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32.闇

 魔物でごった返す廊下を、マナは走っていた。

 いよいよ人間との戦が始まり、城内は騒がしい。ある程度の規律は保たれているものの、魔物たちがそれぞれの手段で命令に伝達にと走り回るので城内はちょっとした混沌(カオス)と化していた。マナのように廊下を走る者が大半だが、天井を這う者や飛行するもの、果ては壁を伝うものもいる。

 マナ自身、飛行が可能であることは背中の羽が示している。蝙蝠の系統に連なるため、他に比べて衝突せずに飛べる自信はある。ただ、人型を維持した上でとなると少々勝手が違う。

 当然ながら、本来の姿の方が飛行は楽なのだ。だが人型を解くことはできない。そのため仕方なく足を使っての移動となっていた。

 多くの魔物の行方は決まっている。

 城の正面、正門だ。

 人間の軍隊は正面から攻めてきていた。ずいぶん律儀なものだとマナは思ったが、仲間に「非力な人間では城壁を上ることはできない」と言われて納得した記憶がある。

 そのため必然的に戦力は最下層に集められることとなり、集合の命令は幾度となく耳にしていた。

 だが、マナはその流れに逆らう形で進んでいる。

 おかげで先ほどから幾度となく衝突しそうになっているが、引き返すわけにもいかない。


「なあ、武器庫って何処だ?」


 走りながら問いかけてきた隣を走る男に、マナは苛立ちと共に声を投げつけた。


「この奥!」


 睨み上げながら言ってやると、相手はやれやれと言いたげな視線を寄越して溜息をつく。

 緑色の髪に金色の目。口元からは長い牙と長い舌が時折のぞく。外見は色こそ違えど人に近く、彼もまたマナと同じ魔族であることを表していた。その本質が蛇であることは、露出した肌にうっすらと浮かぶ緑色の鱗が証拠だ。


「そうカリカリすんなって。お前いっつもキレてるよな」


 そうまるで他人事のように言う男―――ネルム。

 誰のせいだと思ってるのか、と喉元まででかかった言葉をマナは呑みこんだ。

 彼らが今走っているのは、最下層から二つ階段を上ったところだ。このあたりはマナが普段過ごす階より随分と下層であり、どちらかというと人型をしていない魔物が大半だ。マナを含めた魔族ともなれば多少は人に近いが、その殆どは表で戦闘の真っ最中である。 現在廊下を行き来しているのは、彼らの命令を受けた魔獣や魔人たちだ。


「なあ、お前は別にいいんだぜ? オレの武器だしさ、お前戻っても」


 珍しく殊勝なことを言い出したネルムを、マナはぎろりと睨む。


「武器庫の場所を聞くような馬鹿に任せていたら、戦いが終わってしまうだろ」

「誰が馬鹿だよ、武器庫くらいみりゃ分かるっつーの」


 鼻で笑って言うが、マナはそれが単なる強がりだと疑っていない。どうしようもなく、この男はプライドだけは高いのだ。

 だから交戦中に剣が折れてもなお、余裕のあるフリをしていた。確かに大抵は予備の武器を持っている。だがネルムがそれを持っていないことをマナは知っていた。何故なら、それはマナの手の中にあるのだから。

 マナもまた、愛用の武器を修理中で手放していた。それを見兼ねたネルムが、使えと押し付けてきたのが今マナが手にしている剣だ。

 それでこうして城の武器庫へとわざわざ替わりの武器を取りにいかねばならないとは。皮肉なものだとマナは自嘲する。


「別にお前のためじゃない」


 元はといえばマナが武器を持たなかったのが、すべてだ。だから、剣が壊れたネルムを守ったのも、そのまま武器庫へと取って返しているのも、すべては自分が撒いた種。ネルムという蛇男は確かに鼻にかかる嫌な奴だが、これは己の責任だ。

 そう思わず呟いた言葉は、幸いにもネルムには届いていなかったようだ。


「ん? なんだ、何か言ったか?」


 首を傾げて覗き込んでくるのへ、マナは険のある眼差しを返す。


「別に。この馬鹿って言っただけだ」

「てめぇ、かわいくねぇな」

「うるさい。叫ぶぞ」

「この非常時に叫ぶとか、そっちの方が馬鹿だろ」


 因みにマナの「絶叫」は窓を破壊するだけの威力がある。


「少しは黙れ」


 話すことが得意ではないマナは苛立ちと共に言い放つ。戦いの高揚でつい喋りすぎたらしい。喉に違和感があり、ともすれば本来の『声』が出てしまいそうだ。

 ネルムはそんなマナをちらりと見遣り、肩を竦める仕草をした。走りながら器用なことである。


「短気だな……あ」


 笑みを含んだ呟きが、途中で切れる。ネルムはゆるゆると足を緩め、通り過ぎた廊下を振り返る。


「ネルム? どうした?」

「いや……なんか、あっちが気になる」

「あっち?」


 首を傾げてネルムの視線の先を仰ぐが、獣の姿に近い魔物が行き来しているだけで、特に異変は見つからない。


「何かあるのか?」

「……いや、何も……ない、と思うんだけど……」


 自信なさげにいいながら、ネルムは引き寄せられるように廊下を戻っていく。ごったがえす魔物の間を縫って、気になると言ったあたりの部屋に向かう。


「ネルム、まて」


 そんなことより武器を取るのが先だろ、とマナは懸命に声を張るが、喧騒に掻き消されていく。それでもマナの言いたいことは伝わったのだろう、ネルムはマナを振り返り軽く手を振った。


「先行ってくれ。つかむしろ取ってきてくれよ」


 よく通る声でなんとも図々しい言葉を寄越すと、ネルムは手近な部屋の扉を開けて中を覗く。

 暫くして首を傾げながら扉を閉め、今度は隣の部屋の扉に手をかける。

 何をやってるのかと呆れながら、マナはため息と共に踵を返した。

 言うとおりにするのは癪だが、ここでぼんやりとネルムの奇行を眺めていても始まらない。これは貸しにしようと心に決めて、マナは武器庫へと急ぐ。

 その姿が小さくなったころ、ネルムは三番目の扉に手をかけていた。

 かちりと回る取っ手に、不意にネルムは寒気を覚える。

 うっすらと浮かんでいた鱗が、一瞬で全身に露になる。硬化する鱗は、彼の直感が危険を訴えた証だ。


「……誰か、いるのか」


 ネルムは扉を開けながら、低く問いかける。

 いるとすれば仲間であるはずだ。この城に仕える、同じ魔物。

 もしかしたら、人間の侵入者ということもあり得る。ネルムもまた多くの魔物と同様に、人間を脅威だとは思っていなかった。だがそれは単独での話である。完全武装の相手が複数人いれば、正直なところ無傷でいられる自信はない。

 果たして、部屋の中に広がっていたのは漆黒の闇だった。採光のための小さな窓がひとつあるだけの、物置のような部屋だ。雑多に詰まれた荷物からは不穏な気配はしない。

 赤い舌をちろりと出して、ネルムは首を傾げる。


「人の匂いはしないな……気のせいか?」


 合点がいかない様子で、ネルムは扉を閉めようとして。

 その手首を何かが掴んだ。


「っ!?」


 驚き、咄嗟に引っ込めようとするが、思わぬ力で締め上げられ思うようにならない。息をつくまもなくそのまま室内に引きずりこまれる。

 開け放した扉の軋む音。その長い影が室内に弧を描き、何者かの手によって静かに閉められる。

 窓から伸びる薄い灯りだけが室内を淡く照らす。

 背後から伸びた腕に喉を塞がれ、声は音にならなかった。

 視界を塞ぎにくる長い指が、暗闇を連れてくる。

 それが男のものだと認識したのを最後に、ネルムの意識は闇に呑まれた。




「ネルム、何してるんだ」


 マナがネルムを発見したのは、相変わらずの場所だった。

 別れる前と殆ど移動していない部屋の前。通りに背を向け、僅かに開いた扉から室内を見つめているようだ。

 マナはつかつかと歩み寄る。行きかう魔物たちは先ほどより幾分減っていた為、難なくネルムの傍らにたどり着く。


「なかなか来ないと思っていたら、まだ何か気になってるのか」


 ため息をついて、マナは武器を差し出す。予備の剣とネルムから借りていた剣の二本だ。

 鞘同士が触れ合い、耳障りな金属音を立てた。

 もう片手には、マナの武器が握られている。いかにも量産品といった形の弓で、マナとしては不本意だが仕方ない。念のため剣もベルトに挿している。

 一刻も早く武器を渡してしまおうと伸ばした腕に、けれどもネルムは視線すら寄越さない。


「……ネルム?」


 首を傾げて伺うと、ネルムが緩慢な仕草で振り向いた。


「……ああ、マナ」


 どことなく疲れているような、気だるげな声にマナは益々首を傾げる。

 疲労するような状況はなかったはずだ。むしろそういう意味では、武器庫まで走り、二人分の武器を追加調達してきたマナの方が疲労している。


「怪我でもしたのか」


 またつまらない虚勢を張ったのか、と呆れた眼差しを送ると、ネルムは乾いた笑いを零した。


「いや。大丈夫だ。怪我はしてない」


 その金色の双眸にマナは違和感を覚える。口元から覗く割れた舌が、やけに赤い。問いかけようとしたマナを遮って、ネルムが言葉を重ねた。


「なんかいるような気がしたけど、気のせいだったみたいだ。何もいなかった」


 溜息をついて、僅かに開いていた扉をぴたりと閉める。


「気のせい? そのせいで武器庫まで走らされたんだけど」

「仕方ないだろ、オレはお前と違って敏感なんだよ」


 肩を竦めるネルムには悪びれる素振りはない。すっかりいつもどおりのその姿に、マナは抱いたばかりの違和感を頭の隅へと追いやった。


「とにかく、早いとこ戻るぞ」


 ぐ、と剣を押し付けると、受け取ったネルムは感触を確かめるように何度か柄を握る。


「もっといいのなかったのかよ」


 あまつさえそんな文句を垂れるネルムに、マナは盛大な舌打ちで返した。


「うるさい。気に入らないなら自分で取って来い」

「いや、それは面倒だからいい」


 ネルムは予備の剣をベルトに挿しながら、歩き出す。その後を憮然とした表情で追いながら、マナは先ほど感じた不自然さをやはり気のせいだと片付ける。


「ああ、そうだ。悪かったなマナ。助かった」


 ふと振り向いたネルムが、思い出したように礼を述べた。

 珍しいこともあるものだ。

 そう内心呟いて、マナはネルムを睨む。


「無駄口たたいてる暇があったら走れ」


 言い捨てて駆け出す。


「なんだよ、可愛げねぇな」


 背中にネルムの呆れたような声が飛んでくるが、振り返らない。随分と時間を食ってしまっている。早く戻らねばならないのだ、悠長に歩く暇はない。

 だから彼女は知らない。

 マナを見つめるネルムの瞳。金色のはずのそれが、漆黒の闇を湛えて不穏に笑んでいたことを。



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