8.魔物の事情
※下方に挿絵つけています。
勇者は得てして、自信の塊だ。
人々が困難と思う事に、強い信念を持って挑む。それは強靭な精神力と揺るぎない自信を必要とする。
勇気あるもの、勇者。それは己に確固たる自信があるもの。
だから、この日この時ばかりは、スノウも「勇者」であった。
「大丈夫だって言ってたよね」
そう、心もち低めの声で尋ねるのは、机の上に鎮座した白猫、スノウだ。
「いや俺もそう思ってたんだけどな?おかしいな…」
その正面、椅子に腰掛けるエルは、困惑気味に応じている。
「危うく消し炭にされるとこだったんだけど」
スノウが尖った口調でなじるのは、先だっての一件である。エルに「大丈夫」の太鼓判を押され外出した先、とっとと他の魔物に見つかり危うく処分されかけ―――スイに助けられた。
「らしいな。昨日のことはスイから聞いてる…もしかして、怒ってるか、勇者」
「別に…」
らしくない強気な態度に、エルが首を傾げて問う。その面白がる様子のエルから視線をそらしつつ、スノウは言葉少なに応じる。
確かに、スノウは憤ってはいる。ただそれは、消し炭にされかけた事実に起因するものではない。それは致し方ない、と彼らしい諦めで決着はついている。
スノウが憤っているのはその後。不案内な城内で迷子になったことだ。
スイに助けられた後、スノウは探索を諦めもとの場所に戻ることにした。しかし、困った事に現在地がわからなかった。頼みの綱のスイは既に立ち去った後であったし、このまま闇雲にうろうろしてもまた違う魔物に見つからない保証はない。しかもこのリボンはどうやら当てにならない、ということはたった今身をもって知った。
出直す必要はあれど、出直そうにも迷子ではどうしようもなく。
城の外観からある程度の予想はついていたから、それを頼りに歩き回れぱそのうち着くだろう、と楽観視していた。ところが、一向に見覚えのある場所に行きつかない。
さすがに焦り始め、必死になり―散々駆けずり回った挙句、ようやく見覚えのある部屋に辿り着いたのである。今思い返しても、どこをどう走ったか記憶にない。気付けば、見覚えのある扉が目の前にあった。
スノウ自身奇跡に近い幸運だと思っていた。
だから勿論、自分の功績などではないのだが「自力」でたどり着いたという事実は、スノウに少なからず自信を与えた。
そしてその自信の力を借りて、現在スノウは強気に―――窮地に陥った憤りも含め、エルに直訴していた。
「魔力がいささか弱いようですよ」
スイが息を吐いて指摘する。
それにエルは軽く頷くと、そのままリボンを前に無言。なにやら真剣な表情で、思案しているものらしい。
魔法に疎いスノウにしてみれば、ちょっと強めに魔法をかけなおせばいいのでは?と思う。悩む理由などないような気もする。
「かけなおすしかないですね」
アイシャがスノウの思考を読んだように口にした。それに対し、エルは難しい表情のまま頷く。
「そう…だな。うん、かけなおすしかないな…」
ひどく面倒そうな、疲れた口調でエルが言う。どうやら難しい魔法のようだ。
その一瞬、アイシャがスイを一瞥した。
スイは少し控えめにアイシャを見返して、エルに視線を戻し、言った。
「エル様、まだ…戻りませんか」
エルは表情を変えることなく、再び頷く。
「まぁな。以前よりはマシになったが本調子ではないな」
言ってエルは顔を上げ、不意ににこりと笑った。
「そう不安そうな顔をするな。以前より少し時間がかかる、それだけのことだ」
「エル様…」
困惑気味にアイシャは口を開きかけ、言葉を探しあぐねているよう。
「仕方ない、今日一日は外して…また明日にはちゃんとしたやつつけてやるよ。」
先ほどの難しい表情が嘘のように、機嫌よくエルはスノウに言った。
「だから今日は…ああ、アイシャにでも遊んで貰え。」
俺も遊んでやりたいんだが忙しくてな、とエルは笑う。
いきなり話をふられたアイシャは、大きく目を剥いてエルに詰め寄った。
「ちょ、エル様っ!?何でオレがっ」
「いつものことだろう。問題が?」
確かに現在スノウの主な世話(食事など)はアイシャがしている。
エルは夜になってこっそりスノウを拉致しているだけだ。それはやめてほしい、というのがアイシャとスイの共通の見解だ。勿論、被害者であるスノウにとっても同じく。
「やってるのはエサやりだけです!こんなのは放っておけばいいでしょう!」
スノウを指差しアイシャが主張する。激しく詰め寄るアイシャを、エルは笑って取り合わない。
「いいだろう、確か今日は何もなかったな?」
「そうですけど…猫は嫌いなんですってば」
両者のやりとりを眺めていたスノウは、短く息を吐いて言う。
「…別にうろうろするつもりもないから」
昨日の一件で懲りたし、当分はいらない。リボンのない今は確かに絶好の逃走チャンスではあるけれど。
これまでアイシャに「遊んで」もらった記憶はないし、そうして欲しいとも思わない。それに元々「猫」ではないのだから、遊び相手など必要ないのだ。
どうもエルはこちらが「人間」であるという認識が薄い気がする…と、自身の猫生活の順応の速さを棚に上げてスノウは思う。
エルはスノウの言葉に一瞬視線をさまよわせ、「安全のために」と補足した。今考え付いたものらしい。
「いいよ別に…。大人しく寝とくし」
首を振って、エルの机から軽く飛び降りる。首元で鈴の音がしないことに違和感を覚えて、そんな自分に憮然とした。
自信に後押しされる形で、これまでの鬱憤も含め強気に出てみたものの、エルとアイシャのやりとりをみていたら気が萎んでしまった。よく考えれば、エルを詰るのもなんだかおかしい気がする。
つらつら考えているといきなり首根っこをつかまれた。
その気配にまったく気づかなかったスノウは、驚いて思わず猫めいた悲鳴を上げる。
「わかりましたよ…今回だけですからねっ」
ちょっと怒り気味にアイシャがエルに言う。その手はスノウの首をしっかりと掴んでいる。
「ああ、悪いがよろしく頼む」
少しも悪びれない態度で、にこにことエルが手を振った。
「っえ、いいってアイ…」
「うるせぇヘタレ。…おい、お前も来いよ」
言いかけたスノウをぴしゃりと遮って、扉を開けながらアイシャはスイに声をかける。
猫嫌いのスイに猫の相手?と思ったスノウだったが、意外にもスイは素直にアイシャの言葉に従った。
「…では、私たちはこれで」
スイが振り返りつつ、言う。
スノウの視線の先でエルは笑顔のまま頷いた。
その笑顔にどこか陰を感じて、スノウは首を捻る。きっと先ほどの意味ありげな3人のやりとりがその原因だろうと感じてはいたが、その理由については分からない。また、わかったところでスノウには関係のないことである。スノウが共感できる類ではないだろう。
何せ人間と魔物は違う生き物。何もかもが違う。抱える闇とて人の心で推し量れるものではないだろう。
アイシャにぶら下げられた状態で運ばれながら、そんなことを考えて、ふと気づく。
今エルの心を理解したいと思わなかっただろうか?
そう気づいて、スノウはぷるぷると首を振った。
何を甘いことを言っているのか。
スノウが元に戻るためには、エルの弱点を探らねばならないのだ。そのための分析ならまだしも、理解し共感し―――同情するなどとは許されない。
馴れ合ってどうする、と己の呑気さに眩暈すら感じられた。
「どこに行くかなあ」
だから、アイシャのそんな呟きなど軽く無視していた訳で。
ちなみにその呟きを仲間であるスイですら黙殺していたのだから、アイシャの言葉は完全に独り言になっていた。
「おい、何とか言え、ヘタレ猫」
当然ながらそのしわ寄せはスノウにくる。アイシャは問答無用でスノウの首をぎゅうぎゅう絞めながら、そんな勝手な発言をする。
「く、苦し…締まってる…」
手足をじたばたさせながら訴える。やっぱり魔物なんて理解できない。
「では後は任せました。」
そのやりとりを後ろから眺めていたスイは、前置きもなしに言うと、どこかへ歩み去ろうとする。
「あっこら、逃げんな、スイ」
「逃げるとは人聞きの悪い。任されたのは貴方でしょう」
「いいじゃねぇか。付き合えよ。お前だって暇だろ」
「暇ではありません。一緒にしないでください」
「暇だろうが。一日中外を眺めてぼーっとすんのは暇ってことだろ」
「…単に外を眺めている訳ではありません。あれは訓練のひとつで」
「何の訓練だよ。それなら剣でもちったぁ使えるようにすりゃいいんだ」
「ご挨拶ですね…貴方よりは使えます。」
「馬鹿言え、オレの方が上だ。お前のは剣じゃなくて魔法での反則技だろ」
「それを言うなら貴方だって、力技でのごり押しでしょう」
ぴりぴりした空気を放ちだした二人の間で、スノウは小さくなっていた。スイに気を取られて手の力は緩んだが…このままだと二人の間で黒焦げにされそうだ。
「あー…あのさ、二人とも…」
スノウは果敢にも仲裁に入ってみる。
「その…喧嘩は」
無駄に笑って―猫の姿なので笑うことはできないが、スノウは言ってみた。途端に二対の鋭い視線に射すくめられ、それ以上続けられない。
「まぁ確かに…こんな問答埒が開かないな。」
結果として仲裁には成功したようである。アイシャは軽く肩を竦めて、刺々しい空気を引っ込める。スイもまた、渋々ではあったが、アイシャにならって緊張を解いた。
「あまりここでうろうろしていると、誰とかち合うかわかんねぇし…とりあえず階層移動するか」
アイシャの言葉にスイは不承不承といった態で頷く。ここに長居したくないのはスイも同じであるらしい。
彼らが向かっているのは廊下の奥、闇に沈んだ一角である。
その場所にスノウは覚えがあった。
昨日、とりあえず廊下の突き当り目指して進んだのだ。薄暗く沈んだ一角に足を踏み入れると、一瞬視界を奪われて―――気づけば何やら明るい廊下に出ていた。特にコレと言って変化を感じなかったから、廊下の「先」にでたものと納得していたが、今思うと微妙におかしい。
この城の最高権力者であるところのエルと、昨日スノウを消し炭にしかけた二人が近くにいるなんてことあるだろうか。アイシャやスイより「下」にある二人ならばもう少し離れた場所―――それこそ違う階層にいてもおかしくないはずだ。
「下…あんまり下にいくと面倒だな。かといって外はまずいし…ああ、お前の部屋とか?」
「もう一度言ったら、その首跳ね飛ばしますよ」
さらりとなんでもないことのようにスイが言う。
「冗談だっつーの。まったく堅いヤツだな。」
アイシャも今度はいきり立つことなく、さらりと流した。
「まぁいいか、下でも。俺らの階層なら…確か他の連中は出払ってたよな」
「そうですね。不本意ですが、そこなら他の階層よりマシでしょう。メーベルもファザーンも…確か今日は不在のはずです」
スノウはちょっと首を傾げる。やはりエルと彼らの階層は別になっているようだ。
聞いたことのない名前と思しき単語に、改めて魔物の規模の大きさを思う。
「よかったーあいつらいると面倒くせぇからなー」
アイシャは渋面で首を振りつつ、暗闇に踏み込んだ。突如世界がぐにゃりとゆがみ、スノウはじたばたと暴れる。
「こら、動くなって。大丈夫だから」
その言葉どおり、アイシャの言葉が終わるか終わらないかの内に、元通りになる。ほんの、瞬きほどの出来事。
「さぁて、誰もいないな」
アイシャは一歩踏み出して辺りを見回す。
そこは暗闇などではなく、ごく普通の廊下があるだけだ。全く同じ、と思いかけてスノウは首をめぐらす。何の変哲も見受けられなかったが、どこか違和感がある。
「あれ…ここ違う?」
「そりゃそうだ。ここは俺たちの階層だからな。…ってことは何か、昨日お前気付いてなかったのか。」
鈍いヤツだな、とアイシャはからから笑う。
鈍いも何も、スノウにはいまいち仕組みが分かっていない。昨日も同じ体験をした記憶はあるが、出た場所が…なんと言うか違う気がするのだ。
「あの一角は転移の魔法陣が設置されています。望む場所に転移できるようになっていますが…力の弱いものが使うと飛ばされる場所が指定できない、という難点がありますね。」
スイの丁寧な解説に、スノウは納得する。
「ちなみに貴方が昨日転移したのは、ここより更に下の階層、魔族たちの領域です。」
スノウの脳裏に昨日の二人組みが浮かぶ。
蛇のような男と、皮膜の翼の―――恐らくは蝙蝠の類の女。こうして比べてみれば、姿かたちはともかくとしてアイシャやスイとは明らかに何かが「違う」とわかる。
それは恐らく彼らの強さに起因しているのだろう。
そうか、あれが魔族というものなのか。
これまで獣型の、スイ言うところの魔獣しかみたことのなかったスノウにとって興味深いものだった。一人納得して頷いていると、アイシャがおやといった顔をする。
「ん?何、お前わかんの?スイ、こいつに話してやったのか。」
「…必要に迫られたもので」
歯切れ悪くスイが応じる。
スノウは首を捻る。別に必要に迫られていたような記憶はなかったようなのだが。
「ふーん。お前なんだかんだで可愛がってんじゃん?」
アイシャは意地の悪い笑みを浮かべる。
「可愛がる?馬鹿なことを。猫など嫌いです。人間も。」
林檎酒色の双眸を鋭く眇めて、スイはアイシャを睨みつける。その声と視線にこめられた殺気にスノウは思わず身を竦ませる。
だがアイシャの方は慣れたもので、
「オレも嫌いー。だってあいつらときたら鳴くし引っ掻くし…人間もそんな感じだし。」
と、むしろにこにこ笑って答える。ネコと人間は同列なのか、とスノウはちょっと悲しくなる。まぁその人間代表である勇者がネコになっている現状で嘆くのも何やらおかしいが。
しばらく歩いたところで、アイシャはスノウを床に下ろした。
「この辺りなら日暮れまでは大丈夫だろ。あんまうろつくなよ、あちこちに魔法陣が敷かれてるからな。」
釘を刺しながら、アイシャはスノウの頭をぐりぐり撫でる。スイが呆れ顔で眺めているが、アイシャは気にしていないようだ。
「そんなに…たくさんあるの、それ」
アイシャは少し考える素振りを見せて、言う。
「だな。基本的に各部屋に一個はあるだろ…で、廊下に二つ…ああ、この階層だけなんだけどな。下に行けば行くほど増えてくぜ。何せ便利だからなぁ」
「それ間違って飛ばされたりするんでしょ。危ないことはないの?」
「場所によって制限があるのです。あと魔力によっても。だから下の階層の者がうっかりこの辺りに飛ばされるようなことはありません。」
スノウは「ふうん」と適当な相槌を打つ。何やらよくわからないが、うまく調節されているらしい。なるべく魔法陣とやらには近づかないようにしよう、とスノウは肝に銘じる。もうあんなことはごめんである。
「お前が魔力強くなればどこでも思うままだぜ」
キヒヒ、と笑ってアイシャが言う。
スノウの目がきらりと光った。
そうだ。あの転移の魔法陣とやらを使えば、魔法石も転移魔法を覚えることも必要ない。最悪、エルにこの「ネコ」を解いてもらえなくても、逃亡さえできればいつか解く方法だってみつかるだろう。
そう、魔力が強くなりさえすれば…
考えてスノウは落ち込む。そもそも魔力があればこんな所にいないのだから。
魔法の才がからきしということと魔力がないこととは直結しない。魔力を持っていても使い方を知らないだけの人間は数多く存在する。ただ、スノウの場合は魔法の才も魔力もなかっただけの話で。
「おー悩んでる、悩んでる」
スノウの苦悩は相手に筒抜けだったらしい。
スノウの前で、アイシャはにまにまと笑っている。
「魔法ひとつ使えぬ身で悩むだけ無駄です」
ずばりとスイが言えば、
「仲間と一緒に転移しそびれたんだってー?間抜けだなぁ」
痛いエピソードをアイシャが突いてきた。
「っあ、あれはっちょっとその…ぼんやりしてて」
図星なだけに反論のしようもなくてごにょごにょと返す。言えば言うほど墓穴を掘っている気がしないでもないが、反論しないでいるのも何やら悔しい。
「ぼんやりって、殺気ばりばりのエル様を前に?お前そりゃ勇者として問題アリだろ」
「見ようによっては大物ですね」
スイの発言は、勿論フォローではなく嘲笑である。
その証拠にスノウを見る目は冴え冴えとして、軽蔑すら感じられる。彼らからすれば―否、一般的見解からいって戦闘中にぼんやりすることは論外であるらしい。当然である。
だが別にスノウとてそうしようと思ってそうした訳ではない。スノウにも…鈍いなりに危機感はちゃんとある。ただあの時はそれすらもうまく作動していなかったように、スノウには思えた。
真紅の綺麗な紅玉。殺気立って煌いたエルの双眸が、ひどく脳にこびりついている。恐怖に竦んだというより、あの瞬間、スノウの中の何かが反応したのだ。
つらつら思い返していると、アイシャに小突かれた。
「おい、またぼけっとしやがって。変に呑気者だよなぁお前…まったくエル様といい…」
「…エル?」
アイシャがぽろりとこぼした言葉に、スノウは食いついた。まさに今考えていた人物である。
「あーいや…何でも…」
「エルも…呑気者なの?」
「なわけねぇだろ!!このオレ様の主だぞ!!ヘタレとは違うんだよっ」
「でもそう言ったよ」
「言ってねぇ!!あれだ…ええとっ、夢見がち!!」
乙女か。
アイシャのあんまりな発言に、思わず胸中でツッコミを入れる。己の主に対して似つかわしくないことこの上ない表現である。
スノウの脳内でエルは豪快なイメージであったから、アイシャの発言がどうにもエルとかみ合わない。
「つくづく馬鹿ですね。…ええ、まぁ確かに少しおっとりした所がおありでした、以前は」
スイはばっさりと切り捨てた後、丁寧に補足する。
自己嫌悪に陥ってか、肩を落として俯いているアイシャを一瞥して、スノウはスイに尋ねる。
「以前は?」
エルと「おっとり」がやはりしっくりこないがスイが言うならそうだったのだろう。
「ええ。生来そういう所がおありでしたから。最近は城主としての自覚もでてきたご様子で立派になられましたが。」
となるとあの豪快なエルは彼の努力の賜物ということか。
しかし、いくら考えても演技には見えない。無理をしている風にも。
「ほんと、一時はどーなることかと思ったよ。鍛錬には見向きもしねぇし、指揮は執りたがらねぇし仕舞いには部屋に籠って妙な研究しやがるし…」
「アイシャ、しやがる、とは何ですか。」
スノウの呼び捨てには反応しないスイだが、アイシャの無礼な言葉遣いは気になるようだ。自己嫌悪から復活したアイシャに突っかかる。
「うるせぇ。お前だって嘆いてたじゃねぇか。地下に籠って本ばっか漁ってって」
「それは…自覚をもっていただきたい、と再三申し上げはしましたが」
どうやら以前のエルは部下にとつてはちょっと困った趣味に走っていたらしい。これはもしかしてエルの弱点に繋がるのでは、とスノウは聞き耳を立てる。
「変な研究…」
「ああ、俺らは戦うのが本分だってのにエル様ときたら…戦うのは嫌だって研究とか言って籠っちまったんだ。おかげで三下の連中にまで馬鹿にされるわ、同胞連中に馬鹿にされるわで…もう歯痒くて歯痒くて」
余程鬱屈がたまっていたのだろう。アイシャはずらずらとこれまでの憤懣を並べ立てる。
「エル…兄弟いるの?」
「いるいる。つーか兄弟は多いほうなんじゃねぇの、上級貴族の中でも。なぁ?」
「そうですね。軽く20人はいますからね…まだ出てくるかもしれませんし」
「20人?」
どこの王族のハーレムだ。思わず目を丸くする。
「殆どがエル様には遠く及ばねぇ雑魚ばっかだけどな。力じゃかなわねぇ癖にいっぱしの口ばっか叩きやがる。」
アイシャの金色の瞳が熱を帯びてぎらつく。
「アイシャ、興奮しすぎです。殺気が出てますよ」
スイが冷静にたしなめた。
「お前だってむかつくだろ。そのあんぽんたんな奴らが、もうすぐこの城にやってくると思うと!!」
「それは勿論ですが…今腹を立ててもどうしようもないでしょう」
スイはどこまでも冷静である。
「お客なの?」
「客じゃねぇ!!あんなの、敵襲と一緒だ。まとめて噛み千切って、いっぺん残らず焼き払ったって十分な扱いだ!!」
「同感です。エル様のご兄弟はいわば最も身近な敵ですからね。隙あらばこの城を奪いにくる輩ばかりです」
どうやらエルの家庭環境は随分と殺伐としたものらしい。それとも魔物と言うのはえてしてこういう生き物なのだろうか。アイシャも言っていたように、「戦いが本分」なのならば。
「じゃあ、もしかしてエルやふたりが忙しいのって…」
「おや、気付きましたか。頭の回転はそれほど悪くないのですね、意外です。」
すらすらとスイが毒づく。スイに嫌われているのは自覚しているが、さすがにぐさりとくる。
「今度来るのはかなり煩い奴だからな。万一に備えて準備してんだ」
「あちこち微調整しているのですよ、罠をね…」
優美に含み笑いをして、スイが言った。その罠がどんなものか想像もつかないが、きっとスイならばえげつないものに違いない、とスノウは結論付ける。
「ま、気をつけとけよ、お前も…あ、そうか。そうなったらお前また外出禁止だな」
「そうですね。ネコ…それも白猫を飼ってるなんて知られたら、攻撃の材料を与えてしまいますし。」
「え」
「しかたねぇよ。出会い頭に消されたくねぇだろ?」
先日の記憶が蘇り、スノウはぷるぷると首を振る。
「あの方の気性は激しいですからね。説明なしに実力行使でしょう。」
「あいつの万分の一でも激しさがエル様にあればなってよく思ったなぁ」
「そうですか?確かにエル様には苛烈さが少ないようにも思えますが…あの方を見習っては欲しくありませんね」
「あ、それは同感。見習って欲しくねぇ。あいつ思い込み激しいしねちっこいし。」
随分と嫌われている人物のようだ。しかも彼らがそれなりに一目置いて備えているということは、相当な実力者なのだろう。
「なんか…怖い人なんだ?」
呟くと二人揃って頷いた。気性の激しい、思い込みの強いねちっこい相手。
厄介な人物なのだろう。アイシャもスイも大変だ…いや、この場合はエルが最も大変なのだろう。自分のことを完全に棚に上げて、そんなことを考えたスノウに、
「だからお前も気をつけろよ」
「(エル様の不利にならないよう)気をつけてくださいね。」
二人はそれぞれしっかりと釘を刺してきた。
「…う、うん。」
おされ気味にスノウは頷く。
あったことのない「あの方」とやらも怖かったが、それよりも無表情なスイの方がスノウは怖かった。大人しくしていよう、とスノウは肝に銘じる。
きっと、顔をあわせるようなことはないだろうけれど。その間大人しくしていればいい。
スノウは思いもしなかった―――これが事件の発端となろうとは。




