お伽話のような
私が急に部屋に入って来たことに驚いたのか、寝そべった状態から頭を起こした彼の両耳はピンと空を向いている。
どうやら眠っていたらしい。
物問いたげに首を傾げる仕草は、とにかくもふもふで可愛らしい。
「リーベス、ちょっと試したい事があるの」
歩みを進める私は、あっという間に彼の元へと辿り着いた。
そしてしゃがんで姿勢を落とすと、まずは顎下のもふっとした場所を撫でる。
「ふわふわ……」
くすぐったそうにしながらも拒否しないという事は、リーベスにとっても気持ちがいいのだろう。
こっそりメイドに仕入れてもらった『犬の育て方』の本を熟読した甲斐があった。
そのまま両手で耳の後ろをわしゃわしゃとすると、ピンと立っていた耳は垂れ下がり、リーベスはうっとりと瞳を閉じてしまった。
(――よし、試すなら今ね)
両手でわんちゃんの耳の後ろを撫でながら、私はそっとその額に唇を落とした。
昔寝る前にお父さまがやってくれていた、おやすみのキスだ。
「!!! わふっ⁉︎」
「きゃっ!」
額にキスをした途端にリーベスが飛び起きるものだから、体勢を崩した私はそのまま彼に倒れ込んでしまった。
驚いて目を閉じて衝撃に備えると、もふっとした毛皮に包み込まれた。そしてその拍子に、何かが私の唇を掠めたような気がした。
「……メーラ様」
目を閉じていると、頭上から降ってきたのはいつものリーベスの声だった。
そういえば、先程まで感じていたもふもふの毛の感触はない。
確かにぎゅうと包み込まれてはいるが、それは、人の腕だ。
「リーベス、元に戻ったのね」
「……はい。何とか……」
「良かったわ、心配したのよ。ああでも、わんちゃんも可愛かったのだけれど」
「……あの、メーラ様」
「どうしたの、リーベス? 何か体の調子でも悪いのかしら」
「大変言いにくいのですが、俺の上から降りてもらえますか。……その、目を閉じたまま」
目を開けると、いつものリーベスがそこにいた。
顔が赤く染まり、赤い瞳は心なしが少し潤んでいるように思う。
彼の言葉にハッとして自分の状況を顧みると、赤くなるのは今度は私の番だった。
一糸纏わぬ姿(多分)の彼の上に、馬乗りになっていたのだ。
「……! ご、ごめんなさい、リーベス。すぐにどくわ……!」
目を閉じて、その上にさらに自らの両手を添えてしっかりと自分の視界を遮ると、私はあたふたと彼の上から降りた。
自分の顔が、湯気を出しているのではと思うほどに熱い。
真っ暗な視界でその場に座り込んでいる私の耳には、がさがさと何か衣擦れのような音が入ってくる。
(……確か爺やが、着る物を用意していた筈だわ。それを見つけたのかしら)
頭の中で努めて冷静に私がそう考えていると、部屋の外から誰かの話し声と、足音が聞こえてくる。――どうやらそれは、この部屋に向かって来ているようだ。
「メーラ様! ようやく原因が分かりましたぞ!」
「あっちょっと、爺やさんってば~!」
扉の開いた音とその声に、私は目を開ける。
強く瞼を押さえていたからか、少し白みがかった淡い視線の先には嬉々とした顔の爺やがいて。
その後ろからは困った顔のモモコが、爺やを懸命に引き留めようとしていたようだった。
「おやリーベス。戻ったのか」
「リーベスさん! 戻ったんですね。……ということは……ひええええええ、おとぎ話、最高……!!!」
2人の様子に、私もちらりと後ろを振り返る。
リーベスは既にズボンとシャツを着込んでいて、今は袖口のカフスボタンを留めているところだった。
「……この度はご心配をおかけしました。メーラ様。それに、モモコ様とアルデュイノさんも」
目が合うと、赤い瞳を細めてゆるりと微笑まれる。
その表情はとても柔らかく、そしてなんだかとてもキラキラと輝いて見える。
「戻ったということは……リーベス。もしかすると」
「……おそらく。そうだと思います」
爺やとリーベスに視線を向けられた私は、勿論何のことか分からずに首を傾げる。
「メーラ様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。話をしたいのです」
私の前に跪いたリーベスは、殊勝な態度でそう述べる。座り込んでいる私より、少しだけ高い目線。真剣な表情に、私はこくりと頷く。
「……では」
「きゃあ、リーベス!」
「しっかり掴まっていてくださいね」
ふわりと横抱きに抱きかかえられ、その浮遊感に慌てて彼にしがみつく。そしてそのままの状態で、リーベスはスタスタと歩き出した。
背後からは「お姫様抱っこ……!」というモモコの声と、「そういえばモモコ様、ウーヴァ様がいらしていますぞ」という爺やの声がする。
なんとなく、慌てふためくモモコの様子を思い浮かべつつ、私はしっかりと彼に掴まっていた。
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