おおきな家族
私はふと手を止めて、書類に刻まれた日付けを見た。――あの婚約破棄騒動から、早くも1年が経つ。
父の後を継いだばかりで名ばかり当主だったあの頃より、少しは当主らしくなれただろうか。そんなことを思いながら、領民から寄せられた陳情書や、必要な書類に目を通す。
こんこん、と執務室の扉をノックされる音が聞こえて、「どうぞ」と声をかける。
部屋に入ってきたリーベスは、以前のような従者服ではなく、正装を身に纏っている。
「リーベス、お帰りなさい。早かったのね。お出迎えが出来なくてごめんなさい」
「いえ、俺が早く帰って来たかっただけですので。馬車はまだ、あと1週間は到着しないでしょう」
「まあ、もしかして……」
「はい。馬車の到着が待ちきれなかったので俺だけ先に戻ってきました」
馬車よりも早い移動手段――それはきっと、彼が本来の姿で駆けてきたことを意味している。獣人の身体能力はとても高く、隣国までの道のりも、あっという間だ。
今回は訳あって、リーベスは彼の生まれ故郷である獣人の国へと旅立っていた。ひと月ほどかかるはずの全行程だが、とんぼ返りしてきたらしい。
「メーラ様。こちらへ」
ほのかに微笑むリーベスに微笑まれ、私は席を立って彼の元へと向かう。
リーベスのそばへと歩み寄ったところで、伸びて来た長い腕に掴まり、そのまま強く抱きしめられた。ぎゅうぎゅうと力を込めるものだから、背中が軋みそうだ。
「……メーラ様のにおいだ……落ち着く……」
「え、やだ、ちょっと、嗅ぐのはダメよ」
私の首元に顔を埋めるリーベスがそんなことを呟くものだから、恥ずかしくなってしまう。彼の前髪が首筋に触れて、くすぐったい。
「ようやく、触れられる。名実ともに、貴女を俺の番にできる」
「……うまくいったのね」
「ええ、アルデュイノさんとウーヴァさんと共に、これを」
少しだけ体を離したリーベスは、胸元から何やら書状を取り出した。
そこに刻まれているのは、獣人の国との正式な通商許可と、それから、リーベスの身分を認める文言。
――みんなで協力することに決めてから、私たちはそれぞれの役割に邁進した。
モモコはゼンセの色々な便利な道具や、流行りの食べ物をイラスト付きで私に教えてくれた。
それを元に作った魔道具を、商会を新たに立ち上げたウーヴァが流通させる。
彼が手始めに手がけたパフェ専門のカフェテリアは貴族の間でも平民の間でも人気が出て、ベラルディ伯爵家の名はあっという間に世間に広まることとなった。
これまで細々と、日用品を開発していた頃と比べて、それはもう爆発的に。
私たちに協力することに最初は難色を示していたメローネ伯母さまも、お茶会などでカフェの新作メニューや新しい魔道具について尋ねられることが増えた事が嬉しかったらしく、最近では率先して手伝ってくれている。
少しずつ、彼女とも歩み寄れている。私も、モモコも。
そうして資金を得た私たちは、最終目標へ向かって動き出した。
リーベスの故郷、獣人の国は、今はほとんどこの国と貿易はしていない。だからそこに目をつけ、彼らでも扱えるような魔道具を作り、売る。
獣人であるリーベスと、魔力のないウーヴァ。彼らが易々と便利な道具を扱う姿は、獣人の国でも興味を引き、少しずつ販路を拡大していった。
そして今回、かの国直々の通商許可と、リーベスの爵位を賜ることになったのだ。
一代限りの男爵ではあるが、貴族の仲間入りをしたことは間違いない。そしてそれは、私たちの最後のハードルを乗り越えたことになるのだ。
「メーラ。愛している。ずっと一緒にいてくれ」
「ふふ、もちろんよ」
リーベスはまた、私の首元に顔を埋める。そのまますりすりと甘えるように頭を擦り付けるものだから、可愛らしくて笑ってしまう。
大きなわんこが、甘えているようで。
彼のふわふわの黒髪を撫でると、少しだけぴくりと反応して、少しだけ動きが止まる。
「リーベス?」と名前を呼びかけると、温かい吐息を感じた後、首元にちくりとした痛みを感じた。
「えっ、あの、リーベス?」
「メーラ……」
顔を上げたリーベスの赤い瞳は、とろりととろけている。酒に酔っているような、熱に浮かされているようなどこかふわふわとした表情を浮かべている。
私の背中に回った彼の手が、しゅるりとリボンを解く。強い力で抱きしめられたままで、私は身動きが取れない。
「リーベス、どうしたの。ほら、しっかりして」
「これまで我慢した。もうメーラは俺のものだ。俺の……」
「きゃあ!」
どう考えても正気じゃないリーベスの腕をペシペシと叩いていると、急に抱き上げられる。抵抗なんて出来るはずもなく横抱きにされた私は、どさりとベッドの上に下ろされた。
「メーラ、愛している。メーラ……」
ギラギラと燃えるように赤いリーベスの瞳の後ろには窓の景色が見える。
間もなく夕暮れ。そして、今夜は――
よそ見をしていたところ、唇に触れたのはリーベスのそれだった。意識を目の前の彼に戻した私は、そっと腕を伸ばして、彼を抱きしめる。
「うん。これからはずっと一緒ね。リーベスが旦那さまで、伯母様と爺やがいて。モモコとウーヴァは、私たちの義理の弟妹になるの」
「……ああ」
ふわふわと黒髪を撫でている内に、だんだんともふもふが増してゆく。
今夜は満月。
彼が急いで帰って来たのも、きっとこのせいだ。まだしっかりとはコントロールが出来ていないため、満月の夜だけは、狼に戻るのだ。
熱に浮かされたようにしていたのは、変化の前触れだったのだろう。
「おやすみなさい。旦那さま」
「わふ……」
その毛並みを撫でているうちに、リーベスの呼吸は規則正しくなってゆく。寝食も忘れて、昼夜問わずに走り続けてきたのだろう。早く、吉報を伝えるために。
リーベスの体から力が完全に抜ける前に、私はそこから抜け出す。しっかりと瞳を閉じて、リーベスは眠ってしまっている。
「おやすみ、リーベス。よい夢を」
もふもふとした頭を撫でて、ベッドから離れる。私もこの吉報を伝えなければ。他でもない、大切な義妹に。
「モモコ。ウーヴァはやり遂げたわ。たった1年で。貴女もそろそろ、結論を出さなくてはね」
モモコの部屋で彼女にそう伝えると、それこそ桃のように淡く頬を色づかせる。
この1年、ウーヴァの猛攻はすごいものだった。オシが、モエが、と言っていたモモコも、そろそろネングノオサメドキというやつなのだろう。モモコがぼそぼそと呟いていただけだから、正確な意味は分からないけれど。
「けっ、結論はずっと前に出てるんです、出てるんですけどぉぉぉウーヴァさんの前だときっ、緊張するんです!」
「あなたたちも夫婦になるのだから、いい加減慣れないと」
「うわーーん、お義姉様の方がいつの間にか恋愛上級者になってるぅぅぅ」
こうして騒がしいモモコも、1週間後にウーヴァが訪ねてきたら、また顔を真っ赤にしてしおらしくなるのだろう。ウーヴァはこの機会を逃すはずがない。確実にモモコにしっかりと求婚するだろう。
そしてモモコも、恥じらいながら頷くのだ。
その様子は容易に想像がつく。
1年前とはまるで違う、家族の新しい形。
これからもますます楽しみだ。みんなで支え合って、また家族が増えて、そうしたら、どんなに素敵なことだろう。
私は顔を真っ赤にして嘆いている義妹の……モモコの頭を撫でながら、とても大きな幸福感に包まれていた。
これにて完結です。
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