46話:幕間 タンビュラ
タンビュラの昔話です
※一部残酷な表現がございます。
「船長、船長ォ~……」
下から手下が自分を呼ぶ情けない声が聞こえるが、あえて無視をしてマスト上の見張り台に寝転がる。小さな見張り台に横になると自分の大きな体では足を延ばす事は出来ず、脚を見張り台の外に無造作に出す形になる。そして、仰ぐ空は雲ひとつない快晴だった。
心地よい追い風が帆に当たり、船は順調に進んでいる。
"おだやか"
そんな言葉が似合いそうな陽気だ。
こんな時は、昔をふと思い出す。まだ自分が幼かった少年時代のこと、今はもう誰もいない家族のことを…………。
ーーーーーーーーーー
火の国の港町にあった、たった二部屋しかない土壁で出来た小さなボロボロの家が自分の生まれ育った家だった。
父はおらず、少し身体と心を病んでいた母親とひとつ年下の妹と三人で貧しい生活を送っていた。
その日食う分を港で雑用をして稼いだり、時には盗みだって働いてなんとか、その日その日を生きていた。そんな生活だったから、母を医者に見せるどころか薬を買う金もなくて母の面倒はいつも妹がつきっきりで見てくれていた。
甘えん坊で、寂しがり屋で、夢見がちな妹。
自分で言うのもなんだが、俺たちは全くと言っていいほど似ていなかった。
顔の造形も、髪の色も、俺は母と同じ濃い紫色で妹は淡い金色の髪をしていた。
あの頃のオパールは知らなかったが、俺たちは兄妹といっても父親が違った。
母が土の国の貴族の屋敷で乳母として働いていた時に、その屋敷の主人と母の間にできた子がオパールだった……。
オパールを身籠った事で母は屋敷からは追い出され、俺の父は母を捨て出て行ったらしい。
街にいられなくなった母は、生まれたばかりのオパールとまだ一歳だった俺を連れて、実母を頼り生まれ故郷のこの街まで移住したと祖母にそう教えられた。
母の実母……俺にとっての祖母が生きていた間は、まだ母も多少は元気だった。
しかし、祖母が亡くなるとそれまでの苦労などが祟ったのか、身体を壊して心も病んでしまったのだ……。
決して恵まれた生活ではなかったが、今思い返せばあの時の生活が人生の中で一番満たされていた。
特に思い出すのは……あれは、オパールの十歳の誕生日のこと。
いつも遊んでいたボロボロの端切れと棒切れで作った人形の代わりに、ふわふわのくまのぬいぐるみをプレゼントした。もちろん、盗んだものではなく真っ当な稼ぎで買ったものだ。十一歳にもなった俺はできることも増えてきた、それに加えて大した栄養も取っていないのに、まぁ、身長だけはやけにデカくなって大人がこなすような力仕事や海にも出ての仕事なんかもはじめたので、母に薬を買うくらいの生活に余裕が出たのだ。
妹はプレゼントしたぬいぐるみにに“オスカー”と名前をつけた。
以前一緒に出かけた際、たまたま訪れていた人形劇の旅芸人一座がやっていた“ガラスの靴のお姫様”に出てくる王子の名前をつけたらしい。
「フフ……いつか、わたしにも王子様が迎えにきてくれるかもしれない」なんて夢見たことを言ってオスカーの手を掴みくるくると踊っていた。
もしも、大事な妹にあの芝居の王子様が現れたなら、間違いなく殴り飛ばすだろう。
少なくとも俺に勝てないようなやつに、妹を任せられるわけがない。
「オパールはああいう優男が好み、なのか……?」
そんなことを聞くと、オパールはほんのり頬を赤く染めて
「そ、そんなの……わたしはもっと強くってカッコいい、おにぃ……もう! ナイショよ! お兄ちゃんの意地悪!!」
そういうと、ぷぃっと後ろを向いてしまった。
そんな妹の反応を見て、どんな相手がきても返り討ちにできる様にと身体を鍛え始めたのは、この時だったか。
あれが、妹の誕生日を祝った最後になってしまうとは、この時は思ってはいなかった。
それから数ヶ月後、母の容態が悪くなる……。
街で買う気安めの薬ではどうにもならなくなり、なけなしの金で医者を呼んだが、母の容態はこの街の医者では手に余る程悪い状態だった。いい医者に診せるには、到底金が足りない。
そんな時にアイツがやって来た。
「ご息女を向かえに参りました」
そう言ってやってきたのは、オパールの父親の使いを名乗る初老の男だった。
事故で跡取りだった唯一の息子が亡くなり、自分自身も事故の後遺症でもう子供が望めないとわかり、自分の血をひくオパールを跡取りにしたいとほざいたのだ。
母にした仕打ちも、あまりに身勝手すぎる理由にも激怒し、そいつを追い返した。
そんな身勝手な男に、大切な妹を渡すなんてありえない。
そばで不安そうに見つめるオパールを撫でる
「大丈夫だ、兄ちゃんがオパールも母さんも守ってやるからな」
そう言ってオパールの小さな手をぎゅっと握った。それに対してオパールは無言で首を縦に振る。
何日か経って、そいつは懲りもせずにまた訪れる。
小難しいことをつらつらと言っていたが、要約すると、母の治療費を出す代わりとして妹を差し出せと持ちかけて来やがった。
「そもそもこんな事になったのは、誰のせいだと思ってやがる!! 俺の父親が出ていったのも、あの国を追われたのも、母が病気で倒れたのも全部てめぇらのせいじゃねぇかっ!!」
怒りが頂点に達し声を荒げ、使いの男の胸ぐらを掴んだ。
「で、ですからっ! 精一杯のお詫びとして、お母様の膨大な治療費を私たちで負担させていただくと申し上げているではないですか」
怯えて声が震えているくせに、言っていることは何ひとつ変わらなかった。
所詮使いの人間。こいつに何を言っても無駄だと感じて掴んだ手を離した。
「お前らのくだらない話に乗る気はない。二度と母にも妹にも近づくなとテメェの主人に伝えておけ」
吐き捨てるように男に言うが、男もなかなか食い下がらない。
狼狽えながらも反論をしてくる、グダグダと言う言葉はほとんど耳に入って来なかったが、たった一つだけ聞き流せない事を男が言った。
「そそそれにっ!! こんな貧しい暮らしを義妹さんにさせるよりも、ご息女としてお屋敷で何不十分ない暮らしをさせてあげるのが彼女にとっての幸せではありませんか?」
「なッ……」
何様だ、そう言ってやりたかったが言葉につまる。
確かに、今の生活は妹にとって楽なものではないだろう。
日々の生活がやっとで食べたいものも、やりたいことも全部我慢させているこの生活が本当に妹にとって幸せなのだろうか……。こんなにも反対するのは、妹を手放したくない俺の身勝手な願いなのではないかと、そう思わずにはいられなかったからだ……。
気がつけば、奥の部屋に隠れていたはずのオパールが自分の服の裾を力なく引っ張って、今にも泣き出しそうな目で俺を見つめてきた。
「お兄ちゃん、わたし行くよ。お父さんのところに……そしたらお母さんを助けられるんだよね?」
「さすがはご息女様! 聡明でいらっしゃ……ひゃんッ!」
くだらない戯言を言う男に、思わず拳が出てしまう。殴られた勢いで壁にぶつかった男はそのまま気を失った。
「オパール、こいつらの言うことなんて気にしなくていい。母さんの病気だって俺がもっと稼いでもっといい医者に診てもらうさ……だから、行くな」
膝をつき小さな妹を強く抱きしめる。
「お兄ちゃん……」
抱きしめていた身体を小さな手が押しのける。
「あのね、わたしはお父さんのところに行けばお母さんの病気が治せるんでしょ?
でも、お母さんの病気が治ったら…………必ず迎えにきてね……」
決意に満ちた妹を俺は、止めることができなかった。
「必ず、……どんなにかかっても、必ず……迎えに行くから」
「うん! わたし待ってるから……約束よ」
次の日、使いの男に連れられて妹は父親のいる土の国へ旅立った。
見送りには行かなかった。
行ったらあの男を殺してでも止めたくなるのを抑えられないと思ったからだ。
それは、妹の決意を邪魔することになると。
しかし、あの時どんな手を使っても妹を……オパールを止めていたらと幾度となく後悔した。
数年後、妹が海で事故死したと知らせが届く。
その知らせを最後に、母の治療費も届かなくなり……。
まもなくして母も亡くなった。
その後の人生は、おだやかとは程遠いものだった。
港で船を奪い、ならず者を集めてオパールの父親がいる屋敷を襲った、金や宝石には目もくれずにただただ、そこにいた人間を皆殺しにしていった。かつて、妹を連れていったあの初老の男とオパールの父だった男は、特に痛めつけて殺してやった。
必死に謝罪し、涙と鼻水と血でぐしゃぐしゃになりながら、命乞いする姿はあまりに滑稽だった。こんなチンケな男に家族を奪われたかと思うと、一度殺したくらいでは到底許せるものではなかった。
それからは、満たされない欲求を埋めるかのように奪った船で悪行の限りを尽くした。
奪って、殺して、傷つけ、犯して……それでも何ひとつ満たされはしなかった。
どんな財宝も、食事も、酒も、女も俺様にとっては意味のないものだった。
ただひとつ求めたものは、他愛無い幸せだったのに……。
そんな俺様がいまだに海賊として海を漂う理由はたったひとつ。
海で死んだものが行き着くとされる、“幽霊船”
本当にそんなものが存在するのなら、もしかしてそこに俺様が求めるたったひとつの“宝物”がいるかもしれないと思っているからだ。
他の連中に言えば、おとぎ話だ幻想だと笑われるだろうが俺様は本気だった。
あれから四十年……今だにあの日の約束を果たせずにいる。
ーーーーーーーーーー
「必ず、迎えに行くって約束したからな……オパール」
船は幽霊船が出ると噂の忌まわしき土の国・ヨーデルカリブ港を目指して帆を進める。
21.7.21 誤字修正




