23.疑惑(下)
※人間側※
『大丈夫かな、三人だけで』
そう困惑したように言ったのは、白金の髪の勇者だ。稀代の勇者と讃えられ、メリルが憧れてやまなかった存在。頼りなげな風情は、メリルが慕っていた「彼」にはみられなかったものだった。
それが酷くメリルの心を乱し、焦燥にも似た気持ちを生み出した。なんとかしなければいけない。彼を記憶喪失のままにはしておけない。彼が失う前に得た情報を生かさなければ。
取り留めのない思考が、メリルから冷静な判断力を奪っていた。
だから、言った。
『私がお守りします』
心の底からそう言った。何があっても勇者を守る。それが己の使命だと。
けれど実際は。
胸の奥に溜まったものを、吐息と共に吐き出して、メリルは焚き火を見つめた。
焚き火に照らされ、木々の影が周囲に躍る。
その向こうでは他愛のないやりとりをしているクロスとレリック。その間にフレイの姿を認め、メリルは少し目を見張った。
当初こそギスギスしていた所があったものの、最近は随分と態度は軟化していた。フレイなりに色々と吹っ切れたのだろうとメリルは安堵もしていたのだが。
いつの間にかクロスやレリックとも打ち解けていたらしい。
弟がいたらこんな感じなのかしら、と内心呟いて、メリルは頬を緩ませる。
そっと聞き耳を立てると、騒がしい会話の一端を拾うことができた。
「……だからさ、お前使い魔とか持ってないの?」
仮にも魔法使いだろ、とクロスが尋ねる。
尋ねられたレリックは呆れたような表情を浮かべ、クロスに視線をやった。
「使い魔? そんな高価いペット持ってないよ。第一、結構管理大変なんだって」
「使い魔って高いの?」
フレイが首を傾げてレリックを見上げる。
「高いよ。そうだなあ、最低でも一般的な兵士の給料の5ヶ月分くらい……って言っても想像つくかな? まあなんにせよ、僕みたいな駆け出しの魔法使いが手を出せるようなものじゃないんだ」
給料5ヶ月分、とフレイは首を傾げつつ考えているようだ。
「あー、宿に20日以上は泊まれるくらい? しっかしアレそんなに高いのか」
フレイにわかり易く解説して、クロスはため息をつく。
ちらりと視線が行く先には、遠く魔法使いの一団がある。ちょうど戻ってきたらしい、鳥らしき影があった。あれが恐らく使い魔だろう。この行軍の間もやり取りを頻繁に行っているらしく、一団に向かう小動物の影をメリルも何度か見かけていた。ネズミに漆黒の鳥、蝙蝠や地味な色合いの昆虫などだ。
「まあ自分で作るとなるとリスクが大きいからね。高くなるのも頷けるんだけど」
「作れるの?」
勢い込んでフレイが聞く。
その双眸が常になくきらきらと輝いていることに、メリルは心当たりがあった。
まだ大勢で旅をしていたころ、フレイが仲間の使い魔をうらやましそうな目で見ていたことがあったのだ。その使い魔は縞模様の綺麗な子猫だった。
「うん、でも相当力がないと無理かな。魔物の魔力とか性質だけを動物に『移す』んだ。その分離作業が失敗しやすくてねー。後は魔物をそのまま動物に変化させる方法もあるけど、これは安定しにくいから更に難しいし」
何より魔物が言うこと聞かないし、とレリック。
それを聞いて、フレイがあからさまにしょんぼりとした。
「え、どうしたの?」
慌てたレリックが問いかけるが、フレイはなんでもないと首を振るばかりだ。
「以前子猫の使い魔を連れてる仲間がいたから。それを思い出したんでしょう?」
眺めているだけのつもりだったのに、ついメリルは口を出してしまう。
それにレリックが顔を上げ、次いで首を傾げた。
「子猫ですか。それは……珍しいですね」
メリルもまた首を傾げる。猫ならば魔よけにもなるし、重宝されるのではないだろうか。
「だからですよ。魔物は猫を嫌います。使い魔の多くは戦うためではなく間諜用です。対人間であれば猫は確かに重宝されるでしょうが、こと対魔物となると……警戒されて逆効果ですよね」
言われてみれば確かにそうだ、とメリルは納得する。
「そういえば、彼は他にも使い魔がいたわ。鴉か何かの」
猫と鳥、よく喧嘩にならないものだと考えていたことを思い出す。「使い魔」となることで性質も変わるのだろうか。
「きっとその方は使い分けていたんでしょうね。何種類かの使い魔を持つことはよくあることですから」
そんなものなのか、とメリルが頷いていると、クロスがレリックに尋ねる。
「じゃあ、ここから透視みたいなことできないのか?」
「そりゃこの距離なら遠見ほどの能力は要らないけどね……できたらとっくにやってるって」
レリックはすっかり闇に沈んだ空を眺めて、肩を竦めた。勿論、この場から「城」の影が見えるはずもない。だがカディスはもうすぐそこであり、明後日の昼ごろには到着する予定である。それなりに力がある魔法使いであれば透視のようなことは容易い。
ただそれにはある条件が必須だ、とレリックは説明する。
その条件とは魔力の触媒になるような何かがその近くにあること。いわば糸電話のように魔力を繋げる必要があるのだ。先に受信できる何かがないと、情報は返ってこない。その辺りの仕組みを省略してしまう力が『遠見』であり、だからこそ稀有なのだとレリックは言う。
「となるとやっぱ使い魔に探らせるしかねぇってことか」
「そうだね。まあ既にしてるとは思うけど」
言って、レリックは視線だけで魔法使いの一団を示す。
使い魔が侵入を果たせば、その使い魔を触媒に魔力を繋げることができる。だが、見る限りどうやら成功していないようだ。魔物に関する情報ならば、真っ先にクロスたち『勇者一行』に連絡があるはずである。
「対決前に情報がほしいんだけどなあ」
ため息と共にクロスがぼやく。まるで明日の天気でも話すような軽い口調で。
メリルは鼓動が跳ねるのを感じる。
『対決』
再びあの城にメリルたちは向かっている。そして、再度対峙するだろう。
胸の中には、以前この道を走ったときのような死を望む気持ちはなくなっている。命を賭してでも倒すという決意は鈍ってはいないが、仲間を死なせたくない思いの方が強くある。
ただ、メリルは思うのだ。実際に対峙したとき再びとどまることができるだろうかと。恐怖で逃げてしまうことを恐れているのではない。メリルが恐れているのは、恐怖さえも見えなくしてしまうほどの、この暗い復讐心だ。やけつくような、どろどろと重い感情が、深く傷ついた心の奥からとめどなく溢れているようだ。
自分は判断を誤るかもしれない。以前よりも強く仲間を失いたくないと思うのに、復讐に取り付かれて周囲が見えなくなるかもしれない。
「なあ、そいつどんな奴なんだ?」
どろりとした思考の海から引き上げられたのは、クロスが軽く問いかけて
きたからだ。
「……え?」
我に返り、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「もう少し詳しく教えていただけませんか?……その、魔物の長のことです」
少し言いづらそうにレリックが補足する。
メリルは首を傾げる。城を発つ前に大まかな説明はしていた。伏せたことも幾つかあったが、それでも攻め込むのに必要な情報は十分に説明したつもりである。何か不備でもあったかとメリルは快諾して、続きを促した。
「だって超強いんだろ、そいつ。魔法使うし、なんだっけ、羽? それってあの竜ってやつ?」
竜は魔物の一種だ。遥か昔には多く存在したといわれているが、その姿を見たものはなく殆ど伝説上の生き物と化している。お目にかかるのは、大半が物語の世界か或いは民間伝承の中だけだ。
「竜だったらまさしく勇者って感じだな。おれはそういうの遠慮したいけど」
どこかおどけた口調は、意識してのことだろう。二度目であるメリルですら緊張しているのだ。初めて対峙することになるクロスが緊張していないはずはなかった。
「魔法は使うけれど……竜かどうかはわからないわ」
メリルもまた、緊張を隠して笑みを拵えた。記憶と伝承を思い返す限り、あれは「竜」というものだろうとは思う。だがメリルが見たのは長の背に広がる皮膜の翼だけで、それだけで竜だと断定するのは憚られた。
「どんな……あ、いえ特徴はお聞きしたのですが、魔法を使うのでしょう? 種類というか、傾向を知ることができればと思いまして」
少しでも把握して対策を立てておきたいのだ、とレリック。
「魔法の種類、と言われると弱いのだけれど……」
魔法剣士の肩書きを持ってはいても、メリルはあくまでも「剣士」である。魔法はいわば付属品のようなものであり、メリル自身もよく理解していない部分が多い。
「炎の魔法は使っていたと思うわ。あと、風……はあったかしら」
綺麗な切断面をみせて転がった、フレイ愛用の弓を思い浮かべる。だが、あまりにもあっさりしていて属性のある魔法なのかどうかも疑わしかった。
「ごめんなさい、よくわからないの。殆ど見たことのない形の魔法で……私が未熟なのもあるけれど」
思い返してみれば、魔物は碌に呪文も唱えていなかったような気がする。確かに詠唱なしに魔法を使うことは可能だ。ただし、それはごく軽微な魔法か術者が相当な実力者に限られる。
「我々とは根本から違うのかもしれませんね」
メリルの言葉を黙って聴いていたレリックは、ぽつりと呟く。
「けど、とりあえず長だけだろ。その強い魔法。あとのやつは普通に弓も剣も効くわけだから……」
なんとかなるかな、とクロス。それにメリルは緩く首を振った。
「勿論、攻撃は効くわ。でも……強力な魔法を使うのは、長だけじゃないかもしれない」
脳裏を藍色の髪をした魔物がよぎり、メリルは眉根を寄せる。
「魔法を使うところを見たのは、長だけだわ。けれど、もし『人に似た姿』の魔物が高等な魔物だというなら……」
「まだ他にいたのか?」
「以前話したように、それらしいのは長を含め2人。……ただ、姿はそうでなくても人語を話す魔物となれば……」
メリルの言葉に、二人は押し黙る。
人に似た魔物すべてが、高等な魔物であるとするならば。そして、それらすべてが高度な魔法を操るとするならば。
それは、人間が想像しているよりもずっと多く存在している可能性がある。
「『人に似た』の基準が難しいところだな……」
ややあって、クロスが零した。切り結ぶ敵の殆どが、魔法まで繰り出してくる可能性はゼロとはいえない。
「あー……その、メリル。前はどうやって?」
クロスが言いにくそうに問いかけた。メリルにとってもフレイにとっても、一番触れたくない記憶だろうことを案じて、自然奥歯にものが挟まったような言い方になっている。
「それは……勇者が、道を」
言い淀み、メリルはふと視線を泳がせた。情けないほどに動揺してしまっている自分を自覚する。とうに勇者の死は受け入れているつもりだ。けれどそれでも動揺してしまうのは、ひとえに咄嗟についた嘘のために他ならない。
実際、血路を開いていたのは勇者ではなく、メリルとフレイなのだから。
「確か上の方に部屋があったと仰ってましたよね。一気に駆け上がったのですか?」
「ええ。『門番』を倒して侵入して、城の中に入ったら一気に階段を……」
メリルは記憶を辿る。
門番の魔物を屠り、少し広い空間に出た。そこにはまだ魔物の姿はなく、足を忍ばせて城の奥に続く扉に手をかけた。
扉の先には文字通り魔物たちが犇いていた。
そこからはもう夢中だった。次々に襲い掛かる魔物を倒し、踏みつけて前へと進んだ。奥に進めば『長』が居るはずと信じて。だからこそ前方に階段を見つけた時、駆け上がるのに躊躇いはなかった。
「階段となるとやはりかなり上ですかね。そこまで体力持つかな」
自信がないんだけど、とレリックがぼやく。
それへメリルは笑みを返して、
「大丈夫よ、そんなに上じゃなかったわ」
そう、言いかけた。
声にするより先にメリルの舌が凍りつく。
「……メリルさん?」
目を見開いたまま硬直したメリルに気づき、レリックが不思議そうに呼びかけた。
「上……?」
唇から漏れたメリルの声は、乾いている。
夢中だったのだ。次々と襲い掛かってくる魔物を切り伏せ、繰り出される爪をかわして、逃げ惑うスノウを守って。とにかく上に行かねばとそればかりで階段を必死に駆け上がった。
けれど。
地上から見上げた、あの高さまで駆け上がったとは到底思えない。
追いすがる魔物を思い出す。
そこにいたのは、獣に近いものばかりだった。見たこともない敵だったが歯噛みするほど手強かった記憶はない。メリルが必死になったのは、その数故だ。場数を踏んできたメリルにとってもこれだけの数を相手にするのは滅多にないことで、一瞬の隙が命取りだということはよくわかっていた。そのため剣を揮い続けるのが精一杯で、長と対面することになった部屋もそれと知って扉を開けた訳ではなかった。
キリのない攻撃から息をつきたくて、駆け上がった階層の手近な部屋に飛び込んだ。
『珍客だな』
一息ついて扉を閉めたメリルの耳に、そんな声が飛び込んできたのはその直後だった。
一目で相手が『長』だと気づいた。全身から放たれる強大な魔力。軽い魔法が使える程度のメリルですら感じる圧倒的な力に、そうだと確信した。
運がいい。私たちはたどり着いたのだ。
そう、思っていた。
けれど考えてみれば、それはあまりにもできすぎな話だ。
たまたま飛び込んだ部屋が長のいる部屋などと、奇跡としか言いようがない。長が居るならば守りはもっと強固なはずだ。それこそ長以外にも『人に似た魔物』がいるのなら、ちらとも姿を見せないのは不自然である。冷静に考えればわかりそうなものだが、当時は罠を疑うだけの余裕がメリルになかった。
奇妙なことが幾つもあったと振り返ったのは、撤退してから後のこと。漠然と仕組まれていた可能性を思った。どの時点からかはいくら分析してもわからなかった。
だが、こうして改めて口にしてみるとその不自然さは際立っている。なぜ気づかなかった、と自分の浅慮に苛立った。
「どうした?」
心配そうなクロスの声に、メリルは肩を揺らす。
「あ……ごめんなさい、ぼんやりして」
出ていない汗を拭うようにして、メリルは己の額に手を当てる。注がれる視線に居心地の悪さを覚え、そのまま顔半分を覆う。
「その、あまり上ではなかった気がするわ。たまたま下の方にいたのかもしれない……」
胸のうちに浮かんだ疑惑が言葉を濁らせる。けれどそれがあまり成功していないことは、メリル自身も自覚していた。
「たまたま……ですか」
案の定レリックが困惑気味に言う。どうにも逃げる言葉を捜してしまう自分を叱咤して、メリルは観念して言葉を続ける。
「違うわね……相手の思惑だと思うわ。理由はわからないけれど、私たちが長のいる部屋に誘導されたのだと思う」
罠、とはメリルには言えなかった。どこからどこまでが相手の思惑なのか、それが見えない。城に侵入した時点から罠だったかもしれないのだ。或いは勇者が記憶を失った、そこから始まっていたかもしれない。
そう考えて、メリルは肌が粟立つのを感じる。
そんなことは有り得ない、と否定する気持ちは強い。
たかが魔物がと以前なら一笑に付しただろう。けれどあの姿を前にしたら、そんな侮りなど一瞬で吹き飛んでしまった。関係はないと思っていた事象を繋げて疑ってしまう程には。
「誘導って言っても……相当な高さなんだろ、その城。まさか2・3階のとこに長が居るとは思えないんだけど」
クロスが首をかしげる。確かにその弁はもっともだ。
「魔法じゃないかな」
それに答えたのはメリルではなく、レリックである。
「空間を歪めて繋げる魔法があるんだ。多分一時的なものだろうけど、それなら転移みたいに移動したっていう感覚がなくても不思議じゃない」
緩やかに歪められているものほど違和感を覚えるのは難しいのだ、とレリックが言う。増して、メリルたちは魔物の群れに襲われている最中だ。些細な変化に気づくのは難しい。
「それなら最上階で対峙したっていう可能性もあるのか」
「ああ。でもどうかな、空間を歪める魔法って結構難儀な部類に入るんだよ。どのくらい行使していたかにもよるけど、最上階まではいかないかも」
レリックの答えを聞いて、クロスが難しい顔になる。最上階まで行かないのはありがたいが、そうなると今度は何処に居を構えているのかがわからない。
闇雲に目に付く扉を片端からあけて回るのも骨が折れる。第一それだけの余裕はないだろう。これが対魔物でさえなければ、適当な兵士を捕まえて聞き出すのだが。
「ああくそ、面倒くせぇ。いきあたりばったりで行くしかねえってことか」
「まぁ、最終的にはそうなるかもね」
別動隊の働きにもよるが、少なくとも長の背後をとることは難しそうだ。対決までにある程度の戦力が削がれていることを期待するしかない。
クロスとレリックのやりとりを聞きながらも、メリルの脳裏では当時の光景が繰り返されている。
駆け上がった階段。追いすがる魔物。揮う剣に、切り裂く感触。
視界の端に必ず捉えていたのは、白金の髪の青年だ。
『私がお守りします』
そう誓ったことだけが理由ではなかったが、彼を守ることは最優先だった。記憶をなくしていようと、別人のように変わっていようと、彼は「勇者」であり守るべき存在だった。むしろ別人のようになってしまってから一層、メリルは彼を守らねばと思うようになった。心の奥で苛立ちは燻り続けていたけれど。
なのに、とメリルは唇を噛む。
なぜ、あの時「確認しなかった」?
メリルは自分の行動に疑問を覚えていた。
どんな状況でも必ず視界に捉えていたはずだった。なのに、なぜあの最大の窮地で確認を怠ったのか、幾ら振り返ってもメリルにはわからなかった。
恐怖ゆえ、と当時なら答えただろう。恐怖によって自分を見失ったのだと。自責の念だけに駆られていた頃は自分の失敗を疑ってなどいなかった。
だが、勇者の死を認めてからこちら、メリルは思うのだ。
確かに恐怖した。全く歯が立たない存在がいることに。
けれどそれは、我を失うほどではなかった。
証拠に、メリルは魔物との会話を覚えている。歯が立たない、ゆえにこれは一時退くしかないと判断したことも。そのために魔物の隙を伺い、呪文を詠唱し、フレイを引き寄せて勇者を呼んだ。
焦っていた。
焦ってはいたが、幾度振り返ってみても己が冷静さを欠いていたとは、決して思えないのだ。
すべてのことが、そもそもの始まりから仕組まれていたというのなら。
なぜ、あの時勇者の姿を見落とした?