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45.解

「ということなんだけど」


 スノウの説明に、エルは表情を曇らせる。

 あれから、隣にいながら全くこちらに注意を払う様子のないエルの注意を促し、仕方なしにメリルたちの意向を伝えた。

 耳を傾けるエルは、真実が判明してもなお堂々たる貫禄である。これで中身が人間だとは誰も信じないに違いない。『勇者』が中に入っている現状の方がしっくりくるとはこれ如何に。スノウはちょっと遠い目をした。

 話を一通り聞いたエルは表情をさして変えることなく、メリルとフレイに視線を向けた。


「分ってるとは思うが、ここには『敵』しかいない。油断すれば命を落とす。それでも残るのか? そこの勇者と共に戻る方が賢明だぞ」


 真紅の双眸に見つめられ、フレイは戸惑うようにメリルを見上げる。

 メリルはそんなフレイを一瞥し、翡翠の瞳を揺らがせながら口を開いた。


「わかっています。ですが……意思は変わりません」


 僅かな躊躇の後、メリルは顔を上げて断言する。かつては怯えたエルの真紅の目を、ひたと見つめ返した。

 エルは緩く瞬いて、ふたりから視線を外した。


「……この階層ならまだ幾分マシか」


 その言葉は隣で様子をなんとなく見守っていたスノウに向けられたものだ。

 スノウは首を傾げつつ答える。


「下手に移動するよりはね。ここは一部の連中しか入れないから……けど、安全とは言えないよ」


 入れる一部の魔物が問題なのである。何しろ、城の幹部クラスだ。実力は、これまで彼らが相手にしてきた魔物の比ではない。万一交戦となれば大惨事だ。


「よほど周知を徹底するか、もういっそ完全に部屋に閉じ込めるかしないと」


 せいぜい数日。とはいえ、不安は残る。

 周知すれば反発は必至だろう。説得する暇はないし、強行すれば過激な手段に訴える者も出てこないとはいえない。加えて、この『事情』を説明する気がスノウにはないのである。理由不明のまま人間を捕虜ではなく城に滞在させる、などと誰が納得するというのか。ネコとは事情が違うのだ。

 となれば二人を軟禁するしかなく。ただこの場合も食事などの生活行動で不審がられないとも限らない。スイやアイシャの全面協力を取り付けても、なかなかに難しそうだ。

 考えれば考えるほど頭が痛み、スノウは不安まみれの溜息をこぼす。

 そんなスノウを見遣って、エルが小さく笑った。


「そう難しく考えることはないだろう」


 呑気ともとれるエルの発言に、スノウはむっと唇を尖らせる。


「考えるよ。だってどう考えても危険じゃないか」


 うっかり鉢合わせなどした日には、メリルもフレイも無事では済まない。それでも軽い怪我で済めばいいが、相手が相手だ。下手を打たずとも即死の可能性も十分にある。


「お前の心配はわからなくもないが……二人はただの女子供じゃない。勇者の仲間たる資格を持つ戦士だ。自分の身くらい守れる」


 現にここまでそうやって来ただろう、とエルは笑う。

 スノウへと向けられたそれはどこか誇らしげですらあった。


「それはそうだけど……それでも心配だよ。魔獣を相手にするのとはわけが違うし」

「そうなれば俺が守ればいいだけの話だ」


 なんでもないことのようにさらりとエルが言った。彼にとっては当然のことなのだろう。何の気負いもない言葉は、エルが心底そう思っていることを窺わせた。

 確かに『エル』の体であれば幾らかは可能だ。魔物の体は魔法にも物理にも強い。だが、もし『スノウ』の体に戻ったあとならばどうするのか。

 スノウの脳裏にそんな考えが過ぎったが、口には出さない。

 エルのことだ。そうなったとしても躊躇いなく彼らを守るのだろう。その時その状況で、可能な限りの力で。


「簡単に言ってくれるけどさ……」


 上手くいくだろうか、とスノウは楽観視できないでいる。メリルとフレイには散々助けられてきた為、彼らの強さは理解しているつもりだ。

 ただ、今のスノウには『魔物』としての知識がある。魔物の強さも特性も、エルが考えている以上によく理解しているのだ。

 スノウが困惑して視線を彷徨わせると、呆然とした様子のメリルとフレイの姿が目に入った。

 その反応をスノウは訝しむ。

 ふたりがそんな状態になる要素が思い当たらない。不思議に思って声をかけようとした矢先、フレイが意を決したように声を上げた。


「スノウなの?」


 思わず呆けて、スノウは我に返る。彼の言う『スノウ』が誰に向けられたものか、理解する。

 そっと隣を見れば、こちらも意図を悟ったらしいエルが苦い表情を晒していた。


「……ああ」


 真紅の双眸を揺らして、エルは短く肯定する。

 それだけで、彼らには十分なようだった。

 フレイは大きな目を零れんばかりに見開き、メリルは対照的に目を伏せた。

 そのまま、双方の唇が言葉を紡ぐことはない。

 それを何となしに見守る形になっていたクロスやレリックも、口を開くのが躊躇われたのか無言でいる。アイシャやスイに至っては、いつの間にか完全に傍観のスタイルを取り、重苦しく横たわった沈黙にも我関せずといった態度である。

 ひとり、スノウだけが気まずい気分を味わっていた。

 今にも泣き喚きそうなフレイに、沈痛な表情のメリル。

 頼りになるべき彼女たちの仲間は空気に呑まれて押し黙り、頼りになるはずのスノウの側近は『人間の問題』と言わんばかりに傍観を決め込んでいる。

 停滞してしまった空気をなんとか和ませるべく、スノウは口を開く。


「あー、大丈夫だよ、ふたりとも。すぐに元に戻すから」


 まるで重苦しさなど感じていない風で、スノウは殊更明るく喋った。

 なんで気を遣ってるんだろう、という疑問が脳裏を過ぎったが、考えないようにする。


「そんなに日数はかからないと思うよ。

 簡単に解ける魔法ならよかったんだけどね。まったく、我が兄ながら厄介なことをしてくれるよ」


 ため息をついて、首を振る。


「……兄?」


 それに反応したのは、隣のエルだ。

 その真紅の目が怪訝そうに細められる。


「ん? 何?」

「まさかこれはヴァスーラの仕業か?」


 詰め寄る勢いのエルに、スノウははたと気付く。そういえば、肝心なことをエルに伝えそびれていた。

 スノウが何も言わなかったため、恐らくエルは「事故」だと片付けていたのだろう。


「あー。ごめん、言いそびれてたね……うん、兄が原因」


 目を泳がせつつ肯定すると、エルが何かを言うより早く声が飛んできた。


「えっ? ヴァスーラが? どうして!」

「一体どうやって……いえ、どういうことかご説明を」


 思わず声を上げた魔物二人に視線を向ける。ついで視線をめぐらすと、すべての目がこちらを注視していることに気付く。これはさすがに説明を省くわけにはいかないだろう。


「ええと、順を追って話すよ。そっちも記憶は戻ってるんだよね、あの時を覚えてるかな」


 スノウの問いかけにエルは軽く首を傾げる。


「記憶は全部あるはずだが……あの時?」

「俺と初めて会った時だよ。あの日、俺はなんとなく散歩に出かけて、たまたま勇者と鉢合わせた」


 スノウの言葉に、エルは「ああ」と思い出すようだ。


魔物の城(ここ)の情報を確かめる為に、そう……森に入ったらお前がいたんだった」


 偶然出会った魔物の長と勇者。互いに『敵』であることはすぐにわかった。

 だが魔物の方には戦意がなく。そんな相手に、勇者もまた剣を抜くのを躊躇った。

 互いに次の行動を決めかねて、硬直した一瞬。


「そこにね、雷が落ちた」

「雷?」


 不審な声を上げたのはアイシャである。


「もちろん自然現象じゃない。それが魔法だってことは分ってたんだけど、なにしろ俺は目の前の勇者に気を取られていて、気づいたときは遅かった」


 漂白される視界。

 咄嗟に魔法で防壁を張ったが、間に合わないことは分りきっていた。直撃を受けたら無事ではすまない。 だからせめて、ほんの少しでも威力を軽減できたら。

 その瞬間に考えていたのはそればかりだった。

 目の前の勇者の存在も、この不自然な落雷が誰によって引き起こされたのかも、頭になかった。


「防壁が目の前で粉々になったときは、さすがに死んだと思ったよ」


 事実、死にかけたのだ。

 落雷の衝撃で意識は弾け飛び、あろうことか別人の体に入り込んでしまったのだから。しかも厄介なことに記憶も飛んでしまっていた。


「振り返ってみれば、あんな威力の魔法使えるのなんて兄くらいしかいないんだよ。雷は兄が得意とする魔法だしね」

「確かに、エル様が防げないほどの魔法を使える者は、そう多くはありませんね」

「……そっか、近場にはまずいないとなると」


 側近二人が、それぞれに考える仕草をする。それに、エルが納得したように頷いた。


「なるほど、それが『エル』か」


 記憶喪失の間、散々二人に言われてきたのだろう。

 本性が竜である『エル・バルト』の魔力は、当然ながらそこらの魔物とは一線を画している。魔法を得意とするスイですら、魔力においてはエルに遠く及ばないのだ。

 それを、人間である『スノウ』が操るのはかなりの無理があったはずだ。加えて彼は元来魔法が得意なほうではなかった。魔法石で補っていたのだからその基礎的な魔力は推して知るべしである。

 そんな『スノウ』がいきなり膨大な魔力を持つ器に放り込まれたのだ。周囲からは『エル』として振舞うことを求められ、持て余すほどの魔力を制御せねばならない苦労はどれほどのものか。

 その正反対の現象に見舞われた己のこれまでを顧みて、スノウはひっそりと同情した。


「……想像できないかもしれないけど、これでも魔法は得意なんだよ。記憶なくなるまでは」


 この短期間、魔法で苦労したことを思い出し、スノウは顔を曇らせる。あの時この知識、もとい魔法関連の記憶だけでもあればもっと楽に生きられただろうに。


「ひとつ腑に落ちないんだが……その話だと俺は直撃を受けた筈だな?」


 なぜ無事だったんだ、ともっともなエルの問いかけに、スノウは「ああ」と軽く頷いて続けた。


「俺が一緒に防壁を張ったからね」


 あっさりとさも当然のように言ったスノウに、噛み付いたのはエルではなくアイシャだ。


「どうして勇者を助けてるんですか、貴方は!」

「え、なんとなく、かな? 咄嗟の行動だからなあ」


 振り返ってもスノウ自身明確な理由はわからない。危険を感じて、何とか被害を最小限にしなければと、そればかりだったのだ。勇者の存在は意識の端にあっただろうが、そんなことよりも降りかかる攻撃の方が優先なのは当然である。

 たまたま、自分の張った防壁の範囲に勇者がいた。それが真実だと思うのだ。


「でもおかげで二人とも無事だし、結果オーライだよ」


 暢気に笑うスノウに、スイがため息をつく。


「確かにそうですが……それはこうなったから言えることです」


 危険だった自覚はあるのか、とスイの小言だ。


「でもこうなったものはしょうがないよ。ねえ?」


 彼らの小言がすっかり慣れているスノウは、開き直ってエルへと同意を求めた。

 エルの方はやや呆れたような顔をしながらも、特に同意も拒否もしない。結果的にそれによってお互いに命を拾ったことは事実なのだ。彼としては何と言い様もないのだろう。

 肩を竦めたスノウは、更なる小言を側近から貰う前に話題を変えることにする。

 視線をクロスたちへと向け、にこやかに言う。


「それにしてもこんなに早く王国軍が動くとは思わなかったよ。俺は死んだ事になっただろうし、暫くは放置されるものだとばかり……」

「そんなこと」


 できるはずない、と声を上げたのはメリルだ。咄嗟に飛び出た言葉だったのだろう、慌てて口を抑える。あからさまに動揺した翡翠が、ゆらゆらと揺れた。


「王国の方針で、既に兵は動いていたんです。本来ならば貴方がこちらに乗り込む前にサポートをするつもりだったようですが……」


 複雑なメリルの胸のうちを慮ってか、レリックが助け舟を出す。


「ああ……道理でやたら迅速だと」


 呟いたのは『勇者』であるエルだ。

 その様子は完全に魔物の長のそれである。対策にそれなりに頭を悩ませていたのだろう。吐息には疲労の色が感じられた。

 レリックはエルの言葉に少し戸惑った様子を見せた後、言を継ぐ。


「それに彼女のほうからも正式に援軍の要請がありまして。そのときには次の勇者……クロスも選出されていましたから」

「……ん?」


 不思議そうにエルが首を傾げた。


「それはおかしくないか? ここから王都までひと月はかかる。メリルたちの報告後に選出したにしては早すぎるだろう」

「それは……」


 レリックが言い淀む。幾ら目の前の魔物が『勇者』なのだとわかっていても、視覚からの情報が躊躇わせるのだろう。しかも、周囲にはスイやアイシャといった城の魔物も存在する。魔物に迂闊に内情を話していいものかと躊躇うのは仕方なかった。


「その報告前に用意されてたんだよ」


 ため息と共に言葉を引き取ったのはクロスだ。


「先代勇者……あんたの死の情報が、メリルたちが帰還するよりずっと前に王都に入ってきてた。有力筋からの情報でな、とんとん拍子に事が運んで、諸々の事情を含めて軍部の身内であるおれが6代目勇者として立つことになったのさ」


 淡々とした説明は、簡潔ではあるがどこか投げ遣りな気配が漂っている。


「有力筋って?」


 スノウは思わずメリルに問いかける。クロスに直接聞けばいいのはわかっていたが、つい自分にとって馴染んだ方に声をかけてしまう。

 まっすぐに向けられた青い双眸に、メリルは視線を彷徨わせた。


「……魔法使いです。遠見の力を持つという」

「遠見? 遠見ってただの人間が?」


 スノウは目を瞠る。

 遠見の力自体は珍しいものではない。ただしそれは魔物に限った話だ。人間でそれだけの力を持つのは珍しい。何らかの道具を駆使しているのだとしても、人間ならばできてせいぜいが同じ街中、という程度だろう。それを王都からこの城のあたりまでを『見た』というのなら、それは魔物にも匹敵する魔力の持ち主だ。

 スノウのその反応に、レリックが眉根を寄せた。


「あ、別に馬鹿にしたわけじゃなくてね……」


 言い方が拙かったかと思い、咄嗟に弁解しかけて気付く。レリックの表情は不快なそれではなく、不安と焦りの滲むものだ。


「―――もしかして、君らもそう思ってるの」


 スノウの指摘に、レリックは躊躇いつつも頷いた。


「あなたの言うとおり、人間には稀有な力です。……それがどうしても引っかかる」

「そうだね。魔物にとっては珍しい力じゃないけど。そいつ、本当に人間?」


 何気なく放られたスノウの言葉に、その場の全員の顔が固まった。


「……? ん? えっ、どうしたの?」


 スノウとしては軽い冗談のつもりだった。和ませようと投げた言葉で逆に緊張が増してしまい、動揺する。


「いや、魔物の筈はない。宮廷魔法士団の……いわば王国の中枢だ。そんな場所においそれと魔物が潜り込めるはずがない。第一あいつの籍はちゃんとあったんだ。裏もしっかり取れてる」

「成り代わる、という可能性は?」


 エルの問いかけに、レリックが首を振る。


「まさか。成り代わったところで、魔法使いばかりの場所ですよ、必ず誰かが気付きます」


 魔物と人とは違うのだから、と続けるレリックの言葉に、その場がかえって静まり返った。


「……?」


 どうかしたのかとレリックは隣の親友を見遣る。しかし、クロスは一層青い顔をして口を噤んだままだ。


「確かに、私たちとあなた方は違います。魔力もそうですが、そもそも生物としての根本から違う存在でしょう。あなた方と近しいこの姿はあくまでも仮初のものです。だから……本来ならば異物として目立つはず」


 スイが淡々とした口調で言い、ふるりと首を振った。


「けれど今は断言できません。―――――私たちは誰一人として気づかなかった」


 人間の中に『魔物エル』が。魔物の中に『人間スノウ』が。

 その入れ替わりの事実を、誰もが気づかないまま受け入れてしまっていた。以前とは明らかに違うことに違和感を覚えながらも、『記憶喪失のせい』だと片付けてしまったのだ。何より当事者であるエルとスノウですら、記憶が戻るまでは己が『そう』なっているとはわからなかったのである。

 思わず全員が視線を泳がせた。


「まあ……俺たちの場合は中身だけだからね。魔力にしろ腕力にしろ体に適した形でしか使えないから。パッと見はわからないのが普通じゃない?」


 それにこれは稀な事案(レアケース)だし、とスノウが間延びした口調で言う。


「装うつもりがあり、ある程度『本物』の気配が残るなら、成り代わりも在り得ると……ヘネスくらいの能力があれば可能だな」


 考える素振りのエルの言葉に、今度は魔物二人の顔色が悪くなる。

 それもそうだろう。つい先ほどまで、この場には破天竜が暴れていたのだ。勇者の姿を写し取り、勇者に成り代わった竜が。

 幸いエルが気付いて捕らえることに成功したものの、スイやアイシャですらその変化を見破ることができなかった。

 事情を知らないクロスたちが首を捻るのへ、エルが簡潔にことの顛末を説明する。

 それを聞いた彼らもまた、一層顔色を悪くした。

 考えれば考えるほど、魔物が入り込んでいる可能性を否定できなくなる。


「けど、じゃあ目的はなんなんだ?」


 魔法使いが魔物である可能性は置いておくとしても、先の『遠見』は虚言に過ぎなかったことは確かだ。こうしてスノウも『スノウ』もぴんぴんしているのだから。

 そうなると、虚言を弄する理由が分らない。

 混乱したクロスは、動揺そのままに口走る。最早、この場が敵の根城である事実だとか、周囲にいるのが彼の仲間だけでなく魔物、しかも幹部クラスだということも彼の頭から吹き飛んでいるようだ。


「混乱、だろうな。とはいえそれで得をするのは限られているが……俺は何もしてないぞ」


 王都に誤った情報を与えることで得るものがあるとすれば、その犯人として真っ先に浮かぶのは『魔物』だ。だが、その長たるエルが件の魔法使いについては無関係だと首を振った。


「私も心当たりはありませんね。第一わざわざ王都に潜り込んでまで霍乱しようとは思いません」


 面倒です、と同じく首を振るのはスイである。


「そんな手間かけるくらいなら直接叩きに行くに決まってんだろ」


 そう鼻でアイシャが笑った。

 そんな幹部二人を眺めて、スノウは納得する。

 これまでの記憶と人間になってからの記憶を総合しても、彼らならそうするだろうという予想がつく。そもそも人間を下に見ている魔物が、手の込んだ策を弄することは少ないのだ。最終的に力でごり押しすればどうにかなると甘く見ている部分が多大にある。


「うーん、俺もその線はないと思うよ。人間で『遊ぶ』傾向のあるやつらはそう多くないんだよね、ここ」


 それよりは戦いに明け暮れる方を好む者が多い。それはそれで問題だが、少なくとも人間に扮してまで策を立てるような気長且つ酔狂な輩はいない。

 スノウの言葉を聞き、クロスは混乱気味に視線を泳がせる。


「となると、敵対国のどこかかな」


 レリックがぼそりと呟く。


「在り得るけど……それだとおかしいだろ、遠見の力とか」


 そんな貴重な魔法使いを、わざわざ間諜に放つとは思えない。


「ね、ちょっといいかな。その遠見の話だけどさ、それいつ頃の話なの?」


 困惑気味に言葉を交わす二人に、スノウが思いついたように言葉を投げた。


「いつ頃って……メリルが到着するより前だから……今から三ヶ月くらい前だっけ」


 首を傾げたクロスがレリックに確認する。


「そうだね。魔法使いたちからの不穏な予言があって、暫くした頃だったから」


 それぞれの回答を聞いたスノウは、僅かに顔を俯けて考える様子をみせたが、ややあって大きく頷く。


「そっか……うん、やっぱりその遠見の魔法使いは敵、だね」


 断言したスノウの青い双眸が、まっすぐにクロスを見つめた。


「俺が記憶喪失になったのが三ヶ月前。原因は兄による攻撃だけど……恐らく兄の思惑としては、魔物と勇者の相討ちに見せたかったんだと思うんだ。つまり、この城の主も5代目勇者もこの段階で死亡しているはずだった」


 思惑通りスノウもエルも死亡していれば、遠見によって『見た』ことは真実となる。

 即ち、『先代勇者の死亡』だ。


「けど実際は見ての通り、どちらもぴんぴんしてる。

 ということは、その魔法使いに『遠見』の力なんてなかったことになる。じゃあなぜ力がないのにそう主張したのか。単純に嘘をついただけかもしれないけど、もし、勇者と魔物が攻撃を受けたことを知ってたからだとしたら」


 雷が落ち、攻撃されたことは当事者以外は誰も知らなかった。互いでないなら、その事実を知り、且つ「死んだ」と思ったのは犯人であるヴァスーラ以外いない。


「その魔法使い、ヴァスーラの手先だよ。魔物か人間かは知らないけど……どちらにしろ王国にとっての敵で、そして俺にとっての敵だ」


 スノウの唇に不敵な笑みが浮かぶ。『勇者』であった時は澄んだ色を湛えていた青い双眸は、今はどこか陰りを帯びて鋭く煌いている。その身のうちに宿している精神が正しく『魔物』なのだと証明するかのように。


「つまりはヴァスーラが仕組んだことだと」


 そんなスノウの変化に頓着する様子もないエルは、首を傾げて言う。


「この戦いそのものがすべて奴の手のひらの上ということか。奴の目的はこの城か?」

「そうなるね。王国まで煽ってるんだからよくやるよ。

 目的は……どうかなあ。ヘネスといい、気合の入れ方からして手に入れようと思っていたのは間違いないだろうけど……俺は一番の目的は『エル』の抹殺じゃないかなと思ってる」


 そう説明するスノウは、再び穏やかな空気を纏っている。陰りは瞬きひとつでなりを潜め、先ほどみせた鋭さは幻かと錯覚するほどの鮮やかさだった。


「……まあ、仲がよさそうではなかったな」

「魔物に血縁なんて大した意味はないよ。親子の情とか家族の絆とか、そういう人間的なものは存在しないからね。結局は強い者が勝者だ」


 思い出す様子のエルの言葉に、スノウは肩を竦めて答えた。そのやり取りを見守っていたクロスは、こめかみを揉み解しながら小さく挙手する。


「その、なんだっけ、あんたの兄?が裏で糸を引いていたってことはわかった。おれが勇者になったのもこの戦争も、単純に利用されたってことも。

 けどさ、それってどこからだ?」


 問いかけるクロスの目はしっかりとスノウに据えられている。恐らくこの中で誰よりも『彼ら』の中身を理解しているだろう。


「いや、そもそもこんなことをあんたに訊くのはお門違いってわかってるんだ。ただおれには魔物あんたらのことがよくわからない。ずっと獣みたいなのしか相手してこなかったからな、そっちの事情には疎くてね」


 三か月前までは人語を解する魔物とこうして向かい合うことになろうとは露とも思わなかったクロスである。それまで人間が狩ってきたのは、獣と大差ない魔物でしかないのだ。


「あんたの兄とやらは、本当にただ人間おれらを利用しただけか?」


 そこに人間を『滅ぼす』意図がはっきりと存在するのか否か。

 クロスの言葉に、スノウは緩く瞬く。


「ヴァスーラの……兄の性格から言えば、そうだとも言える。酷い言い方をしてしまうと人間は兄の眼中にないんだよ。あくまでも道具、或は玩具としか見てない。敵とまで認識してるかどうかも怪しいから」


 スノウはひとつ溜息を落とし、唸りながら腕を組んだ。


「ただ……うーん、俺もちょっと引っかかってるんだよね。俺がまだ『エル』だったとき、この城の情報を誰かが流した。それも、直接勇者……『スノウ』へ決定的な情報をね。そして直後に暗殺未遂でしょ」

「ああ、それならヴァスーラでほぼ間違いないな」


 スノウの言葉を最後まで待たずして、エルが頷いた。それにスノウが目を丸くする。


「ん? どゆこと?」

「確かお前はいなかったな。その件については以前から不自然だと聞いていたからな、拘束した際にへネスに訊いた。あいつあからさまに動揺したぞ」


 図星だったんだろうな、と悠然と笑うエルに、スノウはぱちぱちと瞬きをする。


「そっか。てことはヴァスーラはある程度本気だってことだね。勇者、残念ながら利用されただけじゃなく、ついで感覚で潰そうとは思ってるみたい」

「なぜそうなるんだ?これも『俺』を城に呼び寄せるための罠だろう?」


 あっさりと結論を出したスノウに、エルが不思議そうに問いかけた。


「うん、それは間違いない。けど『エル』を消したいだけだったら、何も勇者と相討ちに見せかける必要はないんだよね。勇者を焚きつけて襲撃させて、隙をついて横から攻め落とせば何の手間もいらないし」


 事実、『エル』が存命だとわかってからは、その手を使ってきたのだ。

 それをわざわざ勇者を呼び寄せる罠まで用意していた。それは『勇者』に『エル』を殺させたかったからだ。現実はどうあれ『エル』が『勇者』に敗北するという流れが必要だったのだろう。

 そしてその『勇者』をヴァスーラが倒すところまでが筋書き。


「そうすれば、仇討ちをした兄を誰も無下にできない。この城は事実上兄のものになる。兄は兄で復讐と銘打って王国に攻め入る口実ができると」


 人間には興味などないフリをしていて、なかなかどうしてヴァスーラは野心家だ。

 徐々に頭角を現し始めた弟を警戒し、その芽を早めに摘む傍ら、己の領土を広げようと画策したのだろう。エルの領地と、新しく『開拓』する人間の領地を。


「じゃあ……もしかしなくても王都にはキュステ以外にそいつの手下が紛れ込んでいるのか……」


 茫然としたクロスの呟きに、レリックが額を押さえる。


「一体どれだけ潜り込んでいるんだ…」


 王国のおかれた状況は、彼らの想像以上に危機的なもののようだ。

 クロスとレリックの絶望に彩られた声が、広間に重苦しく横たわった。




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