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ネコと勇者と魔物の事情  作者: 東風 晶子


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43.真実

 気づけば、クロスの目の前で赤い色が揺れていた。

 さすがに死んだのか、とクロスはぼんやりと思う。

 竜の頭から身を乗り出して剣を揮ったのだ。仕方ないという諦めにも似た感情が広がる。

 聖剣を突き立てた後、反転すれば足の骨折程度で済むかもしれない。そう咄嗟に判断した。高さと速度を計算して踏み切ったとはいえ、危険な行動である自覚はある。ほんの少しでも何かが狂えば、死に直結する。

 案の定、クロスには剣を突き立てた後の記憶がない。

 となれば恐らくそのまま頭から真っ逆さまに落下しただろう。良くて瀕死だ。

 だが死んだにしては―――或いは瀕死の状態にしては、あまりにも穏やかである。痛みも苦しみも感じられず、クロスは首を捻った。


「おい、生きてるか」


 茫洋としていたクロスに、強い声が降りかかる。

 ぱしん、とはたかれたような錯覚を覚えて、クロスは我に返った。

 鮮明になった視界に飛び込んでくるのは、こちらを覗き込む真紅の双眸。先ほどから揺れていたのは、クロスへと落ちかかるその長い髪だ。

 思わず息を呑んで、クロスはばね仕掛けのように体を跳ね上げる。

 目の前の魔物が酷く迷惑そうにのけぞった。危うく正面衝突するところだったが、クロスにそれを考えるだけの余裕はない。


「……随分元気なようだな」


 眉間に皺を拵えて激突を回避したエルは、ため息と共に言う。


「エル様、そちらは……」

「ああ、問題ない。そっちの連中は無事か」


 声をかけてきた部下と思しき魔物に、エルは軽く手を振る。クロスの傍らから腰を上げ、漆黒の外套を翻して声の方へと歩いていった。

 それを呆然と見送って、クロスは己が生きているのだと漸く思い至った。

 ざっと確認する限り深い傷はない。打ち付けたであろう頭も体も、大した痛みを訴えてはいなかった。快調とはいかないものの、不調はない。

 うまく反転し着地できたのだろうか。とはいえ、あの体勢と高さである。怪我らしい怪我がないことが不思議でならない。

 これではまるで、誰かに受け止められたかのような。

 ふと浮かんだ可能性に、クロスは青褪めて首を振った。

 そんなはずはない、と言い聞かせる。誰がクロスを助けるというのか。ここは敵陣であり仲間はいない。一時的に協力したとはいえ、それも竜を倒すまでのことである。

 そこまで考えて、クロスは慌てて周囲を見回した。

 随分と破壊され荒れ果てた部屋は、慌しい空気に包まれている。火は殆ど鎮火し、瓦礫と化した床板や柱の残骸は綺麗に広間の隅へと片付けられていた。修復にまでは着手していないらしく、剥がれた床も瓦解寸前の壁もそのままである。柱や床だけでなく天井にまでこびりついた黒い焦げ跡が、炎の勢いを物語っていた。

 そして、その広間の中央に、先ほどまで対峙していた巨大な姿がある。

 窮屈な姿勢で折り曲げられた四肢に、伸びきった尾。床に横たわった長い首は、ぴくりとも動かない。無数についた浅い傷からは血が滲み、尾の先端は千切れかけている。倒れた衝撃で折れたものか、耳の脇に生えていた二本の角のうち、片方が折れて失われていた。

 中でも深い傷は下顎と右目だ。閉じられた口の下には夥しい血溜まりが広がり、見開かれたままの右目からは真っ赤な鮮血が絶えず流れ続けている。水晶のような丸い眼球には未だ聖剣が突き刺さったままだ。

 無傷の左目が瞬きひとつしない様子をクロスはぼんやりと眺め、内心首を傾げた。

 目立つ外傷は惨憺たるものだが、それでも命に直結するようなものとは思えなかった。聖剣は確かに易々と竜の体を切り裂いた。だが、右目への攻撃は浅いものだった覚えがある。クロス自身落下しながらだったため、渾身の力で押し込むことなど到底できなかったのだ。簡単には抜けなかったようだが、顎のそれに比べると随分力ない一撃だったはずである。いくら弱点であるとはいえあれほどの巨体。心臓への一突きならともかく、目や顎への攻撃くらいで絶命するとは思えない。

 単純に気絶しているだけだろうか。

 考えはそのまま口に出てしまっていたらしい。頭上から声がかかる。


「気絶ではないな」


 いつの間に戻ってきたのか、エルがそこにいた。断言して、エルもまた首を傾げる。


「少なくとも心臓は止まっている。……だが、相手が相手だ。首を落とすまでは油断はできん」


 竜の生命力は凄まじいからな、とエル。

 心臓が止まっていてまだ『油断できない』とはどんな生物だ、とクロスは思ったが、そこは魔物相手である。魔物のことは魔物が一番よくわかっているだろう。

 それよりも、クロスには気がかりなことがあった。竜の目に突き刺さったままの、聖剣だ。


「剣は……」


 聖剣があくまで武器だということは認識していたが、それでも国王から下賜された勇者の証だ。さすがにあのままというわけにはいかないだろう。

 一方で「既に折った」とのたまった先代勇者の台詞を思い出し、なんだか拘るのも馬鹿馬鹿しいような気も押し寄せてくる。

 そんな一瞬の葛藤で濁ったクロスの言葉をどう捉えたのか、エルは頷いて言う。


「抜こうとしたんだが、さすがに再度火傷する気にはなれなくてな。あいつに至っては竜が怖いから嫌だとごねるし……仕方なしに放置している。悪いが自分で抜いてくれ」


 そう言ってひらひらと振るエルの手のひらは、既に治療済みのようで傷跡ひとつない。

 エルの言う「あいつ」が先代勇者スノウを指すことを感じ取り、クロスは微妙な気分になる。

 エルの言葉には一切の負の感情が見受けられない。勿論、スノウがあれだけ醜態を晒しているのだから呆れた口調になるのは致し方ないが、それにしても嫌味がなかった。詰る言葉の中にも、どこか諦念にも似た穏やかな気配がある。恰も親しい友人に対するそれのように。

 束の間抱いた感想を、首を振ることで意識の外に追いやる。


「……わかった」


 頷いて立ち上がると、エルが僅かに体を引く。その仕草から剣を取っていいのだろうと踏んで、クロスは浮かない気持ちで竜へと足を向けた。

 自分ひとりの力ではないが、結果として伝説に聞く竜を『倒した』ことになる。図らずも勇者としては申し分のない功績を手に入れてしまった。

 そう考えて、自嘲する。

 功績など何の意味があろうか。そもそもこの城から生きて帰れる保障すらないのだ。

 クロスが一方的な『約束』を提示した、あの時。

 エルは拍子抜けするほどあっさりと了承した。クロス自身、滅茶苦茶なことを言っている自覚があっただけに、提示しておきながら呆気に取られてしまった。

 『貸し』だなどと言っても、所詮囚われの身であるクロスに拒否権はないのだ。聖剣が必要である以上、エルはどんな手を使ってでも剣を使うだろう。当然使い手がクロスである必要はない。それを『借り』と捉えるとは到底思えなかったし、無理なこじつけの要求をしていることもわかっていた。

 だが、それでもクロスは必死だったのだ。

 一蹴されるのは覚悟の上で、仲間の命を救うために思いついた唯一の手だった。

 だからクロス自身のことを問いかけられ、戸惑った。自分のことは頭になかった。生きて帰れない、そう覚悟を決めていたから。

 生を諦めた訳ではない。

 できるなら全員で生きて帰りたいというのが本音だ。名誉も建前もかなぐり捨てて、無様でも生きていたい。勇者という肩書きを脱いだクロス自身の、偽りのない心だ。

 ただ冷静に考えて導き出された結論は、そう簡単にはいかないものだった。

 条件を付けて仲間の命を確保したところで、それは所詮口約束だ。何の拘束力もないそれを魔物が守るとは言い切れない。例えそれが守られるとしても「勇者」という存在を生かして返すとは思えなかった。

 最も、クロスとしてはその前段階、竜に剣を向けるという段階で既に命は捨てたも同然の覚悟である。あれほど巨大で人知の及ばない伝説上の魔物を、ただの人間がどうこうできるとは少しも思えなかった。

 結果としてどうこうしてしまったわけだが、それもクロスだけの力ではない。

 止めを刺したのは聖剣で間違いないようだ。とはいえ、それを突き立てるまでに至ったのは周囲からの様々な補助があったからこそである。人間よりもよほど高い魔力と技術をもつ魔物たちの、その補佐があって初めて聖剣が真価を発揮したのだ。

 それが意味するところは明白だ。

 人間の力だけでは、まだ魔物には勝てない。

 この場にいるどの魔物を相手にしても、到底太刀打ちできるようなものではない。竜など論外だ。増して、その存在すら危うい「魔王」を倒すなどと途方もなさ過ぎる。

 苦い気持ちで、竜の目を貫く聖剣に手をかけた。

 ずるりと引き抜いても竜はびくともしない。揺らがない瞳に、竜が息絶えていることを実感する。

 やや安堵して血に濡れた剣を掲げると、周囲に一瞬緊張が走った。

 その理由に気付き、クロスは当惑する。そんなつもりはなかったが、勇者が聖剣を取るという行為は即ち敵が武器を手にした状態に他ならない。

 途端に竜の横槍が入る前のやりとりを思い出し、クロスはどうすべきか一瞬迷った。このまま振り向いてエルに剣を向けるべきか否か。

 命が惜しいなら勿論否だ。だが、己の命も仲間の命も風前の灯であることに変わりはない。ならば勇者として本来取るべき行動は。


「ああ、これを使え」


 クロスの煩悶を断ち切ったのは、何気ないエルの声と投げられた布だ。

 血に汚れた聖剣を鞘に仕舞うことを躊躇っているのだと思ったらしい。どこか見覚えがあるようなぼろ布を思わず受け取って、クロスはひとまず礼を述べた。

 渡されてしまっては拭うしかない、とクロスは誰にともなく胸中で弁解して、剣を拭う。

 周囲に張り詰めた緊張が、ゆるゆるとほどけていく。

 少なくとも、エルのほうには今戦う意思はないようだ。


「おかしいな……エル、布知らない? 俺が被ってた……」


 焦ったような声にクロスが視線をめぐらせれば、広間をうろうろと歩く先代勇者の姿を見出した。

 クロスに手を貸した時同様、頭には何の覆いもかけられていない。どうやら当初被っていた布を探しているようだと見取って、クロスは己が手にした布の正体に気付く。


「布? 落ちてたから有効活用したが?」

「え? いや、できればあれ返してくれないかな。何か落ち着かなくて」

「返すも何も、あれは城の備品だろう」


 つまりは俺のものだな、とエルが意地の悪い笑みを浮かべる。


「そりゃそうだけどさ。この姿で城にいるのがこう……落ち着かないんだよ。何か姿を隠すもの貸してよ」

「構わんが、あの布はもう無理だと思うぞ」


 エルの視線がクロスを見る。

 クロスはその視線に促されるようにして、己の手の中の布を見つめた。血まみれの剣を拭った後なので、状態としてはかなり酷い。


「……あー」


 それをみたスノウは、絶句して、視線を彷徨わせる。


「うん、さすがにそれはヤバいね。うん……じゃあエル、代わりにこれ貸して」


 ぶつぶつと呟いて、あろうことかエルの漆黒の外套を引っ張った。素材や色に特に拘りはないらしい。


「断る。その辺のカーテンでも被ってろ」


 もっともな返答に、スノウはしおしおと俯く。


「そもそも何故隠す必要がある。今更だろう」

「確かにそうなんだけどさ……」


 クロスが見る限り、スノウは不思議なほど周囲に溶け込んでいた。見た目も纏う空気も全く違うというのに、魔物の中にあってその存在は違和感なく埋没してしまう。周囲の魔物たちもそこにスノウがいることを気にする素振りがない。その動向を目に留めているのは、エルを含めた数名の魔物のみだ。

 当初は魔物に寝返った為だと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。

 つい二人のやりとりを傍観していると、エルの視線がこちらを向いた。


「剣は収めたな。さて、勇者。今後の話だが」


 エルがそう切り出す。クロスの表情が強張った。


「約束どおり、捕らえた奴らは全員返す」

「え、ほんと」


 声をあげたのはスノウである。嬉しさの滲む声にクロスは再び微妙な気持ちに襲われる。


「さすがに全員をここに呼ぶのは手間だからな、下層の転移門……魔法陣から直接カディスに転移させる。異論はないな?」


 勿論クロスに否やはない。それでも、漏れそうになった安堵の息を飲み込み、クロスは敢えて釘を刺した。


「傷ひとつ、つけるなよ」

「それは仲間たちに言え。こちらも暇じゃない。大人しく従わないなら多少は手荒に扱うぞ」


 後で案内させる、とエルが言う。

 それにクロスは眉を顰めた。仲間との再会を匂わされ、困惑する。それではまるでクロスも帰すと言って言るような。

 その困惑が伝わったのか、エルが首を傾げて言を継いだ。


「ああ、お前も一緒に帰れ。この首が欲しいならまた出直すんだな。横槍さえ入らなければ遊んでやってもいい」


 そう言って、エルは追い払う仕草をする。その態度こそ癇に障るものだったが、言葉の意味に気付かないほどクロスも鈍くはない。

 敵の城に乗り込んできて、全員無事に帰還できるのだ。これ以上の行幸はないだろう。ここでクロスが下手に短気を起こして、戦端を開いては意味がない。

 仲間が帰還したあとならばともかく、今は仲間の命運もクロスの行動にかかっているのだ。エルの気が変わるようなことは避けるのが無難だろう。


「……わかった」


 固い表情のままクロスが頷く。その青い双眸には、隠しきれない闘志と苛立ちが揺れている。それを見遣ってエルがにやりと笑った。


「せっかくだからこれも持ち帰るといい」


 ぽん、と軽く放られたのは、褐色の平べったい板のようなものだ。


「……? これは」

「アイツの鱗だな」


 言われて視線を落とせば、手のひらに漸く収まるほどに大きなそれは、確かに鱗のような模様が見えた。魚やそこらの爬虫類とは違う、岩のように頑丈な鱗である。


「竜を倒した勇者として歴史に名を刻めるぞ。証拠がいるならアイツの角もつけてやろう」


 まあ既に魔方陣へ運ばせたが、とエルは楽しげに笑う。

 クロスは首を捻る。確かにその『功績』はクロスの栄誉となるだろう。だが、それが相手の益になるとは思えない。むしろそれで人間側を勢いづかせるのは、彼らの本意ではないのではなかろうか。

 苦い表情のままのクロスを見つめ、エルは言う。


「この城は、またただの岩山になる」

「……どういう意味だ?」

「あの程度の竜に手を焼くようじゃまだまだだからな。余計なちょっかいを出されないよう、暫くは大人しくするつもりだ」


 横たわる竜を視線で示して、エルは続ける。


「人間の前に出ることはそうそうなくなる。多少の出入りはあるだろうが……ヒトにとっては討伐隊の必要がない程度だ。恐らく向こう100年か200年は岩山でいるだろう。竜の角は、その証だ。……意味はわかるな?」


 クロスは忙しく瞬きを繰り返す。

 つまりエルはこう言っているのだ。竜を討ち取ったこの功績で、この城を見逃せと。

 常ならば到底見過ごすことなどできない。

 倒すべき敵は目の前にいるというのに、別の魔物の首ひとつで見逃すなどと。

 だが、とクロスの脳裏で冷静な声が告げる。

 この場にいる人間はクロスと先代勇者しかいない。長の正体が竜だったと、或いはその配下の竜を『勇者』が倒したのだと、そう言ったところで誰が真実に気付くだろう。

 魔物側から提案してくるのだから、彼らは上手く口裏を合わせる筈だ。あれだけの戦闘力を目にしながらそう主張するのは無理があるかもしれないが、この場をみていない人間は信じるしかない。事実、囚われた兵士たちは皆無事に帰還する。それが何よりも雄弁な勝利の証になるだろう。

 そこまで瞬時に計算して、クロスは己の考えにうんざりする。

 これでは「馴れ合って」いるのと変わらない。

 取引は嫌だと突っぱね、魔物に寝返ったとスノウを詰っておきながらこの体たらく。これが生死をかけた戦いの最中ならば、クロスは「勇者」らしく毅然とした態度で臨めたかもしれない。けれども、冷えた頭で考えればどうしても揺らぐ。高等な魔物や伝説の竜など想定外の出来事を目の当たりにして、さしものクロスでも気勢を削がれてしまっているようだ。

 クロスとて、できるなら命を捨てたくはない。

 俯いたまま沈黙したクロスに、エルは首を傾げる。


「単なる提案だ。嫌ならそれで構わないし、仲間の命を盾にとるつもりもない。ただし竜の一部は送りつける。王へは好きに説明しろ」


 こっちも事情があるんでな、とエルは苦笑する。

 クロスの胸中は複雑に揺れた。そこに湧き上がる感情と、相反する感情がせめぎあい、言葉が上手く見つからない。


「……ひとつ、こちらからも"提案"がある」


 ややあって漏らした言葉は、酷く掠れていた。


「ほう? 言ってみろ」

「5代目勇者スノウ・シュネーも、一緒に」


 その言葉に表情を変えたのは、大人しく成り行きを見守っていたスノウである。


「え?」

「元々、この戦いは5代目勇者のものだ。竜を倒したと主張するにも、おれ一人というのは不自然すぎる。……5代目勇者の協力があったとした方が違和感は少ないはずだ」


 実態はともかくとして、5代目勇者の名声は誰もが知っている。魔王討伐の期待を背負っていた稀代の勇者。その彼が生存しかつ6代目勇者に協力したとなれば、これまで誰も成しえなかった『竜討伐』という出来事が俄かに現実味を帯びてくるはずだ。


「それはまあ……けど誰も信じないんじゃないかな」


 このとおり剣も持てないし、とスノウは相変わらず暢気な言葉を返す。


「……それに、メリルとフレイはあんたを待ってたんだ。あんたが裏切り者だろうと剣が使えなかろうと関係ない。二人に会ってくれ」

「……」


 噛み付くようなクロスの言葉に、スノウは黙り込む。視線が伏せられ、何かを悩むような様子をみせた。


「……いいだろう」


 そこにため息と共に言葉を返したのはエルだ。


「いずれ帰すつもりでいたし、一度で済むなら手間も省けて一石二鳥だ」


 その言葉にスノウが大きく目を見開く。何かを言おうと口を開くが、エルはそれに気付かぬ素振りで視線をめぐらせた。


「さて、では魔方陣へ案内しよう。ああその前に仲間のところか。無駄に暴れないよう言い含めておけよ。……アイシャ」


 その呼びかけに、部下に指示をしていたアイシャが近寄ってきた。


「こいつらを下層へ連れて行け」


 心得た様子で頷いたアイシャは、エルの示した中にスノウの姿があることに目を瞬く。困惑気味にスノウを示し、尋ねた。


「……こいつも、ですか?」

「ああ。他の連中と一緒にカディスへ飛ばせ。もう用はない」


 拘りひとつ感じない、あっさりとした様子でエルは追い払う仕草をする。

 アイシャがまだ戸惑いつつもスノウの腕を取った。


「お待ちください」


 不意に、制止する声が投げかけられる。


「……スイ?どうした」


 首を傾げてエルが問いかける。

 視線の先には、やや息を切らせたスイの姿がある。アイシャと同じく後始末に負われていた筈だ。アイシャが呼ばれたのに気付いて、慌てて来た様子が伺えた。

 不思議そうに首を傾げるエルとアイシャに目を遣って、スイは口を開く。


「ひとつ確認したいことがあります。宜しいでしょうか」


 そう、エルに許しを求める。

 どこか切迫した様子にエルは軽く頷いて促す。

 スイはひとつ大きく呼吸をし、視線をまっすぐに向けた。

 その林檎酒色の目が射抜くのは、アイシャに腕を取られたままのスノウだ。互いの視線がぶつかり、スノウはぱちりと瞬きをする。


「あなたは、何者ですか」


 色の薄いスイの唇から、押し殺したような問いが零れる。

 緊張が滲んだ声に、スノウは呆けたような声をあげた。


「……俺?」

「そうです。あなたは一体何者ですか。勇者ではないでしょう」

「勇者だよ、一応」


 多少難ありだけど、とスノウは自虐気味に言う。

 クロスは預り知らないことであったが、それは幾度となく繰り返されたやりとりだった。勇者にしては難ありな人間、スノウ・シュネー。それがこの城の魔物たちの共通認識であり、関わりの多かったアイシャやスイにとってはそこに『ヘタレ』が追加されている。

 今更過ぎる問いかけに、スノウは不思議そうに首を傾げた。だがスイの視線は少しも揺らがない。


「言い方を変えましょうか。勇者……いえ、スノウ。あなたは本当に人間ですか?」


 それは、常ならば一笑に付してしまうような問いかけだった。

 アイシャに腕を取られたまま呆けた表情の青年は、誰が見ても人間以外には見えなかった。色素の薄い髪と肌、青い目、薄いからだ。その外見には人間以外の特徴が見いだせない。むしろ人間としても逞しい方ではないスノウの体は、頑強な肉体を持つ魔物からすれば脆弱な生き物としか見えない。

 けれどたった今、竜を倒したばかりであった。

 ヴァスーラの間者が勇者に化け、城の内部には内通者も存在していた。挙句、勇者一行の侵入を許し、暴走した竜と戦うまでにもなった。

 一通り片が付き、そうしてここに残ったのは考えを異にする種族同士。

 現状剣を収めていても、互いに敵であることに変わりはない。それぞれの思惑があり、何らかの(はかりごと)が隠されていても不思議ではない―――そんな、探り合うような空気は確かに存在していたから。

 スイの落とした言葉ひとつで、空間が凍りついた。

 誰かが笑い飛ばせば霧散しただろう緊張が、けれども誰ひとりとして否定できない重さを孕んでその場に横たわった。

 最初にその沈黙を破ったのは、当のスノウだ。


「……おかしなこと言うね、人間以外の何に見えるのさ」


 そう肩を竦めて笑ったスノウはごく普通の青年に見えた。そして同時に、それが強烈な違和感となる。

 魔物たちが知る「勇者」は怯えて顔色を伺うばかりの、弱々しい印象の青年だった。こんな風に人前で問い詰められれば、狼狽えてしまうような。

 けれど今笑みを浮かべる彼は、この切れそうな緊張に気づいていないはずもないだろうに、どこか余裕すら感じられる。最前、エルとクロスとの戦いに仲裁に入った時のように。

 スイは半ば予想していたのか、スノウの言葉に動揺する様子はない。淡々と決定的な言葉を唇に乗せた。


「私の目には魔物に見えます」

「なっ……」


 絶句したのはスノウではなく、クロスだ。


「ふざけるな、そんな馬鹿な話……!」


 裏切り者と誹りはしたが、それでもクロスは目の前のスノウが人間であることを少しも疑っていなかった。

 メリルやフレイが『本人』だと言う。外見も、魔物のそれとはまったく違う。加えて、勇者は聖剣を所持しているのだ。魔物ならばそもそも聖剣を所持できない。柄はおろか鞘であっても、触れることすら辛く激痛が伴う。

 そう反駁しようとして、クロスは言葉に詰まる。

 この城でスノウが聖剣を手にするところを、クロスは一度も見ていなかった。この城に乗り込んだときから失われたという聖剣。それが故意ではないとは言い切れない。

 その事実に気付いてしまい、どうしようもなく疑念が湧くのを抑えられない。思わず俯いて唇を噛むその様子を一瞥して、スイは畳みかけるようにスノウに問いかけた。


「破天竜は人間の生活圏には存在しないはずです。それなのに貴方は弱点や急所、そしてヘネスが『食べる』ことを知っていましたね。私たちですら知りえないその特異な能力をどこで知ったのです? 貴方が揮った魔法といい、人間と言うには無理があります」

「……あの地下の部屋、猫の足跡があったぜ」


 スイの言葉にあわせるようにして、アイシャがぽつりと言った。


「お前行ったんだろ。あそこは転移でしか行けない場所だからな……いつから転移ができるようになったんだ?」


 疑いの眼差しがスノウに向けられる。

 スノウは溜息をひとつ落として、腕を組んだ。その様は、これまでのおどおどとした雰囲気が嘘のように堂々としている。


「ああそっか……足跡のことまで気付かなかったなあ。失敗だったね」


 言って、楽しげに笑う。悪びれる素振りはない。


「スイ、残念だけど半分はハズレだよ。確かに俺は魔法を使えるし、破天竜の生態も知ってる。でも人間なんだ、魔物じゃない……この体は、ね」


 スノウは悪戯っぽく笑って、視線を泳がせた。


「そろそろ種明かしをした方がいいみたいだけど……いいかな、エル」


 その言葉に、全員の視線が一斉にエルに向いた。

 エルは静かに佇んでいる。その表情には何の変化も見られない。


「……エル様?」

「何なんですか、一体」


 アイシャは、苛立ちと戸惑いがない交ぜになった表情を浮かべてエルを見る。

 エルはそんな側近ふたりをちらりと見遣って、深く息を吐いた。


「そうじゃないかとは疑っていたが……やはりお前がそう(・・)なんだな?」


 冷静な、けれども面倒そうな口ぶりでエルが言う。その表情は口調とは裏腹に厳しい。苦虫を噛んだような険しい顔でスノウを見る。

 対するスノウは笑みを浮かべたまま軽く肩を竦めた。


「まあね。自分でも驚いたけど」


 組んでいた腕を解き、服の袷から赤いリボンを取り出した。エルの魔力が織り込まれた、鈴つきの首輪である。


「考えてみればさ、解けないはずはないんだよね。だって俺の魔力なんだから」


 何気なく放られた言葉。

 アイシャもスイもぽかんとした表情でスノウを見つめる。殆ど話が見えていないクロスもまた、首を傾げた。スノウの言葉に理解が追いつかない。

 渋面のエルに、スノウはリボンを差し出した。

 赤い色が、ひらひらと宙に揺れる。


「そしてこの体は君のものだ。ねぇ、スノウ」



 時が、止まった。



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