後編
「一昨日ですか。一昨日はわたくし王宮におりました。陛下もご存知です。
そもそも、学院にはほとんど行っておりません。公務と領地経営があるからです。そのことを知っていたら、安易に一昨日などと仰らなかったかもしれませんね」
やっと具体的な日時を出した、と内心喜ぶ。具体的な話をしてくれなければ裁くに裁けないのがもどかしいところだ。
男爵令嬢が王女が学院に行っていないことを知らず、助かった。
「虚偽の証言について、王族に対する侮辱と取ります。王族に対する侮辱罪は禁固20年です。連れていってください」
騎士たちに指示を出す。いや、ちがう、私は!などと叫びながら遠ざかる彼女から視線を外し、侯爵子息に向き直る。
「さて。彼女は王女から嫌がらせを受けたなどと虚偽の証言をしたことで禁固刑となります。出所を待ちたいのであればご自由に」
「そんな……でも彼女は実際にボロボロの姿で現れたりしていたのに」
「では、実際に誰かからいじめを受けていたのかもしれませんね。わたくしではありませんが」
「彼女は君にされたと言っていた! 」
「先程騎士たちも知らないと言っていたでしょう。貴方は、陛下の忠実な僕たる騎士が嘘をついたとでも? 不敬ととらえられますよ」
王女がそう言うと、侯爵子息は押し黙った。まぁ、いじめを受けているように見せるための自演だったと思うが、それは言わなくてもいいことだ。
「さて。婚約破棄については先に述べた通りです。そして、それに伴って、貴方の誤解をといておこうと思います」
「誤解?」
「えぇ。誤解です。まず、この婚約は確かにわたくしが望んだものですが、理由は貴方を愛していたからではありません」
すっぱり言い切る。
大体、どうしても同伴でなければならない集まり以外では会うことすら稀だったというのに、どうしてそのような考えを持てたのか疑問だ。
「僕を愛していない? 負け惜しみはやめてほしい。だったらどうして君が僕の婚約者になるんだい」
「貴方がなにもご存知ないことは先程の会話で把握しております。ここからは侯爵にも参加していただきましょう。よろしいですね?」
「はい、殿下。何でもお話いたします」
それはもう嬉しそうに侯爵が言う。少しは隠してほしい。ため息を我慢するのも、もう限界だった。
「まず、侯爵領はかなり前から領民が貧困に喘ぐいでいました。侯爵はご自身の領地経営に問題があると思い、爵位を返上し、領地経営を王室に委ねようとしたのです。
間違いありませんね? 」
「えぇ。息子にその話をしたことはございませんが、私たちは絶望的に領地経営に向いておりません。
民を苦しめるのであれば王家にお返しすべきと思い、陛下に奏上いたしました」
「父上、なにを勝手な! 」
「当主は私だからな。勝手も何もない。私は経営に向いていないし、お前はそもそも頭が悪い。これでは民を苦しめるだけだろう」
「なっ……! 」
羞恥と怒りで顔を真っ赤にしているが、想像もしなかった話に言葉が出ないようだ。
「親子喧嘩ならあとにしてくださいね。その話を聞いたわたくしは勿体ないと思ったのです。 確かに領地経営に適性はないようですが、侯爵家は代々よく仕えてくれた家系です。
そういうことであれば、わたくしが嫁いで領地経営を担えば良いと思い、婚約を打診いたしました」
「私は早く爵位を手離して学者になりたかったのだがねぇ。殿下がどうしてもと言うものだから」
「早く手離したいからと今回のことを黙認したことに関しては、申し上げたいことが山程ありますので、後程聞いていただきますからね。事と次第によっては、学者になる夢も潰えるところですよ」
「いえいえ、聡明な殿下であればそのような事態にはなさらないでしょう」
侯爵がニヤリと笑う。王女はまたため息をぐっと堪えた。
「……まぁ良いです。そう言うわけで、貴方と婚約することになったのです。
つまり、貴方が婚約破棄をするということは、侯爵が爵位と領地を返上するということです。わたくしという枷がなくなりますからね」
「嘘だ! 婚約をしたのは10年前だぞ!? 7歳の少女に領地経営などできるはずがないじゃないか! 」
「そう仰られましても、8年前からは領地経営はほぼわたくしが行っておりますので。最初の2年は侯爵の補佐として学びながらでしたが」
「嘘だ! 僕を騙そうったってそうはいかないからな! 」
当初の紳士的な振る舞いはどこへやら、顔を真っ赤にして喚く侯爵子息に、侯爵が静かに言う。
「学院の中とはいえ、王女の婚約者が不貞を働いて赦されると思ったのか? 私が気づかないとでも?
殿下を不幸にしてしまうのではないかと何とかして婚約解消させようと思っていたが、予想以上の愚かな行いでお前が侯爵に相応しくないことを披露してくれた。
領民もお前のような愚かな領主よりも、日頃から視察に訪れ良くしてくれる王女殿下の方が良いだろうよ」
「僕は不貞など」
「これ以上話すな。さすがに私も息子がここまで愚かだと泣きたくなってくる。
婚約者がいるにも関わらず、パーティーに他の女性をベッタリ張り付かせた状態で登場する。これだけで立派な不貞行為だ」
悪いのは王女だから、自分に正義はあるからと同伴したのだろう。浅はかにも程がある。
王女に非があったとしても自身が女性を侍らせて良い理由にはならないというのに。
「そういう訳で、婚約破棄の手続きが完了次第、爵位と領地返上のお願いをしに伺います。この度は我が息子が大変失礼いたしました」
「良いのです。わたくしも情報収集を怠ったことに責任を感じております」
情報は命だ。知っていたら止められたかは別として、知らなかったこと、それ自体が罪になる。
そこで、静かに事態を見守っていた侯爵夫人が口を開いた。
「殿下、私から一つよろしいでしょうか」
「えぇ、侯爵夫人。何でしょう」
「此度の件、息子の処断はどのようになりますでしょうか」
愚かとは言え一人息子の行く末が気になるのだろう。王女は少し考えてから口を開いた。
「婚約破棄が成り、爵位を返上されたら彼は平民となります。処断については陛下が決めることですのでわたくしから申し上げられることはあまりありませんが、恐らく平民となること自体が彼の罰となるのではないかと。
わたくしからも申し上げておきます」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
「……ま、待ってくれ! 僕は男爵令嬢に騙されただけなんだ! 婚約破棄はなかったことに」
「黙れ! 騙されるようなお前の有り様が問題なのだ! これ以上恥の上塗りをするつもりか! これ以上なにか言うようであれば、親子の縁を切る! 」
侯爵が息子の発言に激昂した。まさか愛したはずの令嬢を悪者にして婚約破棄をなかったことにしようなどと言うとは思わなかったのだ。
「父上……」
「お前のような愚か者が息子で恥ずかしいわ! 殿下、私からは厳しい処断をお願い申し上げます。この愚か者はまだ自身の行為を理解していないようですので」
「……そうですね。パーティーの場で、皆様の前で高々と宣言した婚約破棄を撤回できると思っていたことにはわたくしも頭が痛くなる思いですが、いずれにせよ、全ては陛下がお決めになることです」
やっと自身の行動の結果について理解できてきたのか、項垂れる侯爵子息を見つめながら王女は言う。だが、彼と結婚せずに済んだことは僥幸に思えてきていたところだ。
平民になれば、知識も常識も怪しい彼が生きていくのは大変な苦労が強いられるだろう。罰はそれで充分な気がした。
「それに、これ以上パーティーの邪魔をしてはいけないと思います。皆様楽しみにいらしたんですもの」
「そうですね。では、我々は失礼させていただきます。」
侯爵が放心する息子を引きずって会場から出ていくと、事態を見守っていた貴族がそろりそろりと会話を始めた。
一呼吸おいてから、王女が声を張り上げる。
「お集まりの皆様。皆様の楽しい時間の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした。ここからは存分にパーティーを楽しんでくださいませ」
王女の声に、思い思いに散らばり始める。止まっていた楽団の演奏も再開した。
王女は、まずは友人たちを問い詰めなければ。まぁ、「彼は殿下に相応しくないと思いましたので」と笑って話すに違いないが。と思いながらその場から歩き出した。
その後、国内の有力貴族や、婚約破棄を聞き付けた隣国から婚約の打診が殺到し、時を同じくして第一王女の婚約者だと騒ぎ立てる平民が現れるのだが、それはまた別の話。
因みに、婚約破棄の知らせを受けた国王は大変喜んで、「たまにはバカも役に立つ」と言ったとか言わなかったとか。