13.帰還
※人間側のお話※
「西の真珠」と譬えられる王国、パールディア。
大小の国が犇めく大陸にあって、唯一海を望む王都をもつ。
王都バルカイトは、その周囲を六つの高い塔で囲んでおり「六塔の都」とも呼ばれる。
その中心部に聳えるのが、国王ロンギオンⅡ世の居城「白翼城」である。
白を基調とした美しい城は、パールディアが「西の真珠」と譬えられる所以のひとつだ。
一際小高い丘に立てられた美しい城。広大な城内には贅をつくした美しい部屋が幾つも存在し、風情ある庭園が作られている。
その、最も奥まった場所に作られた小庭園。数本の木々と美しい季節の花々、四方を囲まれた小さな箱庭を、慌ただしい足音が行き交う。
「あら」
ふと、そこを行く少女が足を止めた。ふんわりとした、大人しいつくりのドレス。踝のあたりで断ち切られた裾から、ブーツが覗いている。城の侍女に与えられる、いわば制服のようなものである。
「どうしたの、虫でもいた?」
隣を歩く、こちらも侍女と思しき娘が問いかける。年の頃は、少女より幾らか上だろうか。
「いいえ、落ち葉が…」
掃除しなきゃ、と続ける少女に、相手は笑って言う。
「いいのよ、今日は放っておきなさいな。それよりこれを届けることが優先よ」
その両腕には大量の布を抱えている。前方が見えるぎりぎりの高さにまでつまれた布は、傍目にも結構な重量感がある。綺麗に折りたたまれた、シーツのような布。
「これだけ忙しいんですもの、葉っぱのひとつやふたつ、誰も気付かないわ」
ちらりと周囲をみやる。
普段は静寂に支配される回廊。さまざまな装飾を施された天井や壁、支える柱も美しい模様が描かれている。複雑な装飾がそれでも華美に映らないのは、そのすべてが白を基調としているが故だろう。
真珠と謳われる白翼城、その中に誂えられた小庭園を望む、美しい回廊のひとつ。
侍女たちもそう滅多に通らないそこを、今日は慌ただしい足音が行き交う。
走り回る者こそいないものの、荷物を抱えた侍女や様々な立場の使用人が過ぎていく。
彼女たちもまた、その中のひとりであった。
「でも、何だって今日はこんなに…」
「仕方ないわ。客室をいつでも使えるように、とのご命令なんですもの。…あの方が戻ってらしたんですって」
ため息ついてぼやく少女に、わけ知り顔で娘が話す。戻った?と未だピンと来ないらしい相手に、顔を寄せてひそひそ話を。
「勇者さまよ。ほら、あの凛々しいお方」
まぁ、と少女は喜ぶ様子だが、続く言葉に顔を曇らせた。
「でも不思議なのよ。勇者さまはいないみたい。戻ってきたのは仲間だけで…しかもたったの二人ですって」
「…なんだか妙ね、嫌だわ」
「ねぇ、不吉よねぇ…」
勇者さまはどうされたのかしら…と、明日の天気でも憂えるような風情の侍女たちだ。
血生臭さや戦いとは無縁の、彼女たちがそっとみつめる先には、豪奢な扉。
明るい小庭園を経て、回廊の先、一際美しい扉がある。
そこは「双翼の間」と呼ばれる、来賓を迎えるための謁見室だ。
普段は使われないその部屋には、いま、国王ロンギオンⅡ世と数名の重臣がいるはずである。
謁見に訪れたのは、国境付近の小さな街、カディスからの帰還者。
「勇者の仲間」であるメリル・ファガードとフレイ・マルセナ、ただ二人であった。
「援軍をお願いに参りました」
お決まりの口上を述べたあと、恭しく頭を垂れてメリルは言った。
メリルとフレイが佇むのは、玉座よりかなり離れた場所である。
その間には重臣の列。その後方に王室お抱えの魔法使いの一団が控えている。
水を打ったような静寂。そうでなければメリルの声など国王の耳には届かないだろう。
「援軍、ですと」
反応したのは王ではなく、重臣のひとり、メヌキア公。
西方に領土を構える、国内でも5本の指に入る有力貴族だ。王家とは姻戚関係にあり、当然ながら発言力も影響力も大きい。王ですら無視できない存在の、重臣。
メリルは、失礼にならない程度にそっと視線を向ける。
髭を蓄えた、恰幅の良い姿が目に入る。
その鋭い眼光、若々しい風貌からは、彼がそろそろ壮年に差し掛かる年齢だとは想像しがたいものがある。けれど良く見れば、綺麗に整えられた髪や、雄々しさを際立たせる髭にも白いものが混じっていた。
メヌキア公は、己の顎に手をやり、重々しく尋ねる。
「それは人手が必要ということですかな。それとも、陛下の剣が必要と?」
勇者の「仲間」か、或いは王国軍の兵が必要なのか。
メリルはひっそりと息をつく。
後者となればそれは国を挙げての戦争につながる。メリルにはそれを進言する勇気も、またその権限もない。まして、メリルはただの「勇者の仲間」であり、任を解かれれば庶民に戻る身の上。
任を解かれても貴族に次ぐ力を得られる「勇者」とはわけが違う。
メリルなりに、分はわきまえているつもりだった。
「…それは、お任せ致します。
お恥ずかしながら、私たちは敗れました。彼の地の脅威はいまだ取り除かれてはおりません」
「…なるほど、敗れたと仰いましたな、メリル・ファガード」
「はい」
「他の仲間はどうされた?」
「…故あって離れ離れに」
「皆が皆殉死というわけではないのですな?」
故あって、とはどういう意味。
言外に匂わせた問いかけに、メリルは用意していた言葉をつむぐ。
「不測の事態が起きました。カディスに着く前に、勇者が負傷したのです。そのため何日も足止めとなり…彼らには一度離脱して貰いました」
信奉者の多かった「勇者」。
この城を出立する際には、勇者を含め17名の大所帯だった。この問いかけは尤もなもので、だからこそメリルはすらすらと嘘をつくことができた。
これはひとつの賭けだった。
勇者の下から去った仲間たちが、報告している可能性は捨て切れない。
即ち、勇者が記憶喪失になったと。
既に報告されていれば、メリルの嘘は意味のない物になる。
ただ、「己の意思」で勇者の元を去ることは「脱走」とみなされ、場合によっては死罪だ。
彼らがそのリスクを冒して報告に戻るとは思えなかった。勇者を見限った彼らが。
だからこそ、メリルは嘘をつくことにした。
誰も脱走なんてしていない。彼らは、「やむなく」離脱したのだと。
この嘘が露見すれば、勿論メリルもただでは済まない。
だがメリルには真実を告げる気などなかった。
勇者を見限った仲間たちを許せない気持ちはある。
けれどその気持ちも、理解できてしまうから。
「なるほど…しかし少数での討伐とは、無謀だったのではありませんかな」
「今となれば、申し開きようもございません。ですが、魔物の長の姿は確認できました。…カディスにあるあの城が脅威であることは確信しています」
「魔物の長まで辿りつきながらの敗退…勇者はどうされた?」
最も知りたかったであろうことを、メヌキア公はさりげない口調で尋ねた。最前、仲間の行方を尋ねた時と同様に。
「勇者は」
鉛を呑んだように、胸が重い。告げなければならない事実。嘘偽りのないそれを、言葉にするのが苦しい。
「今も魔物の城に」
違う、と脳裏で冷静に指摘する声がする。わかっている。これは逃避でしかない。フレイのように一途に信じるだけの純粋さも、無垢な心もない。
「城に?…それは、勇者が捕えられたということか?」
「…はい」
メリルの僅かな逡巡に、何かを感じたらしいメヌキア公は、黙って首肯した。
「それではメリル・ファガード。援軍の要請は勇者救出のため、と仰るか」
は、と見上げた先、鷹のように鋭い双眸とぶつかった。
試すような、疑うようなその視線の意味がわからないほど、メリルは愚かではない。
救出。
それが可能ならどんなにいいだろう。
そのつもりだと、真っ直ぐに頷けたらどんなにいいだろう。
メリルは深く呼吸をする。
視界の端に、怪訝な表情のフレイが映った。
『救出のために援軍を呼ぼうと帰還したはずなのに、どうして躊躇うの』
そんな、声なき声が聞こえる気がする。
「いいえ」
その視線を振り払うように、メリルは力強く言った。
「最優先は彼の地の脅威を取り除くこと。むろん勇者の救出が可能ならばそれに越したことはありませんが…カディスの脅威と私たちが目にしたことをお伝えし、魔物を討ち果たすことを…勇者も望むでしょう」
「…メリル…?それ…」
あたかも、勇者は既に存在しないというような。救出など無理と言わんばかりの、その言葉。
気付いて、フレイがメリルにぎりぎり届く声量で呟いた。
肩越しにフレイを顧みて、その表情にメリルは胸が痛む。
「何、いってるの…?」
理解できない、と言いながら、フレイの双眸には絶望の色がある。
聡い少年。
そのまっすぐな瞳を見ていられなくて、メリルはすぐに視線をそらす。
「なるほど。勇者が捕らえられたとなれば、それは確かに脅威といえよう。何を見たというのかね」
さあ、と促されて、メリルはほっと息を吐く。
「恐れながら申し上げます。彼の地に存在する魔物は私たちの常識を覆すものでした。長と思われる魔物は、外見はまるで人間と変わりなく、人語を話し、強力な魔法を操ります。あの城にはこれまで戦ったことのないような、膨大な数と種類の魔物が存在していました」
周囲がざわめいた。
だが、メリルが思っていた程の混乱や反発は見られない。それを不思議に思いながらも言を継ぐ。
「事前の情報通り、彼らは長の元に統率の取れた…軍隊のようなものを形成しているようです」
二度目に訪れた「城」の光景が思い浮かぶ。扉からあふれだす、魔物。列をなし、明らかに統率のとれた動きをしていた。
「それは…魔王ではないのか」
どこからともなく漏れた囁きに、ざわめきが漣のように広がっていく。
違うだろうとメリルは思う。確かに対峙した魔物は強大な力を持っていたし、すべてが初めて目にする光景だった。
だが、魔王と呼ぶには何かが違う気がする。
あの魔物はなんといっていただろう。藍色の髪をした、人のような姿の魔物。
『今は兵力が惜しい』
それはまるで、何かと戦うための準備のような。
人間と?それともそれ以外の何か?
ぞくり、とメリルの背に戦慄が走った。
氷山の一角―――
「メリル・ファガード」
不意に響いた声に、メリルは我に返る。
ずしりとした、重みのある声。さして大きな声ではなかったが、他を圧倒してその場に重く響いた。
誰もが息を呑み、口を閉ざす。
仰ぎ見る先には、玉座のロンギオンⅡ世。
「…はい」
居住まいをただし、メリルは頭を垂れる。
「よくぞ無事戻った。カディスからの道程、決して易くはなかっただろう。余はそなたらの働きに満足している。…勝敗の行方は時の女神の掌、そなたらの責だけではない」
ロンギオンⅡ世は、まずはそう労ったあと、言葉を継ぐ。
「実に興味深い報告であった。…これで、余も確信がもてたぞ」
僅かな間を置いて、低く呟かれた言葉。
確信、とは何の。
「…は」
思わずメリルは息を詰める。冷静さを取り繕おうとして、失敗した。
「魔法使い」
ロンギオン二世の呼びかけに、大臣たちの後方に控えていた魔法使いの一団が動く。
白い衣服に身を包んだ20人程の集団。目深に被ったフードのため、どの人物の顔もよくわからない。その中から、一人の魔法使いが静かに進み出た。
足元まで覆う長い衣に、指先まですっぽりと隠れる広い袖。両肩から垂らされた青い布は、王室お抱えの魔法使いの証だ。他の魔法使いと目立った違いはみられない。
痩せた体を低く屈め、深く腰を折る。体の前で組んだ両手を頭より高く掲げると、魔法使いの頭部は広い袖の向こうにすっかり隠れてしまった。
「この者は遠見の力を持つ。そうだな、キュステ」
問われて、キュステと呼ばれた魔法使いはゆるゆると頭を上げた。
それでも目深に被られたフードに遮られ、容貌は判然としない。僅かに覗く薄い唇が、うっすらと笑みのようなものを象った。
「…仰せの通りにございます」
落ち着いた、中性的な声。
「その目で見た事を再度申せ」
促されて、キュステは再び頭を下げると、恭しく語りだす。
「人とよく似た形の魔物が、龍を駆る姿が見えました。天空を幾つもの巨大な龍が飛翔し、その下には漆黒の城と不毛の土地。そこには数多の魔物が集い、血の饗宴を繰り広げております」
答える声には淀みがない。まるで今しがたその光景を見てきた、と言わんばかりのその口調。
メリルは息を呑む。
人に似た魔物と言った。それは先だっての戦いでメリルたちが直面した現実に他ならない。そして、たったいま報告したばかりの、事実。
「そしていまひとつは、巨大な岩山」
びくり、とメリルの肩が強張った。
「真紅の魔物、その足元に横たわるは白金の髪の若者――」
「っ!!」
「嘘だ!」
馬鹿なと叫びかけたメリルの背後で、フレイが絶叫する。
「違う!スノウは…違うっ」
幼い顔を今にも泣き出しそうに歪めて、フレイは首を振り続ける。
その取り乱した様子に、メリルははたと我に返った。
知らず呼吸を止めていたことに気付き、密かに深呼吸をする。
…冷静にならなければ。
ここに戻ったのは、打ちのめされて泣くためではないのだから。
「フレイ…落ち着いて。陛下の御前よ」
だから、フレイの肩にそっと手を置いて宥めようとした。
その手は、予想もしない激しさで弾かれる。
メリルをまっすぐ射抜いたフレイの目は、燃えるように激しい。
怒り。焦り。
飾ることのない一途なその感情が、メリルの胸を抉った。
「…申し訳ありません、陛下」
一呼吸置いて、大人びた口調でフレイが謝罪した。
「…いや、よい。そなたには、辛すぎたかもしれぬ」
ロンギオンⅡ世は言って、深く息をついた。
「余はこの遠見を7日前に聞いたのだ。俄かには信じがたい話だったが…こうしてそなたらの報告をきくとそうもいっておれぬようだ」
王の合図で、大臣が進み出る。
緊張した面持ちで手にした羊皮紙の巻物を解く。
「審議の結果、5代目勇者スノウ・シュネーは殉死と認定。その功を称え爵位と報奨金――」
「…お、お待ちください!」
咄嗟にメリルは口を挟む。
本来ならば、許されない行為だったがそれを気にする余裕はない。
確かに、スノウが生きている可能性は低い。だがその遺体も確たる証拠も確認しないうちに、こんなに早く「殉死」にされてしまうとは。
反面、それも仕方ない、と思う気持ちもある。だが、心が付いていかない。冷静な部分では確かに理解しているのに、心がうまく理解できないでいる。
内心の葛藤に躊躇いが生まれる。勢い込んで言ったものの、言い淀んだ。
「…まだそうと決まった訳では…」
「決まったも同然でしょう」
メリルのぎこちない訴えを遮ったのはメヌキア公だった。
「魔法使いの言葉もさることながら、勇者が捕えられたということが何よりの証ではありませんかな」
「…ですが、生きてます!」
力強く反論したのはフレイだった。メリルを押しのけるような勢いで叫ぶ。
メヌキア公の目が僅かに細められた。
「魔物の特性は、一番わかっておられるだろう。魔物は狂暴にして残忍、捕えられた勇者がいつまでも無事でいると?」
無事なはずはない。
これまで散々染みついてきた戦いの記憶が、冷静にメリルに宣告する。
「…生きてるにきまってる。スノウが…スノウが死ぬはずなんかないんだ!」
拳をぎゅっと握り、フレイは力強く言い切る。
魔物がどんなものか、フレイにわからないはずはなかった。それでも、自分に言い聞かせるように、支えにするように、フレイは言う。
「信じたい気持はわかる。だが…現実は受け止めねばならん。そなたは、本当は勇者の死の報告にきたのだろう」
憐れむようなメヌキア公の眼差しが、メリルを捕える。
ずきりと胸が痛んだ。
そうだ。
援軍なんて、口実。
仮に要望が通ったとしても、援軍を率いて再びあの城に戻る気など、メリルにはなかった。
あの城にあっては、半端な援軍など無意味。無駄な屍を増やすだけ。
救出は難しく、かといって自分ひとりで死ぬ訳にもいかない。
だからメリルは「救出のための援軍を」と言った。
ことの全てを誰かに委ね、フレイの身を安全なところに委ねよう、そう思った。
それでメリルの責務は終わる。ほんの一端ではあるけれど。
「嘘…だってメリルは…スノウを助けるために、援軍を」
「…勇者さまはきっともう、生きていない」
「メリルっ…!」
フレイが悲鳴に似た声を上げる。
「あの状況では…もう無理よ。わかってるでしょう」
罪悪感にきりきりと胸を締め付けられながら、メリルは言う。フレイはメリルから視線をそらし、大理石の床に視線を落とした。悔しげに歪んだ唇は小刻みに震え、顔色は青さを通り越して白い。
「…っうそつき」
苦しげに、フレイの唇から洩れる。
予期していた筈の非難に、メリルの胸に痛みが走った。わかっている。こんなものでは済まない。
フレイには、メリルを糾弾する権利がある。メリルはその全ての糾弾を受けなければならない。
わかってはいたが、ほんの少しの短い言葉だけでメリルの胸は押しつぶされそうだった。
フレイの顔がまともに見られず、視線を外して押し黙った。
重苦しい沈黙が両者の間に流れ、大臣は慌てたように文面を読み上げ始める。
報奨金の額。支給先。勇者の葬儀から埋葬に至るまでを滔々と読み上げ、最後に言った。
「――よって、これに新たな勇者を選任、6代目勇者としてクロス・エセルを任命するものとする」
つかの間、時間が止まる。
「な…」
声が出ない。
6代目の、勇者?
メリルは呆然と大臣を仰ぐ。役目を終えた大臣は、ちらりと憐れむようにメリルを一瞥し、羊皮紙を元通り巻き直してするすると下がっていった。
「勇者…?」
フレイがぽつりと呟く。
「そんな…」
意味もなく喚きたい衝動を、メリルはどうにか飲み下す。
報告に戻っただけのつもりだった。誰かに役目を押し付けて、後はどうなっても関係ない。
勇者の死の可能性は、いずれ次代の勇者の選出へと繋がるだろう。
だがそれは、メリルには関係のない話の筈だった。
次代の勇者の選出の時、メリルは既にいない、そのつもりだった。
スノウ以上の勇者など、考えられなかったから。
スノウはメリルにとって尊敬できる唯一の勇者。
だから。
責務を誰かに託して、そのまま単身とって返すつもりだった。
救出など愚か。犬死など愚か。けれど、愚かだと分かっても止められない。救出できないのなら、せめて殉死したいと。
なのに、これはどういうことだろう。
この場で次の勇者の名を聞く事になろうとは、思ってもいなかった。
勇者が戻らないと報告したこの場で、新たな勇者が用意されていようとは。
ぎこちなく視線を彷徨わせるメリルに、ロンギオンⅡ世が優しく告げる。
「案ずることはない。そなたに仇討ちの機会をやろう」
「仇…」
空回りする思考で、言葉を反芻した。状況をうまく処理できないでいる「勇者の仲間」たちの前で、事態は着々と進んでいく。
幾人かの兵士が動いた。は、と視線を転じると入口の扉がゆっくりと開くところだった。
その先には、見慣れない人影がある。
大臣や兵士たちとは違い、正装らしい正装もしていない。貧しさはないが、至って簡素な福をまとった青年。
自分たちと大差ないその装いに、メリルの中で予感がむくりと首をもたげた。
「勇者クロス・エセルとともに、カディスへと向かえ」
ロンギオンⅡ世が声高に告げる。
見慣れないその青年が、深々と腰を折った。