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23. 疑惑(上)

※人間側※

 銀の森(プラータ・セルバ)に夜の気配が忍び寄ってきていた。

 暮れてゆく空を眺め、メリルは白い息を吐く。まだ寒い時期ではなかったが、夜の森は気温が低くなりがちだ。特に銀の森ではその傾向が強いようだった。

 木々が濃いシルエットへと移り変わっていくのをぼんやりと仰いでいると、声がかかった。


「メリル、護符どうしたんだ?」


 振り向いた先、ペンダントのようなものを手にしているクロスの姿が目に入る。

 青い石を鎖で繋いだだけの、飾り気のない代物だ。目を引く点といえば、その石が滅多に見ないほど透き通っていることぐらいだろう。


「……ええ、持ってるわ」


 メリルはそう言って、自分の荷物を指差した。焚火の近く、フレイが熱心に弓の手入れをしている傍らに置いてある。

 その方向を目で追って、クロスは首を傾げた。


「護符って、身につけなきゃ意味ないんだろ?」

「そうね。効果は半減……それ以下かもしれない」


 笑って、メリルは肯定する。

 クロスが手にしているそれと、メリルが荷物に放り込んでいるものは全く同じものだ。王都を発つ際に支給されたものであり、邪悪な魔法を防ぐ働きがあると言われる。そのため、兵士の多くは常に身に着けているようだった。

 けれど、その効果は怪しいものだとメリルは思っていた。

 量産の効く護符など気休めでしかないと思ってもいたし、何より、透き通るような青い色彩が気に障った。

 だからこそ、貰ったきり荷物の奥底に仕舞われていたのだが。


「まあ、怪しいもんだからな」


 クロスは言って、肩を竦める。メリルは僅かに目を瞠り、笑みを浮かべたクロスを見つめた。


「ん? だってそうだろ。殺す気で仕掛けられた魔法が石ころひとつで弾かれちゃ、魔法使いなんてやってらんないだろ?」

 

 確かにそれもそうだ。その言いようがおかしくて、メリルは思わず噴き出す。


「石ころって……護符なんでしょう」

「メリルだって人のこと言えないだろ。おれはまだ持ってるだけマシだぞ。……そういえばレリックも早々に外してたけど」


 クロスが視線を転じると、焚火で暖を取っていたレリックが顔を上げる。


「何? ああ、護符? 欲しいならあげるけど。多分荷物の中にあるよ」


 メリルと大差ない反応に、クロスが呆れたような顔を向ける。


「多分って……メリルより酷ぇな」

「だってアレに対して力ないからね。あんなのよりかはまだ『猫尾草』の方が役に立つよ」


 『猫尾草』とは、野草の一種で対魔物に効果があるとされている薬草だ。猫尾草が放つ独特の香りが魔物を寄せ付けないとされ、乾燥したものやそれを染料代わりに染付けられた衣類などが出回っている。嗅覚の鋭い魔物を中心に効果が高く、逆に嗅覚に頼らない種類の魔物には効果が薄いといわれる。


「まあ、今まできた奴らはそれで撃退できたかもな……」


 苦笑いを浮かべ、クロスが言う。

 ここに至るまで、数度魔物の群れと遭遇した。クロスやレリックにしてみても、短期間にこれほど集中的に魔物と戦うのはそうない体験である。王国軍の兵士たちにとっては、更に有り得ない事態だったろう。これまで人間相手の戦いをしてきた兵士なのだ。魔物討伐に駆り出されることも皆無ではないが、それは余程の事態に限られる。

 それが、一月あまりの間で回数にして片手で余るほど、一度に数頭という魔物の群れと対峙するのだから、兵士たちにしてみれば『さすが銀の森(プラータ・セルバ)』というところか。


「ああ、獣型だったからな……猫尾草の煙玉とかあったら、相当効果あったかも」


 レリックが肩を揺らして笑う。

 実際、猫尾草の煙玉は用意されていた。ただし、それを使うのは「今」ではない。数量が限られていることもあり、不用意に使えないのだ。

 そして、使えなかった理由はもうひとつある。


「それにしても、思ったほど妨害されなかったなあ。もっと襲われるかと思ってたんだけど」


 首を傾げて言うクロスに、レリックもメリルも頷く。

 銀の森(プラータ・セルバ)に入ったことで魔物との遭遇率が上がるのは、誰もが予想のうちだった。それを理解した上での旧街道での行軍であり、魔物に不慣れな兵士がその実態を知る上で重要な意味を含んでいた。

だからこそ、というわけではなかったが、不用意に武器を使うことでこちらの情報が漏れることを怖れた。対魔物用の武器はそう多くの種類があるわけではない。それこそ、これまで出くわしたような獣型の魔物相手ならば多くの対抗手段があるものの、未知の魔物相手となれば何が有用かもわからないのだ。

 少しでも相手に被害を与えうる武器ならばギリギリまで隠す、というのが軍の方針だった。

 もっともその前に全滅してしまっては意味がないのだが。


「こんなこと言ったら怒るかもしんないけどさ……銀の森(プラータ・セルバ)ってこんなもんじゃないんだろ?」


 レリックの左隣に腰を下ろしながら、クロスがメリルを仰ぎ見る。

 確かに、メリルにしてみればこの行軍で対峙した魔物は俗に言う「雑魚」ばかりだった。普段なかなか出会わない魔物もいたにはいたが、過剰に警戒するほどの強敵ではない。

 到底、魔物の城にいたような敵には遠く及ばず、増してや「人に似た魔物」などとは比べるべくもなかった。


「ええ。私たちが以前通った時は大変だったわ」


 魔物の城から命からがら逃げおおせた、その帰途。「城」からの追手があったのかどうかはメリルにはわからなかったが、とにかく息をつく間もなかった。

 頷いて正直な感想を述べると、それまで黙々と弓の手入れをしていたフレイが続けて言う。


「矢がすぐに足りなくなったよ。弓もぬるぬる滑って使いづらかったし」


 思い出したのか、幼い顔を少し顰め首を振る。


「そんなに強いやつじゃなかったけどね」


 現れたのはこの行軍で出会ったようなタイプの魔物ばかりだった。その点においては、別段変化はない。ただ、明らかに違うのはその量だ。次から次に現れる魔物に緊張し通しで、一瞬たりとも気が抜けない状況だったのだ。

それが、こうして暢気に会話をするだけの余裕が有る。


「……やっぱ怪しいよな」

「まあ、静かすぎるよね」


 クロスの言葉に、レリックは同意してみせる。

 これだけの人数がいるのだ。目立たないはずがない。普通なら、こちらの軍勢に恐れをなして出てこないのだと解釈もできる。だが、彼らがこれから相手にしようとしているのはただの獣とは違う。人語を操り、高度な魔法と強大な力を持つ魔物だ。

 こちらの目的など十分すぎるほどにわかっているはずだ。こちらは隠す気がないどころか、むしろ宣伝してまわっているも同然なのだから。

 早いうちに叩きにきてもおかしくない。そう思っていたのだが。


「罠を警戒ってやつか?」

「罠も何もないと思わない? こっちは敵地だし」


 レリックは肩を竦めて見せる。罠は張りようもない。敵地であることも要因だが、相手の出方が全くつかめないのだから。情報はメリルとフレイの証言だけ。しかもそれを信じているのは、恐らくレリックとクロスを除いては皆無に等しいだろう。

 それでもわざわざ行軍を目立つように仕向けているのは、理由があった。

 件の城を目指しているのは、彼らだけではなかったからだ。




 カディス近くの「城」に棲む魔物は、これまでの常識が通じない存在だということは、既に周知の事実となっていた。メリルが持ち帰った情報ゆえではない。勇者の死を「遠見」したという魔法使いが、詳細に語ったのである。

 その為、メリルが帰還するより以前から攻略のための計画が進められていた。

 当初、勇者の補助という名目で派遣していた「黒鷺部隊」をそのままカディス付近にとどめ、侵攻のための偵察をさせた。

 そして、王国軍出立の数日前、騎兵を中心とした一団が王都を出立した。

 ガレオス大佐率いる「白翼部隊」である。数百人規模の騎兵と魔法使いからなる部隊の目的地は、カディスの隣街ローディウスだ。

 王国軍が「大街道」から旧街道を経て至る経路をとるのに対し、こちらは大街道を使用しない、バルカイトからの最短経路を進んでいた。旧街道より更に険しい、コーダ山脈の山道を使う経路である。整備されていない、或いは過去に打ち捨てられた道を進むため道程は容易ではない。しかも進むのは魔物が頻出する銀の森(プラータ・セルバ)である。だがそれによって時間は大幅に短縮でき、王国軍より遥かに早い日数で目的地へと達することができる。

 彼らの目的は、王国軍がカディスに到着するより前に魔物の戦力を削ぐことにある。

 そのため、敢えて隣街のローディウスを目的地とした。敵の目を欺く意図もあるが、魔法による移動が可能なギリギリの距離でもあった。

 王国軍の総攻撃の時期を見計らい、それぞれの作戦に移る手筈になっている。

 とはいえ、軍隊が森の中を進むなど、気づかれない方が無理な話である。 そこで、勇者率いる王国軍は敵の注意をひくよう努めることとなった。いわば囮だ。

 白翼部隊の方も無傷とはいかないだろうが、こちらが盛大に騒げば「城」としても無視はできないだろう。そう読んでの派手な行軍であり、何かしら仕掛けてくるだろうことは予想のうちであった。

 勿論、思惑通りにこちらに食いついた場合を想定し、幾重にも防御は固めてある。魔法を主体とした防御ではあるが、有る程度の魔物には有効だと思われていた。だが、幸か不幸かその魔法を発動することなく、カディスに到着しようとしている。

 つまりは、その程度の魔物としか遭遇しなかったということである。




「餌に食いつかなかったか……」

「ちょ、餌って。言い方に問題あるぞ」


 レリックが咎めるが、その実不快に感じてはいないようだった。憂いを含んだクロスの声に気づいているのだろう。別動隊のことを案じ、沈みそうになったその胸中を思い遣っての発言だと受け取れた。


「罠を警戒してかどうかはわからないけど……多少は頭のまわる奴がいるってことだよな」

「頭のいいやつね。魔物なのに?」


 クロスは解せないとばかりに首を捻る。

 幾ら様々な情報を得たとはいえ、人間のように策を練る存在だとはなかなか思えないのだろう。彼らが見てきた魔物は、それほどに動物じみていたのだ。

 ついこの間までは自分も同じ考えだった、とメリルはクロスを見るともなしに見ていた。

 その視線に気づいたらしいクロスは、慌てたように弁解をする。


「あ、いや、別にメリルの話を疑ってるわけじゃないぞ。それはわかってるんだけど、その」

「いいの、大丈夫よ。その気持ちはよくわかるから。この目でみていなければ私だって信じられないもの」


 メリルは笑って首を振る。脳裏に浮かぶのは、魔物の城で対峙した赤い髪の魔物。めまぐるしい二ヶ月の間に色褪せてもおかしくない記憶だったが、それは未だ鮮やかに浮かんでくる。広間の様子から、魔物の漆黒の爪、その手が握った大剣の委細まで。そしてその不必要なまでに鮮やかな記憶から、魔物の真紅の双眸が未だメリルの背筋に寒気をもたらした。


「すみません、信じていないわけではないんですが、どうにも実感が涌かなくて。お話にあったような魔物なら、確かにこういう可能性はあると思います。あちらのことも気づいていてもおかしくない」


 先に気づかれている可能性。何せここは魔物の領分だ。ただの獣でないとすれば、その可能性は十分にある。

 レリックもクロスも、今回の魔物は今まで相手にしてきたような獣とは違うのだと、散々自身に言い聞かせてきていた。しかし実感として残っていない以上、どうしてもこれまでの感覚が拭えないのは致し方なかった。


「ただ……実は引っかかっていることがありまして」


 レリックが顔を曇らせる。


「以前からどうにも納得がいかないと……怪しいと感じていることがひとつ」


 躊躇う素振りをみせたあと、レリックがぽつりと言った。


「怪しいって、この護符か? ほんとに只の石ころとか?」


 クロスの問いかけに、レリックは少し笑って首を振る。


「護符もそうだけど、僕が引っかかるのは……あの魔法使いだ」


 魔法使いと聞いて、とっさにメリルの脳裏に白い衣服の影が浮かんだ。

 頭まですっぽりと覆う、白い長衣。両肩から垂らされた青い布。王室お抱えの魔法使いだという、遠見の魔法使い。


「あいつか。あの遠見の……キュステとか言うやつ」


 驚いたことに、クロスもまた同じ人物を思い浮かべたらしかった。しかも名前まで覚えていたようだ。


「ああ。前にも言ったけど、不自然すぎやしないか?」

「それはおれも思ってたんだ。遠見の力にこの時期だろ……出来すぎだよな」

「そもそもその『力』ってのがどうにもおかしいんだ。遠見だなんてそんな」


 急すぎる展開についていけず、メリルは瞬きを繰り返す。どうやら二人は、以前からこの件を話していたようだ。二人のやりとりからようやくそれだけを認識して、メリルはおずおずと話しかけた。


「あの……?」


 口を出すべきではないのでは、とも思ったが、目の前でこれだけ話をされて、知らぬふりはできない。


「あ、悪い。二人には言ってなかったな。あんまりおおっぴらに言えることでもないからさ」

「ただの杞憂かもしれないと、話していたんです。でも……どうしても気になって」


 同業者の勘と取ってくれていい、と前置きをして、レリックが言う。


「魔法使いの中でも遠見の力は特殊な部類に入ります。

 本来の魔力の素質で魔法の傾向が変化することは、ご存知ですよね。遠見の力もそれと一緒で、その下地となる魔力が必要なのですが……それは数百年に一人という割合で」


 つまりは非常な逸材なのだ、とレリック。

 思い返せば、メリルも「遠見」などと目の当たりにしたのも、耳にしたのも初めてだった。


「それだけならまあ有る話だろ? けどここで問題なのが時期でさ」


 レリックの言葉を引き継いで、クロスが言う。


「キュステのことは、つい最近まで誰も知らなかったんだよ。そんだけ稀有な逸材っていうならどこかで噂くらいにはなるだろ? どんだけ厳重に管理されてたか知らないけど、上層部のおっさんども……じゃなかった重臣の耳にも入ってこない、それどころか直属の宮廷魔法士団の連中ですら誰も知らない、なんて不自然すぎる。まぁ確かにキュステの名前は登録されてたさ、目立たない奴だって証言も取れた」


「証言、」


 思わずメリルが呟くと、クロスは視線をふと逸らした。


「ああ……出立前に知り合いに頼んで調べて貰ったんだ」


 恐らく彼の祖父あたりのツテをあたったであろうことは、メリルにもたやすく想像できた。宮廷魔法士団の情報に関する警戒は相当なもので、登録名簿などの閲覧は一般人ではまず不可能だ。


「性格は真面目で大人しい、魔法の実力は下位らしい」


 それでも一般的な魔法使いに比べ、その実力は雲泥の差だろう。だが、それはトップクラスの集団の中にあっては埋もれてしまう程の、いわば下っ端の魔法使い。

 そんな魔法使いが「逸材」?

 素人であるメリルですら思わず疑問を抱かずにはいられない情報だ。


「なあ、有り得る話だと思うか? 稀代の勇者の死を『見た』のが、稀有な遠見の魔法使い。しかもその魔法使いは実は名前すら知られていないような下位の魔法使いだった、なんて話」


 言葉にするとなんだか出来すぎだろ、とクロスは乾いた笑みを浮かべる。

 実際起きているのだから、ない話ではないのだ。だが、だからこそ違和感が拭えない。まるでお膳立てされた舞台を見ているような気にさせられる。

 メリルは顔を曇らせ、唸る。

 クロスの言うことは一理ある、と思う。

 稀有な力がありながら「下位」だと言うのも不思議だが、それ以上にその力があるのならば、なぜ「勇者の死」が最初だったのか。勇者が旅立つ前にその事実がわかれば、或いは勇者が乗り込む前にわかっていれば、討伐はもっと円滑に進んだだろう。勇者という犠牲を払う必要もなかったかもしれない。


「じゃあ……遠見は虚言なのかしら?」

「いや、そうとは言い切れない。見たものは少なくとも事実なわけだし」


 耳の奥で件の魔法使いの宣告がまざまざと蘇り、メリルは思わず眉根を寄せた。


『真紅の魔物、その足元に横たわるは白金の髪の若者』


 言葉どおり、そこにいたのは真紅の髪と目を持つ魔物だった。となれば勇者の死もまた事実なのだろう。……信じたくはなかったが。


「虚言でもないのなら……目的は」


 遠見の力が本物だとして、その力をこの時期に使うことでどんな利があるというのか。単に魔物討伐のためでないならば、それは一体何を意味しているのか。

 困惑してメリルは視線をさまよわせる。


「……そこがよくわからないんだよな。まあ、あくまでもおれ達の勝手な想像だから」


 軽く肩を竦め、クロスはあっさりと言った。この話はここで終わりだ、と言うように。

 その空色の双眸がちらりと見遣った先を視線で追いかけ、メリルは得心する。

 夕闇の中を幾つかの人影が揺れていた。そこにいるのは、メリルの記憶違いでなければ魔法使いの一団であるはずだ。宮廷魔法士団の中でも、割合下位の魔法使いで構成されている。

 どうやら野営の準備に取り掛かっているらしい。魔法使いらしい静かな動作のためか、何の物音も聞こえてこない。距離的にこちらでのささやかな会話が聞こえる範囲ではないが、相手は魔法使いである。その気になれば会話程度は容易く拾えるだろう。


「ごく稀ですが、突然魔法が使えるようになる人もいますしね。多分僕の考えすぎですよね」


 クロスの真意を正しく読み取ったらしいレリックもまた、そう言って話を切り上げる。ご心配かけてすみません、と穏やかな笑顔で頬を掻いた。


「……そうね、慣れない野宿で疲れているのかもしれないわ」


 だからメリルも表面上はそう肯定してたみせた。

 実際、メリルやフレイとは違い、二人は野宿になれていないはずだ。基本的に森の中で野宿することは最終手段であり、日暮れまでに次の街を目指すのが常識なのだから。


「かもな。お前ちょっと顔色悪いもん」


 クロスが言ってレリックを覗き込む。それにレリックはのけぞり、ついで軽く眉根を寄せた。


「顔色? この暗さじゃわかんないだろ」

「わかるって。ちょっと青い。……あ、そっか」


 不躾なまでにレリックの顔を観察していたクロスは、ぽん、と手を打つ。


「なんだよ?」

「お前センサイだったな。枕替わると眠れないって言ってたし……すっかり忘れてた」

「ちょ、そのまま忘れてろよ……!」


 繊細さとは対極にあるらしいクロスの一言に、レリックが抗議の声を上げる。


「ん? 枕じゃなかったか? ぬいぐるみだっけ、ほらあのウサギっぽい……」

「うわあぁっ! やめろバカっ!」


 顔色を変えたレリックがクロスに掴みかかる。それでもなお、クロスは記憶を辿るように何事かを呟いていたが、幸か不幸かメリルの耳では拾うことができなかった。

 そんな二人を、メリルはどこか羨望にも似た気持ちで見つめていた。

 互いの間にある気安い空気。前回こうして魔物の城を目指した時には、メリルはスノウと共にいた。記憶を失ってからのスノウは、メリルにとって複雑な存在だった。あれほど尊敬してやまなかった彼が、まるで別人のようで。尊敬する気持ちの中に生まれた翳りが、苛立ちや怒りを生んで、自分でも感情をもてあましていた。

 だからこうして何気ない会話を楽しんだり、冗談を言ったり、といった記憶が思い出せないのだ。

 否、とメリルは思う。

 記憶を失う前の彼とですら、そんな記憶は殆どない。


『私たちが、彼を尊敬するあまりに』


 メリルの目の前でレリックを相手にからかうクロスは、年齢も背格好もスノウに近い。スノウの方が幾らか線が細くはあったが、剣士という肩書きや何より同じ色の双眸が、スノウを想起させる。

 そうしてみて考えるのだ。

 スノウもまた、18歳の青年でしかなかったのだと。

 成熟した人格、卓越した技量と相応しい称号。それらを通してスノウという人物を見ていただけで、彼自身を何一つ知らなかった。彼の過去も友人も思い出も、何一つ知らないのだ。

 二人のやりとりを見るともなしに見ていると、ふと、気配を感じた。


「……フレイ?」


 弓の手入れを終えたらしいフレイが、いつの間にかメリルの隣に立っている。


「思いつめないでよ」


 前方を見つめたまま言って、そのまま腰を下ろす。一瞬、メリルは何を言われたのかわからなかった。


「メリルがそんなに悩んでも、もう意味ないんだよ」

「……そうね」


 鋭い言葉にメリルは苦笑する。既に何もかも手遅れだ。勇者は失われた。


「魔物は倒せなかったし、スノウはもういない。悩んでも悔やんでもスノウは……生き返らない。

 僕らにできることは、魔物を倒すことだけだよ。そしたらきっと、スノウも喜んでくれる。……でしょ?」


 メリルは瞬きを繰り返した。フレイはどうやら、慰めてくれようとしているらしい。

 不器用なその慰めに、メリルは胸の中がほんのりと温かくなる。フレイもまた、どうにか乗り越えたのだろう。

 だから、そっと笑った。


「ええ、そうね。そう思うわ」





半年放置記念が出てしまいました……ああ、ふがいない。

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