*噛み合わないのは(リーベス視点)
眉の上で切り揃えられた前髪。
ゆるくまとめられて、おろされた髪。
いつもとは違う、可愛らしいワンピース。
そして、ふるふると震えたように揺れる濡れたまつげ。赤く染まった頬。
俺は、目の前にいる彼女の全てを、この機会に目に焼きつけた。
(メーラ様は、全てを知っている)
何故秘密がバレたのか、分からない。
誰かが彼女にそう告げたのか。でも、この屋敷で俺の秘密を知るのは、家令のアルデュイノさんだけのはず。
だがメーラ様が何かを知っていることは間違いないだろう。彼女は先程『知っている』と言った。『見た』とも。
――あの姿を見られてしまっては、もう言い逃れが出来ないことは俺にも分かる。
もしかしたらメーラ様は随分と前から知っていて、それでも追及せずにいてくれたのかもしれない。
優しく、おおらかな彼女が、大人に傷付けられる様子をこれまでも度々目にしてきた。
その度に、何とかできたらと思っていた。
――どうか、彼女を恐れさせることがありませんように。
俺の醜悪な姿を瞳に映して、恐れ慄くメーラ様の表情を脳裏に浮かべながら。
俺はゆっくりと瞳を閉じて、自らの本当の姿を現すことにした。
◇
10秒と少し経過した後、メーラ様の瞼がゆっくりと開いた。
そしてその碧の瞳は、真っ直ぐに俺に向かう。
突然部屋に現れた黒い狼に、彼女はどう反応するだろう。以前見たと言っていたが、対面するとなると、その迫力は違うものだろう。
「……っ!!」
案の定、メーラ様の瞳は溢れそうなくらい大きく見開かれた。悲鳴を聞きたくなくて、思わずふいと顔を背ける。
(――ああ、やっぱり……)
心のどこかで、そう諦めていたとき。
俺の身体は、ぱふりと柔らかい衝撃を受けた。
「えっ! どうして? どうして犬がここに……⁉︎ とっても可愛いわ! もふもふだわ……」
咄嗟の事に、俺は固まってしまう。
狼の姿になった俺は、お座りをした状態で沙汰を待っていたはずだった。
だが今、俺の首元に抱きついているのは、メーラ様その人だ。
「ふわふわ……可愛い……!」
俺の視界からはメーラ様の表情は見えないが、彼女の手が首回りの毛をふわふわと撫でる。
「わふ!」
(ちょっ……メーラ様……!)
それがくすぐったくて声を上げようとしたら、とても情けない声が出てしまった。
不完全な獣人の俺は、獣の姿では人語が話せない。それにしても、随分と気の抜けた声に自分でも驚いてしまう。
「どうしたの? あら、この赤いお目目は……」
首元に埋まるのをやめたメーラ様は、少しだけ俺から離れて、今度は顔をじっと眺めてきた。
座っている状態の俺の方が頭の位置が高いため、自然と彼女を見下ろす形になる。
「あの子にそっくりだわ……! もしかしてあなた、うちに帰って来ていたの? リーベスが探してくれたのかしら。あら、そういえば、リーベスはどこに行ったのかしら」
「きゅう?」
(……何かが、おかしい)
狼の俺にくっついたまま、メーラ様は周囲をきょろきょろと見渡し、不思議そうな顔をしている。
その様子に違和感を覚えた俺は、首を傾げる事になる。
「リーベスの秘密って、このわんちゃんを隠していた事だったのかしら? てっきりカミッラの事だと思っていたのに。リーベス? どこに行ったの?」
「わふ!わふ!」
(俺はここです! カミッラとは何のことですか?)
「よしよし、可愛いわんちゃん。私はちょっと人を探して来るわね。それまでお利口でここにいてね」
名残惜しそうにまた俺を撫でる彼女の瞳はとても優しげだ。最後にぽふぽふと俺の頭に触れると、彼女は部屋を出るために扉へと向かう。
(もしかするとメーラ様は、俺だと、気が付いていない……?)
彼女と俺の話が噛み合っていない事に、俺はそこでようやく気がついた。
このままメーラ様が部屋を出て行けば、ますますややこしい事になる。
そう判断した俺は、慌てて彼女の背中を追う。
「……メーラ様、絶対にこちらを振り向かずに、話を聞いていただけますか」
再び人型に変化した俺は、片腕で彼女を抱き寄せて、もう一方の手で開きかけた扉を押さえ、鍵をかけた。
あまりに近く抱き寄せたため、彼女の髪が揺れ、甘やかな花の香りが鼻腔を満たす。
……こんな姿は、メーラ様にも、他の誰にも見られる訳にはいかない。特にモモコ様には。
「それで、できれば、また目を閉じていただけるとありがたいのですが。俺が、着替えるまで」
「きっ、着替え……? え、ええ、もちろん……‼︎」
腕の中のメーラ様の頭が、ぶんぶんと強く振り下ろされるのを感じて、俺は急いで身支度を整えたのだった。




