従者は有能です
明らかに怒っている様子のその執事に、私は寝転んでいた身体を起こし、ベッドの端に座り直した。
「なんなのですか、アレは。人の婚約者を奪うなど……どうしてお嬢さまはいつも、ペスカ様の傍若無人な振る舞いをお許しになるのです……!」
声を震わせて、怒りの形相を浮かべる彼は、自分のことではないのにとても苦しそうだ。
いつも、というのは、ペスカが私のドレスや宝石を欲しがる度に、私が折れるしかなかった事を言っているのだろう。
貴族でありながら、私と同じく魔道具士であったお父様が築き上げた資産がそれなりにあり、我がベラルディ伯爵家は比較的裕福だ。
それを知っているからか、抵抗すると、彼女の母親までもが出張ってきてヒステリックに騒ぎ立てて時間がかかるため、仕方なく彼女の要求を呑んでいた。
私がそんな態度でいるからか、古くからこの家に仕えていた忠臣たちは、やきもきした気持ちを抱えていた事だろう。申し訳ない。
「――それは違うわ、リーベス」
彼の言を訂正するために、私はベッドの上から降りて、彼の元へと歩み寄った。
綺麗な黒髪と、鮮烈な赤い瞳をもつ執事は、私よりふたつ歳上だっただろうか。
出会った頃は同じだった目線も、今は随分と違ってしまった。
身長の高い彼を見上げると、前髪のカーテンが目に入って痛かったので、やっぱり早めに前髪を切る事をそっと心に決めた。
リーベスに近づいた私は、そっと彼の手に触れる。
手袋ごしではあるが、じんわりと温かい。
私のその行動に驚いたのか、リーベスは分かりやすくびくりと肩を揺らした。
「私は、本当に大切なものはあの子にあげた事がないのよ? この家だってそうだし――そういえば、貴方のことだって」
「俺……ですか?」
「以前ペスカに、貴方を自分つきの執事にして欲しいって言われたけど、それはちゃんと断ったもの。それにドレスや宝石だって、本当に興味がないだけなの」
「ね?」と微笑みかけると、リーベスはなぜか頬を赤らめる。
「……それは、存じ上げませんでした」
「リーベスだけは絶対に譲れないわ! だって、貴方以上に私の面倒を見てくれる人なんていないもの。ウーヴァの事も友人として大切には思ってはいたけど、結婚は現実味がなかったの。これで良かったとも思ってしまっているし」
「っ、メーラ様……」
リーベスはどこか切なげに私の名を呼ぶ。
研究に没頭するとすぐに寝食を忘れてしまう私にとって、甲斐甲斐しく世話をやいてくれるリーベスは神のような存在だ。
ペスカの悪癖には困ったものだが、今回の件で憂いが全て解決するのならば、それでいいのではないか。
願わくば、彼女がウーヴァを選んだのが、私への当て付けではなく、きちんとした気持ちを伴ったものであって欲しい。
「……そういうことだから、これからもよろしくね、リーベス」
「はい……お嬢さま。いえ、ご主人様」
「いつもどおりに呼んで欲しいわ」
結婚の義務も無くなり、暫くは研究に集中出来る。
いずれは私も世継ぎを儲けなければならないのだろうけれど、養子をもらうという手もあるし、そのあたりは何とかなるだろう。
「流石に徹夜明けは眠そうですね。よ……っと」
「わっ」
「それに、こんな分厚い眼鏡をしたまま寝てしまうのは、とても危険です」
「あら……すっかり忘れていたわ」
あっという間にリーベスに抱え上げられた私は、柔らかなベッドの上に下ろされた。
研究中からずっとつけていた分厚い眼鏡――目を保護するためのゴーグルを取ってもらった私は、色々と限界で、すぐに眠りについてしまった。
寝る寸前、こんなゴーグル姿でペスカたちと対峙していたのかと思うと、可笑しくて少し笑ってしまった。
「……俺がずっとお側にいます」
そう聞こえたのは、夢だったのだろうか。