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42.今日の友?

 聖剣を引っ提げたエルを、慌てた様子のアイシャが迎える。


「これは……!エル様、」


 駆け寄ったアイシャが何か言おうとするのを空いた左手で制し、エルは緩く首を振る。

 その手のひらも痛々しく焼け爛れている。生来の回復力により流血は止まっているものの、治癒は完全には追いつかないようだ。


「時間がない、手短にいくぞ。ひとまずアイツの注意を壁から逸らさせる必要がある。壁はもう持たない」


 エルの視線は暴れる破天竜を捕らえている。

 その表情は常と変わらず、真紅の目も理性の光を宿している。だが右手は聖剣の柄を握り締めたままだ。指の間からは間断なく鮮血が滴り落ち、聖剣が未だその手を焼き続けているのは明らかだった。


「そのために先にアイツの足を封じる。魔法で今より強力な枷をかけて……ああ、完全に封じることができずとも、一時的なもので十分だ。要はアイツの注意を引ければいいからな。そのあたりはスイに聞いたほうが早いだろう」


 あいつの方が詳しいだろうから、とエル。

 対するアイシャの視線は、淡々と話すエルの剣を持つ右手に注がれている。気遣わしげなそれにエルも気付いていない筈はなかったが、素知らぬ顔で言葉を続ける。


「隙を見てこの剣を使う。勇者の聖剣だ。さすがに無事とはいかないだろう」


 言って、エルは手にした聖剣を軽く掲げる。手指から滴る赤い色が一際目立った。


「そうは仰いますが、その剣は……」


 自分たちには使えない、とアイシャは言い淀む。聖剣が聖剣たる所以ゆえんを、エルを含め幹部の殆どが知っている。

 聖剣とは所有者を選ぶ存在ではなく、魔物全般を拒絶する物質モノだ。その身が「魔物」に類する者であれば何者であれ拒絶される。ヒトに造られた、対抗武器。


「ああ、これは俺が揮う。だからお前たちにはそれまでの補助を」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌ててアイシャが口を挟むと、エルは怪訝な目を向ける。


「無茶です! そんな状態で揮うのは無謀ですよ! そんなものに頼らなくても他に方法があるはずです!」


 手のひらを焼かれながら剣を振るうなど、正気の沙汰ではない。

 そう言外に訴えるアイシャに、エルは軽くため息をついた。


「そんな悠長な時間はない。第一焼くといってもせいぜいがこの程度だ。腕を持っていかれるわけじゃなし、奴に突き立てるまでの時間くらい大したことじゃないだろ」


 言い切るエルは本心からそう思っているようで、無理をしている様子は見られない。

 ちらりとアイシャに示された手のひらは完全に焼け爛れ、鮮血がじゅくじゅくと沁みだしている。骨が見えないことがいっそ不思議な程の惨状だ。


「ですがその傷……」


 尚も食い下がろうとしたアイシャの声が不自然に切れる。

 エルの背後に、幽鬼のように佇む影に気づいたのだ。


「―――何の用だ」


 エルはアイシャの様子に頓着することなく、溜息と共に問いかける。その問いは明らかに己の背後に佇む人物へ向けられたものだ。


「―――剣を寄越せ」


 僅かな沈黙の後、答えたのは両腕をだらりと垂らしたクロスである。奇しくも、つい先ほどエルに投げられた言葉と同じものを、クロスは吐いた。視線はエルの手にした剣に固定され、アイシャどころかエルにすら向けようとしない。


「おれの剣だ。お前には渡せない」


 硬い声で主張するクロスに、エルは挑発的に笑う。


「ならどうする? 奪うか?」

「……いや。その手じゃ使えやしないだろ。だから、おれがやる」


 緩く首を振ったクロスは、どこか疲れたような口調で言った。上向いた青い目が、漸くエルを捉える。

 振り向いたエルがクロスを真っ向から見据える。ややあって、怪訝な表情で首を傾げた。


「……何?」

「おれが嫌なんだよ。お前らに預けるくらいなら自分で扱う。で? あの馬鹿でかい竜のどこを狙えばいいんだ」


 苛立った様子でクロスは早口でまくし立て、早く渡せとばかりに手を延べた。

 エルはぱちりと瞬きをして、クロスを見返す。


「……難儀だな、勇者とやらは」


 エルは薄く笑みを浮かべ、己の血に塗れた聖剣をクロスへと放った。

 クロスの手の中に戻った聖剣は、これまでの拒絶が嘘のように大人しく収まっている。戻ってきた重みに、クロスは安堵の息をついたようだった。


「エル様、その、大丈夫なんですか?」


 静観していたアイシャが、そっと小声でエルに尋ねる。案じる言葉は勇者に聖剣を返したことか、勇者が協力する姿勢をみせたことか、恐らくそのどちらもだろう。

 エルは聖剣の具合を確かめるクロスを一瞥し、軽く手を振った。その手は漸く治癒が始まったらしく、徐々に赤い色が消えつつある。


「大丈夫だろう。まあ、剣に関しては俺がこの手で使うよりは安全だろうな。……さて、役者は揃ったことだしアイツを倒すぞ。アイシャ、スイと他の連中に伝えてこい。ああ、加減はもう必要ない。首を取る勢いで攻撃して構わん」

「捕らえなくてもよろしいのですか?」

「それどころじゃないからな。手っ取り早く始末するしかないだろう」


 エルの中でヘネスは既に「用済み」であるらしい。

 そうと悟ったアイシャは首肯して、踵を返す。向かう先は、未だ何とか破天竜を押さえようとしているスイの元だ。

 それを見送るエルの背に、クロスの声が飛んできた。


「やる前に、ひとつ約束しろ」


 エルが振り返ると、クロスはどこか思いつめた表情でエルを仰いでいる。


「おれはお前らを信用していないし協力する気もない。剣と使い手を『貸す』だけだ。だから竜が片付いたら、貸した分を返すと約束しろ」

「……面白いことを言うな。それはつまり、借りていた『剣』と『使い手』を無事に返せということか?」


 含み笑いをしつつエルが言うのへ、クロスは強張った表情のまま首を振る。


「違う。おれの仲間たちを全員無事に街へ帰してほしい」


 青い双眸がまっすぐにエルを見据える。挑むようなその視線に、エルは僅かに目を細めた。


「仲間を死なせたいのかと言っただろう。おれは誰も死なせたくない。だから協力の代償に、全員を無事に返すと約束しろ」


 主張するクロスは、どこか必死さを滲ませている。それを無言で見つめていたエルは、ややあって問い返した。


「……お前は?」

「え」

「その全員の括りにお前は入らないのか?」


 その問いかけは予想外だったのだろう。クロスは幾度か瞬きを繰り返した後、視線を床に落とす。


「おれは勇者としてここにいる。その意味はわかってるつもりだ。

 ……ただ、自己犠牲精神は、そう強いほうじゃない」


 決意を秘めた声は、けれども最後の方は溜息のように弱いものだった。躊躇いがちに添えられた言葉がクロスに可能な精一杯の主張らしい。

 

「……いいだろう、借りは返してやる」


 エルは腰から己の剣を抜き放ち、大理石の床に突き立てた。度重なる衝撃で脆くなっていたようで、罅割れた床が剣先を飲み込んだ。剣を握る両手は既に元の色を取り戻している。

 暴れる竜を仰いで、エルが笑った。


「では勇者、しばし共闘と行こうか」



★★★



 大広間では、竜と魔物の幹部たちとの激しい攻防が続いていた。

 閃光が弾け、風が暴れる。床や壁を乱打する色鮮やかな魔法の軌跡。

 見た目に派手なそれらは、実のところ威力はさほどないものばかりだ。それが証拠に、竜は己に降りかかる魔法に大して構う様子がない。先ほどまでと同様、無視するかせいぜいが体の動きで振り払う程度である。時折魔物たちへの報復行為に出るものの、基本は壁への執着を見せている。

 そんな一見すると派手な戦いの中にあって、クロスは魔物たちから幾分離れたところをじりじりと移動していた。

 目を開けられないほどの光の明滅に、頭痛めいたものを感じつつもクロスは剣を握りなおす。

 すべては作戦のうちであった。

 

『まずあいつの足を封じる』


 エルが最初に指示したのは、竜の行動を制限することだった。

 目的は捕縛でも拘束でもなく、竜の注意を壁、即ち城自体から逸らさせることである。そのため、攻撃は尾や足を中心に行われた。

 幾ら手加減なしで構わないとはいえ、城内という限られた場所である。そう大掛かりな魔法や威力の大きいものは使用できず、自然とその幅は限られてくる。その殆どが竜にとってはさほど脅威にならないものである為、攻撃は無視されがちだ。

 そこで、足に魔法の『枷』を嵌めることになった。

 勿論、当初から『枷』となる魔法を掛け続けているのだが、その全てを振り払われてきている。幾度かけても結果は同じであることは実証済みだが、動きは一時的に制限される。

 竜の気をそらすには至らずとも、動きが制限されれば竜に接近することが可能だ。

 矢鱈と見た目に派手な魔法は、聖剣を携えたクロスが竜に近づくための時間稼ぎと隠れ蓑である。

 その派手な魔法の合間にも、『枷』は次々と掛けられていた。

 その多くを竜は振り払っているが、頻繁に掛けられるそれに幾分辟易しているようでもある。徐々に『枷』を放置する時間も長くなってきているのがその証拠だろう。時折巨体をゆすり『枷』を破壊しつつ、苛立ったような咆哮をあげている。

 足の動きがだいぶ鈍くなったと視認して、クロスは背後から竜の体の下へと潜り込んだ。

 未だ自由な尾は、その抵抗を主張するようにしきりと左右に振られている。直撃をくらえば洒落にならないのはわかっていた。つい先ほども、屈強な体躯の魔物がそれに跳ね飛ばされていくのを見たばかりだ。

 竜の後肢で、クロスはエルへと合図を送る。正しくは、エルがいると思われる場所へ。

 派手な魔法が邪魔をして、クロスにはエルの居場所がよく見えない。不安はあったがエル自身が全く問題にしていなかったようなので、恐らく大丈夫なのだろう。

 暫くして空気の流れが変わった。

 派手な、色とりどりの魔法が徐々に止み、ぽつぽつと水色の球体が虚空に浮かび上がる。一目でそれと分かる、水系の魔法である。

 どうやら合図はうまく伝わったらしい。


『奴は凍気に弱い。勇者が奴の足元にたどり着いたら、四肢と尾に氷の魔法をかける』


 エルの言葉がクロスの脳裏に蘇る。

 ややクリアになった視界では、エルが己の大剣を媒介に巨大な水の球体を作り上げている。球体がところどころ放電しているのにどこか既視感を覚えながらも、クロスは竜の体の下を身を屈めて進む。

 その目の前に、やや小ぶりな水色の球体が着弾した。

 地面で弾け飛び散った欠片がパリパリと凍っていく。大理石の床が凍り付き、ひやりとした冷気がクロスにも感じられる。

 そして次々と放たれたそれらが、竜へ直撃することなくその周囲に着弾していく。瞬く間に凍り付くそれらが竜の周囲を囲い、乾いた音を立て伸びる氷の手が魔法で拘束された竜の足に絡みついた。

 あっという間に膝辺りまでを薄氷に覆われた竜は、戸惑うような唸り声を上げた。

 その視線は壁と己の足元とを忙しく揺れ動く。氷の『枷』を外そうと体を動かしているようだが、どうやらあまり効果は捗々しくないようだ。


『ただの拘束よりは持つはずだ。その間にアイシャ、お前は奴の尾を止めろ』


 クロスは動きの止まった足の間をそろりと移動する。体を捩る竜の動きに合わせて尾が左右に激しく揺れているようだが、体の下を移動する分にはさほど問題はない。

 尾に跳ね飛ばされたらしい魔物たちの悲鳴が聞こえ、ちらりと視線をやると複数の魔物と共に竜に向かっていく藍色の魔物の姿が見える。

 アイシャの、クロスやレリックと大差ない体格は、屈強な魔物の中にあって目を引くものだ。恐らくは彼の部下であろう魔物たちと共に武器を揮う姿は、何も知らなければ不安に駆られるだろう。竜を相手にそんな細腕で大丈夫か、と思ってしまう。彼以外の魔物がきっちり武装していることもそれに拍車をかけているようだ。しかし、実際はその中の誰より猛者だということは、さすがのクロスも理解していた。

 そもそも城主からしてあの姿なのである。初めて相対した時は悠長に観察する暇もなかったが、こうして改めて考えればアイシャより余程華奢なのではないだろうか。

 とはいえ剣を交えたクロスには侮る気持ちは全くない。魔物の強さというのは外見に比例しないのだな、と冷静に納得する程度である。


『尾が切断できれば言うことはないが……まずあの硬度じゃ無理だろう。動きを鈍らせる程度でいい。邪魔だと思わせることができれば十分だ』


 魔物たちが振り上げた剣が鈍い音を立てて弾かれる。その音から察するに、やはり見た目通りこの鱗は頑強にできているらしい。

 アイシャの唇が何事かを呟く。その手にしている剣が淡く発光を始めた。柄の部分に嵌った魔法石が反応しているようだ。竜の足元を縫いとめている薄氷と同じものが、その刀身を隙間なく覆う。

 そうして氷を纏った剣が振り下ろされると、鈍い音に混じって削るような音がした。どうやら、凍気に弱いというのは間違いないようだ。


『アイツは必ず攻撃してくる。足の氷と邪魔者を排除する、手っ取り早い攻撃方法を取るはずだ』


 クロスの頭上で、竜がもたげていた首を揺らめかせた。

 その視界から逃れるべく、慌てて前脚の影に体を隠す。

 長い首が器用に折り曲げられ、クロスが息を潜める前脚の前を通過していく。

 間近を過ぎた竜の頭はクロスの中の恐怖を掻き立てた。炎の照り返しで浮き彫りになる岩肌のような鱗。垣間見た漆黒の双眸は怒りを宿して輝きを増している。

 ずらりと並んだ牙をむき出しにし、その双眸が見据えるのは後ろ足と尾に攻撃を続けているアイシャたち魔物だ。すぐ傍で息を殺しているクロスの存在に気付いている素振りもない。

 その顎の下、裏側にちらりと赤い色が見えた。

 この至近距離でなければ見つけられないような、ごく小さな鱗。


『首か顎の辺りに他と違う鱗があるはずだ。見つけにくい代物だが……それが奴の弱点のひとつだ。そこを突けば、致命傷とはならずとも昏倒くらいはするだろう』


 増してその手にあるのは聖剣だからな、と悪辣としか言いようのない笑みを浮かべたエルの顔が思い出される。

 緋色の、目に鮮やかな鱗。

 今、クロスの間近にあるその鱗が、それであるのは間違いない。

 クロスは素早く身をかがめると、竜の首の下に体を滑り込ませた。幸い、竜は目先の敵に気をとられているようで、すぐ真下にいるクロスの気配に気づかない。

 口が大きく開き、竜が炎を吐こうとしている様子がクロスにもわかった。

 目の前に接近する赤い鱗に、クロスは剣先をあてがう。

 あれだけ頑強な鱗だ。いかな聖剣とはいえ、思い切り押し込んでも貫けるかどうか。束の間脳裏を掠めた猜疑心を無視し、クロスは柄を握る手に力を込めた。

 ぐっと押し込む瞬間、感じたのは僅かな抵抗。あの固い鱗からは想像もつかないほどあっさりと剣を飲み込んでいく。

 クロスが予想外の感触に驚く暇もなく、勢いそのままに剣は竜の顎を刺し貫いた。


 竜の咆哮が響き渡る。


 それは城自体を揺らすような、鼓膜を突き破る絶叫だった。

 竜は勢い良く頭を振り上げる。貫かれた顎を引き上げられ、それに引っ張られる形でクロスが体勢を崩した。そのまま一瞬つま先が浮きかけるものの、手ごたえの浅い剣はするりと抜ける。勢い余って地面に尻餅をついたクロスの、それでも離さなかった剣が硬質な音を立てて床を削った。

 引き抜かれた竜の顎から、鮮血が溢れた。

 まるで滝のような勢いで夥しい血液が石床にぶちまけられていく。真下のクロスは慌てて後ずさるが、止め処なく零れる鮮血が衣服と肌を濡らした。

 竜は苦しげな咆哮を上げ、真紅に染まった頭を出鱈目に振り回す。

 見開かれたその漆黒の双眸が、遥か高みから血にまみれたクロスの姿を捉えた。


「くるぞ!」


 誰かが発した警告が、クロスの耳朶を打つ。

 頭上では血の滴る口を大きく開けている竜の姿。その双眸はしっかりとこちらを見据えている。来る、の意味を正しく理解して、クロスは咄嗟に頭を庇った。

 竜の口腔から、渦を巻く炎が吐き出された。

 最前の攻撃でその威力は大分目減りしていたものの、ただの人間であるクロスなどひとたまりもない。

 死を覚悟して目を閉じた。

 だが、衝撃はいつまで経っても訪れない。

 熱を孕んだ強風が、髪を肌を撫でていく。それも焼けるほどの熱さはなく。

 恐る恐る目を開けた先、クロスの周囲だけが炎の洗礼を免れていた。不可視の壁がクロスの周囲に聳えているらしく、洪水のような炎の激流がクロスだけを避けている。

 瞠目して顔を上げれば、クロスのすぐ目の前に細い影を見出す。


「え……」


 あまりにも予想外の姿に、思わず声が漏れた。

 クロスに背を向け、炎を抑えるかのように両手を前方へと延べた人物は、クロスを顧みることなく言葉を紡いだ。


「動ける?」


 感情の篭らない、事務的な問い。

 どうしてここに。驚愕と疑問を無理やり飲み込んで、クロスは短く答える。


「……ああ」

「そう、よかった。これはそう長く維持できるものじゃないからね……動けるなら、あいつの相手はお願いするよ」


 そう言って一瞬こちら向いた双眸は、青玉サファイアの色をしている。

 熱風に揺れる白金の髪、襤褸ぼろをどこかに脱ぎ捨ててきたらしい、スノウの姿だった。


「相手……」


 どうしろというんだ、とクロスは胸の内で呟く。

 頭上で鮮血を散らして喚き暴れる竜は、確かに酷く苦しげではあるが倒れそうではない。それどころか怒りと痛みでこれまで以上に手が付けられない状態に見えた。

 昏倒くらいはするだろうと踏んでいただけに、他の案が浮かんでこなかった。

 クロスの当惑を見取ったのか、スノウが静かに言う。


「目を狙うんだ。できれば右目」

「目だって? この状況でか?」


 思わず乾いた笑いが漏れる。

 荒れ狂う竜の頭は遥か高みにある。先ほどの位置まで頭を下げていれば話は別だが、これだけの距離が空いてしまえば土台無理な話だ。


「この状況だからだよ。普通ならさっきの一撃で倒れてる筈なんだ。あの場所は竜にとっての弱点で、しかも貫いたのは聖剣なんだから。けどあいつはそう簡単に倒されてはくれないみたいだし……後はもう一カ所の弱点を突くしかない」


 それが右目なのだとスノウは言う。


「あいつは右目に魔力を溜めてるから……聖剣で思い切り貫かれたら、さすがのあいつでも再起不能になる筈だよ」


 涼しげな表情で淡々と話すスノウの前では未だ炎が渦巻いている。防壁によって威力は軽減されているものの、大気は蒸せるような熱気を帯びている。


「もう一度あいつの頭を下げさせるから、その間に目を狙って。ああ、炎なら俺が防ぐから大丈夫。物理的な攻撃に関しては……エルがなんとかするんじゃないかな、たぶん」


 頼りになるようなならないような微妙な発言をして、スノウが首を傾げる。


「下げさせるって……」

「今あっちで攻撃してる。ちょっと我慢して」


 その視線の先には、炎の壁がある。そこに気を取られた一瞬、スノウがクロスの腕を掴んだ。


「っ、な」


 驚き慌てるクロスをよそに、クロスを掴んだスノウの指が淡く輝く。青白い光がぶわりと膨張し、腕を伝って肩口まで駆け上がった光は、肩に上る前に跡形もなく溶けて消える。


「これで大丈夫。あいつ程度の炎なら効かないよ」


 水妖の加護、と冗談めいた口調でスノウが笑う。


「さて、そろそろだね。5つ数えたらこの防壁を解くから、後は任せたよ」

「……え、えっ?」


 何をされたかもよくわかっていないクロスが動揺も露に声をあげるが、スノウはそんな彼に構うことなく、無情にもカウントを始めてしまう。


「4、3……」


 悠長に状況を分析している時間はないらしい。

 クロスはひとつ深呼吸して、波立つ胸中を宥める。

 剣の柄をきつく握る。


「行って!」


 スノウが鋭く叫んだ。弾けるように消えた防壁から、熱風が襲い掛かってくる。

 あまりの勢いに一瞬たたらを踏んだクロスだったが、ぐ、と両足に力を込めて踏み出す。

 剣を構えて駆け出す先には、スノウの言葉通り頭を低くしている竜の姿がある。

 近づくクロスを、竜の漆黒の目がとらえた。

 首を上げられるかと危惧したのもつかの間、竜は頭を低く保ったままだ。見ればその体は小刻みに振動しており、半端に開かれた口からは白煙と獰猛な唸り声が漏れている。

 長い首には幾重にも細い糸のようなものが巻き付き、頭を振り上げようとする竜の動きを制限しているようだった。

 だが、竜は必死の抵抗か、その幾つかを無理やり振りちぎった。首を高く上げることは適わないものの、竜はその頭をまっすぐクロスへと振り向ける。

 そして白煙を吐き続ける口を開き、渦巻く炎を吐き出した。


「っ」


 咄嗟に庇おうと目の前に手をかざすものの、炎はクロスに届く前に弾かれて消滅していく。スノウがかけた魔法の効果だろう。

 効果なしと知った竜の尾が激しくしなる。

 うなじが総毛だって、咄嗟にクロスは床に転がる。最前までクロスの頭があった空間を、巨大な影が薙いだ。岩石のような鱗が並ぶ鞭のようなそれは、竜の尾だ。直撃すればクロスの頭は果実よりも簡単に破壊されるだろう。

 その事実にぞっとする暇もなく、クロスは体勢を建て直し再び竜へと走る。

 再度振り上げられた尾は、けれどもクロスに届く前に弾き飛ばされた。ついで起こる小さな爆発音。

 周囲を囲む魔物から放たれた攻撃が尾に直撃したようだ。これまでならば大してダメージを与えられなかったような攻撃である。だが、度重なる尾への攻撃でその強度は幾分落ちているらしい。真新しい鮮血を散らして尾が床へと叩きつけられる。

 その衝撃で竜の上体が大きく揺れた。

 動揺する気配の竜に、クロスは一気に距離を詰め、竜のすぐそばまで移動する。

 正面から見上げる光景は圧巻だった。

 先ほど竜の顎を攻撃した際は夢中で気づかなかったが、こうしてみると竜はとてつもなく巨大だということがわかる。

 クロスは剣の柄を両手で握りしめ、大きく踏み込む。

 勢いよく跳躍し、頭上に振り上げた聖剣を竜の頬骨の下、上顎のあたりに突き立てる。

 固いはずの鱗は難なく聖剣を飲み込んだ。やはり、聖剣は魔物にとって『特別』なものであるらしい。竜が痛みと驚愕に大きく目を見張る。

 躊躇いなく柄まで埋めた聖剣に体重を預け、そこを支点に体を反らす。

 くるりと宙返りしたクロスの手は、なおも聖剣をしかと掴んだまま。そのクロスの体に引っ張られるように、抵抗らしい抵抗もなく埋まった聖剣は、同様にあっさりと引き抜かれる。

 砕かれた鱗と、真紅の飛沫が宙に鮮やかに散った。

 クロスはそのまま竜の頭上に着地すると、ごつごつとした皮膚と突き出した角を掴みバランスを取る。

 一拍遅れて、竜の咆哮が響いた。

 竜は激痛にのた打ち回り、出鱈目に暴れ始める。体を縛る細い糸を引きちぎり、手足の拘束を力任せに砕いて、頭を振り乱す。

 顎の下と頬骨の下からは絶え間なく血が流れ、満身創痍だと誰の目にも知れた。

 クロスは片手に剣を構え、竜の頭にしがみつく。


「……右、目」


 振り落とそうと激しく振られる竜の頭にしがみつきながら、クロスは目の位置を確認する。

 周囲を舐める炎の勢いは相変わらずで、今にも火ぶくれができてしまいそうに熱い。スノウのかけた魔法の効果がなければ肌は焼け爛れていただろう。加えて度重なる事態の急変に、クロスの精神は色々限界だった。

 そんな自分を自覚しながら、それでもクロスの頭の中は不思議と冴えていた。

 このときばかりは、クロスは様々なことを忘れた。

 荒れ狂う炎も、敵対する魔物も、先代勇者も。そして、どこかで今も不安を抱いているだろう、仲間のことも。

 クロスの頭にあったのは、ただひたすらに「竜を倒す」ことだけだった。

 勢いをつけて、竜の頭から逆さに体を乗り出す。

 思い切り乗り出した体が宙に投げ出されるが、そこに構う余裕はない。

 視界に大きく見開かれた漆黒の目が映る。

 水晶のように透明感のある、巨大な目。そこに惨憺たる有様の己の姿が写り込む。ぼろぼろの衣服に乱れた髪。剣を振りかぶり、浮かべた表情は鬼気迫るものだ。

 縦長の瞳孔が、クロスの姿を確かに捉える。

 その瞬間、クロスは自分の胸の中に生まれた感情に気付く。

 生き物を『殺す』感覚。熱に浮かされたように火照る体と、対照的に冷えていく胸のうち。覚えのあるそれは、いつの間にか麻痺しつつあったものだった。


「これじゃどっちが魔物かわかんねぇな」


 喉の奥で哂って、振り下ろした。



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