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46.別れ

 銀の森に朝が訪れる。

 柔らかな日差しが木々の間から差し込み、夜の気配が遠のいていく。

 朝靄に霞む森の中、魔物の城は変わらぬ姿でそこに在った。

 勇者率いる王国軍との交戦から4日。

 戦闘により周辺の森の一部が焼けたものの、城自体に目立つ損傷はない。その後に受けたヴァスーラによる奇襲も、城に甚大な被害をもたらすほどではなかった。

 捕虜として捕らえた王国軍の兵士は、先だってカディスへと送還されている。

 勿論、その中には兵士に扮して乗り込んできたクロスとレリックも含まれていた。これが『凱旋』だと知るのは彼らだけであり、他の兵士や魔物たちすら事情を把握しているものはその場にはいなかった。

 そして事情を知る一部の魔物たちは、彼らを送還してすぐさま次の行動へと移った。即ち、勇者と魔物双方に起きた事態の収拾へと。

 急いだのには理由があった。

 勇者が長く城に留まるわけにはいかない。そうでなくとも「どうやって」生き延びていたのかと疑われる身の上である。帰還後に上手く話を「作る」として、それでも怪しまれないギリギリの期限を見定める必要があった。

 協議の結果、設けられた期限は4日。4日目の早朝に、クロスとレリックが再び城を訪れる手筈になっている。

 そうして、4日目の朝が明けていく。



 

 まだ鳥の囀りすら聞こえない朝の静寂のなかで、不意に軋む音がする。

 固く閉ざされていた城門が僅かに開いていく。周囲の眠りを妨げまいとするかのように丁寧に広げられた門から、数人の人影が現れる。


「世話になった」


 そう言って笑みを浮かべたのは、白金の髪の青年だ。

 スノウ・シュネー。稀代の勇者と謳われた彼は、簡素な旅装に身を包み、どこか懐かしむような表情で目の前の相手を見つめる。


「いえ……」

「あー……その、こちらこそ……?」


 戸惑いがちに答えたのは、二人の魔物だった。

 朝の弱い光に水色の髪を透かして、スイが目を伏せる。アイシャはその濃い色の髪を乱暴に掻き毟り、視線をうろうろと彷徨わせた。


「そう固くなることはないだろう」


 思わずといった様子でスノウが苦笑する。

 その爽やかとしか言いようのない笑みを見遣り、アイシャは唇を尖らせる。


「いや、なんかもう……違和感が半端ないというか」

「それはまあ……仕方ないな。つい先日までこの体に『エル』が入っていたわけだし」


 首を傾げてスノウが言う。その様子は酷くさっぱりしたものだ。一連の『事件』に何の含みもないようにみえる。


「それが信じられないのです。確かにこうして見れば、貴方があの『エル』様と同一人物なのはわかります。わかりますが」

「今まで『勇者』だと思っていたアレが、エル様だとは」


 珍しくスイが勢い込んでまくし立て、それに被せるようにアイシャが頭を抱えた。

 彼らの方が当の本人たちよりも深くダメージを受けているようだ。

 これまでの数々の出来事を思えば、この現実は彼らにも納得のいくものではあるのだ。入れ替わっていたからこその、不自然さ。それに頭を悩ませたのは一度や二度ではない。

 だが同時に、自分たちがしてきたであろう数多の行動を思い返せば返すほど、頭を抱えて意味もなく転げまわりたいような衝動に襲われる。

 この数日ですっかり憔悴した二人の表情は、どこか陰りを帯びている。


「聞こえてるよ。仮にも城主に向かってアレ、はないんじゃない?」


 扱いが雑すぎる、と不満を口にしながら現れたのは、緋色の髪を靡かせた魔物だ。

 かつては風に遊ばせるままだったそれは、ひとつに緩く編まれ背に流されている。身に纏うのは黒衣や厚い外套ではなく、淡い色のゆったりとした長衣だ。フードのついた上着を纏ってはいるが、それも厚みを感じさせる代物ではなく、色も相まって全体的に白っぽい印象がある。

 そのあまりにもかけ離れた出で立ちに、アイシャとスイは揃ってため息をついた。

 スノウの方は魔法が成功してからこちら見慣れたらしく、大した反応もない。


「……その反応、さすがに傷つくよ? 元に戻っただけなのに」


 記憶がなくなる前―――つまり入れ替わるまでは、エルの服装はこちらが主流である。それが中身が元に戻り、服装も戻った。当然のことだ。


「やはり、黒衣にしませんか……」


 スイがどこか諦念を滲ませながら提案する。


「嫌。暗い色は嫌いって言ってるじゃん」

「じゃあせめてピシッとした服にしましょうよ!」


 あったでしょうもっとマシなやつが! とアイシャが声を上げる。

 彼が言うのはどちらかといえば軍服のような、型のしっかりとした服のことである。アイシャもスイも、基本的には服装は個人の自由だと思っているため、本来ならば気にしない。ただ、相手が城主となると話は別である。魔物の強弱は外見に比例する訳ではないが、エルはこの外見に加え元々の性格が性格だ。外部からは舐めてかかられる上に、下手をすれば部下にも舐められる。

 性格はどうしようもないのであれば、せめて外見から威嚇する方向でいて欲しい。それが二人の共通の願いである。


「あんまり締め付ける服、好きじゃないんだよなあ」


 そんな二人の願いもどこ吹く風のエルは、首を傾げてのたまった。

 二人の表情に目に見えて疲労が上乗せされる。


「だがそれでは、あまり牽制にはならないだろう?」


 二人の要望を汲み取ったわけではないだろうが、スノウが言う。

 彼が『エル』だった時は、側近ふたりの意向は関係なく、敢えて黒衣を選んでいた。スノウも別段暗い色を好む性格ではない。自分に欠けたものがあると知ってから、それを悟らせない為にと纏い始めた服だったのだ。自分の外見を理解した上で、如何に「魔物らしく」振舞うかを突き詰めた結果だった。

 スノウの言葉に、魔物二人がぱっと顔を上げた。


「そうです。いいですか、貴方はここの城主なのですからもっと自覚をもってください」

「新参の連中に舐められないように、せめて格好だけは繕ってくださいよ」


 勢い言う己の側近に、エルは苦い顔をする。


「あーもう、わかったわかった。小言なら後から聞くから」


 手を軽く上げて降参のポーズを取る。


「ひとまずは勇者たちを送り届けなきゃ」


 でしょ、と同意を求めると、それには側近二人も揃って頷く。それに安堵の息をついて、エルはスノウを正面から見据えた。


「さて、忘れ物はないかい、スノウ?」


 まるで友人を泊めたかのような気安さで、エルは笑う。


「ないな……まあそこはお前のほうがよくわかってるだろ、エル」


 この体でここに来たのは、他ならぬ目の前の相手である。

 エルは「それもそうだよねえ」と楽しげに肩を揺らす。


「ならこれも分ってると思うけど、かねての話の通りここの魔物は討伐完了ってことで。上手いこと話を作っといてね。俺は暫く大人しくしとくから。……あと俺が言うのもおかしいけど、色々ありがとう」


 エルは己の性格をよく知っている。入れ替わっていたからこそ、ヴァスーラやら王国軍の襲撃を乗り越えられたと感じていた。勿論、幹部の力と統率力は信じている。ただ、自分が頂点に立って指示ができたとは思えなかった。

 振り返れば散々な思いもしたが、それはスノウにしても同じことだろう。そしてスノウは、与えられた場所で相応、或いはそれ以上の力を発揮してくれたのだ。

 人間であるスノウにしてみれば、その胸中は複雑だった筈だ。不可抗力とはいえ己の同胞と戦う羽目になっていたのだから。しかも、その首を狙われる魔物の長として。

 様々な感情を秘めた淡白な謝礼に、スノウは苦笑する。


「わかってる。自分で提案したことだからな。こちらこそ、礼を言うよ」


 礼を言われるようなことはした記憶がない、とエルは首を傾げる。むしろ、『スノウ』の信用を失墜させることばかりやらかしてきた自覚がある。


「うーん……その、暫くは大変だと思う。ごめんね?」

「大体の予想はついてる。大丈夫だ」


 この城での醜態を見てきたスノウは、ある程度わかっているようだ。

 スノウは魔物の器に入れられても尚、人望と指導力を発揮した『稀代の勇者』である。エルの考えは杞憂で終わりそうな気がした。

 余裕のある笑みをみせるスノウに、誤魔化すように緩い笑みを返して、エルは視線をずらす。

 スノウから少し離れた位置に、二つの人影が寄り添って佇んでいる。こちらの話が終わるまで様子をみていたようだ。


「そちらも忘れ物はない?」


 先般、スノウに投げたものと同じ問いを再び投げる。

 それに、ふるりと金色の頭を振ったのはメリルである。


「……大丈夫、です」


 どこかぎこちなさが残るのは、仕方のないことだった。何しろエルが『エル』として二人に会うのはこれが初めてなのだ。

 この三日の間、メリルとフレイは最上階の一室にほぼ軟禁状態だった。事情を知るものとして必然的に協力者となったスイとアイシャは、彼らの食事や警護を請け負ったものの、滅多に寄り付かなかった。襲撃の後処理に忙殺されていたのだ。一方、城主は魔法を解除するのに全力を傾けておりそれどころではない。勇者もまた然り。

 そうして何とか魔法が成功すると、スノウは早々にメリルたちと共に軟禁された。エルとしては現状を良く知るスノウに後処理を手伝って欲しい気持ちもあったのだが、何分魔法の反動が怖い。肉体的に頑丈な魔物ならまだしも、今のスノウは人間の体である。安静にさせる意味も含め、安全のためと称してメリルたちと一緒に放り込んだのだ。

 結果、元通りとなったスノウとエルは互いを確認したものの、『エル』とメリルやフレイ―――即ちかつての仲間とは対面をしていなかった。


「閉じ込めたままでごめんね。誰も手が回らなくて……まさかこんなに梃子摺るとは思わなかったよ」


 この身にかけられた魔法然り、襲撃の後始末然り。

 申し訳なさに眉を下げるエルに、メリルは困惑気味に視線を彷徨わせる。


「いいえ、元はといえば無理を言ったのは私たちの方ですから……」


 むしろ食事まできちんと頂けるとは思わなかった、とメリルが小さく零す。


「いやそれは当然だよ。だって4日だよ、絶食なんて死ぬって」


 首を振って否定するエルは、はたとその動きを止めて己の側近を顧みた。


「ご飯って、ちゃんと俺が言ったやつ用意してくれたんだよね? まさか煮干じゃ…」

「当たり前です」

「エル様の時とは事情が違うんで。そのくらいの常識はあります」


 心外だ、と側近ふたりが渋面で言う。

 エルはちょっと遠い目をする。心外も何も、しょっぱなからネコに蛇や蜥蜴や小型の魔物を与えようと言った口でそれを言うのか、というのが本音である。

 とはいえ、どうやらエルの指示したとおりに「人間の食事」を用意して貰えたようで安堵する。小型の魔物など提供した日には、メリルとフレイにどん引きされること間違いなしだ。


「クッキー、美味しかったよ」


 そう言ってにこりと笑みを浮かべたのはフレイだ。食べ切れなかったから持ち帰るのだと服の袷から可愛らしくラッピングされた菓子を取り出す。


「え」


 エルは大きく目を瞠った。そんな可愛らしい装飾の菓子など、この城で見たことがない。見たことがあるのは、城の外、人間の町中だけである。


「あれって」


 思わず側近を振り向くと、アイシャが顔を歪めた。犯人確定である。


「あー、以前人間の町で買ったやつの余りです。人間の子供なら好きそうだなって」


 視線をあらぬ方向に泳がせながら、アイシャが弁解する。

 その近くでなぜかスノウが「ああ、あれか……」と呟いているのが気になったが、エルは深く考えないようにした。恐らく、そう問題のある行動ではないはずだ。

 そこへ、服の裾をついと引っ張られた。

 視線を向けると、フレイが遠慮がちにエルの服を摘んでいる。


「フレイ? なに?」


 その栗色の瞳に微かに不安そうな色があるのを認めて、エルは努めて穏やかに尋ねる。何かはわからないが安心させようと、咄嗟に笑みを浮かべる。


「……同じなんだね」


 エルを見上げたフレイが、そっと言った。

 訳が分らずエルは瞬きを繰り返す。きょとんとした表情のエルを見つめ、フレイは言を継いだ。


「記憶がなかったときの、スノウと同じ」


 フレイの言わんとすることを漸く察して、エルは目を細める。

 この場に姿を現した時から、フレイからの探るような眼差しには気付いていた。だが、それも単に魔物故に警戒しているのだろうと片付けていたのだ。

 どうやら、フレイはずっとこちらを見定めていたのだろう。

 エルが『スノウ』であった時の出来事。それがすべて演技だったのか否か。


「そうだね……フレイ、怒る?」


 笑みを深めて、エルは囁く。

 不可抗力とはいえ、フレイが「騙された」ことに変わりはない。魔物と知らず、散々その背に庇ってきた相手だ。憤り、罵倒されても仕方ないとエルは思っていた。そうなれば、その罵倒に相応しく憎らしい魔物として振舞おう、と。

 だが、エルの内心に反してフレイは緩く首を振った。


「魔物は嫌いだけど……『スノウ』は、好きだった。前も今も」


 だから怒ってない、とフレイは笑う。

 その目には未だ不安の色が揺れている。立て続けに起きた出来事を、まだ上手く処理しきれていないのだろう。

 長く染み付いた感覚というのは簡単に塗り替えられない。目の前の相手が魔物だと頭が認識している以上、体は自然と強張る。

 それでも、フレイはエルをきちんと認識した上で、笑った。

 思わず瞬いたエルは、じわりと胸の中に熱が広がるのを感じる。

 嬉しい、と純粋に思った。

 柔らかなその温度は、これまでにあまり記憶のない感情だ。ヒトとして、勇者として過ごすことがなければ、きっと手に入れられなかった感覚。

 くすぐったいようなそれに、頬が緩む。自然と手が伸び、眼下の栗色の髪を撫でる。一瞬避けられるかとも思ったが、フレイはそのまま大人しく撫でられるままになっている。


「そっか……ありがとう、フレイ」

「どういたしまして」


 ふふ、と年齢相応の幼い笑みをフレイがこぼす。

 手のひらの柔らかい感触が楽しくて、側近が苦い顔をしていることに気付きつつも、エルは手を止められないでいた。

 恐らく、フレイと顔を合わせるのはこれが最後になる。仮にその機会が巡ってきたとしても、その時は互いに敵同士だろう。目の前で幼く笑う彼に剣を向けるくらいなら、いっそこれが今生の別れであって欲しいとすら思う。

 だからせめて今はかつての『仲間』として。

 その為なら側近の小言など大した問題でもない、とエルはこの後の説教タイムを覚悟したのだった。



☆☆☆



 穏やかに談笑するその姿を、ふたつの人影が眺めていた。

 簡単な旅装に身を包み、それぞれ片手に小ぶりな籠を提げている。約束どおり『勇者』と彼らの仲間を迎えに来た、クロスとレリックである。

 城からカディスへと転移した後、同じく撤退していた王国軍の主力部隊と合流を果たした。

 その際、打ち合わせの通り、すべては解決したと伝えている。

 存命だった先代勇者についても、うまく城内で潜伏していたということにした。苦しい言い訳だったが、他にどういいようもないのだから仕方ない。

 だが、幸いにもその場は騒然としていた。原因は竜を倒したとする証拠品である。伝説上の生物とすら思われていた竜、その角と鱗。騒ぎになるのは当然だった。それらの衝撃によって、多少の怪しい発言は綺麗に流された。

 後は本人が帰還してから上手く誤魔化すだろう。そう半ば投げやりに思ったクロスは、恐らく悪くない。

 後始末の為に残った先代勇者たちのために、とネコを希望すれば、すぐさま近隣から数匹のネコが届けられた。

 そして4日目の朝、その中から選んだ二匹のネコを携え、クロスとレリックは城を訪れたのである。主力部隊は未だカディスに駐屯させたままであり、護衛のためにとつけられた数人の兵士も、城の結界より手前で待機させた。

 そうして城門まで来てみれば、そこには既に仲間たちの姿があった。

 メリルとフレイ、そして5代目勇者スノウ。

 彼らはちょうど別れの挨拶をしているようだった。

 薄らと開いた扉の前には、見知った魔物の姿がある。結界によってクロスたちの存在には気付いていたのだろう、側近の魔物二人が先にこちらの姿を捉える。

 その視線は冷たいものだが、敵意や警戒といった色はない。どうやら、この件に関しては多少の信を得たようである。

 とはいえあまり近くに寄るのも憚られ、レリックとクロスは会話が聞こえないギリギリのその場所に留まった。勇者たちは城を後にするところである。こちらから近づく必要はないだろう。


「なあ、レリック」


 暫く彼らの様子を眺めていたクロスが、ふと思い出したように声を投げる。城の結界内ということを慮ってか、声量は控えめだ。


「何?」


 応じてレリックも自然と抑えた声で尋ねる。


「おれはさ、間違ってねえよな」


 ぽつりと零された言葉に、レリックは思わずクロスを見つめる。


「魔物は敵で、勇者は人を守る。それで、正しいんだよな」

「……ああ。間違ってないよ、誰も」


 クロスの言わんとすることを察して、レリックは頷く。互いの苦い表情が、その内心を現していた。

 二人の視線の先では、魔物の長と勇者が穏やかに笑っている。

 勇者の中にいた魔物と、魔物の中にいた勇者。その特殊な関係だったからこその光景だということは誰の目にもわかっていた。そしてだからこそ、戸惑うのだ。

 何が正しくて、何が悪なのか。

 クロスは、密かに考えていた。すべてが元通りとなった時、どうすることが正しいのか。

 クロスにとっては魔物は『悪』であることに変わりない。いくら取引をし、勇者と中身が入れ替わった特殊な事情だとしても、人に仇なす魔物を看過できるはずもなかった。

 だから、元の姿を取り戻した5代目勇者が「魔物を倒す」と言えば加勢をしようと思っていた。卑怯だと謗られようと、勝てる見込みがなかろうと、人類の為にはそうすべきだと思った。

 だが、スノウはそうしなかった。彼の仲間もまた。

 穏やかに仲間に笑いかけ、同じように魔物にも笑いかけた。そうするのが当然だというように。そして魔物の長もまた、勇者と同じように笑いかけた。己の仲間にも、勇者にも。

 その光景は不思議としか表現できなかった。互いに敵だと理解しながら、誰も剣を向けずただ笑みのみを向けている。それはクロスの胸に淡い恐怖をもたらした。

 これが『正しい』と、そう感じてしまった。

 魔物は敵。心ないケダモノ。そう教えられて信じて生きてきたクロスの目にも、目にしている相手がそうでないことなど、はっきりわかっている。

 両者が入れ替わっていたことを誰も気付かなかった。本人たちですら疑いもしなかった。

 その事実が告げている。魔物も人も、互いに心を持ち、感情を持っていること。ならば、こうして笑いあう日がきたとしても不思議ではない。

 けれどそれを認めるのがひどく恐ろしかった。

 魔物と共存できるかもしれないと。それこそが正しいのだと。

 そう思ってしまうことが、酷く恐ろしい。

 正義だと信じてきたものがぐらぐらと揺れる。正義などないのではないか。魔物にしてみれば、勇者などと単なる殺戮者でしかないのではないか。


「……困ったな」


 内心の動揺が、そのままクロスの口から零れた。

 レリックは苦笑して頷く。


「そうだな……けどまあ、見捨てる気はないんだろ」

「そりゃアイツは稀代の勇者だから」


 半分は本音で半分は嘘だ。スノウが人に仇なす存在ならば、クロスは躊躇いなく断罪する。だが彼は、恐らく噂通りの人物だろう。

 魔物の姿であったときに、向けられた強い目を思い出す。突きつけられた言葉は、どれも正鵠を射ていた。18歳という年齢に不釣合いな程成熟した人格を備えた、稀代の勇者。

 稀なる勇者だと分かるから尚、クロスは恐ろしかった。彼の判断に、納得してしまうであろう自分が怖かった。


「できることはするさ。幸い事情を把握してるのはおれ達くらいだからな……なんとでも繕える。せいぜい5代目勇者には英雄になってもらわなきゃな」


 おれはお役御免だよ、とクロスは笑う。


「どうかなあ……竜倒しちゃったしね?」

「倒したのはおれじゃねぇよ。5代目勇者だ」


 そういう話にもなっているし、事実あの場で竜を倒すために奮闘したのも『スノウ』である。スノウの体自体はほぼ傍観していたが。


「協力したって筋書きなんだろ? いくら彼が稀代の勇者だっていっても、クロスもそれなりに功績が認められるんじゃないかな」


 レリックの言葉に、クロスは渋面になる。


「嫌だ。絶対嫌だ。勇者とか身動きできない肩書き、何が何でも返上してやる」


 余程今回の件は堪えたのか、横を向いてクロスが吐き捨てる。

 そんなクロスを横目に、レリックは軽く肩を竦めて笑う。

 口ではどう言おうとも、彼の正義感はよく知っているのだ。


「まあ……面白くなりそうじゃないか?」

「……だな」



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