22.祭礼
勢いよく開いた扉から、ただいまあと暢気な声が飛び込んでくる。
次いでよろめきつつ入ってきた姿をクロスは胡乱そうに眺めやる。
「遅かったな」
夕食は先に食ったぞ、とクロスは机の上に頬杖をつき、不機嫌を露にして言う。そんなクロスの状態に気づかないはずはなかったが、今しがた戻ってきた彼の親友は締まらない笑みを浮かべた。
「ああ、よかったよ。僕はこの事態だからね……夕食はちょっと入らないかも」
手にしていたバスケットを抱え直しながら言うのは、照れ笑いを浮かべたレリックだ。
見慣れないものの出現に、クロスは軽く目を瞠る。
「どうしたんだよ。まさかソレ買ったのか?」
彼らがいるのは、銀の森に点在する小さな街のひとつである。そこで食糧の補給と、一晩の宿を借りることになり、尉官を含めた数名は「情報収集」と称して街に散らばっていた。
当然ながらクロスとレリックもその中のひとりであり、揃って酒場に出かけていた。しかし一通りの情報を集め終えたクロスが宿に戻る頃になって、レリックの姿が見えなくなった為、クロスだけが先に宿に帰ってきたのである。
よって、クロスのレリックに対する感情は心配よりも怒りの方が多い。尋ねる声は自然キツいものになる。真面目に情報を集めていた時に暢気に買物していたのかと思うと、胸の中は穏やかではない。
クロスの尖った声に臆する様子もなく、レリックは首を振って言った。
「違う違う、酒場で貰ったんだよ」
お前貰わなかったの、とレリックは逆に問い返してさえきた。そしてバスケットの中に手を突っ込むと、なにやら取り出した。
きつね色の焼き目のついた、楕円形をしたパイだ。薄くのばされた生地が幾重にも重ねられ、上部には細長い生地が編み目のように重ねられていた。その隙間から覗くのは蜜色に輝くジャムだ。スライスされた果物が蜜色のジャムの中に浮かんでいる。
それは満腹だったはずのクロスの目にも、ひどく美味しそうに映った。うっかり生唾を飲んでしまいそうになる。
「貰ったって……なんで」
王国軍は基本的に何処の町でも歓待されていた。物々しい雰囲気を醸し出しているとはいえ、自国の兵士である。一時的ではあるが治安はマシになるし、宿場も商店もそれなりに潤う。特に銀の森にある街にとっては、大事な「客」であった。主な流通は旅人か行商人の類しかない彼らにとって、一度に大量の金貨を落としてくれる王国軍の存在はありがたいのである。
「今祭りやってるんだってさ。豊穣祈願の祭り」
「祭り……」
「よく知らないけど、なんでも親しい人にパイを贈る慣わしらしいよ、恋人とか家族とか」
「……じゃーなんでお前はそんなに……」
ここはお前の地元じゃないよな、と幼馴染でもあるクロスの一言に、レリックは軽く頷く。
「意中の人にも贈るらしいよ。女の子が好きな男に」
「……はぁ?」
「いやーいいよね。頬を染めた乙女にさあ、『食べてください』なんて渡されるんだよ? 女の子たちの可愛いことったら。この祭り最高だよね」
「ちょっと待て」
うっとりと話すレリックの肩を鷲づかみ、クロスは押し殺した声で尋ねる。
「お前こんなに……どうすんだ、返事はしたのか!」
クロスの大真面目な眼差しに、レリックは軽薄な様子でひらひらと手を振った。
「大丈夫、これ本気のアレとかじゃないんだってば。言っただろ、家族や親しい人にも贈るんだよ。見せてもらったけど、本気のパイなんてもの凄いスケールと盛り具合だったよ」
あの重さは愛に比例するね、と訳知り顔でレリックは頷いている。
「わかったかい? つまりこれは親愛の証ってやつだよ」
「何の情報収集に行ってきたんだ、お前は……」
クロスが額を押さえて天井を仰ぐ。
「失礼だな。仕事はちゃんとしてるだろ。……というか、他の皆さんも貰ってたけどね。何でお前は一個も貰ってないの」
そっちの方が不思議だとレリック。
「え?」
「あの堅物っぽい中尉……名前忘れたけど、あの人ですら2、3個貰ってたぞ。あの人照れ屋なんだな、厳しい顔して受け取ってたけど顔赤いからさ、もう丸わかりで」
バスケットに詰められたパイをひとつひとつ取り出しながらのレリックの台詞だ。
「みんな貰ってたからさあ。てっきりお前も貰ってるもんだとばかり……そういえばメリルさんたちは? お前夕食一緒だったの?」
夕食後じゃ食べないよなあ、とレリックはパイの行方に頭を悩ませている。
嬉しそうに困っているその問いかけには答えず、クロスはレリックの動作を眺めながら考える。
レリックの話から察するに「情報収集」に出た面々はほぼ貰ってるようだ。親愛の証というなら、酒場以外の場所でも貰っている可能性は高い。先ほど買物にでかけたフレイやメリルはともかくとして、案外他の兵士たちも貰っているかもしれなかった。
ただ一人、六代目勇者だけを除いて。
「……え?」
呆然と、クロスは呟いた。
思わぬ出来事にクロスが衝撃を受けていた頃。
メリルは街で食糧の補給に勤しんでいた。行軍はもうしばらくかかる。食料自体は王国軍で支給されるが、嗜好品や一部の備品などは自分で調達する必要があった。
「パイ売ってるよ」
弾んだ声にメリルが振り向くと、屋台に平積みされたパイを眺めるフレイが目に入った。
「そうね、パイを専門に売ってるなんて珍しい……でもさっきご飯食べたばかりよ」
夕食が足りなかったかとといかければ、フレイは首を振る。
「けどすごく美味しそうな匂いがして……」
一個くらいなら、とフレイ。
それに苦笑してメリルは屋台に視線を向ける。よくみればそこかしこにパイを売る店が目立つ。パイのみの店は少ないが、衣服を売るような店でも何故か店頭にパイがある。
振り返れば宿の入り口でもパイを売っていたことを思い出し、メリルは首を傾げた。
「あちこちで売ってるのね、不思議……」
この町の特産品かと思ったが、それにしては規模が大きい。旅人がそう多いはずもないだろうし、これだけの量を毎日消費するとは考えにくい。
そんなメリルの独り言を耳にしたらしい店主が、にこにこしながら教えてくれた。
曰く、祭礼の時期に当たり、親しい間柄でパイを贈る風習があると。
「昔は手作りが多かったんだけどねぇ。最近は買って渡す人も多くなったね」
お姉さんもどうだい、と店主が店頭のパイを示して言う。
「いえ、私は……」
祭りの雰囲気は嫌いではないが、今はそんな気分ではなかった。何よりこの先に待っているのは魔物との戦い。「いま」はそうでないとはいえ、祭りを楽しむだけの余裕はない。
言葉を濁すついでに彷徨った視線が、積まれたパイと凝ったディスプレイに留まる。ありがちな謳い文句がメリルの気を引いた。
「親愛の、証……」
真っ先に思い浮かんだのは、メリルに背を向けて佇む青年の姿だ。白金の髪を揺らし、視線は常にここではない遠くを見つめていた。憧れてやまなかった、彼。
けれど、贈りたいと描いたのは凛々しい姿ではなく。
メリルは思わず口元を緩ませた。
「……ばかね」
もう、相手はいないというのに。
ふとメリルが顔をあげると、フレイと目が合った。その栗色の瞳の中に気遣わしげな光をみつけて、メリルは慌てて笑みを拵える。
「少しくらいなら悪くないわね。フレイ、食べる?」
問いかけに、フレイはそれこそ首が折れそうな勢いで頷いた。
メリルとフレイが宿に戻ると、パイを頬張るレリックの姿があった。
夕食時にはいなかったから、恐らくそのパイが彼の夕食代わりなのだろう。
「レリック、それ……」
「酒場でおすそ分けして頂きまして」
よかったらどうですか、とレリックが机の上のバスケットを引き寄せる。
中には「ぎっしり」という表現がぴったりなほどに詰め込まれたパイ。どうみても「おすそ分け」のレベルではない。
若干引き気味にバスケットを見遣ったメリルが視線を転じると、レリックの向かいの席で突っ伏しているクロスが目に入った。
「クロス?」
メリルは思わず驚きの声を上げる。
普段が明るく快活なクロスである。その彼がいまや別人のように暗い表情を晒していた。テーブルに頭を載せたまま、脇に置かれたカップにどんよりとした視線を注いでいる。
「どうしたの?」
直接尋ねるのは憚られて、メリルはレリックに問いかけた。
レリックはそれに軽く肩を竦めて、
「一過性のものですから大丈夫です。明日にはけろりとしてますよ」
と、無駄に爽やかな笑みを閃かせた。そのきらきらしい笑顔に、メリルは思わず瞬きを繰り返す。レリックが爽やか青年なのはいつものことだが、今日はそれに磨きがかかっているようだ。
「? そ、そう? ならいいけれど……」
メリルは自分の目をこすりつつ、あまり大丈夫そうでもないクロスを心配げに見遣る。
「わあ、美味しそう」
一方、フレイは無邪気に喜んでバスケットの中を覗いている。
「どれでも好きなのを食べていいよ」
「ほんと? このパイ食べていい?」
はしゃぐフレイと、相変わらず爽やかな笑みを浮かべているレリックの微笑ましい光景を眺め、メリルはぼんやりと「平和だなあ」と思う。
「あ、そうだ。その前にこれがあったんだ」
フレイが思い出したように自分の荷物から紙袋を取り出した。
「あれ、フレイも誰かから貰ったの?」
レリックの声に、それまで一切無反応だったクロスが反応した。暗く沈んだ視線を、軋む音が聞こえそうなほどの動きでフレイに向ける。正確には、フレイの手に現れたパイに。
フレイはそんなクロスに気づかず、無邪気に笑う。
「うん、メリルがくれたんだ」
「そうだわ、二人にも。手作りじゃなくて申し訳ないけど」
メリルは何やら不穏な空気を感じ取り、慌てて荷物からパイを取り出した。何故か迅速に対応したほうがいい気がした。理由はわからない。
紙袋に包まれたパイをそれぞれに渡す。店主の気遣いで紙袋の口にはリボンがかけられていた。
「ありがとうございます。お気を遣わせてしまって……」
レリックが爽やかさ3割り増しで礼を述べれば、
「……あ、うわ、わぁ、いいのか? ありがとう……ありがとう、メリル!」
クロスは感動が3割り増しになっていた。
「あの、そんな大したものでもないから……」
店で買っただけだし、とメリルが言うと、クロスは先ほどの暗さが嘘のように生き生きとした表情で首を振る。
「いや! 気持ちが嬉しいんだ! メリルの優しさがもうほんと! このパイの半分以上はメリルの優しさでできてるんじゃないかってくらい、ほんとマジで感動!」
何やらよくわからないことを喚いている。
頭のねじが飛んだんじゃないかしら、とメリルは冷静に失礼な心配をする。
そして嬉しさが突き抜けてどこかにいってしまった親友を、レリックもまた冷静に眺めて言う。
「大丈夫、明日になればけろりとしてます」
パイ頂きます、とレリックはメリルの渡したパイを早速口に運ぶ。
「美味しい」
レリックがメリルに微笑む。うん、とレリックの隣でフレイもパイを頬張り笑う。
メリルは胸の中がほんのり暖かくなるのを感じた。
まるで死んだように冷たくなっていた胸の中が、温かい熱で満たされていく。
手作りすればよかったな、とメリルは思う。
そんな時間も余裕もないのはわかっていたが、心底そう思った。
誰かがこうして笑ってくれるなら。
翌日。
さんざんパイを食べたおかげで、レリックはもとよりメリルやフレイまでが軽い胸やけを起こしていた。
バスケットの中にはまだパイが残っていたが、誰も手をつける気にならない。
「非常食確保ー!」
一人元気なクロスだけが、宣言するなりパイをざくざくと自分の荷物に詰め始める。レリックもさすがに止める気にはならないらしく、むしろ無駄になるよりはと手伝っている。
「これで3日はパイでいけるな!」
そう嬉しそうに言うクロスを前に、仲間たちはぐったりと肩を落とした。
「もうパイは見たくないな……」
遠い目をして、レリックが小さく呟いた。
バレンタイン的なね! そんなノリで読んで頂けたら嬉しいです。