40話:ギンとタンビュラ
姫琉達が幽霊船で気を失っている頃。海賊船サンティック号でのお話。ギン視点で進みます。
時間は少し遡り、姫琉達が幽霊船に連れ去られた後。
◇◆◇◆◇◆
──夢を見ていた気がする。ぼんやりとしか憶えていないが……懐かしくって、優しい夢だった……。
夢から醒めても、まだ微睡んでいて、自分の形さえ曖昧な気がする。
「ん、……んんッ!?」
そこで体の違和感に気付く。
寝ぼけた体を起こそうと、ぐぅーっと体を伸ばしたかったのに、両腕が後ろで縛られている。そこで思い出す。自分が先程何をしたのかを。寝ていた体を起こしてみれば、自分が牢に入れられて両腕を拘束されているという……なんともひどい有様だった。
「そっか……オレ、あのおっさんをぶん殴って、隊長に止められて……」
──それからどうしたんだっけ?
記憶をたぐり寄せるも、その後の事が思い出せない。腕を拘束された記憶も、牢屋に入れられた記憶もない。
「まぁ腕を縛ったのも、牢に入れたのも多分隊長っすね。頭にきたとはいえ、完璧に隊長の命令にそむいたっすからね……」
そんな反省はさておき、とにかくこの腕の拘束だけでも解こうと懸命にもがいてみるが、相当キツく縛られてるようでちっとも解けない。解ける気配すらない。どんだけキツく結んだんだと文句を言いたくなるレベルで解けない。
「あー! もうどうなってるんっすか!!」
悲痛な叫びが虚しく響く。
この牢があるのは船の一番下、船倉で荷物なんかを入れておくための場所だ。周りを見れば大量の樽や木箱などが無造作に積まれている。後は、自分たちの愛馬が二頭、藁を敷いたところで繋がれているだけだった。
その馬はといえば、突然大きな声がした事に驚いたらしく、普段はピンと立った耳を伏せて、ソワソワしている。
「ん~……なに、なに? どうしたの?」
馬から突然愛らしい寝ぼけた声が聞こえた。
一瞬、馬がしゃべったのかと思ったが、馬たちの上に薄ぼんやりと光る小さな人影がフラフラと浮かび上がる。
「アルカナァ!」
「あっ、ギンの兄貴ぃ♪ どうしたんですか? 檻の中に入って?」
「檻って……まぁいいっす。アルカナ頼むっす、この後ろの縄を解いてくれないっすかね?」
背中を向けて縛られた腕を見せると、アルカナは鉄格子を難なくすり抜け、縛られた腕の上に着地した。背中で唸りながら縄を解こうと懸命に頑張ってくれている様だが、なかなか難しいらしく、しばらくすると「無理ー」という諦めの言葉が飛んできて、愕然とする。
「本当に、どんだけ固く結んだんっすかー!! たいちょー!!」
打つ手なし。隊長か誰かが迎えに来てくれるまで、ここで待つしかないしかないと諦めていると微かに水の音が聞こえ、縄の拘束もするりと解けた。
「あ、そうかそうか。斬っちゃえばよかったんだね♪ 全然気が付かなかったよ」
腕が自由になり、後ろを振り返るとなにもない空間にアルカナが話しかけている。そこで、自分が契約した外見が美味しそうなお菓子のような水の精霊を思い出す。
「もしかして……水まんじゅうが縄を?」
「そうだよ♪ この子が縄を斬ってくれたんだよ」
何もない空間をアルカナが指差すが、やはりオレの目には何も見えない。そして思い出したようにズボンに突っ込んでいた布を広げて置けば、つるっとしたフォルムの“オレ”の契約精霊が姿を現す。
「お前が縄を斬ってくれたんすね」
まるでそれを肯定するかのように、ぴょんぴょんと跳ねるたびに水でできた体が、僅かに波打つ。
「ありがとうっすね」
褒められたことがわかるのか、もしくはオレがそう感じるだけなのか、水まんじゅうがとても嬉しそうにしていた。
ふと、自分の手のひらにある水の紋様をじっと見た。
この紋様が精霊と契約した証である。だけど実際契約したからといって、精霊が見える様になった訳じゃない。結局のところ、この魔法陣がなければ契約者ですら精霊を見る事が出来ないのだから……。
「そもそも、なんで精霊は普通の人に見る事ができないんっすかね?」
素朴な疑問を口に出すが、当然答えが返ってくるはずもない。この場にウッドマンがいたら別かもしれないが。
「とりあえず、ここから出るっすね」
両腕の拘束は解けたが、いまだに自分は檻の中。閉じ込めた本人が来るまで大人しく待ってる義理もない。脱獄する気満々だ。
「でも、どうやったら開くんすかね?」
牢の向こうを見るもこの牢の鍵は見当たらない。きっと、オレを牢に入れてそのまま本人が持っていったんだろう。鍵を開けられるような道具は持っていないし、技術もない。
どうしたもんかと、牢の戸に手をかけると扉はすんなりと開いた。
「!? ……鍵はかかってないんっすね」
──ひどい脱力感っすね。
やる気満々だったのに拍子抜けだ。まぁ、すんなり開いてよかったとは思うが、釈然としないまま上への梯子を登った。肩にはアルカナ、頭には魔法陣のスカーフとその上に水まんじゅうが乗っている。
ひとつ上の甲板に出るが船室にも、食堂にも、砲弾庫にも誰もいない。だが、外の甲板から僅かに声が聞こえた。
誰かが叫んでいるっすね?
「この声は……!」
しゃがれた嫌な声が何かを叫んでいる。間違いなくタンビュラだと確信した。
あのおっさんが、またヒメルに暴力を振るったのかもしれない!
大慌てで甲板に駆け上がった。
甲板に上がると、船縁をガンガン殴っているタンビュラと、慌てふためくウッドマンさん、そして船長室の前の壁に寄りかかる自分の双子の兄がいた。
「あれ、隊長とヒメルは?」
甲板を見渡すも二人の姿がどこにもない。
「ギン! お前今までどこに……」
オレの存在に気づいた兄が自分に詰め寄ってくる。
「兄貴、いや……まぁ、ちょっと」
流石に、腕を縛られて牢に入れられてました。なんて言える訳ないので言葉を濁した。
「ギンがいない間に、幽霊船が現れて」
「幽霊船!? 本当にいたんっすね!!」
幽霊船なんて、小さな頃に読んでもらったおとぎ話でしか知らない。本当にいたのであれば、見逃してしまったことが惜しい様な、よかった喜ぶべきか悩ましい。
おとぎ話では、幽霊船の船長は仲間が欲しくって、海で気に入った相手がいると海に引きこんで幽霊船の乗組員にしてしまうから、うっかり気に入られたら大変なことになる。
そんな下らない事を考えていたオレと違って兄貴は真剣な表情を浮かべている。怒った時でさえ、笑顔だけは作ってる兄の顔が眉を寄せて口を固く結ぶ。その口から出た言葉は信じられないものだった。
「隊長と、ヒメル嬢が幽霊船に連れ去られたんですぜ……」
「え、えぇえええ!? なんでっすか!?」
自分がいなかった間のことを聞き、あまりの事に驚愕する。
「さっきやっと下から出れるようになって、甲板に出たら幽霊船は影も形もないって訳ですぜ。タンビュラ船長はさっきから、荒れ狂ってるし。ウッドマンさんは……あれはダメですぜ、恐怖のあまり使い物にならないですぜ」ウッドマンさんを見て吐き捨てる。
「おとぎ話の通りなら、二人は今頃……」
幽霊船の乗組員になっているかもしれない。そんな最悪の想像をしていると
「大丈夫」
アルカナが何もない海を見ながら確信めいて言った。
「大丈夫、ヒメルまだ生きてるよ」
「え……? アルカナにはわかるんっすか!?」
「あたし、わかるよ。ヒメルがどこにいるのか、はっきりと」
「ほ、本当っすか!!」
「うん、ずーっとずーっとこっちの方」
小さな手で暗い海を指差す。自分の目には、そこには何も見えず、ただただ暗い地平線が広がっている。普通なら冗談ではないかと疑いたくなるが、アルカナの真剣な表情を見てそれが冗談なんかじゃないと伝わってくる。
「じゃあ今すぐ助けに行くっすね!」
兄貴は眉を眉間に寄せて難しそうな顔をした。
「隊長がいない今、そんな事オレに言われても困るんですぜ。この船の進路を決めれるのはアイツだけですぜ」
兄貴が顎でさす先には、タンビュラがいた。殴っていた船縁が、血で赤黒く汚れている。
──このおっさん、理由は知らないけれど幽霊船を探していたっすね。
ヒメルがいる場所は恐らく幽霊船のはず、その事を話せば船を出してはくれるだろう。しかし、船を動かしてくれと頼むのには、いささか抵抗があった。自分がさっきまで怒っていたことも、ヒメルに掴みかかった件を許してないし、許す気もない。
だけど……。
おっさんの横にずいっと立つ。自分よりも頭ひとつ以上でかいガタイのいいおっさんを怯む事なく睨みつけた。オレの存在に気づくと顔を向けることもせず、目だけがこちらを見下ろしている。
「なんだ、テメェか」
まるで興味がないのだろう。そう言った後、その視線は何もない海に向けられる。
息を大きく吸い、両手を脇に揃えて深々と頭を下げた。
「頼むっすね! アルカナが言う方向にこの船を進めて欲しいっすね!!」
静かな甲板に大きな声が響いた後、また甲板には波の音しか聞こえなくなった。オレは頭を上げずに、ずっと待った。そして、重たい沈黙を嗄れた声が破る。
「さっき殴りかかってきたテメェの頼みを、俺様が素直に聞くと思ってんのか? それは、あんまりに都合が良すぎねぇか、なぁ……?」
「殴ったことなら、いくらでも謝るっすね。……船を出してくれるなら、殴られたって構わないっす。でも、アンタがヒメルにした事は絶対に、許せな、いし……この先も、多分……許せないっすね」
思い出すと怒りで、言葉が震え、たどたどしくなる。
「大事な、大事な、妹分なんっす……助けに、行きたいんっすね。だから頼むっす……」
また、沈黙が続く。息を飲み頭を下げたまま、あまりにも長い沈黙が続く。
「はぁ〜……大事な妹のため……か。俺様も歳食って随分と甘くなったなぁ」
独り言だったんだろう。でも声の感じから期待をして面を上げると、無造作な髪をぼりぼりと掻いている。
「わかったよ。どっちにしろ、あの嬢ちゃんがいるところに、幽霊船もいるんだろ? だったら、そこに船を出すしかねぇんだからよぉ……。で、アルカナってのは、あの精霊か? どっちに船を進めればいいんだ」
「あっち! あっちにヒメルがいるよっ!!」
船に対して、十時の方を指差した。
「あ、……ありがとう……っす」
「はいよ、っても風がそんなにねぇから追いつけるかどうか」
「大丈夫ですぜ。コレを使ってくれて構わないですぜ」
兄貴はどこかに行っていたのか、先程まで持っていなかった袋をおっさんに差し出した。袋の中を覗けば、薄い緑色の半透明な石がゴロゴロと入っている。
「コレ、風の精霊石っすよね。売り物の……」
「そうですが、緊急事態ですぜ。使っても、隊長だって文句は言えないと思いますぜ? それになんなら必要経費でヒメル嬢につけておきますぜ」黒い、いい笑顔で言い切った。
すでに前回の海賊船強奪作戦で、ヒメルの借金はまぁまぁな額になっている。さらに、この数の精霊石の値段を足したら、普通に働いても返すのが大変そうな額になる。
わかってはいたが、あえて口をつぐんだ。
そんな事を考えていると、横で兄貴が蚊帳の外だったウッドマンさんを呼び出し、精霊石の入った袋を渡した。いや、押し付けたと言った方が正しいかもしれない。
「ウッドマンさんが一番精霊石の扱いが上手いと思うんで、風を起こすのは任せますぜ。コレ全部に"いっぺん"に魔力を流せば補助なしでも相当の風が出ると思いますぜ」
「こ、これ全部であるか!?」
当然の反応だった。精霊石に魔力を流すには魔力以外に精神力が必要だ。だから、一般的に使う時は“魔法陣“で制御や補助をしたりして使うのに、石だけで……さらにあの量は相当大変だろう。
だが、兄貴の顔を見る限りウッドマンさんに拒否権はない様だ。押し切られたウッドマンさんが、涙目でマストの下で準備しだした。
「よし、じゃあ行くぜ! 野郎ども!!」
「「おぉーーーーッ!!」」
「ぉ、ぉー……」遅れてウッドマンさんも、ちいさな声で言っていた。
海賊船は、幽霊船を目指して出発した。
前回の幕間の話がギンが見ていた夢です。
幕間なので読まなくても大丈夫ですが、お時間があれば読んでみて下さい。
21.7.17 加筆修正
24.4.19修正




