亜美の横やり
結婚が3ヶ月後に決まって秀人は5月中旬、会社を辞め、実家に戻り店を手伝い始めた。
そんな彼に、ある日突然、元カノの亜美から電話が入った。
もう関わりたくないと思っている彼は、携帯には出なかったが、彼女は店の電話に連絡してきた。
「忘れ物を返したいから」と言われ、止む無く店の裏の公園で会うことを了解した彼に、亜美は「やり直そう」と言い寄って来た。
「プロまで経験した人が天丼屋で仕事するの! プライドはないの! 」
彼女の蔑んだような言い方に
「そんなものはもうとっくに捨ててしまったよ、俺は彩と生きて行くんだ、もう放っておいてくれないか!」秀人ははっきりと口にした。
「彩さんは駄目よ、雄一とつきあっていたのに、あなたに乗り換えたのよ!」
亜美が訴えるように迫ってくる。
「まさか……」彼は呆れていた。
「本当よ! あなたにはもっとふさわしい道がある。パパが幹部として会社に迎えるって言ってるの、だから私とやり直そっ!」
亜美も必死だった。
「もうよしてくれ! 」
しかし、秀人はあり得ないと思いながらも、確認して気持ちを楽にしたかったことに加え、雄一の思いは知っていたので、彼に一言だけは謝っておきたかった。
その夜、彼は久しぶりに、当時の野球部のキャプテン、彼の球を受け続けてくれた高田雄一に会った。
「ごめん、俺が嘘ついたんだよ」
話を全て聞いた雄一は真相を語り始めた。
「えっ」
「あいつは、お前と別れた後、モデルになった敦と付き合ったんだけど、付き合う前に、俺に強力しろって言ってきたんだよ。お礼に女子を紹介してやるからってさ」
「そんなことがあったのか?」
「俺は腹が立ったから、彩ちゃんとつきあっているって言っちまったんだよ」
「そういうことか……」
「あいつが彩ちゃんの名前を出せば、ピリピリするのがわかってたからさー」
「えっ、彩と何かあったのか?」
「相変わらず、鈍いなー、お前は……」
「えっ」
「お前のせいだよ、亜美は昔からお前の中にいる彩ちゃんに敵対心を持ってたんだよ」
「えっー、なんだよそれ。意味、わかんないし……」
秀人はそう言ったものの、亜美の言葉の端々に、あるいは彩に接した時の彼女の態度に何度か不愉快な思いをしたことがあった。
雄一に言われて冷静に考えて見れば、確かに亜美が必要以上に彩を嫌っていたことは否めないと思った。
「お前はその…… いいやつなんだけど、その辺は全くダメだなぁ」
「そうなのか?」
「今回だって相手が彩ちゃんだから邪魔しに来たんだよ」
「さすがに、それはないだろう」
「いや、もしお前と結婚する相手が彩ちゃんじゃなかったら、よりを戻そうなんては考えていないよ……」
「亜美ってそんな女なのか」
「あいつの星がそうさせるんだよ。お前を彩ちゃんにだけは渡したくないんだよ…… お前、ちゃんと断ったんだろうな、はっきりと言ったのか?」
「ああ、はっきり断ったけど、その星って何なんだ?」
「人には生まれ持ったものがあるんだよ。まあ、それはいいじゃないか、また機会があれば話すよ。だけどあの女のことだから何を仕掛けてくるかわかんないよ、うかつに乗ったらダメだよ、気をつけろよ」
「わかった。ありがとう」
「でもお前、よく店継ぐ決心したなあ……」
「彩の親父さんに言われてさー、まだすっきりしない部分はあるんだけど……」
秀人が困惑したように話すと、
「何か問題があるのか?」
「何が問題なのかもわからない、ただ、それでいいのかって思うだけだ」
「ははははっ、相変わらずだなー」
「えっー、笑うなよ、参ってんだ!」
「彩ちゃんは何て言ってんだ?」
「うーん、あいつにも困ったもんだ」
「えっー、何だよ、偉そうに!」
「それがさ、切ない顔して、輝いている俺を見ていたい、って言ったんだよ」
「それは、天ぷら上げてるお前が輝いているってことか?」
「そうなんだ。去年の暮れに、4年ぶりに彩に会って、それから彩のことが気になって、いろんなこと思いだしてたら、こんな答えが出せない所は、全て彩に背中押されていたんだよ」
「もっと早くに気づいて欲しかったけどな」
「えっ、お前、わかってたのか?」
「当り前だよ、お前がいつになったら彩ちゃんに気づくんだろうって、いらいらしていたよ」
「そうなのか、俺はほんとに愚図だな……」
「愚図じゃないよ。彩ちゃんと結婚するんだからさ、スーパーヒーローだよ」
「えっ、そうなのか、何かお前に褒められると気持ち悪いな」彼は苦笑いをしていた。
「だけどなー、お前からしたら彩ちゃんが背中押してくれたら、何も悩むことなかったのにな」
「そうなんだよ、いつもだったら、ここで彩がそうしなさいって言って決定するのによ、今回は、切なそうな顔して、輝いている俺を見ていたい、って言うもんだから、何か調子狂ってしまって……」
「だけどさ、ここで一歩引くところが彩ちゃんのすごいところだよな」
「えっ、そういうことなのか?」
「この流れで普通の女だったら、勢いに乗ってそうしなさいって言うよ。だけど、自分のことだからさ、一歩引くんだよ。できそうでできないことだよ」
「そうなのか……」
「だけどさ、お前ももう動き出したんだから踏ん切りつけろよ。プロポーズは自分からしたんだろ、彩ちゃんがした訳じゃないだろ? 大事なところは自分で決めて、自分で動いたんだから、ここも頑張ってもう踏ん切りつけろよ!」
「うーん、プロポーズなあ……」
「お前、まさか、彩ちゃんにプロポーズさせたんじゃないだろうなっ!」
「いや、それはないけど、言いかけてウジウジしていたら、はっきり言いなさいって叱られて、結婚して欲しいって、言ってしまった」
「何だよ、それ! 背中押されてなくても、手をひっぱられたんじゃないか…… どうりで考えていたより早いって思ったんだよ、何だよ、そう言うことか……」
「それにさ、嫁さんの家で働くって言うのは、何か、肩身が狭くないか?」
「お前、本当にバカだな、彩ちゃんやあの親父さんがお前にそんな思いさせるかよ! むしろ気の毒なのは、あっちの二人だよ!」
「えっ、よくわかんないな」
「お前にそんな思いさせたくないから、二人は懸命に気を使うよ、それ考えたらサラリーマンしてもらってた方がどれだけ気が楽か、だけど、お前に輝いて欲しいんだよ、あの二人は……」
秀人は、心の片隅に残っていたわだかまりみたいなものが消えてしまい、心地よく帰宅した。