落としたクッキーと従者
「……申し訳ありません、取り乱してしまい」
「いいのよ。もしかしてリーベスは、犬が苦手だったかしら?」
「ああ〜、そういう事もありますよねっ! わたしの友だちも、小さい頃に放し飼いにされてた犬に追いかけられたとかで、子犬さえ苦手でしたもん」
三人で、すっかり割れたり欠けてしまったクッキーを拾い集める。
今はすっかりいつもの表情だけれど、完璧に仕事をこなすリーベスが、こんな失敗をする姿を見たのは初めてですこし微笑ましくも思える。
「もふもふわんこ、わたしは飼ってみたかったんですよね〜。ずっとマンション暮らしだったから」
最後のかけらを拾い上げたモモコは、にこにこと楽しそうだ。
「そうね、私も飼いたいと思ったけれど……」
犬の姿絵だけで固まってしまうということは、リーベスは相当な犬嫌いに違いない。
絵にびっくりする程苦手なら、実物はもっと苦手だろう。
諦めようかしら、という気持ちでリーベスを見ると、彼の赤い瞳も私の方に向いていた。
「――メーラ様、犬が飼いたいんですか?」
どこか硬さのあるリーベスの声に、しゃがんでいた体勢から立ち上がった私は、ちらりとモモコの絵を見て答える。
「昔のことを思い出したら、飼いたくなったの。あの時、すごく幸せな気持ちだったなあって。本当に、とっても可愛かったのよ? 噛んだりもしなかったし、とってもお利口さんだったわ」
「……っ、そうですか」
「でも大丈夫よ。リーベスが苦手なら、無理は言わないから」
何となく、しゃがんだままで私より低い位置にいるリーベスの頭に手を伸ばして、ふわりと撫でる。
どことなく寂しそうな目をしていたように思えたから。
「……他の犬は……飼わないで、欲しいです」
顔を伏せてしまったリーベスの表情は見えない。
だが、途切れ途切れに呟く声は、確かに聞き取ることが出来た。
「ええ、分かったわ」
嫌がられないのをいいことに、私はリーベスの髪をまた撫でた。いつもは私よりもかなり高い位置にある彼の頭を、こうして見下ろすのは珍しいことだ。
どことなく満足感が生まれて、彼を安心させるように何度も撫でる。
「……こっ、これは……名作の予感……!!!」
そんな私たちの傍では、新しい紙を手にしたモモコが、鬼気迫る表情で何やらガリガリと書き上げていたのだった。
◇◇
厨房に移動した私たちは、料理長にお願いしてチョコレートフォンデュ用の材料を用意してもらっていた。
暫くするとしゃっきりと立ち上がったリーベスだったが、どうもまだ様子がおかしい。
なかなか私の方を見ようとはせずに、目が合ってもふいと逸らされてしまう。
今も、少しだけ私と距離を置いた彼は、窓際でそっと私たちを見守っているような形だ。
「わあ〜! お義姉さま、いい感じにチョコがとろっとろですよ!」
「本当だわ。焦げついてもいないみたいだし、ちょうどいいみたいね」
今は、フォンデュ鍋の試用とおやつタイムのやり直しを兼ねた時間だ。
串にささった苺などのフルーツや、角切りにされたパンが並ぶ中で、モモコはほくほく顔で鍋の中を覗き込んでいる。
周囲の料理人たちも興味津々と言った様子でこちらを見ている。
「チョコが滑らかになったら、こうして、串に刺さった苺とかをこの中にどっぷり付けるんです」
モモコは苺の串を手に取ると、それをそのままチョコの中に差し入れた。軽く捻るようにして持ち上げると、苺はしっかりとチョコを纏っている。
「それでこれをひと思いに、がぶりです! ……! 美味しいい〜」
苺を口に入れたモモコは、頬に手をあてながら蕩けるような笑顔を見せる。
その笑顔に惹かれて、私も苺の串を取った。順番に、全部の種類を食べるのだ。
「ほんと……、美味しいのね、これ」
口に入れると、まずは温かいチョコレートの甘さを感じる。そして、苺を噛むことで、さわやかな酸味が広がり、またすぐに次のものを食べたくなる。
デザートといえば、完成された焼き菓子といったイメージしかなかった私だが、モモコが食べたがるものはどれも、作る楽しさがある。
テーブルマナーうんぬんを考えれば、溶けたチョコにそのままフルーツやパンをつけながら食べるなんて、今まで考えられなかったことだ。
「パンもまたいいんですよねぇ〜、じゅわっとチョコがしみて……うーーん、やっぱり最高でふ!」
「まあ、それも美味しそうね」
「皆さんも食べましょう! チョコフォンデュはわいわい食べるのがいいんですよぉ」
モモコの誘いに戸惑う料理人たちは、私の方をちらりと見た。確認の意味があるのだろう。
主人と使用人がひとつの鍋を囲むだなんて、通常ならありえないことだ。
でもそれは、モモコの感覚とはきっと違うのだ。
それに倣うのは、なんだかとても楽しい。
「そうね。これは試作品なのだから、皆さんにも食べてもらいましょう。それでもっと、美味しくなるわ」
私がそう告げると、料理人たちは我先にと串を手にした。その光景が、微笑ましく思える。
わいわいとしたその雰囲気に浸りながら、リーベスの方を見る。
「あら……?」
さっきまでそこにいたはずの彼の姿は、いつの間にかなくなっていた。
※落としたクッキーは小鳥が美味しくいただきました∧( 'Θ' )∧
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