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3.ネコになる

「…おっしゃっている意味がわからないのですが…」

「…正気ですか?」


激情を押し殺して、不自然に低くなった声で尋ねるのは、二つの人影。

人の形はしているが、その実「人間ヒト」ではない。

よく見れば彼らの耳は人のそれより細く尖っているし、瞳孔も細長い。第一、濃紺や淡い水色の頭髪など人間のもち得る色ではないし、唇の間からたまにちらちらと覗く鋭い牙も、人間にはないものだ。

八重歯っていうレベルじゃないよね、と観察しながらスノウは思う。

「狂気の沙汰としか思えません」

濃紺の髪をした人物が吐き捨てるように言った。黒っぽい上下を纏った、一見したところ10代後半の青年風。ヒトではないので実年齢はわからない。

「…アイシャ、口を慎みなさい。無礼ですよ」

落ち着いた声音で諫めたのは、アイシャと呼ばれた青年の隣にたたずむ人影。こちらも人外なので実年齢は不明だが、同じく10代後半の青年に見えた。腰まで届こうかという長い水色の髪を緩く束ね、黒っぽい長衣を纏っている。つま先まで覆う長い衣服は、それだけでやたら重そうだ。

「っ、なら、なぜですか?!なぜここに人間がいるんです!」

びしっと音が聞こえそうな程きびきびした動きで、アイシャが部屋の一角を指さす。

そこには部屋の隅にぽつんと置かれた椅子。

座っているのは、スノウである。

「ああそれは、あいつが城に乗り込んできたからだ」

答えるのは緋色の髪赤い瞳の綺麗な青年。革張りの高級そうな椅子に腰かけ、重厚な書斎机に頬杖を突いている。そう、つい先ほどまでスノウと対峙していた、皮膜の翼をもつ魔物である。魔物めいた険悪な表情はどこへやら、今はずいぶん機嫌よくにこにことしていた。

「そんなことは知ってます!アレが勇者だということも!私が言いたいのは、その勇者がなぜ、生きたまま(・・・・・)ここにいるのかということです!」

魔物と勇者はいわば天敵である。決して相容れない、戦い殺しあう宿命の存在。その相手がこのように…瀕死な訳でも縛されているわけでもなく、いたって普通に鎮座していたとすれば―その心中や如何。

「殺さなかったからな」

アイシャの心中を知ってか知らずか、赤い魔物は呑気な返答をした。

「…エル様っ!」

とうとう切れてアイシャが怒鳴る。その黄金色の双眸は今にも炎を吹かんばかりだ。その剣幕に大した反応もみせず、エルと呼ばれた赤い魔物は己の頭をわしわしと掻き毟った。

「まぁそう怒るな。なんていうのかな…気まぐれだ。」

「気まぐれ…」

いかにも適当な言葉を返されて、火に油かと思いきや、アイシャはそう呟いたまま沈黙した。

「お前たちも知ってるだろうが、アレはちょっと毛色が違ってる」

エルの言う「アレ」が自分のことを指していることは分かっていたから、スノウは思わず身を固くする。彼のセリフから察するに、スノウが戦闘中ほぼ逃げ回っていたという事実は、どうやらこの城の大部分の魔物が知るところであるらしい。

そう気付いて、さすがに情けない気持ちになった。


「せっかくだからアレを猫にしようと思う」


「……」


「……はい?」


たっぷり5秒は間をおいて、アイシャが聞き返した。水色の髪をした青年は、黙って軽く首をかしげている。

やはり同じ魔物とはいえ、エルの発言は理解できないらしい。人間だが同じく全く理解できなかったスノウは、黙って成り行きを見守るしかない。

「…猫、というと…エル様、もしやまだ諦めてらっしゃらない?」

水色の髪を揺らして、青年が問う。

「いや、諦めた。お前たちの言うように、確かに猫とは相性が悪いらしい」

「それはそうですよ。猫は我々の気配に敏感ですからね。」

「私たちとしても、なるべくならあの生き物には近寄りたくありませんし」

彼らの口から飛び出す猫談義に、スノウは意外な思いで耳を傾ける。

猫は黒に近いものほど魔物に近い、とされているのがスノウの世界の常識であった。だから人々は白に近い色の猫を飼う。聖なる場所と決められたところでは、常に白い猫がいる。

スノウは常々思っていたのだ。黒い猫が魔物に近いなら、猫自体も魔物に近いということになる。ならばなぜ、人々はわざわざ猫を飼うのだろうか、と。

だが、今こうして耳にする限りでは、どうやら魔物は猫を嫌うらしい。さらに魔物の気配に敏感ならば、人々が魔物対策に飼うのも頷けた。

「けれど、諦めたと仰るならなぜですか?あの人間と猫とどう関係が?」

アイシャがもっともなことを口にした。

「猫は俺と相性が悪いだろう?だから本物の猫はダメだ。だが本物の猫でないなら…」

そこまで言って、エルはにやりと不敵に笑った。その言わんとすることを正確に理解した二人の魔物は、さっと顔を強張らせ―


「「ダメです!」」


声を揃えた。

予測の範囲内だったのだろう、エルは余裕の笑みを崩さない。

「なぜ?本物じゃないからお前たちも大丈夫だろう?俺は猫が飼えるし…」

どうやらエルは「猫が飼いたい」らしい。

そして本物の猫は飼えないから、代替案でスノウを飼うことにしたのだ。

スノウはそこまで考えて、微妙な気持になる。

確かにスノウは逆らえない身の上だ。縛られてこそいないが、捕虜のようなものである。しかも命の保証がない。生き延びるには相手の言うままになるしかないのだが。

それにしてもよもや自分が「飼われる」とは。

言葉だけ見るとずいぶんと情けない上に…どこかヤラシイ感じがするのは自分だけだろうか?

そんな緊張感に欠けることをつらつらと思い悩んでいるスノウの目の前で、猫を飼うの飼わないのと舌戦は続いている。

「ならばどうしてあの人間なんですか!代わりの猫なら、もっと違う生き物で…」

と、至極もっともなことをアイシャが言った。

「貴方の力なら、ドラゴンを猫にすることもできましょう?」

水色の髪の青年が、落ち着いた声音で諭す。

その言葉に束の間エルは無言。机からわずかに身を離して、椅子に背を預ける。

「…どうかな、それよりはアレを猫にする方がずっと楽なんだが」

言って、ぼんやりした表情のスノウを指さす。

「無害そうだし」

仮にも勇者が魔物に言われていいセリフではない。

「確かにそうですが、アレはただの人間じゃないんですよ、勇者です!」

「ただの人間と変わらないけどな?魔法使えないしヘタレだし」

「ヘタレでも勇者は勇者ですからね…人間どもが黙ってはいません。」

…ものすごく、情けない。

これにはさすがのスノウも軽く落ち込む。軽んじられている、というか完全に馬鹿にされている。しかもそれが間違いでないという自覚がある分、余計辛い。

「知られなければいいだけの話だろう」

「…勇者の仲間は逃げたと聞きました。」

スノウの脳裏に、メリルとフレイの顔がよぎる。

2人は今頃どうしているだろう。一瞬、助けがくるだろうかと考えた。

だがその結論が出るより早く、エルの苦笑が聴こえた。

「大方、勇者は死んだと思ってるだろうさ。これだけのヘタレが生き残れると思うか?まぁ復讐にくることはあっても、助けには来ないだろうな」

ずばりと胸の内に切り込まれて、スノウは更に落ち込んだ。

彼の言うことは恐らく正しい。

あの状況で、逃げ遅れた勇者スノウが生きているなどと、誰が思うというのか。スノウ自身、死を覚悟したのだから。

「この程度で勇者だというなら、復讐に来たところで返り打ちにできますけど…本当に本気ですか?」

アイシャが、渋面で尋ねる。

その言葉に頷いて、エルは書斎机の引き出しを漁る。

「本物連れてくるよりはマシだってことで、諦めろ」

「…どっちがマシかは疑問ですが」

「お前たち猫は苦手なんだろう?」

「猫は嫌いですが人間はもっと嫌いです」

「そうか。でもアレは今から猫になるんだしいいよな」

「人間に変わりはありませんが?」

ついでに嫌いであることにも変わりない。

言外の言葉をさらりと流して、エルは「あった、あった」と言いながら引出しから何かを引っ張り出した。

そんな魔物たちのやりとりを落ち込んだ気持でききながら、スノウはふと思う。

先ほどから猫にする猫にすると魔物は言っているが、どういう意味だろう。

スノウは比喩的な意味に解釈をしていたが、それにしては彼らの会話がおかしい。龍を猫にする、なんて表現をするだろうか?

龍は龍だろう。龍を飼う、或いはペットにすると言いはしても…

「これでいいな、うん、ちょっとこっち来い」

ぼけっと眺めていた先で、エルが手招きをした。その表情はにこやかで、赤い髪と赤い目でさえなければ、爽やかな好青年にしか見えない。

勿論ご機嫌なのはエルだけである。そのあとに向けられた二対の視線は、殺意すら孕んでスノウを射抜いた。

びりびりと全身を刺す殺気に、思わず泣きそうになる。それでもなんとか堪えて、ゆるゆると腰を浮かせた。

「…まったく、本当にヘタレだな、おまえ」

スノウが今にも泣きそうなことに気付いて、エルが呆れたように溜息をつく。片手を空間に伸べて、小声で何事かを呟いた。

痺れたような感覚がしたのは、一瞬のこと。

何か魔法の類をかけられた、と気づいたのはその直後。

そして、瞬きひとつのあいだに、スノウの目線はだいぶ低くなっていた。

あれ?

思わずそう呟いて、


「にゃあ」


と、声が出た。

「…これはまた」

「よりによって白猫ですか」

二人の魔物がスノウを見下ろしたまま、呆れた口調で言った。

白猫?

どこに?

なんとなく嫌な予感はしていたが、それでもスノウはきょろきょろとあたりを見回した。ずいぶんと目線が下になってしまい、景色が様変わりしている。視界には猫の姿はない。

更に増した嫌な予感に後押しされ、視線を落とした。白いふわふわしたものが目に飛び込んでくる。その先には真っ白な毛で覆われた獣の足―猫科の。

急速に血の気が引いていく。酸欠に陥った脳が思考を放棄し、そのまま意識まで手放そうとしたその時。

「成功だな。我ながらいい出来だ」

満足げな、弾んだ声がした。目をあげると机の向こうでエルが満面の笑みで手招きしている。

片手には赤いリボン。

その先端で揺れる銀色の鈴を見た瞬間、スノウの脳裏で何かが弾けた。


「わっ」

「!!」


二人の魔物がさっと脇によける。

その間をすり抜けて書斎机に飛び乗ったのは、白い猫。

「元」がスノウだとは思えない身のこなしで赤いリボンに飛びつく。

エルは笑みを崩さないまま、その首根っこを掴むとぶらりと持ち上げた。

「…それ、まんま猫じゃないですか」

アイシャが顔を引きつらせて指摘した。

にゃあにゃあと鳴きながら手足をばたばたさせている白い生き物を、嫌そうに見つめる。

「まぁ近いな。猫の本能に勇者の人格が負けたんだろう、ヘタレだから」

あっさりと酷いセリフを吐いて、人差し指を暴れる猫の額にあてた。

「起きろ、スノウ(・・・)

不思議な響きを込めた言葉に、白猫は束の間固まった。やがてぱちぱちと瞬きをして、「にゃあ」と鳴いた。

「…勇者、なんですか?」

水色の髪の青年が、無表情に猫を覗きこむ。

「ああ、中身は人間だ。猫の方は封じたから。」

エルは白猫をそのまま机の上に下ろす。猫は下ろされた格好のままエルを見上げた。

「あー…この警戒のなさは確かに…」

「だろう。ここまで警戒心…というか緊張感のない奴もそうそういないぞ」

エルは取り出した赤いリボンを、白猫の首に巻く。銀色の鈴が軽やかな音を立てて転がるが、それにじゃれつく素振りもない。

「どうだ、本物の猫ではないし、無害だろう?」

「…まぁ鈍そうではありますね」

「ただ本能的に猫の姿は嫌悪感がありますけれど…」

二人の渋面に対し、エルは機嫌よく言う。

「そこらへんは慣れろ。勝手なことは許さないからな」

しっかり釘を刺し、エルは白猫を抱き上げる。

猫は―否、自我をとりもどしたスノウは、ばたばたと暴れた。

それは猫が抱かれることを嫌がる、というのとは微妙に違う。魔物が近距離にいる恐怖、自分が猫にされてしまった混乱…そんな訳でスノウの脳内はパニック寸前の状態であった。

「ああそうだ、このことは他言無用だぞ。勇者がいるなんてバレたら煩い輩がでてくる」

「そうですね…私たちの胸の内にしまっておきましょう」

ため息をついて、水色の髪の青年が言う。

「けれど…猫についてはどう説明するおつもりですか?」

アイシャの鋭い視線に射竦められ、スノウは硬直する。おかげでパニックにはならずに済んだが、それ以上に怖くて身動きできない。

急におとなしくなったスノウを訝しむ様子もなく、エルはここぞとばかりに抱き込んで腕の中に落ちつけてしまった。

「拾ったことにする」

「それこそ煩い方々に殺されてしまいますよ」

まぁ私は構いませんが、とアイシャが獰猛な笑みを浮かべる。

「なら…水妖あたりでも猫にしたことにする」

「それが無難でしょうね」

何がどう無難なのか、納得してうなずきあう魔物たちを前に、スノウはひたすらにこれが悪い夢であることを願っていた。



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