44.ふたりの事情(下)
未だ混乱冷め遣らぬ様子のアイシャを見遣り、スノウはため息を零す。
混乱するのも当然だろう。
今まで城主と仰いでいた相手の『中身』が別人、よりによって敵である勇者なのだ。しかも肝心な城主本人はその勇者の体に収まっている。
それだけでも混乱必至な事態だというのに、その状態のままで結構な時間を過ごしてしまっていた。それが、周囲の動揺に拍車をかける要因となっている。
「信じられないとは思うよ。けど本当に嘘でも冗談でもないし、何の裏もない。
ただこの事実が判明した以上、今すぐに『勇者スノウ・シュネー』をそちらに返すわけにいかなくなったからさ」
その言葉は、アイシャではなく目の前に佇むレリックに向けてのものだ。
「まあ俺が言っても信用ないのはわかってるけど……どう証明しようもないからなあ」
思い切り『裏切り者』と叫ばれていたスノウである。彼らの中に猜疑心がある現状では、何を言ったところで上滑りしていくだけだろう。下手をすれば新たな油を注ぎかねない。
とはいえ、それを払拭するだけの材料も手立てもスノウにはないのだ。
中身が別人である証拠など、スノウ自身の記憶ひとつ。
しかも入れ替わった状態でそこそこ日数が経過していた。それこそ、当初の違和感がぼやける程には。
それを本来は魔物であるスノウが、人間のレリックやクロスに説明したところで信憑性があるとは思えない。
「どうしても信じられないなら……そうだね。エルから何か証明してよ。俺じゃ彼らを信用させられないし」
隣へと話を振ると、エルは渋面になる。
「証明?」
「なんでもいいよ、入れ替わる前の……こう、どこのお店に入ったとか。愛用の品とか」
悩む素振りのエルへと、スノウは色々挙げてみる。
だがエルの反応は捗々しくない。眉間に皺を拵えたまま、首を振る。
「……急に言われても浮かばない」
「それはそうかもしれないけど、もうちょっと頑張って。俺だって頑張って二人を納得させたんだからさ」
スノウが示す『ふたり』は言わずもがなアイシャとスイである。
レリックたち三人を連れてくるまでの間、スノウは半ば必死になって己の側近へと説明した。
元々、スノウの気配に違和感を覚えていたらしい二人は、スノウが『勇者スノウ・シュネー』ではないということについては納得するのは早かった。曰く『こんな勇者がいてたまるか』。やはりというかなんというか、そう思われていたことに流石のスノウも少し泣きたくなった。
だが、本来の『エル・バルト』であるという点においては彼らは頑なに信じようとしない。
先入観を取り払ってしまえば、彼らならばすぐに分る筈だというのに。中身と器の齟齬、そこから生じる別種の気配に気付かないはずがないのだ。
ところが彼らは一様に現実から目を逸らした。
その為、スノウは必死に、後半は自棄になって過去の記憶を蒸し返した。その場にはクロスと『スノウ』の勇者二人もいたが、そんなことは構っていられなかった。
そして話題がアイシャの失態とスイが城に来た時の話になって漸く、二人は目の前の相手が正真正銘、城主だと認めたのだ。苦虫を千匹ほど噛み潰したような表情で。
そんな遠くもない過去を思い出しているスノウの前で、エルは困り顔で言う。
「そうは言っても……俺は殆ど戦いのことばかりだったからな」
それ以外のことには元々興味が薄い、と淡々と理由を口にした。
思わず、スノウは言葉に詰まる。
稀代の勇者。その負い切れない荷物を捨てたい、と幾度も考えたことを思い出す。けれどそのたびに戒めた。必死に手にしただろうその居場所を、記憶のない自分が簡単に捨てる訳にはいかないと思ったから。
そのスノウの想像通り、『スノウ』は相応の対価を払って勇者の座を手に入れていたのだろう。それこそ、魔物討伐以外のものへの興味が薄くなるほどに。
「あー……じゃあほら、旅の間のこう、ちょっとした出来事とか」
何はともあれ、エルの中身が『スノウ』なのだと証明できなければ始まらない。
そう考え、スノウは再度エルに提案する。
そこへ、ぽつりと小さな呟きが落ちた。
「……いつから?」
その頼りない響きに振り向くと、フレイの栗色の双眸と目が合う。
「いつから入れ替わってたの?」
表情は揺らがないものの今にも泣き出しそうな声に、スノウは僅かに目を細めた。フレイは「騙された」と感じているのだろう。それも無理はない。
見回すと、スイやアイシャからも興味深げな視線を寄越される。エルとスノウが入れ替わっていることは話したものの、詳細は『スノウ』の関係者が揃ってからと保留していたのだ。どこから話したものかと頭を悩ませつつ、スノウは口を開いた。
「そっか……まだ説明してなかったなあ。
メリルとフレイは知ってるけど、実は記憶喪失だったんだよね。えーと、この城に来る前だから……3ヶ月くらい前かな」
「え」
スノウの告白に声をあげたのはクロスとレリックだ。あんぐりと開いた口を見るに、どうやら彼らも初耳だったようだ。てっきりメリルたちが話していると思っていたが、そうではなかったらしい。
「記憶喪失だったのですか?」
思わずといった様子でスイが尋ねてくる。魔物たちには敢えて隠していたのだから、その驚きは尤もだろう。
「3ヶ月前って……ちょうどエル様が」
アイシャがぽろりと零した独り言を拾って、スノウは笑みを拵える。ずっと抱いていた違和感。これまではわからなかったが、今となっては理解できる。
「記憶喪失になったんでしょ?」
首を傾げて同意を求めたのは、赤い髪の魔物だ。瞠目する魔物ふたりを視界の端に捉えたまま、スノウはエルから視線を逸らさない。
エルはそんなスノウに対し、あっさりと頷いて見せた。
「ああ。森の中に倒れてたらしい。アイシャが迎えに来たが、それまでの記憶がなかった」
どうやら、エルもスノウが『記憶喪失』であることは薄々勘付いていたようだ。大して驚く素振りもなく、開き直ったのか随分簡単に己の情報を開示してくれた。
「俺も似たような感じだよ。目が覚めたら何にも覚えてなかった。所持品から身元が割り出されて……後はまあ皆の知るとおり。
だからね、フレイ。最初はほんとに『勇者』なんだと思ってたんだ。何かの間違いだろうって疑ってはいたけど、魔物だとは思ってもいなかった。……記憶が戻ったのはついさっきだよ。間抜けな話だけどこの騒ぎでやっと思い出したんだ」
確かに、幾度となく自分の存在を疑ってはいたのだ。話に聞く『スノウ』と己があまりにもかけ離れていたから。
これまでのことを思えば、フレイには申し訳なさばかりが先にたつ。
彼の尊敬してやまない『勇者』が別人だったと、しかも憎き魔物だったと知った彼の胸中は酷いものだろう。
スノウのお粗末な弁解など、なんの慰めにもならないに違いない。それでも、スノウは弁解せずにはいられなかった。彼らの憎しみの対象になるのが「魔物らしさ」だとわかっていても「敵」にはなりたくないと思ってしまった。
魔物にとっては彼らは敵だが、スノウにとっては彼らは仲間だった。たとえ、それがスノウの一方的な感情で終わるかもしれなくても。
フレイは表情をぴくりとも動かさず、スノウを見つめていた。
栗色の瞳にはゆらゆらと様々な色が揺れていた。彼自身、どう判断していいかわからないのだろう。
「つまり俺たちが入れ替わったのは3ヶ月前。別人っていうのはあながち間違いじゃなかったかな。もっと早く思い出していたら、お互いよかったんだろうけれど―――まあ、そっちは結構前から思い出してたみたいだけどね?」
沈黙を続けるフレイを正視できず隣へと話を向けると、エルは軽い調子で同意する。
「ああ……といっても少しずつだが。大体一ヶ月くらい前には粗方戻っていたな」
それを聞いてアイシャが飛び上がる。
「ちょっ、そんなに前からですか! 何故仰って下さらなかったんです!」
「悪かったな。確信が持てなかったし、第一言ったら混乱するだろ?」
『本物』の確認ができるまでは迂闊に言うわけにいかない、と冷静なエルにアイシャは言葉を詰まらせる。
「そ、それはそうですが……」
「……何かお役に立てたかもしれません」
項垂れる魔物二人を見遣り、スノウは小さく苦笑いを漏らす。
稀代の勇者といわれる『スノウ・シュネー』。彼が如何に素晴らしい人物だったか、短い間ではあったが痛いほど耳にしてきた。記憶のない自分は、それらを過大評価、或いは伝聞にありがちな尾鰭だと思ってきた。だが、こうして改めて考えると、それは全くの間違いではなかったのだと理解できる。
既に真実を知る者ですら「思わず」慕わずにはいられない、その力。
城主の姿をした目の前の相手は、ただの『人間』だと理解しているはずだというのに。
なるほどこれは、まさしく稀代の勇者だ。
「……元に戻れるのですよね? その、負担は」
何とはなしに魔物たちのやりとりを眺めていると、控えめにメリルが尋ねてきた。幾分落ち着いたらしく、翡翠の双眸は穏やかに凪いでいる。
「うん、大丈夫。ちゃんと元に戻せるよ。ただ……肉体にかかる負荷とかについては、正直あまり自信はなくて」
メリルの様子にふと共に旅をしていた頃の感覚が蘇り、スノウの口をついて出たのはいつもの弱音だった。
「これも恐らく魔法の類なんだけど……あ、俺ね、魔法使えるようになったんだよ」
「―――ええ、見てましたから」
「……あ、そうだよね。ええと、魔法自体は解けるんだ。問題は、あまり使われてない魔法だから影響が予測できない部分が多くてね。安全に処理するには、片っ端から文献を調べる必要があるんだ」
一朝一夕では探し切れないかもしれない、とスノウは肩を落とす。
「それで残ると……」
メリルの言葉に頷く。本当は、まだまだ不安材料はある。
精神を無理やり引き剥がされている状態なのだ。考えたくないことだが、肉体へかかる負荷だけではなく精神面への影響も考慮せねばならない。
数日寝込む可能性は高いし、最悪、精神崩壊してもおかしくないのだ。その場合、確率的に壊れるのは『人間』のほうであることは口が裂けてもいえなかった。
スノウは不穏な思考を軽く頭を振ることで追い出し、視線をクロスへと向けた。
「とにかく早く帰ってくれないかな。でなきゃ6代目……クロスだっけ。君まで死んだことにされちゃうよ? また仇討ちだ何だと攻め込まれても困るし……戦争なんて俺はもう懲り懲りなんだよ」
「戦いは嫌なのか?」
クロスは少し不思議そうな口ぶりでスノウに問いかける。
魔物にとって、戦うことは本能だ。生きるために必要なものであり、最大の娯楽。それは、人間と魔物の数少ない共通認識である。
クロスは正しくスノウの中身を『魔物』と認識しているようだった。記憶を失っていた間のスノウを知らない分、信じ切れないとはいえ割合すんなりと受け入れられたのだろう。
それを感じ取って、スノウは力いっぱい頷いた。
「当たり前だよ。死にたい奴なんかいないだろ。魔物うちでは少数派な自覚はあるけど。少なくとも俺は戦いなんて嫌いだし、できるだけ回避したい。だから無事に帰すと約束した訳で……まあそれを言い出したのは俺じゃないけどさ」
隣を見遣ると、エルは魔物二人とまだなにやら揉めている。こちらの会話も聞こえないはずはないだろうに、それどころではない様子だ。
相談してくれたら、という魔物二人の訴えるような言葉に、エルは困り顔で宥め役にまわっている。
どうみても痴話喧嘩のようにしか思えない光景に、スノウは長々とため息をついた。
「大丈夫、『勇者』はちゃんと無事に帰すから。こんなでも『俺』は一応ここの城主だから約束は守るよ」
だから納得して先に戻ってくれ、というスノウに、メリルは首を振った。
「私も残ります」
「メリル? えーと、信用できない気持ちはわかるけど……」
「いいえ、そういう意味ではなくて……二度も貴方を置いていきたくないんです」
メリルは少し躊躇った後、きっぱりと言った。
まっすぐにこちらを見つめるメリルの目に、翳りはない。その言葉を反芻して、スノウは気づく。メリルがスノウを置いて撤退してしまったことをずっと後悔していたことに。
考えればわかりそうなことでもあった。けれどこうして目の当たりにするまで、メリルがそこまで思いつめていたとは全く思いもしなかったのだ。己が不出来な『勇者』だと知っていたから、尚。
「で、でもメリル……」
あの時と今は状況が違う。
あの時はスノウは『勇者』であり、置いてきた場所は敵の城。
今は違う。スノウは『魔物』で、自分の城なのだ。
そう説得しなければ、とスノウは思う。けれど、言葉が上手く出てこなかった。『勇者』ではなく『貴方』を置いていきたくない、と告げたメリルの声が頭の中でぐるぐる回る。
「僕も残る」
「えっ?」
混乱しているうちに、フレイまでもが言い出した。
「ちょっと待って、フレイまで何言ってるの。わかってる? ここは魔物の城なんだよ」
「わかってる。僕も残る」
「残っても意味はないよ。それに魔物の城で何日も過ごせる?」
普通の人間なら発狂するよ、とフレイに脅しをかけると、フレイは頬を膨らませて抗う。
「スノウだってここにいたんでしょ」
「それはほら、俺は魔物だから……」
記憶を失ってはいたが、魔物であることに変わりはないのだ。どこかに耐性があって当然だろう。
「魔物は怖いって言ったよ!」
言われてみればそんな話もした記憶がある。うっすらと浮かんだ彼方の記憶に、情けない気分になって視線を泳がせた。
「ああ、それはまあ人間だと思い込んでたからさ……」
「僕は怖くない。だから大丈夫」
フレイは頑なだった。メリルを凌ぐ頑固さで、スノウの説得を拒み続ける。
そのメリルはメリルで、フレイは帰そうとするものの自らは残ると言って聞かない。
「帰って」「帰らない」と押し問答を続けるが、メリルもフレイも折れる素振りすらみせなかった。手強い。
さすがに困り果てて、スノウはクロスを振り向く。因みにすぐ隣のエルは選択肢にない。彼はいまだ魔物二人にかかりきりである。
「ねえ、ちょっと彼らを説得……」
「わかった」
スノウが言い終わらないうちに、クロスが重々しく頷いた。
思わず目を瞠って動きを止めたスノウを見ることなく、クロスはメリルとフレイに向かって言い放った。
「二人はここに残って勇者を連れてきてくれ。おれとレリックで他の連中には説明しておく」
どうだ、とクロスが同意を求めるのは、彼の親友であるレリックだ。レリックはそれに、渋面ながらも頷き返す。
「魔物の巣窟に置いていくのは気は進まないけどね……彼らの安全も保障してくれるんですよね?」
鋭く睨みつけられて、スノウはたじたじとなる。
「それはまあ……ってそうじゃなくて! ここは魔物の城なんだってば」
「王国軍には竜の件も含めて説明するし、後処理に残った勇者の警護につけたとでも言えば問題にはならないんじゃないか? そうだな……なんか城の魔力とか竜とかを封印してるとかなんとか」
我に返ったスノウが慌てて声を上げるが、クロスはやや的外れな見解を示した。スノウが言いたいのはメリルたちの「立場」の問題ではない。それだって勿論気にならないわけではないが、それ以上に安全性の問題がある。
「じゃなくて! そっちの問題は知らないよ! 俺が言うのは」
「その説明じゃザル過ぎるよ、クロス。倒したことで暴走した竜の魔力を封印してる、ってことでいいんじゃないかな。後からそれらしく使い魔を……ああ、使い魔じゃだめか、ネコを連れてこよう」
「ネコ?……魔除けだからか?」
「違うよ。僕もあまり詳しくはないけど、大物の魔物討伐ではよく使われるんだ。魔力の暴走を抑える効果があるらしいから」
「ああ……竜だもんな。問題は宮廷魔法士団のやつらだよ。どうやるかわかんねえけど、バレるってことは?」
「うーん、そこが一番の不安要素だよね。そもそも肝心のネコがさ……」
スノウの必死の説明は、レリックとクロスの真面目な会話にかき消される。
ネコ、の単語に思わず体を強張らせたスノウなど勿論そっちのけで、二人の会話は進んでいく。主にネコ談義で。
だが話に置いていかれているのはスノウだけではない。メリルやフレイもどこか不思議そうな表情で二人の会話を聞いている。
それもそうだろう。彼らの話していることは、一般には広く伝わっていない事柄だ。
一般的なネコの認識は、せいぜいが『魔除け』である。理由は『魔物が忌避するから』。だが魔物が忌避する本当の理由は、あまり知られていない。
ネコは魔力の『器』としての資質が高い生物だ。ネコ自身に魔力はないが、他の対象から魔力を移し溜め込むことができる。その性質を長く利用していたのは、魔女と呼ばれる人間たちだった。彼らは魔物を倒すため、或いは魔物を使役するためにネコを用いた。魔力を奪い弱体化させ、更にその魔力を己で利用する目的で。
それらの事実は長命な魔物にとっても遠い昔の出来事である。誰もが知識としてしか知らない。だがそれでも、世代を渡り長く培われてきた意識は消えなかった。もはや本能に埋め込まれるほどの苦手意識。それが、魔物がネコを嫌う最大の原因だ。
「鱗から魔力をうまく増幅できれば、なんとかなるとは思うんだけど」
「それをネコに移せばいいってことか」
「そう。ただ……さすがにこれだけじゃ上の偉い人たちは騙されてくれないかなって」
「駄目なのか? 正真正銘、竜の魔力だぞ」
一方、人間にとっては魔物以上に遥か遠い昔の出来事である。『魔女』が絶えて久しい今、これらの情報を得ているのは魔法に携わる一部の人間に限られているようだ。
それでもネコに「移す」技術はある程度受け継がれているらしい。
忌々しいことだ、と散々ネコに振り回されてきたスノウは思う。もっとも、人間の方もそれが魔物のネコ嫌いに結びついているとは露とも思っていないらしい。
「じゃあ、なんとかお前の魔力を足して」
「駄目だよ、余計疑われる。魔物と人間はちょっと違うんだって。絶対ばれる」
足りない分は補え、といわれたレリックは勢い良く首を振った。
魔力は魔力なので本質的にはどちらも違いはない。だが、それはあくまで根源的なことである。種族の違いだけでなく、個人レベルで魔力には特徴が現れるのだ。
そこでエルを一瞥したクロスは、はっとした様子でスノウへ目を向けた。
「なあ、元に戻ってからネコに魔力移して貰っていいか」
どうやら、スノウの存在を思い出したらしい。思い出してもらえて何よりである。漸く口を挟む余地ができたとスノウは口を開く。
「……いや、だからね? そういう諸々は好きにしてもらっていいんだけどさ。とにかく俺としては人間をこの城に残すことに懸念が」
「そういえば貴方はネコは大丈夫なんですか? 人間の体だと問題ないとか?」
「あー、問題ないけど、苦手は苦手―――」
「じゃあ他の誰かでもいいんだけど」
「できればネコに多少耐性があって、強めの魔力が望ましいのですが」
「いや、だから、別にそれくらいなら俺がするけど―――」
「よかった。なら解決だな。そういうことにしておくから、二人ともここに残れ」
「まあ微妙に不自然でも、こと魔物関係においては僕らに丸投げの部分があるからね。多少はごり押しでいけるはず」
「ちょっと! 待って! だからそういう問題じゃないんだってば!」
スノウは思わず声を荒げる。
やっと自分の番が回ってきたと思ったら、はいかいいえしか言えない状況に追い込まれている。このままだと話がすべて纏められてしまう予感に、さすがに焦った。
「王国軍への言い訳は別に何だっていいよ! それより、ここに残ることの危険性をもっと考えて!
ここは君たちにとって敵地なんだよ! 人間が魔物を敵視するように、魔物も人間を敵視してる。憎んでいるし嫌悪してる。一部は多少融通効かしてくれるけどそれだけだ。一歩この扉から出たら、絶対の安全は保証できないんだよ!」
わかって欲しい、とスノウは真摯にメリルとフレイの説得を試みる。
最早クロスとレリックへの説得は放り投げた。助力を恃んだだけ無駄だったと痛感している。
けれど、スノウの渾身の説得を聞いたフレイは、迷いのない目でスノウを見返した。
「じゃあ出ない。ここにいる」
駄目だ、伝わってない。スノウは脳内で思い切り膝から崩れ落ちた。追い討ちをかけるように、メリルもまた「フレイと一緒にこの部屋から動かないようにします」と見当違いの決意を見せた。
気持ちがこうも伝わらないのは何故だ。無意識に違う言語でも使っていただろうか。
そんなことを思いつつ現実逃避を始めたスノウの耳に、小さなフレイの呟きが落ちた。
「今度こそ、スノウと一緒に戻るんだ」
スノウは小さく息を呑んだ。
勇者を信奉していた彼を知っている。その勇者が死んだ時、或いは記憶喪失となったとき、どれほど落胆しただろう。それが無事に完全な姿となって戻ってくると知れば。
フレイはずっと待っていたのだろう。
元の勇者スノウ・シュネーを。だからこそ、それが失われることを極度に恐れているのだ。
そうと悟って、スノウの胸がちくりと痛んだ。
その痛みの意味は、スノウにはわからない。ただ痛いと感じるだけだ。
―――わからないはずだ、スノウは『人間』ではないのだから。
「フレイ……」
説明の材料が尽きて、スノウは口ごもる。それを見上げて、フレイは高らかに言う。
「僕とメリルは絶対動かないよ!」
勇ましい宣言を受けてスノウが言葉を捜しあぐねていると、クロスが静かに言って来た。
「方法はあるんだろ? 数日くらいならある程度の安全を確保できるんじゃないのか?」
現にこうして勇者の体が無事でいるわけだし、と至極もっともな指摘をする。それにレリックも頷いて援護をする。
「確か2ヶ月くらいですか? それだけの間こうして無事なら、何か手立てはあるんでしょう?」
「ええと……」
スノウは言い淀んだ。さすがに「猫にしてました」とは言えない。捕虜に対する対応として殊更間違いだとは思わないが、実際に猫になっていたのは他ならぬ自分であるわけで。
いくら記憶喪失だったとはいえ、間抜けすぎて言えたものではなかった。
「……エル、じゃなかった『勇者』に……聞いてみるよ」
そう答えるのがスノウの精一杯だった。