らのべって何かしら
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「「え……?」」
目の前に広がる突然の光景に、私を含め、この場にいた者たちは皆固まってしまった。
これまで彼女の口から謝罪めいた言葉を聞いたことがないというのも勿論だが、自ら地べたにひれ伏すなんてことが現実として受け止められないのだ。
――なんだろう、この体勢は。
極限まで頭を下げているということ……なのかな。
これまで見た事のないポーズで、拝むように頭を下げるペスカを、私は不思議な気持ちで見下ろす。
「ペ、ペスカ! 何をしているの! 淑女がはしたないわ!」
唯一、早急に復旧したメローネ伯母様がペスカに駆け寄り、彼女を立ち上がらせようと手を引く。
私もリーベスや爺やの顔色を窺ったが、皆どうしたらいいのか分からないようで、困惑の表情を浮かべている。
「……はしたないのは、お母さまとわたしです! 人の婚約者を奪るなんて……それに、記憶によれば、わたしたちはこれまでにもお義姉様の優しさに甘えてやりたい放題だったではありませんか! ……朝起きた時は美少女転生に浮かれてたのに、思い出す事が嫌な感じばっかりで、こっちも正直引いてんですよ!」
「ペスカ……?」
上体だけを起こした体勢でメローネ伯母様を見据えたペスカは、語尾荒く言葉を紡いでいく。
『てんせい』や『ひいてる』とはどういう意味なのだろう。
完全にいつものペスカとは違う様子に驚いていると、彼女は床に座ったまま私を見上げた。
「お義姉さま。今更だとは思いますが、これまでにわたしが奪っ……いただいた装飾品やドレスは全てお返しします。それに、ウーヴァ様の事だって……」
「あ、待って、ペスカ。ウーヴァの件は気にしないでいいわ」
言い募るペスカに、私は慌てて返事をする。
急いだせいで、食い気味になってしまった。
「えっ、でも、彼はずっとお義姉さまの婚約者で……」
「昨日の手続きで正式に婚約は解消されたし、今は貴女が彼の正式な婚約者よ。もう取り消せないわ。同じ人ともう一度婚約するなんて、あり得ないもの」
「そんな……!」
そう告げると、先程まで威勢の良かったペスカは、分かりやすく青褪める。
「終わった……第二の人生がお世話になってる人の婚約者寝取りスタートとか詰んでる……いやなんなのこの感じ……転生ってもっとこうキャッキャウフフなチート展開じゃないの……?」
がっくりと項垂れた彼女は、呪文のような言葉を床に向かってぶつぶつと呟いている。
「ねぇリーベス、ねとり、って何?」
「……お忘れください。お嬢様は知らなくてもいい言葉ですので」
「爺や?」
「おや、私は最近耳が遠くて」
どうやら誰も教えてくれない気らしい。
現に、私と目が合った使用人たちは分かりやすく目を逸らして、口笛を吹いたりしている者もいる。下手だけど。
それにしても、と思う。
ペスカの様子がおかし過ぎる。
この子とこんな風に会話を交わした事があっただろうか。まあ、今もまともとは言えないけれど、きちんと受け答えをしている事が珍しい。
この家に招いた時には既に私に対して敵意を剥き出しにしていたのに、目の前にいる少女は、いたって素直だ。
ちらりとメローネ伯母様に視線を送ると、彼女は彼女で娘の豹変ぶりに驚きを隠せないようで、目を白黒としていた。というか、ほぼ白目だ。
「ペスカ」
私が彼女の名を呼ぶと、泣き出しそうな瞳が私を見上げる。その姿は、小動物のように可愛らしい。
「どうしたの? 貴女、昨日までと随分様子が違うけれど。何かあったの?」
制止するリーベスに目で合図を送り、私は一歩前に出る。
このペスカからは危険性が感じられないのだ。それはリーベスも同じだったらしく、黙って私を見守ってくれている。
私の問いかけに桃色の瞳がふるりと揺れたかと思うと、急に立ち上がった彼女は、私に突進して抱きついてきた。
「うわぁぁん、お義姉さまぁぁぁ! こんなやらかしちゃってるわたしの心配までしてくれるなんて天使過ぎますぅぅ!!」
「ちょ、ペ、ペスカ?」
「その日は季節限定の安納芋のパフェが食べたくて急いでたんです、そしたら猛スピードのトラックが交差点に突っ込んできてぇ、そのあと目覚めたら、ここに居たんですよぉぉ!! パフェ食べながら読もうと思って買ったラノベも手元にないし、記憶を辿ったら、悪い思い出ばっかでぇえっ。ずっと発売日を待ってたのに、どうせなら、読んでからが良かったあぁー!」
思いの丈を吐き出しながら泣き叫ぶペスカらしき少女の言葉は、訳の分からない話ばかりだ。
だけどこうしてぎゅうと抱きつかれていると、何故だか頼りにされている気がして、心がじんわりと温かくなってくる。
「ぱふぇ、とか、らのべ、とかはよく分からないけれど……貴女も大変だったのね?」
私の胸元でえぐえぐと泣いているペスカっぽい少女の頭を撫でながらそう言うと、彼女は瞳にいっぱい涙を溜めたまま私を見上げた。
「ううっ、優しいお義姉さまに、ペスカはこれまで何て事を……っ。ラノベだったら寝取り系妹なんてざまあされて然るべきなんですよ! 本当に謝っても謝りきれません……!」
「貴女は、ペスカではないのね?」
明らかにこれまでのペスカとは違う人格だ。
気付けば私は、彼女に自然とそう問いかけていた。
「……ペスカでもあるんですが……わたし、前世は、桃子と呼ばれていました」
「そう……貴女はモモコというのね。リーベス、モモコを落ち着かせたいわ。温かい飲み物と……何かお菓子を用意してくれる?」
ペスカとモモコ。どういう仕組みなのか全く分からないけれど、そういう事らしい。
これまでのことを覚えているということは、彼女の中にはペスカとしての記憶もきちんとあるようだ。
それに加えて、私の知らない単語を連発するモモコという存在も、彼女の中に確かに在るのだ。
とりあえず彼女を落ち着かせるのが先決だと思った私は、隣で固まっているリーベスにそう声をかけた。
「分かりました。すぐにご用意します。メローネ様も別邸に戻って頂きますね」
その言葉に私が頷くと、それを合図にリーベスや使用人たちは、各々が俊敏な動きをして去っていく。
機能停止していたメローネ伯母様は、爺やの指示のもと、屈強なメイドによって回収されていった。
私はペスカ――モモコの背中をぽんぽんとさすりながら、彼女の口から紡がれる知らない世界の話に耳を傾けたのだった。
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義妹の様子がおかしくなりました(回収)