ジンチクムガイ
いつ、誰が、どのようにしてコレを作り上げたのかははっきりとは分かっていない――というか現状の人類では解明のしようもないと既に匙を投げているらしい――ものの、コレができた目的だけは明確に判明している。
丁度20年前の今日、4月5日に世界中のあらゆる場所で無数の人々が同時に聞いた謎の声に曰く、コレは停滞し始めた今の地球に変化と前進をもたらすために作られたのだそうだ。
コレの呼称の候補は色々あったそうだが【Dungeon】に世界で統一された。漢字表記は【迷宮】だ。
あの日、世界各地に同時に現れた迷宮の中の一つ、霞ヶ浦の中心に突如出現したその迷宮を取り囲むようにして建っているのが僕の進学先である国立霞ヶ浦迷宮高等専門学校だ。
※※※
僕が1年F組の教室に着くとそこはもう既にそこそこ荒れていた。
いくつかの机と椅子と鞄が散乱し、何人かが倒れ伏し、何人かが傷だらけで膝をついてゼイゼイ言っている。
まあでもこの学校、特にE組以降のクラスでは日常茶飯事だろうから気にする必要はない。多分。
「おい! テメェ!」
諸々を無視して割り振られた席に着こうとしたら、散乱した机と椅子たちの中心辺りに立っていた金髪が不必要に大きな声で呼び掛けてきた。うるさい。
こういう手合いとは絡んでも良いことなど全くない。故にここは無視一択だ。
「おい! 聞いてんのか!」
金髪がこちらに向かって手を伸ばしてくる。恐らく胸ぐらでも掴もうとしているのだろう。僕は何もしてないというのに。ただ無視して自分の席に着こうとしただけだ。
何か気に入らない事でもあったんだろう。僕には分かんないけど。
「無視してんじゃノゴハッ!」
こういう輩は獣と同じだ。何人か集まるとすぐに噛みつきあって誰が上か決めたがるのだ。大方この教室の状況を見るにこの金髪が1年F組という群れのボスに決まったんだろう。ボスたる自分を無視した僕の振る舞いが気に入らなかったのかもしれない。
そんなことを考えている間に、身体は半ば自動的に動いてフック軌道の肘を金髪の顎に叩き込んでいた。金髪は昏倒したのでもう群れのボスは廃業かもしれないな。こういうのは印象が大事だから。
まあ金髪のほうから先に手を出してきたんだから文句を言われる筋合いは無い。先制攻撃と初撃は大事だが大義名分がなければ自分から手を出してはいけない場面というのがある。
「ねぇ、僕の机と椅子が倒れてるんだけど?」
誰がやったのかと問いかけるように教室の隅で小さくなっていたクラスメイト達に視線を送る。
視線を受けたクラスメイト達はマナーモードのスマホみたいに震えながら、さっきの金髪を含めて倒れたり膝をついたりしてる奴らを指差した。
何でそんなに震えているのかは分かんないけど、まあともかくこいつらがやったってことなんだろう。
倒れた机と椅子を直させようと思ったんだけど、頭にくることにこの様子じゃあどうも厳しそうだ。仕方ないので指差されてる奴らに一発ずつ蹴りを入れて溜飲を下げておく。頭じゃなくて胴体にしてやってる僕の温情に感謝しろよ。
お前らがどう過ごそうと僕の知ったことじゃないけど無関係の他人に迷惑をかけないようにやってくれ。なんで僕が倒したわけでもない机と椅子を直さないといけないんだよ。
僕達推薦入学組はせっかく入学式なんていう面倒な行事がないんだからさっさとガイダンスを終わらせたいんだよこっちは。わざわざ面倒な作業を増やすな。
まあ、いい。所詮は短い付き合いだ。明日になれば何人か減ってるだろうし、夏休みに入る頃には3分の1は減ってるだろ。何せ推薦入学組の卒業率は驚きの10%なんだから。
そう考えるとこいつらのことも寛大な心を持って接することが出来る気が……しないな。短い付き合いだからこそ、その僅かな時間の間に迷惑をかけてくんなよ。
再び湧いてきた苛立ちを押さえながら席に座って待っていると、しばらくして漸く教師が教室に入ってきた。
若い。他人の年を推測するのは得意ではないけど見た感じまだ大学を卒業したばかりに見える若い女性だ。
しかし見た目に反して目に全く若さがない。何度も死線をくぐり抜けてきたベテランの戦士のような目をしている。
いや、きっと"ような"ではなく実際に何度も死線をくぐり抜けてきたベテランなんだろう。推薦入学組の担任を任されるということはこの人も推薦入学組の出身ということなのだから。
女性の身でありながら推薦入学組で卒業したとなれば相当な実力者だろう。
迷宮に潜っていれば直に男女の差などなくなるとはいえ、初期段階ではどうしたって体力の差はありスタートに違いがでるのは避けられない。そしてスタートダッシュの差は無視できるようなものではない。
つまりこの女教師はその差を乗り越えた確かな能力を持っていると証明されているのである。
ただまあ、出るところはしっかり出て締まるところの締まった女性的に理想のプロポーションと平均を大きく上回るキリッと整った美人顔だが、その目と雰囲気じゃあ男は寄り付かないだろうな。
女教師は教壇に立ち、手に持っていた物を無造作に教卓の上に投げ捨てるように置いた。そしてさら~っと教室を見回した後僅かに目を見開き、もう一度ゆっくりと教室を見回して僕と目が合った瞬間ニヤリと笑った。
なんだコイツ。ごく普通かつ人畜無害な僕のこと見たって面白いことなんか何も無いでしょ。
ああ、周りに転がってる机と椅子とクラスメイトを見て笑ったのかな。意図してやったわけでもないけど蹴り転がした結果ちょっとアーティスティックな仕上がりになってるから。それなら納得だ。