262 持ち上げられると嫌な気はしないよね
「はあ……」
「あっ、匙川先輩!」
社長とマネージャーとの話し合いが終わって事務所をとぼとぼと歩いてると、そんな声がした。顔を上げてみると、こっちに近付いてくる緑山朝日ちゃんが見えた。そういえば同じ事務所だったね。緑山朝日ちゃんはモコモコした格好してなんか可愛らしい。髪の毛にリボンなんかもつけちゃって……まだギリなの? ギリ良いの? とか思うが、似合ってるから良いのかな? 私がやるときっと周囲に殺意を抱かせると思うけど、緑山朝日ちゃんくらい可愛ければ、いいんだね。
モコモコしてる緑山朝日ちゃんは庇護欲を掻き立てる様な感じ。彼女は目の前まできたらしっかりとお辞儀をしてきた。
「お久しぶりです!」
「……う、うん」
今まで別にこんな事無かったと思うけど……この前オーデションで会ったからの変化だろう。でも私はまだまだ友人認定もしてない。顔見知りくらいだ。だからちょっと体がこわばる。
「先輩のおかげで初めてオーデションに受かったんです! これでようやく自信を取り戻しました」
「よ、よかったね」
「はい!」
自信を取り戻した? そんなことを言われても私には何のことかさっぱりである。なにせあのオーデションは自分の事で一杯一杯だった。不利な中、全力を出したと思うが、何の連絡も無いから落ちたんだろう。てか緑山朝日ちゃんが受かってるのなら、私は落ちたという事だ。なにせ私の方には連絡無いし。
てか既に台本とか貰ってるのなら、配役で私が落ちたのわかってるのでは? ならこれは嫌みか? でも緑山朝日ちゃんからはそんな負のオーラは感じない。天然なのかな? それか純真か……
「えっと……それじゃあ頑張って……」
私はそう言ってそそくさと別れようとする。いやね、私は人付き合いが苦手だし……そもそもここは頑張る場面じゃない。緑山朝日ちゃんと関係気付いても、メリットないしね。色々と頑張ると決めたが、全てに全力なんてどだい無理な話。現場とかではそれは頑張るし、オーデションでもなるべく浅野芽依を参考に愛想を出して見る気だけど、今は……ね。そこまでする場面じゃない。
でも緑山朝日ちゃんはそんな私の心情なんてお構いなしである。
「あの!」
そう言って背中に声をかけられる。しかも腕を取られた。でもその次の言葉を彼女は言い出せずにいる。モコモコした彼女が、マフラーに顔を埋めたり、髪の毛を退けたりする仕草……可愛い。ズルいよね……何気ない動作がが可愛いって……それだけで武器だ。
でもイラッとはしても余計な事は言わないよ。嫌われたい訳じゃないしね。
「どう……したの?」
じれったくなった私はそういった。すると緑山朝日ちゃんは詰め寄るようにいってきた。
「あの! 時間ありますか? 私、初めての現場で役で緊張してて、良かったら先輩に私の演技を聞いて欲しいなって……お願いします!」
「え? なんで私?」
普通にそんな疑問が沸いた。だってここは事務所だよ? レッスン室だってあるし、先生だっているよ。私が見る必要なんてないくない? でも緑山朝日ちゃんは、まだまだ熱く言ってくる。
「オーデションの時の先輩が凄かったからです!! 先輩は私の憧れなんです!!」
「え?」
憧れ? そんな事を言われたのは初めて……なんかいい気になってきたかも知れない。




