18.勇者たちの事情(下)
続きです。
王都を出立する、二日前。
メリルはクロスとレリックに誘われて、下町の酒場を訪れていた。メリルが案内されたのは、馬の看板が掲げられた店である。下町独特の喧噪と、乱雑な店内。上品さとはほど遠い様相に、故郷や旅先の様子を重ねて、思わず肩の力が抜けるのを感じた。
クロスがおすすめだという料理は、確かに美味しかった。その店構えや雰囲気から、正直期待していなかったのだが、出てきた料理は素直に美味しいと称賛できるものばかりであった。
「まあ晩餐会の料理とは比べ物にはならないけど」
クロスはそう言って笑ったが、メリルにはこちらの方がずっと美味に感じられた。晩餐会では、碌に味などわからなかったのだ。ただ義務的に手を動かし、咀嚼していたにすぎない。王都に帰還してきて、美味しいと思ったのはこれが初めてかもしれない。
そんなことを思いながら、メリルは二人にカディスの様子を話して聞かせた。
カディスへの道程や街の様子、出没する魔物の情報に弱点など。そして、メリルにとって辛い記憶に繋がる、魔物の城の様子についても細かく伝えた。
勇者の詳細については幾つか省略した。仲間の離脱も含め、記憶喪失のことも触れずに、ただ「城からの撤退の際に共に逃げられなかった」と伝えるに留めた。
それに対し、二人は特に詮索することもなく「こちらの情報」だとして国王から軍隊を借り受けること、軍隊の指揮官たちとの会議の詳細をメリルに話して聞かせた。
「実は、二ヶ月前からこの作戦は始まっている」
クロスはそう切り出した。
「……二ヶ月?」
それは、スノウが記憶を失った頃辺りである。そんな時期から「作戦」を立てていたのだろうか。
「そうだ。二ヶ月前――ああ、勿論後から聞いた話だぞ」
おれはまだ勇者じゃなかったし、と前置きをしてクロスが続ける。
遡ること二ヶ月前。
王室お抱えの魔法使いから、非公式の「予見」が伝えられた。伝えられたのは「勇者の危機」と「不吉な未来」だった。予見を行った魔法使いは、王室の中でも古参で国王の信頼も厚い。事態は重く受け止められ、国王は重臣を集めて協議した。
勇者たち一行は、無事にカディスにある。下手に介入するより、このまま静観すべきではないかとの意見が多数を占めた。いくら不吉な予見だとしても、その兆候がないうちに軍を動かすのは避けるべきだというのが結論だった。
しかし、調べるうちに問題が出てきた。
問題となったのは、勇者たちが掴んだという魔物の城の情報、その出所だった。
「……それは賞金稼ぎの」
説明の途中で、思わずメリルが口を挟む。賞金稼ぎが快く思われていないのは常だが、助力を頼んではいけないという法はないはずである。
「それはそうなんだけどな、問題はその賞金稼ぎがどこから掴んだかってことだったんだよ」
密偵を放ち、その賞金稼ぎを探し出して接触した。
情報の真偽とその出所を探るため。
だが、賞金稼ぎは何も知らなかった。
「知らない……?」
「ああ、あらゆる方法で問い詰めたらしいけどな。掴んだ情報どころかそれを話したことも何一つ知らなかった」
「そんな馬鹿な! 私も確かに聞いたのに……ッ」
ざわりと背筋を這う嫌な感覚に、メリルは蒼白な顔で声を上げる。
それを冷静な目で見遣って、クロスは軽く肩を竦める。
「まぁ、今となってはわかんないけどな。……とにかく、それでお偉いさんたちは慌てた訳だ。勇者がもしかしたらガセネタを掴まされてるかもしれない。それだけならいいが何か他の……極端な話、敵国の罠にでも嵌められているかもしれないってな」
そんなことで「勇者」を失うわけにはいかない。
そこで一月ほど前に、少数の部隊が王都バルカイトを発った。俗に「黒鷺部隊」と呼ばれる、諜報活動や作戦行動に長けた精鋭部隊である。目的は勇者一行との接触と、魔物の城に関する情報の確認だった。
「多分今頃はカディス周辺に着いてる頃じゃありませんかね?」
レリックは己の皿の料理を片づけながら言う。
「私たちと入れ違いになったのね」
「ああ。で、その間にこっちはこっちでばたばたしてた。例の魔法使い……遠見ができる魔法使いがでてきてさ」
その魔法使い―――キュステは「勇者の死が見えた」と言った。そして、重臣たちの前に召喚されたキュステは、淀みない口調で死の様子を語ったのだ。
もちろん、ただそれだけなら信用には薄い。キュステは重臣の誰もが知らないような、下位の魔法使いである。稀なる力であるが故、眉唾と思う者は少なくない。だが、今回は状況がすべてを裏付けていた。
「先見の予言に、怪しい情報。そこに遠見のトドメがきて、さすがに大臣たちも青くなった。カディスに走る部隊からも魔物の情報が入ってくるし」
さすがにこれ以上の静観はできない。その頃には勇者一行の生存は絶望視されていた。予見と遠見にあったのは勇者の死のみであったが、仲間たちが無事に帰還するとは誰一人思っていなかったのだ。なにかしらの対策を講じる必要に迫られた。
「そこで、次代の勇者を決めなければという話になったんです」
レリックの言葉に、クロスは大仰にため息をつく。
「正式に勇者の死が確認されてからで十分だと思うんだけどな」
上には上で事情があるらしい、とクロス。次いでメリルをまっすぐ見上げたクロスは、不意に口の端に笑みを浮かべた。
「メリル、おれは代役なんだ」
その表情と言葉に、メリルは気づく。
クロスは気づいたのだろう。メリルが『次代の勇者』の言葉に視線を逸らしたことに。
まだクロスを『勇者』と受け入れられない。否、勇者であること自体はわかっているのだが、メリルの中で折り合いが付かないのだ。勇者と呼んでいたのはスノウだけ。そのスノウの死をわかってはいても、受け入れたくない。スノウ以外の誰かを「勇者」と呼んでしまうことで、メリルの中でスノウが死んでしまう気がしていた。
「代役?」
素知らぬ振りでメリルは問い返す。
「ああ。実は、正式にトーナメントをしてないんだ。魔物討伐の名目で軍隊を動かすには、率いる『勇者』が必要らしくて。ま、侵略戦争を疑われないための他国へのアピールだな。
そこでおれに白羽の矢が立った。理由は簡単。おれの祖父が軍隊にいるんだけど、これがわりと重鎮でね。じゃあ都合がいいから孫を出しとこう、みたいなノリで任命されてしまったわけ」
軽い口調でクロスは話しているが、内容は重大である。
軍の重鎮の身内。明かされた身分にメリルは得心する。庶民でこれほど時勢に詳しいのは不自然だったが、それならば納得がいく。
「いわばお飾りですね」
手元のマグを弄びつつ、レリックが軽い口調で言う。食事の方は終わったらしい。彼の皿はいつのまにか綺麗に片付けられていた。
「だな。まぁ何かあっても替えがきくからな。軍人の孫なんてある種の身内だもんなあ」
軍人も勇者も、名誉のために命を賭すのは変わらない。ただ、王にとっての剣であり盾でもある王国軍は気軽に扱えるものではなく、動かすには相応のリスクが伴う。彼らの使命は「王と国を守る」ことであり魔物討伐はその一端でしかない。
対し、勇者は肩書きこそ立派だが、殆どが庶民の出身だ。組織に縛られない独立した存在である為、比較的動きやすく、そのため殊魔物に関しては勇者の判断が尊重される。
魔物討伐に命を賭ける。それこそが「勇者」の使命なのだ。
「そんな……」
思わず、メリルは眉根を寄せて呟く。クロスに不満があるわけではない。クロスを任命した重臣たちの考えに閉口したのだ。
それだけの情報があるならば、待ち受ける壮絶な戦いは予測できるはずだ。魔物に対する偏見が楽観視させたのだとしても、これまでのように簡単にはいかないことは明らかである。だからこそ、王国軍を動かすことにしたのだろう。
そんな戦場に、適切な勇者候補がいないという理由で選任するとは。もちろん、そこにはメリルには考えもつかない色々な思惑があるのだろう。
だが、とメリルは思う。
勇者はその任を解かれても相応の地位が約束される。けれど現実は、存命のまま任を解かれた者はいない。勇者は魔物との戦いに、文字通り「命を賭す」のである。
だからこそ、自ら勇者を望む者を募らねばならなかった。命を賭ける、その覚悟が必要だから。そんな覚悟もなしにいきなり戦場に送られるクロスのことを思うと、メリルはいたたまれなくなった。
そのメリルの表情を、クロスは勘違いしたらしかった。
慌てて言い添える。
「あ、勿論ちゃんとするぞ。お飾りだからって手を抜く気はないし、任命されたからには勇者の名に恥じないよう努力するつもりだ」
「こんなんしてますけど、正義感は人一倍強い奴ですよ」
頷いて太鼓判を押すレリックと、頼ってくれていいとばかりに胸を張るクロスを見つめ、メリルは曖昧に微笑む。
こうして話している様子だけでも、十分勇者らしいと思う。何せ、先代勇者がああだったのだから。こんな頼りがいのある会話をした記憶すら、今となれば危うい。
記憶を失う前のスノウは立派だったというのに、思い出すのは記憶を失ってからのスノウばかりだった。渦中にあるときは苛立ちにしかならなかった事柄が、こうして振り返れば懐かしくて仕方ない。
そんなメリルを見遣って、クロスは言葉を続ける。
「おれなりに勇者として戦う。この魔物討伐の間だけは」
「え?」
「言ったろ、おれは代役だ。他の奴がなんと言おうと、おれはこの魔物討伐が終わったら任を解いてもらう。勿論地位も返上する。正式に選ばれたわけでもないのに『勇者の器』だなんて思えるほど自惚れてないからな」
命を賭けるなんて今回限りで十分だ、と冗談めかしてクロスが言った。
「だからさ、おれのことはクロスって呼んでくれよ」
勇者でなく。
言外に告げられた言葉に、メリルは大きく目を瞠った。
クロスはメリルの躊躇に気づいていたのだ。胸の中に残っているであろう葛藤も、おそらくは。
「クロスなんて呼び捨てで問題ありませんよ、遠慮なさらず。
……しかもお前、メリルさんをさりげなく呼び捨てにしてただろ?」
後半は隣のクロスに向けて、レリックが言う。
「ん? してた?」
「してた。まったくお前はどうしてそう粗野なんだか」
「粗野だって? おれの何処が! これ以上になく洗練されてんだろ。今日だってちゃんと洗濯済みだぞ?」
己の衣服を引っ張りながら、クロスがそんな自慢にもならない自慢をする。
「そんなの当然だろ! ていうかそういう意味じゃないし!」
なぜだか口喧嘩に発展した二人の会話は、そのまま、メリルが仲裁に入る隙もない勢いで繰り広げられていく。
諦めて食事を再開したメリルは、言い合う二人を前に忍び笑いを漏らす。
その様はまるで仲の良い犬がじゃれあっているようで。罵りあっていてもそこに悪意は感じられない。他愛ないやりとりを聞いているうちに、笑いがこみ上げてきた。
彼らと「仲間」になることは、とても楽しいことのような気がした。
まだ心の奥で、勇者の死が重い澱となって沈んでいる。この澱が消えることはないだろう。
けれど。
けれど、私はまだ笑える。
パチリ、と炎の中で薪が爆ぜる。
周囲はすっかり闇に覆われ、木立の向こうにわずかに覗く夜空には星が瞬いている。
「だからさ、フレイだよ。あいつ大丈夫なのか?」
具合でも悪いのではないか、と自身も苦しげな顔でクロスが案じる。騒ぎ過ぎたためか、こころなしぐったりしているようである。
「まあショックだったのだとは思いますが……ここ一週間ほど彼の声を聞いてませんしね」
レリックの言うように、出立してからこちらフレイは殆ど口を利いていない。自己紹介の際に名乗ったきり、会話らしい会話を避け必要最低限の言葉しか発しようとしない。
元々が無口な少年ではないだけに、メリルには痛々しくてしかたなかった。
「今は……そっとしておくしかないから」
目を伏せてメリルが言うと、クロスが渋面で頭を掻き毟る。
「あーまあ確かにそうなんだけどなぁ……」
「時間が経たないとやっぱり駄目でしょうね。……生きてると信じたいんだろうけど」
二人の言葉にメリルは曖昧に笑って、視線を彷徨わせた。彼らが言うような理由だけでフレイが沈黙している訳ではないことは、メリルにはわかっている。フレイは勇者を失った悲しみと同時に、メリルに怒っているのだ。
「けど一人で危険じゃないか?」
「大丈夫だと思うわ。弓も矢も持っていってるみたいだし」
メリルはフレイの荷物を示して言う。矢筒と弓がなくなっていた。
だが、クロスとレリックは心配げな視線を交わす。
「このあたりはもう魔物が出るんでしょう」
レリックの問いかけに、メリルは頷く。
「そうね……夜行性のやつが少し」
野営をしているこの場所自体は、まだ銀の森ではない。出るのは主に野生の獣である。だが、近年は魔物の活動が活発化し、銀の森付近の森や村は決して安全とはいえなくなってきていた。事実、カディスからの帰途でメリルたちは幾度も魔物に遭遇している。その殆どが獣に近いものばかりではあったが。
「心配いらないわ、フレイに弓を持たせたら敵なしだから」
それは比喩でもなんでもなく事実だった。外見はまだ12歳の少年だが、その実力は計り知れない。彼が丸腰ならまだしも、弓を持たせれば大抵の相手はかすり傷ひとつつけられないはずだ。
フレイが、常どおりならば。
メリルの心配はその一点だった。今のフレイは普段とは違う。感情の処理が追いついていない状態だ。そんな状態で果たしてまともな判断などできるのか。
「はあ……実力のほどは聞いてますが」
それでもやはり心配してしまう、とレリックが頬を掻く。
それに何か安心させる言葉を重ねようとして、ふとメリルの感覚を何かが引っ掻いた。
「……メリルさん?」
「待って」
当惑するレリックに静かにするよう合図し、クロスを見やる。クロスの方もメリルと同じことを感じたらしい。普通の剣ではなく、国王から下賜された聖剣の柄に手をかけている。
「どうやら歓迎の挨拶らしいぞ」
クロスは唇をにやりと歪め、呟く。
途端に、近くの焚火から悲鳴が上がる。続いて上がる複数の声と、剣の抜き放たれる音。
「敵襲!」
「敵襲だ!」
あちこちで上がる騒ぎに、メリルは静かに立ち上がる。
クロスとレリックもまた、落ち着いた仕草で身を起こして己の武器を手にした。
近くの闇から、気配。
メリルは無言で剣を抜き放った。
ふぃー、間に合った間に合った。