婚約は解消されました
おはようございます。こっちにも掲載してみました!
「――婚約の解消?」
私の目の前には、申し訳なさそうに眉を下げる金髪の青年と、やけに着飾った義妹のペスカが並んでソファーに座っている。
私がそう訊き返すと、義妹は急に瞳に涙を溜めて、隣にいるその青年に縋り付いた。
「ほら……お姉様は怒っていらっしゃるわ……! やはり許されない事なのよ……」
「話せば分かってくれるさ、メーラなら」
男女二人は見つめ合うとひしと抱擁を交わす。
ちなみにメーラとは私の名前なのだが、眼前で繰り広げられる寸劇に、目眩がしてきた。
大半は寝不足のせいなのだけれど……徹夜明けの朝にこの訳のわからない光景はきついものがある。
「……ええと、ごめんなさい、頭が回らなくて。ウーヴァ、あなたはさっき、私との婚約を解消すると言ったわよね」
「ああ、そうだ。メーラには申し訳ないと思っているが、僕は自分の気持ちに嘘はつけない。ペスカを愛しているんだ!」
愚直なまでに胸を張るその男――ウーヴァはケルビーニ伯爵家の次男だ。
私の婚約者であり、ゆくゆくはうちの伯爵家に婿に来て共に生涯を歩むはずだった。
(まあ、悪い人ではないんだけどね……)
祖父世代の取り決めによって、幼い頃から婚約者同士だった私たちだ。これまでもそれなりに親交はある。
だがそんな彼は、私の義妹のペスカに心底惚れこんだらしい。
そして婚約を解消する為に、自ら私に説明に来たという事なのだろう。多分。
「お姉さま、ごめんなさい。わたし、気持ちを抑えられなくて……!」
ふるふると震えながら、桃色の大きな瞳を揺らすペスカに、起き抜けの私は対応しきれない。
確かに彼女の柔らかなミルクティー色の髪とまんまるな瞳はとても愛らしく、日々屋敷に篭っている私の地味な姿とは対照的だ。
そういえば前髪を切るのをずっと忘れていたせいで、視界が暗い。いや、これは眠いからなのか。
もう瞼が閉じそうだ。半目になっている自信がある。
きっと大層目つきが悪いだろう。
「……ウーヴァ、あなたの両親が了解しているのならば問題はないはずよ」
取り決めをした祖父たちは既に天に召されているため、互いの家の当主の了解が得られればそれで問題はないはずだ。
ついに頭がぐわんぐわんと揺れてきた。昨日、新しい魔道具を思いついて、開発作業が楽しくてやめられなかったのが原因だ。
「その点は大丈夫だ! もうここにその書類がある。この部分に君のサインをもらえたら、婚約解消は成立だ」
私がそう告げると、ウーヴァは顔を輝かせながら誓約書を取り出した。
家同士で結ばれた婚約。
ケルビーニ伯爵家の当主が認めたのならば良いのだろう。
まさかこんな形で解消になるとは思わなかったけれど。
「そう。じゃあさっさと済ませましょう」
釈然としない部分はあるが、とにかく眠いのだ。早く済ませてベッドに行きたい。
私はウーヴァからそれを受け取ると、目を通したあと、空いている所に名前を書いた。
紛うことなく婚約解消の書類だ。ケルビーニ伯爵家の公印も伯爵のサインもあり、ご丁寧に既にウーヴァの署名は済んでいた。
(それにしても……)
私の意識は手にしている羽ペンに向いた。
この新しく作ったペンの書き心地は最高だ。滑らかでインクの出もいい。
特殊な素材を組み合わせて作ったインクは、水に濡れても滲まないようになっている。紙自体がボロボロになってしまわなければ、きっと百年でももつだろう。
さらに見た目は細いこのペンには、ひと瓶分のインクを付与してしているため、都度都度羽ペンをインク瓶に浸さなくてもいい優れもの。
(市販化出来たらいいなあ。今のコストだと難しいけれど、まだ改良の余地はある)
私が暮らすこの国では、強弱の差はあれど、貴族には魔力がある。かく言う私も貴族の一員ではあるので、幼い頃から魔法を使うことが出来た。
だけど、平民はほとんどが魔力がない。
そんな彼らでも便利に使える物を作るのが、私の目標なのだ。
「こっちにもいいか?」
「ええ。勿論よ」
ウーヴァに差し出されたもう1枚の紙は、新たな婚約の誓約書だった。
ウーヴァとペスカ、それにケルビーニ伯爵家の当主のサインが記入済みのそれにもさらさらとペンを走らせる。
本当に書き心地が良くて、あと何枚でも書けそうだ。だけどもう書類は終わりらしい。残念。
「……じゃあ私はこれで失礼するわ。後のことは爺やと話をして頂戴。私、死ぬほど眠いの。ウーヴァ、ペスカ、お幸せに」
「メーラ……ありがとう!」
「……お姉さま」
古くからこの家に仕えている家令の爺やに目配せをすると、彼は小さくため息をつきながらも頷いてくれた。
その事に安堵した私は、ふたりを残して部屋を後にする。
去り際に見えた妹のペスカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
私が元婚約者に泣いて縋るとでも思ったのだろうか。
――残念ながら、私にとってウーヴァとの婚約なんて本当にどうでもいいのだ。というか、寧ろ……
「……やったわ、合法的に解決できた! これで私は自由!!」
部屋に戻った私は、そう言いながらベッドにダイブした。
いつもは面倒なペスカの我儘に、今回は感謝しかない。
きっと彼女の持病である『お姉さまの物が欲しい病』が発動したのだろうが、まあ相手のウーヴァも無事に陥落しているようだからいいだろう。
そろそろ結婚の準備を、と本格的に事が運ぼうとしていた矢先のこと。
今はお父さまから引き継いだ工房でものづくりをすることが楽しくて仕方がなくて、そんな事に時間を取られることがとても憂鬱だったのだ。
足をバタバタして喜んでいると、頭上から「お嬢さま」という低い声がする。
バタ足をやめて枕に埋めていた顔を上げると、端正な顔立ちの黒髪執事が、その顔を険しく歪めて私を見下ろしていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ、評価、感想などなど、泣いて喜びます。゜(゜´ω`゜)゜。