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25.不可解な"事態"

※魔物側※

 夜空を切り裂いた光芒は、城内を騒然とさせた。

 それが見慣れないものだったことも一因だが、それ以上に前後に起きた変化が問題だった。

 光芒が走った瞬間、取り巻く空気が明らかに変化したことを城内の多くの魔物が感じていた。それは、急に冷気が増したかのような、通常ならさして気に留めない程度のものだった。だが状況が状況だ。何らかの作為を感じるのも無理はなかった。

 異変を調べる為にすぐさま偵察が出された。

 怪しい光が走った方角だけではなく、城の周辺もくまなく調べられ……そうしてその大半が異常を確認することなく帰還する中、唯一もたらされた報告は幹部たちを困惑させるに十分なものだった。


「城の近くに人間がいる?」


 報告を聞いたアイシャの第一声は、怪訝な響きを帯びている。

 城の背後にあたる東側の森、そこから戻ってきた部隊の報告だった。東の森は件の光が見られた辺りであるだけに、調査には他よりも多めの人数を割いている。

 緊急招集された大広間で、アイシャは戻ってきた己の部下の報告を聞いていた。近くではスイを始めとした四天王が、それぞれの部下の報告と指揮に追われている最中だ。


「適当なこと言ってんじゃねぇだろうな?」


 尖った声はアイシャの機嫌が急降下したことを現わしていた。そうでなくても今のアイシャは頗る機嫌が悪い。ここのところ雑務に追われて多忙を極めていたのだ。単純明快とスイに評されるアイシャでも、さすがに鬱積が溜まる。

 眉間に皺を刻み相手を見下ろすその姿は、下手に胸倉掴んで脅すよりも迫力があった。この状況で冗談やまして適当な嘘をつける者などいないだろう。


「い、いえ、滅相も……」


 報告した魔物は、蒼白な顔で首を振った。

 人狼のような魔物である。辛うじて人型を保っているが、それは顔と全体的な形だけのようであった。その耳は毛に覆われ長く伸び、衣服から露出した手足もまた長い毛に覆われている。硬く握られた五指も、よくみれば鋭い鉤爪が並ぶ。膝を突いた大理石の床に長い尾を垂らし、アイシャよりも倍は逞しい体を精一杯縮めるようにして言葉を搾り出す。


「見間違いではありません。あれは確かに人間……数としては20かそこらだと」


 二十、とアイシャは呟き、目を伏せて己の眉間をぐりぐりと揉む。


「……んな馬鹿な。結界が張ってあるんだぞ。奴らが踏み込めばすぐにわかるに決まってるのに」


 独り言めいたアイシャの言葉に、部下の魔物は反応を決めかねている様子だ。あからさまに視線を泳がせ動揺している。そこに助け船が出されたのは、アイシャの後方からだった。


「具体的な場所は? 東のどの辺りだ?」


 声を投げたのは、己の椅子に腰掛けたエルだ。例によって頬杖をついた投げやりとも思える態度だったが、傲慢で気まぐれな『魔物らしさ』を体現しているようにも見えて不思議と様になっている。恐らく本人にそのつもりはないだろう。

 幹部ならいざ知らず、大抵の下位の魔物にとってエルは雲の上の人物だ。せいぜいが遠目で眺める程度で、これほど近くで直に声をかけられることなどないに等しい。そのことに一瞬呆けてしまった魔物は、エルの真紅の双眸とぶつかってごくりと息を飲む。


「っ、東の岩門の近くです」


 居住まいを正して一息に言うと、慌てて頭を垂れる。

 その言葉に反応したのは、エルでもアイシャでもなかった。

 大広間に動揺がさざ波のように広がる。

 その様子にアイシャがちらりと辺りを伺うと、いつの間にか周囲の視線はすべてこちらに向いていた。エルが声をかけたことで、アイシャたちのやりとりに注意が向いたらしい。


「……まだ確証は、」


 憶測で進めるわけにはいかない、とアイシャは眉間に皺を寄せたまま進言しようとして、エルに身振りで止められた。


「スイ、調べろ」


 スイは首肯して、部下に水盤を用意するよう命じる。

 

「しかしそれは……あり得ませんね。それほど『内』にいるなんて……勘違いとしか思えません」


 首を振りながら言うのは、ファザーンだ。突き放す口調の割りに頬は微かに紅潮している。常ならば乾いた光を宿す双眸も、剣呑な輝きを帯びていた。


「大体、そこまでの侵入に気づかない筈がないでしょう」


 城の東側にはそもそもきちんとした『門』が存在しない。通用門としての小さな出入り口はあるが、魔法で隠された状態だ。他にも、城の地下道を通じて森の中に出るための出入り口がいくつか存在する。中でも大きな出入り口のひとつを『岩門』と称して時折使用していた。とはいえ、こちらも一見してそれとわからないように隠してある上に、うっかり侵入しようものなら手荒い歓迎を受ける仕組みになっている。

 その岩門はもちろん森の中に存在しているのだが、結界のかなり内側、城に程近い場所にある。

 それほど近い場所まで侵入されていて、今の今まで気づかないなどと有り得ないことだった。


「人間の中に、これだけのことができる魔法の使い手がいるとは到底思えないのですが」


 ファザーンが蔑む口調で言う。魔物の基準、しかも『貴族』である彼からすれば人間の操る魔法など脅威にも感じないのは当然だった。


「それはそうだが……ああ、もう下がっていい」


 エルはそう同意しつつ、膝をついて低頭したままのアイシャの部下へひらりと手を振った。


「はっ、はい」


 魔物は弾かれたように礼をすると、ギクシャクとした仕草で立ち上がり、退室していった。

 その姿と入れ替わるようにして、スイの部下が水盤を持って現れる。目の前に水盤を設置させた後、スイは部下たちを下がらせる。

 その頃にはエルの合図で、幹部たちもまたそれぞれの部下を下がらせた後だった。広間にはエルと四天王、各副官のみが残され、静まり返った中でスイが口を開く。


「……偶然にしてはできすぎています」


 溜息をついて言うと、視線を手元に落とす。白く優美な手が、手元に置かれた大きな水盤にかざされている。

 スイの手の動きにあわせて水盤は緩やかに波打つ。徐々に透明度を増していく水面を見つめる、スイの表情には目立った変化はない。

 エルはおもむろに椅子から腰を上げると、スイに近づいた。


「結界は」


 短いその問いかけに、スイは僅かに首を傾ける。


「……残念ながら」


 それだけを返して、スイは静かに場所を譲った。

 エルが水盤を覗き込むと、鏡のようにぴんと張った水面に幾つかの人影が見えた。勿論、この場所の光景ではない。

 闇に彩られた森の中。茂る枝葉の影に、幾つかの人影がうずくまっている。どれも暗色の揃いの服を纏っており、一目でどこかの組織に属していることが見て取れた。暗色の布を張っただけの簡略な天幕や、野営の跡もちらほら見える。


「見る限りごく小規模のようですが……確かに岩門の近くに」


 スイの声は相変わらず淡々としたものだったが、幹部たちの表情に僅かな動揺が広がる。


「結界を破壊したと仰るのですか、人間が」


 動揺も露に言うのはファザーンだ。信じられない、とその表情が如実に物語っている。


「あいつらにそんな芸当できるはずがない。結界の存在もわからないような奴らだぞ」


 それに反論するアイシャも、馬鹿にする口調ではあったが何処となく困惑しているようである。

 城の周囲に張り巡らされている結界は、結界に接触したからといって何らかの衝撃があるような代物ではない。接触することによって「侵入」が瞬時に魔物たちに伝わる仕組みだ。いわば感知器のようなものであり攻撃性も防御も皆無である。そのため、結界の存在に気づかずうっかり(・・・・)侵入してくる人間がいることも稀ではあるが起きていた。

 ただ、この結界はかなり広範囲に張られている。それがこんな城の近くまで『侵入』され視認されるまで誰にも気づかれないということは通常なら有り得ないことだった。


「そうなのよね。信じられないけど……現実なのよねぇ。

 ねぇ、やはり結界をもっと攻撃的にするべきじゃないかしら」


 首を傾げてメーベルが言う。結界のあり方については、これまで再三に渡って議論されてきた経緯がある。好戦的な魔物の中には、攻撃性のない結界に異を唱えるものは少なくない。


「確かに……下等生物の分際で、我が物顔で侵入するなどと……腹立たしくもあります」


 ファザーンが憤然とした口調で同意を示す。琥珀色の双眸は抑えきれぬ苛立ちに輝いている。


「……そう簡単にいくかよ。まぁそれはともかく、そもそも結界は破られてんのか?」


 アイシャはあからさまな溜息で話を断ち切ると、眉間の皺はそのままにスイに問いかけた。


「いいえ。すべてにおいて結界は作動しています。ただ、」


 スイは淡々と答えかけ、不意に息をついた。


「この周辺に歪みが生じているようですね」

「歪み?」


 アイシャが首を捻る。


「誰かが細工したってことか」

「可能性はあります。見たところ長期に渡って歪みが生じていたようですが……私を含め、誰一人としてこの歪みに気づきませんでした」


 その事態が既に不自然だ、とスイが眉を顰めた。

 ここに集うのは城の上層部、その中でも『四天王』と称される幹部だ。例え結界自体がうまく機能していなかったとしても、気づく術はいくらでもある。城の警備、ましてこのような緊迫した事態であれば尚更、二重三重の警戒が敷かれていたはずだった。

 一介の兵士などではなく、四天王。そして、城主のエル。彼ら全ての目をすり抜け今の今まで感づかれないということは、偶然や事故などでは有り得ない。

 となれば歪みは作為的なものだと思うのが妥当だ。順当に考えれば、侵入者の中に魔法の使い手がいると考えるのが普通だろう。当然その可能性は高い。高いが。


「魔法使いってやつか?……けど、なんか変だな」


 ぽつりと呟いたアイシャに、誰もが口を噤んだ。

 アイシャの抱いた感覚は、全員に共通するものだった。あまりにも、ちぐはぐなのだ。


「ええ、不自然過ぎますね」


 つかの間落ちた沈黙の後、スイが言う。


「侵入に、立て続けの奇襲の失敗。これまでの情報からではとてもではありませんが、この事態は不自然です」


 勇者の一行が王国軍を率いてカディスに向かっているということは、城の誰もが知るところとなっていた。その後集められた情報により、先だって銀の森を進む軍隊もまた、勇者一行と目的を同じくするものと確認されている。

 その頃からエルたちは、銀の森を進む軍隊へと数度に渡り奇襲を仕掛けていた。しかしそのどれもが捗々しい成果をあげられずに終わっている。

 勿論、大規模な攻撃を仕掛けることはできない。木々の生い茂る森の中である。それでも地の利は魔物たちにあり、いくら訓練された軍隊といえども無傷でいられるはずはなかった。

 ところが、件の軍隊はさしたる被害も出さずに順調に森の中を進んでいる。

 つい先ほど、幾度目かの奇襲失敗の報告を聞いたばかりである。


「となると、やっぱりアレか」


 溜息をついて言うのは苦りきった表情のアイシャだ。

 人間の魔物に対する認識がどういうものか、この場にいる魔物は粗方理解している。魔物は野生動物の亜種程度にしか考えておらず、人の姿を取る魔物の存在を知らない。そんな彼らが、こちらの裏を掻くほど万全の準備を整えているとは思い難かった。

 一度二度の奇襲の失敗ならいざ知らず、よもや結界の深部まで侵入し、こちらに気取らせることすらしないということは到底考えられない。


「……恐らく」


 アレ、が示す「相手」を感じ取り、スイはそっと頷く。

 敵はどこにでもいる。戦うことが至上の快楽である魔物にとって、己以外は全て敵といっても過言ではない。当然ながら社会を築く上で例外というものはあるのだが、「隙あらば奪う」という基本的な考え方は変わらない。

 しかし、わざわざこうまでして妨害をしてくる相手となると対象はかなり限られる。特にエルの場合、生い立ちもあって交流範囲は酷く狭い。

 スイの脳裏に閃いた相手は、その場の全員に共通するものだろう。

 エルを除く全員が、複雑な表情を浮かべた。

 人間程度が相手では「物足りない」というのが魔物の本音だ。一定の水準以上の魔物にとっては、いくら大規模な戦いだと言っても全力で「遊べる」相手ではない。同等かそれ以上の相手を求めるならばやはりそれは同じ『魔物』になる。

 だから全力での遊び相手としては望ましい展開だと、闘争本能は訴える。

 けれどその相手が自分たちの実力の遥か上の存在、しかもどうやら相手が「本気」の様子だとするならば……正直、いただけない。

 生死を賭けた理性と本能の狭間で、幹部たちは一様に黙り込む。

 相手が違ったら、或いは「本気」ではなく「遊び」であったなら、とその表情が如実に物語っていた。


 一方のエルは、そんな部下たちに大した注意を払う様子もなく、黙って水盤を見つめている。

 水盤の中では、兵士と思われる人間たちが数人で行き来していた。おそらくはこの城を偵察しているのだろうが、その姿には既に緊張が大分欠けているようだった。「長期に渡る」偵察で、多少の慣れが生じてしまうのは人の(さが)だ。

 真紅の瞳が思案するように水盤の上を滑る。


「スイ、歪みの原因は」

「ここからは判断しかねます。歪みの近辺を直に調べる必要が」


 スイの返答に軽く首肯して、エルは視線を上げる。集まった幹部たちを見渡して、口を開く。


「メーベル、お前の兵は動かせるか」


 その言葉に緊張が走った。ぴんと張った空気の中で、メーベルが嫣然と笑う。


「ええ、すぐにでも」


 藤色の双眸を嬉しげに細め、ちらりと唇を舐めた。赤く艶のある唇から鋭い牙が覗く。


「用意しろ。大至急、地下道へ向かえ」

「はっ」

「スイ、連中が片付いたら近辺を調べ、原因を探れ」

「はい」

「各自持ち場の警備を強化。この様子から見ても、幾つかの門が把握されているだろう。

 アイシャ、お前には各門の警備を任せる。門以外にも出入りのある場所は全て確認しろ。ファザーン、アイシャと共に回り、必要に応じて魔法で補強を」

「はい」


 表情を改め頷く部下を見遣り、エルは一呼吸置く。

 全員を見回してこの日初めて表情を変えた。唇に浮かぶのは、傲慢なまでの自信に溢れた笑み。




「夜明けまでに終わらせるぞ」





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