元に戻るには
籠にたくさんの食べ物を詰めて、私は工房の扉を開いた。
もはや私の別邸と化しているこの場所の、奥の部屋へと迷わず進む。
「リーベス、具合はどう?」
部屋に入るなり、私は目の前に横たわるリーベスに声をかけた。
だけど、それらしき返事はない。
代わりに聞こえるのは、「ぐる……」という可愛い鳴き声と、それから耳をぺたりと下げた姿。
大きな体を小さく丸めた黒いもふもふが、赤い瞳で私の方を見ている。
あの日、私がリーベスの秘密を知ってから、早くも三日が経とうとしている。
弾けるようにもふもふの姿になったリーベスは、あれからずっとこのままの姿でいる。
爺やの話によると、彼はこの黒いわんちゃん――じゃなくて、狼の姿になると、おしゃべりが出来なくなるらしい。
獣人は不便ね、とも思ったのだが、どうやらそれはリーベスだけが特殊ということだった。
『本来であれば、獣人は獣の姿でも自由に話せますし、変化も自由自在です。……ですが、リーベスはどうやら"そう"ではなかった。だから群れから捨てられた可能性が高いのです』
『捨てられた……』
『そのリーベスを見つけたのが、メーラ様なのですよ』
爺やは、静かにそう教えてくれた。
我が家に迷い込んできた傷だらけの仔犬は、幼い頃に故郷を追われたリーベスだったらしい。
それから、私が知らない内に、爺やはリーベスを保護して、こうしてここまで面倒をみていたというのだ。
『それは……知らなかったわ』
『――この国には、まだ根強い差別があります。それに、どうしてもお嬢さまの元で働きたいと言うリーベスの真剣な眼差しを見たら、手を差し伸べずにはいられなかったのですよ』
目を細めながら、爺やは私とリーベスを交互に見た。その頃からずっと、私たちのことを見守ってくれていたのだろう。
厳しくも優しい、爺や。
家族以上に、大切な人だ。
そしてその時は流石の爺やもこの現象の理由が分からず、今は原因を調べるために奔走している。
「食事を持ってきたわ。爺やから聞いたとおりに、果物と、それからお肉と……」
リーベスの前に食事を並べると、彼はのっそりと立ち上がり、私の隣にお座りをした。
その背中をふわふわと撫でると、心地いい温もりが返ってくる。
(元の姿に戻れなかったら、ずっとこのままなのかしら)
そんな思いが去来する。この姿も可愛いけれど、やっぱりお話もしたい。
「――今日はモモコと隣の部屋で、また新しい道具を作るの。ブレンダーというのですって。新鮮なジュースを作るものらしいわ」
「くるる……」
「大丈夫よ、きっと爺やが何とかしてくれるもの」
どこか不安げな声を出すリーベスに、私は微笑みかける。
そうだ、今一番不安なのは、本人だ。
「騒がしいかも知れないけど、我慢してくれる?」
そう問いかけると、黒い狼はこくりと頷くのだった。
◇
しばらくするとモモコがやって来て、本格的にブレンダーとやらの製作に取り掛かることになった。
例に漏れず、彼女のスケッチブックには素晴らしい絵が描かれている。
それを見ながら、そして、モモコから説明を聞きながら、私は詳細な設計図を作り上げてゆく。
「……お義姉さまとこうして開発するの、すっごい楽しいです。わたしは絵を描いてるだけですけど」
「まあ。でも貴女の絵や発想がなければ、きっと私も大したものは作れないと思うわ」
「えへへ。じゃあわたしたち、最強姉妹ですね!」
照れたように頬を染めながら、モモコは満面の笑みを見せる。
これから先も、こうして過ごせたら楽しいだろう。そう思っていると、彼女は急に眉を顰めた。
「……ところで、リーベスさんってまだあのもふもふのままですか?」
声量を下げ、心配そうに私を見つめるモモコに、私はこくりと頷いた。
「ええ。そうなの」
「……そうですかぁ〜。絵本とかだと、こういう展開ならお姫様のキスとかで元に戻ったりするんですけどね〜」
「キス……?」
「呪いで獣の姿になった王子が、真実の愛を知った時に元の姿に戻るなんてのもありましたね」
「真実の愛……」
「あっ、でも、爺やさんが何か見つけてくれるといいですね……。お義姉さまとリーベスさんが困ってるのに、不謹慎でした……」
言いながら、モモコの声はしゅるしゅると小さくなる。その桃色の瞳は慮るようにわたしの様子を窺っている。
「心配してくれてありがとう。原因が分からないから、なんでも試してみる価値はあると思うわ。道具作りも、試行錯誤の繰り返しだもの」
「お義姉さま……!」
「早速試してみましょう」
「うんうん、頑張って……って、えっ、お義姉さま⁉︎」
なんだか糸口が見つかったような気がして、私は立ち上がった。モモコが戸惑っている声も聞こえたが、今はこの可能性に縋りたい。
私の気持ちは告げたけれど、そのままこうなってしまったため、彼の気持ちは聞けずじまいだ。
――ただ手をこまねいているよりは、試してみた方がいい。お父さまも、何度も挑戦しながら魔道具を開発していたもの。
「リーベス、ちょっといいかしら」
そう思った私は、リーベスがいる部屋の扉を思いっきり開けたのだった。
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