルはスイの言葉を特に咎めはせず、ただ伏せていた目を上げただけだった。

 長い睫の奥から現れた双眸は、漆黒から真紅に変わっている。人ならざる瞳がスイの視線をとらえ、ややあってついと逸らされた。

 真紅の双眸が見据えたのは、赤く濡れた街路。感情の伺えない声が、単調に呟く。


「そうだな。人と思われるのは……楽しくない」


 スイは僅かに眉根を寄せた。

 エルの言葉は、時々スイの中に混乱をもたらす。それも、どちらかといえば不安なものを。

 いまやスイの目に映るエルは、どうみても人間には見えない。緋色の髪に真紅の目など、人間には持ち得ない色だ。よくみれば剣を握る指もまた、「人間らしくない」長い漆黒の爪で飾られている。

 ヒトに近い造形を持つ高度な種族は、それらの特徴を少し変えるだけで偽装することが容易い。魔物としての矜持があるスイはしたいとも思わない偽装だが、エルの考えは違うようだった。

 色々な意味で変わり者であるこの主を、スイなりに気に入っていた。だが、エルが時折みせる感情の片鱗に困惑してもいた。


「……エル様?」


 エルの言葉の真意を問うように声をかけると、エルはごく自然な動作でスイを振り向く。


「この様子だと順調なようだな」


 言って、くるりと表情を変えた。

 笑みを浮かべ、スイを見つめた真紅の双眸には明るい輝きが宿っている。先刻までの無表情が嘘のようだ。

 その極端な変化に、スイは戸惑う。

 スイは自身の表情が乏しい自覚はあったが、決して感情に疎いわけではない。ただ、表現する必要を感じないだけである。だが、この主の「変化」は理解しがたい。

 以前とは明らかに違う表情。記憶に欠陥が生まれてから、その傾向は顕著になった。時折別人のように感じるときもあるほどだ。

 何かが不自然だと感じるのに、それでいてかつて以上にスイを惹きつけてやまない。不安定な危うさを見せるかと思えば、傲慢なまでの自信を覗かせる―――以前の「彼」より格段に魔物らしいそれが、スイの不安を駆り立て、同時に惹きつける。


「……ええ。二時間ほどで片がつくかと」


 わずかな間をおいて、頷いた。


「さすがに有能だな。少しでも加勢になるかと来たんだが……必要ないか」


 大人しく報告待ちをしとくんだった、と肩を竦めてエルが笑う。


「いいえ、貴方がおられるのとそうでないのとでは、大きく違います」


 きっぱりとした口調で言うスイに、エルは苦笑いを返す。

 またとない機会だ、とスイは胸のうちに呟く。これまでどれだけ促しても、戦場へくることのなかった主が、今日はまたどんな気まぐれか姿を見せた。

 彼らの主が何者なのか、部下たちに思い知らせるいい機会だろう。

 そんなスイの思惑を知ってか知らずか、エルは「何が」と問いかけることはしなかった。ただ、空を見上げ剣を鞘に収めただけだった。

 熱風がエルの外套を巻き上げる。ふわりとひろがった闇色の外套は、風を孕んで大きく空中にはためいた。

 その下から鈍い軋みと共に空へと突き出したのは、漆黒の翼だ。

 皮膜に覆われた、蝙蝠のそれと比べるにはあまりにも強大な力を秘めた、闇の翼。魔物の中でも最強の力を誇る、龍という種族の特徴でもある。

 赤く燃える空を見上げたエルの双眸は、炎に照り映えて、凄絶な美しさを纏っている。抑えきれない闘争本能にその唇が禍々しく歪んだ。

 その様を、どこか陶然とした面持ちでスイは見つめる。とうに凪いだはずの胸のうちが、熱く燻り始める。

 いつだって、この主には赤が似合う。炎と血の、魔物の愛する色が。

 唇の間から鋭い牙を覗かせて、エルはスイを顧みる。


「なら、あと半時で片をつけるか」


 傲慢なその笑みに、逆らう理由などスイにはない。


「心得ました、我が主」


 その唇にもまた、エルと同じ笑みが浮かんでいた。



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