95 ズギュンでトゥンクな会話劇
「なんとかなりそうかな?」
「あっ……はい」
社長さんにそう言われて私は下を向いて返事した。失礼だとはわかってる。けど顔を見て話すなんて無理だ。私は陰キャなんだからね。それに逃げるのはもうやめると決めた。仕事の上ではもっと積極的にならないとだめだって思い知ったからだ。けど……そんな簡単に人は変われないよね。
ちょっとずつ……ちょっとずつでも変わってけたらいいんだ。返事をちゃんとできた。それだけで自分を褒めるのだ。そういうのが大事だって自己啓発本に書いてあった。
「それはよかったよ。大きな顔してたのに、力になれなかったらどうしようかと思ってたんだ」
そういって皺を刻んだ顔に笑顔を浮かべる社長さん。何この人……大人で社長なのに、照れるように笑って頬をかくその仕草……女を落とす奴だよそれ。私の主観? いいや、こんなできる大人っぽい人が照れて頬をかくとかズギューンだから! もしくはトゥンクでもいいよ。
私は思わずよだれが出たかと思って腕で口元を拭ったよ。やべーこの人やべー。マネージャーたちが真面目な話し合いをしてるというのに私は何をやってるのか……いや、私のせいじゃないと思う。この社長さんが魅力をあふれ出しすぎなんだよ。
狙ってやってるのか、それとも無自覚なのか……無自覚っぽいんだよねこの人。
「いや、本当に……助かりました」
「はは、そう言ってもらえるとよかったよ。実は君の事はちょっと前から知ってたんだ」
「え?」
まさか、こんな大きな事務所の社長さんが私の事を知ってた? 社交辞令ではないのかな? だってそんな事ってある? これが静川秋華クラスの声優ならわかる。同じ業界にいるのに、あいつを知らないなんて業界人としてあり得ないし……でも私だよ? 自分で言うのもなんだけど、私は声優の端っこになんとか居る存在だ。こんな大手の事務所の社長さんが知ってるなんて普通はないでしょう。
「今季のアニメで、話題になってるじゃないか」
「ああ、社長さんでもアニメを見たりするんですね」
そこが意外である。いや、声優事務所の社長だし、アニメをみててもなにもおかしくなんかないんだけど、なんかこの社長さんにはそのイメージが浮かばないって言うかね……こう……関連付けられない。
「ちゃんと時代の潮流を見定めるのは社長の役目だよ。本当にあのアニメは君だけで?」
社長さんの立場なら、私に聞かなくてもその事実を知ってると思う。なのに私に聞くと言うことはどういうことだろうか?
「私に……何かさせたいんですか? お仕事なら事務所を通していただかないと……」
「別に大げさなことじゃないだ。君の声を聞いてみたくてね」
「声……ですか?」
「声優事務所の社長をしてるんだ。不思議じゃないだろう?」
「まあ……確かに」
立場的には不思議なんて全然無い。全然無い筈なんだけど、やっぱり違和感すごい。この人と声優やアニメを結びつけるのが大変なんだよ。本当に素敵なダンディー過ぎてね。こうやって思うと、アニメとかそっち系って素敵なイメージとかけ離れてるんだね。
実感した。世間にはアニメも声優も結構浸透して昔よりもメジャーになってきた感があるけど、やっぱり大人が嗜む物ってイメージはまだ定着してない。それにはもっと時間がきっと必要だ。私はそんな事を思いながら社長さんとの会話を続けるよ。
次回は20時にあげます。