推しと黒いわんこ
「まあ……あのあともウーヴァはうちに来たのね」
「はい。お義姉さまが倒れたことも心配されていて、でも、お辛そうだったので、わたしが対応していました」
どことなく目を揺らしながら語るモモコによると、あの日は「日を改める」と言って帰ったウーヴァが、また翌日訪ねて来たらしかった。
そしてその対応はモモコが行なっており、ウーヴァとふたりで話をしたのだとか。
「それでその、わたしもあの日の事を謝ったんですが、ウーヴァさんの方も謝ってくれて……なんというか、爺やさんが止めるまで、ふたりでずっとお互いに謝り続けていました」
ぺこぺこと頭を下げ合うふたり。
以前だったらきっと想像もつかなかった状況ではあるけれど、今となっては容易に想像がつく。
「そう……。それで、モモコはウーヴァの絵を描いているの?」
「ぶえええええ⁉︎ えっ、なっ、お、お義姉さま、みみみみ%#€¥$⁉︎」
ガタリと机に手をついて、モモコは勢いよく立ち上がる。彼女は耳まで真っ赤に染め上がり、悲鳴のような奇声のような声をあげている。
先程よりもよく見えるようになった彼女の手元の紙の中では、金髪を揺らすウーヴァのような人物がふんわりと微笑んでいた。
「こっ、これは推しのファンアートですっ! けっ、決して、ウーヴァさんではありませんっっ」
「おし」
「はいっ、そうです、推しですからーーー!!」
ばばばば、と俊敏な動きで、彼女は絵を書いていた紙をめくる。
先ほどからちらちら見えていた微笑みのウーヴァの姿は、全く見えなくなってしまった。
私がフォンデュ鍋を作りあげる間、にこにこと楽しそうに笑顔を浮かべながら絵を描いていたモモコは可愛かった。
私に、誰かを『可愛い』と思える気持ちがあったことを再認識させられるくらいには、とても。
「ねえ、モモコ。あなたって、絵ならなんでも描けるの?」
可愛い、という単語で懐かしい記憶を思い出した私は、モモコにそう問いかけていた。
私の思い出の中にある、唯一の可愛いもの。
小さい頃、うちの庭に迷い込んだ小さな命。
「……よっぽど複雑じゃなければ。何度も言いますけど、これはウーヴァさんじゃないですからね!」
警戒させてしまったのか、モモコは私から隠すように紙を厳重に抱きしめてしまった。
相変わらず顔は赤く、瞳は潤んでしまっている。
「あのね、仔犬の絵を描いてもらいたいの。黒くて小さくて、お目目がまん丸で可愛い子」
そんなモモコに苦笑しつつ、私はそうお願いした。
◇
黙々と作業をすること1時間ほど。
「出来た!」と声をあげたのは、私とモモコはほとんど同時だったように思う。
私は顔を上げて、モモコの方へと声をかける。
「モモコ、できたわ。例のフォンデュ鍋よ」
「お義姉さま、わたしも出来ました! ふわふわ仔犬ちゃんですっ」
少し興奮しながら、お互いに完成品を得意げに見せ合う。
私の手元には、桃色のコロンとした形をした陶器のような見た目の小さな鍋。
下のコンロ部分とはかっちりと底が噛み合うようになっていて、温度調節のためのつまみもつけた。
これで、焦げやすいらしいチーズフォンデュやチョコレートフォンデュを適温で楽しむことができるはずだ。
微力ながらも、ほとんど全ての属性の魔法を扱えるのは、ベラルディ家の血筋と言えるものだろう。
そしてモモコが掲げる紙の中には、あの仔犬がいた。丸くてふわふわで、つぶらな瞳の可愛いあの子だ。
「モモコ、すごいわ、あの子ね……!」
「ええっ、お義姉さますごすぎです! お鍋可愛い〜! やっぱり最初はチョコからにしますか⁉︎」
お互いの作品を見て褒め合っているところに、工房の扉がノックされる音がする。
時間的に、きっとリーベスだろう。
声をかけると、やはりリーベスの返事がある。
そして扉を開けた彼の元へ、私はモモコが描いた絵を持って一目散に駆け出した。
「ねえ見て、リーベス! 可愛いでしょう? モモコが描いてくれたの。私が小さい時に、ちょっとだけお世話した仔犬なの」
「……!」
「黒い毛がふわふわで、赤いお目目がまんまるで。おいもをたくさん食べたのよ」
驚いたような表情のリーベスに構わず、私は話し続ける。
あの日の事が懐かしく思える。
庭園で見つけた小さな黒い仔犬は、ちょっとだけ汚れて震えていたけれど、洗って乾かしてあげると、すぐにふわふわになった。
そして、当時はまだ少女だったプルーニャが持ってきたふかし芋を、はぐはぐと勢いよく食べたのだ。
だがその仔犬は、1週間もしない内にまたいなくなってしまった。
既に家を出て行ったお母さまと、工房にこもりきりなお父様。
ひとりで過ごす私の寂しさを埋めてくれる、とても素晴らしい存在だった。だから、いなくなった時は、私はまたたくさん泣いたのだ。
「……リーベス?」
嬉々として彼に絵を見せた私だったが、リーベスから返事はない。
いつもだったら、「可愛い絵ですね」とか「素敵ですね」と言ってくれるはずなのに、彼はその絵を凝視したまま固まっている。
「なんかこの仔犬ちゃんって、リーベスさんと感じが似てますね。髪の毛が黒いところとか、目が赤なところとか」
明るいモモコの言葉に「そう言われるとそうね」と私が相槌を打ったところで、リーベスは手に持っていた焼き菓子を、床に派手にぶち撒けたのだった。




