33.城へ
騒々しく飛び立つ鳥の姿を目にして、クロスは遠くを仰いだ。
鳥たちを脅かす原因らしきものは、クロスの視界には入らない。濃密な枝葉が空を覆い隠さんばかりに広がっているだけだ。
「始まったな」
ひとつ息をついて声に出さず呟く。
鳥を脅かした原因に、彼は心当たりがあった。その方角は西、『城』の正門があるとみられている場所だ。ガレオス大佐率いる王国軍が『城』へと攻撃を開始したのだろう。あの下では今まさに人間と魔物との熾烈な戦いが行われている筈だ。
「――――あちらが北の門です」
すぐ近くで響いた落ち着いた声音に、クロスは我に返る。
視線を向けると、暗い色合いの外套を着た青年と目が合った。黒鷺部隊を率いるザラク少尉だ。外套の下から部隊の由来でもある漆黒の甲冑が覗いている。若々しい面立ちはクロスたちとそう年齢差はないように感じられた。
クロスたちは黒鷺部隊に合流していた。
彼らは、甲冑こそ纏ってはいないもののザラクと同じ色合いの外套を羽織っている。
当初合流するはずだった本隊の方には、それらしく装った兵士を数人置いた。魔物側にまっとうな指揮官がいるのならば、勇者たちは本隊にいると騙されてくれるだろう。
「あれも魔物なんだよな?」
首を傾げて尋ねたクロスに、メリルが頷く。
門だと示された先では、四足の獣が所在なげに寝そべっていた。その大きさ故か、門が幾分小ぶりに見える。正門ではないのだから元々小さめなのかもしれない。
獣の耳がぴくりと動く。まさかこちらに感づいているとも思えないが、右へ左へと動く耳に警戒が走る。目を凝らせば、少し離れた奥の位置に同じように寝そべる獣が見えた。こちらは寝入っているのかぴくりともしない。
「かろうじて魔物の範疇かしらね。戦闘力はさほど高くないわ……でも」
「……まあ侮ると痛い目みるだろうね。アレはともかくその奥が」
警戒して低く囁き返すメリルの言葉の先を、レリックが引き継ぐ。溜息をついて、外套のフードを深くかぶりなおした。
「そうですね。あの程度なら確かに問題ありませんが、門を突破した先が問題でしょう」
ザラクもまた、疲れたような溜息をついて言う。
その魔物自体にさほど脅威がないことは、長期間観察を続けてきたザラクもわかっていた。問題なのは、黒鷺部隊が奇襲を受けたばかりであるという点だ。
奇襲されたという事実が、こちらの行動が筒抜けだったことを表している。黒鷺部隊の手の内は粗方バレていると考えておくべきだろう。そして恐らくは、王国軍が正面とこの門から侵入を果たそうとすることも見通されている筈だ。
「ここから突入すれば、みすみす罠にかかりに行くようなものってことだよ」
いまいち合点のいかない様子のクロスへ、レリックが簡潔に説明した。外からでは分からないが、閉ざされた門の先には敵が待ち構えているに違いないのだ。
「じゃあどうするんだよ? 城壁よじ登っても、入れそうな隙間はないぞ」
クロスは城壁を仰いで唸る。窓らしき穴は幾つか開いているが、それもかなり上方である。
「もうひとつ、門のような場所があります」
ザラクは城を示して言った。
「ただ、これは未確認の情報です。城の背面で魔物が出入りするのを見たと、部下が申しておりましたが……門自体の視認ができないところをみると、恐らく魔法の類で隠されているのではないかと」
ザラクの歩きにしたがって、勇者たちと複数の兵士が緑陰の中を移動する。
クロスたちについて歩くのは黒鷺部隊の精鋭10数名だ。勇者一行に同行するにあたり、ザラクが選び抜いた人選である。残りの兵士は近くの森で待機している。
黒鷺部隊の任務は、内部での撹乱だ。常ならばあらかじめ潜入し、騒ぎに乗じて火をかけたり馬を放すなどの工作をするのだが、今回の場合はそう簡単にはいかない。
相手は人外、しかも城の内部構造は不明。兵士は人間との戦いに慣れてはいても、対魔物の経験はほぼない。乗り込むには相当の覚悟が必要だった。
だが、勇者に同行するとなれば話は少し変わる。彼らは対魔物の『専門家』だ。同じ行動をするとしても、その彼らと共にあるというだけで兵士の意識は大分変わるものだ。
その証拠に、勇者一行のうしろを行く兵士たちはどの顔も決意と闘志に燃えている。
「あのあたりです」
暫く進んだところで、ザラクは城壁を示す。
茂みの向こうには、特に何の変哲もない石の壁が聳えていた。
現在地は東側、城の背後にあたる。ザラクたちの調査では、出入り口らしきものは見当たらなかったらしい。そのため当初は、こちら側に陣を張っていたのだとザラクは説明した。
「ちなみに、魔物が現れたのはあちらの奥からです」
ザラクは東に広がる森を示す。奇襲された際、東の森の奥から魔物たちが姿を現したのだと語った。その一件で森の中にも出入り口があることがわかったものの、巧妙に隠されているらしく発見には至らなかった。
森を一瞥した後、クロスは伸び上がって城を眺めた。どこをどうみても、石の壁しか目に入らない。
「さっぱりわかんねぇな」
ほんとにここか? と視線で訴えるクロスに、ザラクは頷いてみせた。
「あそこに少し崩れたような跡があります。恐らくそこが出入り口ではないかと」
ザラクの指さす先には、城壁に積み上げられた石垣のようなものがある。形のそろわない大小様々な石がぞんざいに積み上げられ、恰も城壁の「作りかけ」のように見えた。
「石が並んでるだけだぞ」
やはりどう見ても入口があるように見えなくて、クロスは首を傾げる。
確認したわけではないので、とザラクは申し訳なさそうに視線を落とした。確かに、示された石垣にはそれらしい気配は見受けられない。乱雑な石組みには隙間らしきものは見えるが、それも人が通れるような大きさではなく、ネズミ程度の大きさでも門として利用できるかどうか怪しかった。
クロスはひとつ頷いて、そんな石組みを見つめる。
「よし、いこう」
ここまで来たのだ。いまさら四の五の言っている場合ではないことは、クロスにもよくわかっている。確かでなくとも試してみる価値はある。現状それしか道はないのだ。罠とわかっている城門に突っ込むのは、確認してからでも遅くはない。
クロスは聖剣の柄に手をかけ茂みから身を乗り出したところで、ふと動きを止める。
『作りかけ』のそこに、よくみれば何かが横たわっている。
見慣れない獣だ。恐らく魔物の一種だろう。先ほどの門にいた魔物よりは幾分小柄で、牧羊犬のような大きさである。
「……生きてんのか?」
ぴくりともしないが、万一「寝ているだけ」であれば厄介である。念のため先に確かめておくかとクロスが踏み出しかけたところで、フレイが声をかけた。
「見てて」
フレイは静かに矢を番える。
放たれた矢は、過たず獣の体に鋭く突き刺さる。鈍い音と衝撃で僅かに体が揺れたものの、自ら動き出す様子はない。
「大丈夫みたいだね」
言って、フレイはクロスを見上げる。
「では私たちが」
頷いたクロスを見遣って、ザラクが背後の部下に合図をする。ザラクは周囲を警戒しながら、部隊の兵士二人を先頭に、魔法使いを従えて城壁に近づいた。
ひととおり安全を確認して、ザラクがクロスに合図を送った。
全員が城壁の傍に集まったところで、魔法使いが入り口と思われるあたりを調べ始める。石組に手を伸ばし、何かを探るようにかざしていく。
暫く調べる風だったが、ややあって小さく呻いて手を引っ込めた。
「どうした」
慌てたようなザラクの問いかけに、魔法使いは緩く首を振る。
「申し訳ありません、動揺致しました。強力な魔法がかけられていたようです」
己の手を握り締める様子から、その魔法に妨害を受けたものと思われた。
「つまり無理ってことか?」
クロスが簡潔に問いかける。魔法使いはそれにも首を振って答えた。
「いえ、問題ありません。どうやら大部分の魔法が壊れているようです。今の反応が最後だと思われますので……後は扉自体の封印のみですから」
フードから僅かに顔を覗かせて、口元を自信ありげに歪めて見せる。
魔法使いは再び弾かれた場所に手をかざした。よくみれば、その手のひらは熱いものに触れた時のように赤みが差している。そのままゆるゆると扉の場所を探っていく。特に変った反応がみられないところをみると、魔法使いの言葉どおりあれが最後の抵抗だったらしい。
ふと魔法使いの手が止まる。
小さく呪文を詠唱すると、石組みが僅かに動いた。少しずつ隙間が開いていく。
やがて、石がごろごろと崩れ落ち、人一人通れるくらいの穴が開いた。
中は暗く湿っている。幾つもの木箱や甕、樽が所狭しと置かれており、生き物の気配はない。貯蔵庫のようでもある。
覗き込むと、奥にうっすらと木製の扉が見えた。古びた扉からは僅かに光が漏れている。
見張りや待ち伏せの影はないと見取って、部隊の兵を先頭に中に入る。
ザラクの後に足を踏み入れたクロスは、思わず顔を顰めた。
中は想像以上に広い空間だった。そこに、錆びた匂いが充満していた。
先を行くザラクが、剣の先で床を示す。
そこには真新しい水溜りがある。この暗がりでもはっきり分かるほどに、その色は赤い。
先頭の緊張がそのまま背後のレリックやメリルたちにも伝播する。彼らはまだ足を踏み入れていないため、血臭には気付いていない様だ。ただならぬ様子にそれぞれが武器を握る手に力を込める。
クロスもまた剣をしっかりと構え暗闇を見渡すが、動く影はない。入る前と同じく人の気配はしなかった。
慎重に足を進めると、倒れた人影が見えた。ただし、その首から上はない。身体的特徴からいって、人型ではあるが魔物であるのは間違いないようだ。
ここから侵入を目論んでいるのは、黒鷺部隊の中でもクロスたち一部だけのはずだ。それ以外の人間が侵入するとは考えにくい。
となると、これは『仲間割れ』ということだろうか。
クロスは首を傾げ、ザラクを伺う。
ザラクの方もよく分からないらしく、首を振られた。
長く観察してきたという彼らですら分かっていないのだ。今しがた城に到着したばかりのクロスに分かるはずもない。
なんにせよ、ここまできてしまったのだ。仲間割れをしていようが、この先に何がまとうが、やることは決まっている。
木製の扉の前までくると、緊張した面持ちの先頭の兵士と目が合った。
扉に手をかけたその指が小刻みに震えている。その動きに連動して木製の扉からちらちらと光が漏れた。どうやら鍵はかかっていないらしい。
微かに揺れる相手の目を見つめ、クロスは力強く頷いてみせる。
自分が迷うわけにはいかない。
迷うな、と自身に言い聞かせ、クロスは剣を構えなおす。メリルやフレイもまた、それぞれの武器を構える。
もう、引き返すわけにはいかないのだ。
いざ、戦いへ。