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1.勇者の事情

 悪、と呼ばれる存在がある。

 街を焼き殺戮を繰り返し、世界を破壊する。心と呼べる感情はなく、ひたすらに血と破壊を求める生き物。

 人々はそれらを「悪」とみなし『魔物』と名をつけた。

 魔物は世界中に存在し、人の世界は常に脅かされていた。そこで人々は、人の世界を守るために「正義」を生み出す。それが、「勇者」と呼ばれる存在。



「勇者はですね、その年で一番優秀な人が選ばれます。各町や村から一人ずつ選任されて、国王陛下の御前で様々なテストを受けて、知力・体力・技量、そして人格ともに優れた人だけが勇者たりえるのです」

「陛下も、これまでの歴代勇者の中で" 最も優秀 "だってスノウのこと褒めてて……」


「……そうなんだ」


 長い説明を延々と聞かされながら、スノウはぽつりと相槌を打った。


「そうなんだ、じゃありません!」


 気のない相槌がいけなかったらしい。熱弁を揮っていた相手から、すぐさま厳しい言葉が返ってくる。


「……いや、だってほら、俺覚えてないし……」


 耳をふさぎたい衝動をどうにかこらえ、ぼそぼそとスノウは反論する。


「っ……! なんで覚えてないんですっ……貴方の剣技は多くの人々を魅了して……あんなに、あんなに素晴らしかったのに」


 うっすら涙さえ浮かべてその金色の頭を抱えるのは、やや小柄な女性だ。

 すらりとしたしなやかな肢体を少年のような軽装に包み、緩やかに波打つ金髪を高く結いあげている。機能性を重視した衣服はいささか女性らしさには欠けるものの、彼女本来の魅力は少しも損なわれていない。


「……えっと、メリル……?」


 スノウは軽いめまいを覚えつつ、とりあえず声をかけてみる。メリルのこの手の過剰な讃辞に大分慣れはしたものの、どうにも反応に困ってしまう。これが冗談や皮肉なら対処のしようもあるのだが、いかんせんメリルは本気だ。


「その、気落ちしないで……」


 気落ちさせたのは自分に外ならないから、説得力はない。メリルはそんなスノウを見上げて、美しい顔を悔しそうに歪めた。


「そうだよ、スノウはすっごく強かったんだから! ほんとに覚えてないの?」


 困惑気味に首をかしげてスノウに問いかけたのは、栗色の髪、栗色の瞳の少年だ。

 今年12歳になったばかりの彼は、容貌の中にあどけなさを過分に残している。瞳の中にはスノウへの紛れもない憧れが見て取れた。


「……ええと、申し訳ないけど……全く。ごめんね、フレイ」


 憧れの眼差しにはさすがに罪悪感が沸いてくる。

 謝罪するとフレイは慌ててふるふると首を振った。


「ううん、スノウが悪いんじゃないもの。それに、スノウはスノウだよ。勇者さまだもん」


 心からの言葉だと分かるだけに、スノウは辛かった。彼らの記憶にある勇者スノウと今の自分が似ても似つかないからだ。


「私だって、わかっているんです。覚えてらっしゃらないのは、何も勇者さまのせいではないってことくらい……」


 肩を落として溜息をつく女性――――メリル。

 おそらく彼女は「勇者さま」が好きだったのだろう。尊敬や憧憬は含まれていたかもしれないが、そこには恋慕もあったように思えた。すなわち恋心が。

 そうどこか他人事のように感じながら、スノウも嘆息する。


「ごめんね、メリル」


 確かに自分とて好きで「こうなった」わけではない。けれども真っ直ぐに好意を向けてくれる二人には、どうにもすまない気持ちが先に立つ。




 遡ることひと月ほど前。


 国民の期待を一身に背負った勇者がいた。

 陽に透ける白金プラチナブロンドの髪、青い双眸の凛々しい青年。

 国中の猛者を集めてのトーナメントで優勝を果たし、この年の「勇者」に任命された。彼は歴代勇者の中でも飛びぬけた実力を誇り、勇敢で人望も厚く、勇者として申し分のない人物であった。勇者となった彼は、仲間を募り情報を集めて、着実に 魔王の拠点を制圧していった。

 その中のひとつに「カディス」という国境付近の街があった。

 街は幾度となく魔物による襲撃を受けていたが、どれほど迅速に軍が駆けつけても魔物の一匹たりとも仕留めることはできなかった。町外れの深い森に魔物の根城があるという噂があり、恐らく魔物を統治している「長」が存在するに違いない、と踏んで勇者は仲間を引き連れてカディスに向かった。


 勇者の行方が分からなくなったのは、そんな時だった。

 ほどなくして勇者は発見されたが、彼は様変わりしていた。

 外見が、ではない。その中身が以前の彼とは大きく違ったのだ。


 勇者は記憶を失っていた。


 自分の責務はおろか、故郷や己の名前すら忘れていた。彼の18年間の人生、そのすべてがきれいに拭い去られていた。

 魔物の仕業に違いない、と人々は口にした。けれど当の勇者自身にその記憶がないためにどうすることもできなかった。




「だからって皆ひどい」


 当時――――ひと月ほど前の出来事を思い出してか、フレイが憤慨して言う。


「そりゃあ、いろいろ変わっちゃったけど……みんな“苦難の時こそ助け合うべきだ”って言ってたのに……なのに逃げ出して」


 勇猛果敢で、凛々しい勇者。

 その彼が記憶を失って戻ってくると、人々は次第に勇者のもとから去っていった。

 ある者は故郷に戻り、ある者は独自で魔物討伐に行った。そうして、最後に勇者のもとに残ったのは、ただの2人だけ。


「……まぁ、しかたないよね」


 スノウは軽く肩を竦めて嘆息する。

 人々が称え、崇拝した勇者はどこにもいないのだ。いるのは記憶を失った、ただの凡庸な青年。

 自分だったら勿論そんな勇者についていく気になどなれない。

 うんうんと一人頷いて納得していると、即座にフレイから反論が返ってくる。


「仕方ないことないよ! 皆ひどい! なんで怒らないのっ」

「なんでって……」


 確かに由々しき事態だろう。正義感にあふれる者なら、怒りを覚えるのも頷ける。けれど、それが他ならぬ自分のこととなれば。


「……やっぱり仕方ないんじゃないかな」


 記憶喪失になってしまった自分と、一時行方知れずになった栄光ある勇者。

 記憶を失くした当初、それがイコールで結びつこうなどとは思いもよらなかった。

 けれど所持品や周囲の人々の反応が、それが疑いようもない現実だということを教えてくれた。

 何度もこれは夢だと考えた。記憶はなくとも、この自分が「勇者」という大それた肩書きを持てるはずもない。血が苦手で動物が苦手で……どうしようもない小心者だということは、このひと月で学んだ。そんな自分が魔物を、ひいては魔王を倒す勇者とは到底信じられない。きっとからかわれているか、何かの間違いに違いない。

 そう幾度も周囲に説明をしたが、そのたびに憐れんだ眼差しが返ってくるだけだった。

 記憶を失い別人も同然となった勇者。面影もほとんどないとしたら、そんな相手と共に戦う気にはならないだろう、とスノウは思う。

 だからスノウの元を去っていくことも理解できたし、咎める気など毛頭なかった。

 スノウにとって難解だったのは、こんな状況下でもスノウを慕う2人の方であった。

 記憶を失う前のスノウに、いったいどれだけの想いがあったのか。以前とのギャップは激しいはずなのに、なぜまだ傍にいてくれるのだろう。


「そんなことないよ! ね、メリルっ」


 フレイが勢い込んでメリルに同意を求める。求められたメリルはややためらう素振りを見せて、曖昧にほほ笑んだ。

 メリルには状況がよく見えている。

 彼女が盲目的に傍に残っているわけではないということ。それはスノウにもわかっていた。純粋に心酔しているフレイと違い、メリルは判別のつく大人の女性だ。スノウが勇者として役に立たないこと、状況は悪くなる一方だということはわかっているはずである。

 それなのに、どうして?


「ああ……ほら、それよりフレイ」


 メリルの反応に釈然としない表情のフレイの肩を軽く叩き、スノウは注意を促した。


「あれが噂の巣窟みたいだよ」


 指さす先には、地面を突き破って現れたかのような、鋭く巨大な岩山がある。

 尖端には漆黒の鳥が群れて飛び、城の下方は鬱蒼とした森に覆われてよくわからないものの、何やら獣じみた鳴き声が聞こえてくる。

 それが「城」であると認識できるのは、ごく限られた人間だけだろう。

 確かによく見れば側面に階段のようなくぼみがあるのが判別できるし、窓のような戸口のような穴が幾つも空いていることが確認できる。

 けれど、その「城」が聳え立つのは鬱蒼とした森の奥。

 いくらそれが森から突き出して目につくとはいえ、その光景があまりにも人の理解の範疇を超えていて「不気味なもの」としか映らない。

 恐れるものを注視しない、という人の本能が城を観察するという行為を阻み、結果として「あそこにはなんか不気味な岩山がある」という認識に留まっていた。

 ……街を襲う魔物が、その不気味な岩山の方角からくることを知っていながらも。

 スノウたちは今、その城を目指している。このあたり一帯の魔物を従えているという魔物の長―高等な魔物がいるという情報があったためだ。


「……うん、魔物いそうだねぇ」


 スノウが呟く。口調はのんびりとしているが、表情は暗い。

 できれば魔物なんかいなければいい。勘違いであってほしい。そんな気持ちがありありと顔に出ていた。


「強い奴がいっぱいいそうだね」


 対照的に生き生きとした表情でフレイが言う。

 彼は強敵と戦ってみたいのだ。まだ12歳という年齢ながら弓の腕前は一流であり、たいていの獲物は簡単に仕留めてしまう。勿論、魔物も然り。

 腕試しがしたい、手ごわい敵と戦ってみたい―それは当然の心理だろう。

 ひとり、状況をよく把握しているメリルだけは、微妙な表情を浮かべていた。

 魔物討伐はしたいが現在の戦闘力としてはきついものがある。…せめて勇者が以前のままであったなら。

 そんなメリルの声なき苦悩が伝わってくるようで、スノウの胃がちくりと痛んだ。


「とにかく、ここは気合でのりきりましょう!」


 スノウの胃痛に気づいたかどうかは不明だが、メリルが拳を突き上げて力強く言った。

 うん、と頷きはしたものの、スノウは一抹の不安を感じる。

 気合でのりきれるものかな……?

 何しろ相手は魔物の長……魔王の足元にも及ばぬとはいえ、そこらを徘徊する魔物とは一線を画す存在なのだ。


「大丈夫かな、3人だけで……」


 ぽつりと漏らすと、メリルが明るく笑って言う。


「大丈夫ですよ、私がお護りします」

「雑魚なんて僕が近づけさせないから!」


 フレイが誇らしげに弓を掲げて言う。


「……うん、ありがとう」


 なんとはなしに微笑むと、二人も揃って笑顔を返してきた。



 これじゃあ、どっちが勇者かわからないなぁ……。


 胸の内でこっそり呟いて、スノウは歩き出す。

 いざ、魔物の「城」へ。



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