第2話 貧民街と旅人
貧民街にある自宅へと戻ったシグロ。自宅と言っても勿論シグロの家ではなく、誰の家でもない廃屋に住み着いたのだ。
カオメレンは南から南西にかけて森があり、北から東にかけてが海、西には草原の広がる豊かな土地に出来た国家である。その土地のお陰もあって、他国との貿易を行うことが出来ているのが唯一の救いである。
商人達は質の良い食料品を求めてカオメレンへとやって来る。いかに周辺国家がカオメレンを蔑視していたとしても、品の良さには定評がありどの国も簡単には貿易を断つ事が出来ずにいるのだ。
貧民街はカオメレンの南西、森林部と隣接している。数年ほど前に色々な亜人の集落、都市等が集まって出来た所謂都市国家である為、外壁の建設も未だ進めている最中で、貧民街は未だ手がつけられておらず先送りにされている。
偶に貧民街に魔物が侵入することもあるが、亜人の集まりなので貧民街と呼ばれているものの魔物に対抗する力は持っている為、今のところ大きな被害はない。
「帰ったら声くらいかけたらどうじゃ」
いつものように貧民街の爺が説教してくる。本人はシグロを拾った時から親代わりのつもりなのだが、シグロは中々手強いようだ。
「……受けてきたよ」
「それで?」
「……蜥蜴系人型」
「……フム……そうか」
6本の長い腕に全体の半分はあるであろう血のような赤と黒の線が交互に描かれた大きな腹、その腹まである長い髭に顔の半分を占めるサングラスをかけた年の割に恰幅の良い身体をした蜘蛛系亜人のジョー。勘だけは鋭い面倒な爺だ。
そんなジョーの目論見は少し外れたようだ。小さい頃からシグロは少し変わっていた。ジョーも初めは蜥蜴系だろうと予想していたのだが、様子を見ている内に可笑しな点が見えてきたのだ。
まず、蜥蜴系は鱗が茶色で統一されている。にもかかわらず、拾った時から既にシグロの鱗は黒色であった。まぁそんな事もあるか、とジョーは深く考えはしなかったのだが。
次に、身体能力の面である。蜥蜴系の亜人は身体能力は低くない。国でも諜報部隊等で実力を発揮している。だが、シグロのそれは全てを凌駕していた。しかも諜報部隊のような尾行や暗殺よりも、それを発見する察知能力が秀でている。同じ蜥蜴系の亜人と比べても、生まれ持つ能力に差がありすぎたのだ。
そういったところから爺は、別の種類……例えば自分の知らない希少種の亜人なのではと疑っていた。
「知り合いの騎士に頼んでみるか?お前ほど戦えるなら受け入れてくれるじゃろうて」
貧民街の爺が何を言うやらと、あまり興味なく視線をやるシグロ。
「……フロウさんで十分」
「あやつもいつまでもお前の相手は出来んぞ?」
「…………考えとく」
数カ月に一度、貧民街を訪れる放浪人フロウ。魔物の多いこの世界を一人で旅することから実力は言わずもがなで、ある国の闘技大会では初出場にもかかわらず優勝を収めた経験もある。幾度かカオメレンの騎士団にも教授したことがあるほどの腕前である。
「フロウさんっ!」
顔を見るまでもなく、後ろ姿で本人と分かり声をかけ、駆け寄るシグロ。
綺麗な翡翠色の首ほどまである髪、いつもの茶色の襟付き長袖シャツを着て、腰には片刃の珍しい形をした長さの違う2本の剣。膝に穴の空いた茶色のズボンに膝下まである黒い靴。
しかしそんな外見よりも何よりも常人にはない圧倒的なオーラと、魔物の血が入っていない純血の人間であることがフロウその人であると証明している。
「シグロか!元気だったか?」
「うん!しっかり毎日欠かさず鍛錬してるから!そろそろフロウさんに1本入れちゃうよ?」
「ハッハッハッ。それは頼もしいな!それより、種族鑑定したんだって?どうだったんだ?」
「うん、やっぱり蜥蜴系だった」
訝しげな視線を送るフロウ。フロウも爺と同様の見解で、シグロの可能性を感じていた。
「ホ、ホントだよ?ちゃんとギルドに行って見てもらったから」
「国のギルドは信用ならんからなぁ……俺が見てもいいか?」
「フロウ!その辺にしておけ!」
「ん?……げっ」
不意に声を掛けられ振り向くと、二人が好まない中肉中背、鍛えたことも無いだろうだらしない身体をした見た目だけは立派な全身銀の鎧を着た長い牙を持つ騎士団の男が一人。名はキザール。過去にある国の闘技大会一回戦でフロウに瞬殺された貴族階級のコネ二世騎士だ。それからというもの何かにつけてはフロウに因縁をつけてくるので、フロウもシグロも苦手にしている。
「じ、じゃあまた後でフロウさん!いつもの場所に行ってるよ!」
「あっ!おいっシグロ!卑怯だぞ!」
「話はまだ終わってない!」
キザールを確認した直後に走り去ったシグロを、追いかけようと踏み出すフロウの肩に手がかかる。この後、半刻に渡りフロウに嫌味を言ったキザールは清々しく立ち去った。
「……ふぅ。……ホントいつもしつこいなあの人」
キザールに捕まり長々と説教された後、いつもシグロと訓練してる空き地へ向かうフロウ。遠目に空き地が見える所まで来たフロウは、先に自主練しているシグロを見つける。
「シグロ!おま……え?」
フロウが先程のシグロの行動を咎めようとした刹那、空き地に巨大な炎が渦巻いた。
「これは……」
「フ、フロウさん!?いや、これはその……」
「シグロ!お前火魔法のスキルが出たのか!しかもこの威力!こりゃあ引く手数多だぞ!やったな!」
「……え?……う、うん!そうなんだ!蜥蜴系は水魔法が主流だから驚いちゃった!」
蜥蜴系亜人は水魔法が主流である。これは遥か昔、竜鱗人という亜人がいたらしく、その血を引いているであろうという推測から出来た現在の見解である。その為、蜥蜴系は手や足に水掻きがある者が多く存在する。しかしシグロには水掻きが無い。その事から爺やフロウは別の亜人の可能性を捨てきれずにいたのだが……。
「もう一回打てるか?」
「いやぁ、魔力が切れたかも……」
「……そうか。まぁ、あの威力だしな。また今度見せてくれ!」
「貧民街じゃ、早々打てないけどね。自分でもビックリしちゃった」
「周りの家だけは燃やすなよ?」
「燃やさないよ!」
その後、いつもの様に鍛錬をした2人が解散したのは日の落ちた頃だった。シグロは火魔法で魔力切れを起こしたと言っていたが、フロウは鍛錬時のシグロの動きからその可能性を除いた。魔力切れを起こした直後にしてはあまりに動きが良すぎたのだ。
そして、火魔法を打った直後のシグロの身体から、異常に高い体温によって出来た陽炎をフロウは見逃していなかった。
難しい……。