ダークネスルーム(三十と一夜の短篇第24回)
「キリえもぉ~ん。寿命チェックライト、ちょっと貸してよ」
陶器のようにきめ細やかで白い頬を上気させた少年は、青年に要求した。
「……便利ロボットや面白道具のように名付けないでいただけますか?」
キラキラとした笑顔を向けられた青年は、泥遊びを小一時間こなして来た小型犬を見るような眼つきで苦いため息を吐いた。
「しかも『ちょっと貸して』なんて、そんな気安く」
艶やかで真っ黒な髪の少年に対し、青年はビジュアルバンドのメンバーのようにカラフルな髪色に染めていたが、クラシカルなスーツ姿は青年に執事のような勤勉さをまとわせている。
「えぇ~? だってこないだキリトが『試供レンタルは三日間可能です』って言ってたよね? 僕、ちょっと思い付いたことがあるんだ」
「確かに言いましたけど、そもそもアレはそんな名称ではなく……それよりも、お貸しできる期間が三日間ですよ? その程度で何ができるっていうんです?」
眉間に皺を寄せつつキリえもん――ではなくキリトは、どこからかカタログのようなものを取り出した。少年はページを覗き込み、素早く視線を走らせる。
「秘密……と言いたいところだけど、今の僕には手続きが難しいことも多いから、手伝ってくれるなら教えるよ?」
天使のような笑顔を向けながら、少年は小首を傾げてみせる。
だがキリトは眉間の皺を残したまま肩をすくめた。
「それ、私にメリットがありますかね?」
万が一誰かに非日常的な会話を聞き咎められたとしても、彼らのどちらもが人並み外れて整った面立ちをしているため、何かの撮影中と思われる程度だろう。
「大丈夫大丈夫……きっとWin‐Winだよ」
少年は満面の笑顔のまま両手でVを作り、それをくっつけて指を曲げてみせた。
「レイさま。あなた最近は、見た目は子ども、でも中身は中年男性のようですよ……もう少し、言動にお気を付けくださいな」
キリトは、またため息をついた。
* * *
都心のレンタルスペースで週末から三日間だけ開催されるイベントのタイトルは『ダークネスルーム』といった。
煽り文句に『寿命が確実に一週間縮む体験!』とあるが、イベントの内容自体は謎に包まれている。しかし前情報だけは数週間前からSNSなどでさり気なく流されていた。
入場料二千円を払ってからひとりずつゲートをくぐるのだが、全員が入場できるわけではないらしい。ゲートで覆面の門番に弾かれた者は、入場できずに帰されるというのだ。
ただしその場合、入場料は全額返金される。
更に、入場できなかった人にしか与えられない謎のシリアル入りのカードを手渡されるらしい、ということまでが拡散されていた。
『入れないなら時間の無駄じゃない?』という意見などもあったが、『入場できなくてもタダで何かもらえる』という噂だけでも自然と当日の列が伸びて行く。
早速イベントを体験したという書き込みや、入れなかったけどもらった、とカードの画像をアップする者が出て来ると、またそれに引き寄せられるように更に列が伸びる。
そのうち、もう一度カードをもらおうとして並ぶ者や、カードをもらった直後にオークションサイトで転売する者まで現われた。
『まだ並んでるんだけどー全然列が減らないし』
『今日の○○時までに並んでたら、何時になっても入れてくれるって!』
そういった書き込みを見て、夕方からおもむろに出掛けたという人もいる。
結果的には、イベント初日から会場クローズ予定時間を大幅にオーバーするほどの盛況振りになっていた。
* * *
「前にも似たようなイベントあったよね?」
イベント二日目の入場を待つ列で、カップルがひそひそと会話を交わしている。前情報と初日の噂を聞いて早めに出掛けたのだが、開場時間の二時間前でも既に長蛇の列だった。
「そうそう。その時はなんか問題があったってのは聞いたけど……」
彼女の疑問に答える若い男性の声は、不安と期待でうわずっていた。
「これも二番煎じとか散々言われたけど、『めっちゃ怖かった!』とか『楽しくて帰りたくなかったー』とか、感想がてんでバラバラで……バイト先の子が昨日入ったらしいんだけど、全然教えてくれなくてさぁ。実際どうなんだろうねぇ」
彼女の方はそれほど緊張している様子もなく、のんびりとした声だった。
「とりあえず、中は暗いらしいってことしかわかんないんだよな……暗闇でトラブったら困るし、ミナは俺の手を離さないようにな」
「うん――あ、やっともう少しだねマサくん。あと五組くらい? あそこのグループ、ちょっと人数多めっぽいけど」
列の先には大きな注意書きの看板があり、並んでいる間に同じ内容の紙を係員らしき人から手渡されている。
「必ず最後までお読みくださーい」と、いかにもアルバイトといった様子の青年が声を上げている。
「えっとぉ、『足元が不安な場所で押さないこと』、『走らないこと』……え? なにこれ。『寿命が一週間分縮むような体験をしますが、それに同意できない場合は入場しないでください』? アオリと一緒ね……やっぱり怖いのかなぁ」
「でも楽しかったって感想もあったよな?」
「うーん……ホラー好きな人だったのかなぁ?」
そのカップル――マサオとミナコは首を傾げながらも入場料を払い、ゲートに向かう。
注意書きを読んであれこれ言う声は聞こえて来るが、列を抜けて帰ろうとする者は、ひとりとしていなかった。
「はい、あなたはこちらへお進み下さい――あぁ、ごめんなさい。あなたはご入場いただけません。こちらへ」
ミナコに続いてゲートを通ったマサオは覆面の係員に止められた。見上げると、頭上のゲートには赤ランプが点滅している。
「え? なんで俺だけ?」
「すみません、そういう決まりなんです……もしご一緒にご辞退なさるのでしたら、お連れさまの分もご返金いたしますが?」
覆面係員は慣れた様子でマサオをあしらいながら、ミナコの方を振り返る。
「そうだな、帰るかミナ――」
「えー? 折角ここまで来たんだしさぁ、マサくんの代わりに、中の様子がどうだったのか見て来てあげるよ。出口の方で待ってて」
「ちょ、おい……あぁ、もう。痴漢とか出たらどうすんだよ」
当然考え直すと思っていたらしいマサオは、喜々として通路を進んでいったミナコの後ろ姿を見送って舌打ちをした。
「お客さま、他のイベントの件は存じませんが、このイベントではそのようなトラブルは起きないことを保証いたします――出口はこちらになっております。休憩できるスペースもございますので、そこでお待ちください」
覆面係員の穏やかな声がマサオをうながす。
封筒に入れられた入場料金と噂のカードを受け取ったマサオは、係員に従うしかなかった。
* * *
「で、どうだったんだよ?」
約三十分後、ようやく出て来たミナコに向かって、マサオは待ちきれないという様子で切り出した。
「あのね、なんか中ではひとりずつ違う入り口に入ってってね、迷路みたいなとこを歩いていると壁がモニターになっているとこがあって……あたしが観たのは、結婚式の様子が映し出されてたよ」
「結婚式? トラブルとかはなかったのか」
トラブルを期待したわけではなかったが、マサオは拍子抜けした。同時に、結婚式の映像を観るために二千円も払わなくてよかったとも思った。
「うん。その映像がねぇ、あたしがいっつも話してる、ホラ、ハワイにあるあのホテルの――」
――っていうか、結局何もなかったからそんな作り話してんじゃねえの? そういや、以前の似たようなイベントも結局、『何もない』場所で各々の想像力を働かせるというのが最終的なコンセプトだったような……
マサオはそう考えながら、ミナコの話を聞き流す。
結婚願望、というより結婚式願望が強いミナコが夢見る表情で週に一度は推して来るトロピカルな挙式の話を、ここに来てまで聞かされるとは思わなかったのだ。
「――だからあたしは『夢の時間!すっごく楽しかった!』って早速書いたんだけど。そういえば、マサくんがもらったカードってなんだった?」
「あぁ忘れてた……これな」
長財布にそのまま突っ込んでいた封筒からカードを取り出す。
一見真っ黒なだけのカードだが、二次元バーコードでシリアルが書かれているとのことだった。
マサオがスマートフォンのアプリを起動してカードに向けると、やはり何か書かれていたらしい。ほどなくして英数字が意味不明に羅列するURLが表示された。
「特別なサイトなのかなぁ?」
「わかんね……」
つぶやきながらマサオがタップすると、真っ黒な画面に『月曜は中目黒に行くな』とだけ表示された。
「ふぅん? 中目黒? あんなとこになんかあったっけ」
画面を覗き込んだミナコが顔を上げると、マサオは顔面蒼白になっている。
「いや……なんだろな……? うちも職場も全然違う方向なのになぁ?」と言いながら、そのまま慌てて画面を閉じた。
「え~? なぁに? 急に慌てちゃって。あやし~い。まさか浮気してるわけじゃないよねぇマサくん?」
じとーっと横目で睨みつけるミナコに対し、マサオは話題を無理矢理変えた。
「つーかミナ、そんなことよりさ、終ったらなんか食いに行くって言ってたろ? 俺もうさっきから腹が鳴りそうでさぁ――」
* * *
三日間のイベント終えた撤収作業中、慌ただしく右往左往している大人たちの間を縫って、少年がイベント主催者らしき男性に近寄って来た。
「ねえ。ゲートで弾かれた人は、結局何人だった?」
作業者たちに指示を出していたスーツ姿の青年――キリトは、その声に少し驚いたような表情を向けた。
「レイさま、いつの間に――ええと、初日には十三人、中日は十人、最終日には二十一人でしたね」
キリトは大きなバインダーのようなものを手にしている。
「でも、弾かれた人と一緒に帰ると言い出した人は、初日のお一人しかいませんでした。もっとも、そのかたは少し足が不自由なご様子だったので、パートナーのかたが入れないと、ご自分の足元も不安なご様子でしたし」
「ありゃぁ……じゃあその人、これから大変だねぇ」
レイはまったく大変だとは思っていなさそうな口調でそう言う。
「ええ、そうですね。パートナーのかたがカードの忠告に従ってくだされば、あるいは変わるかも知れませんけど」
「その人のカードにはなんて?」
ページを何枚か繰り、大量に書かれている細かい文字の一点を指で示す。
「『来週、雪が降ったら出掛けるな』です」
「でも出掛けるんだろうねぇ……」
「多分そうなるかと――そして、段差の凍結部で滑って転び、路肩で後頭部を打つ予定です」
キリトは同情的な声でこたえながらバインダーを閉じる。
「ぎりぎり一週間後ですので、ひょっとしたらニュースなどで噂を聞いて思い留まるかも知れませんが……」
「――そんな利口な人間なんていないの、キリトならもうわかってるでしょ」
二人がのんびりと話し合っている間もてきぱきと撤収作業をしている作業者たちはみな能面のような無表情で、よく見ると全員が同じ顔だった。
だが、イベント終了後のこの場所には関係者以外立ち入れないので、そんなことに気付くような人間はここにはいない。
「ね? 僕の言った通り、Win‐Winになったでしょ?」
「まだわかりませんよ。でも予定が一番近い人は、もうそろそろ――そうですね、一時間後ってとこですか。それまでに撤収作業を終えないと」
キリトはスーツの袖を少しまくって腕時計を確認する。
月曜日の二十時過ぎ。イベント二日目に訪れたカップルの男性――マサオが、仕事帰りに浮気相手のマンションに向かう途中、何者かによって電車のホームから突き落とされる時刻が迫っていた。
マサオは危機一髪、電車には轢かれず助かるのだが、その後恐怖で足がもつれたまま帰ろうとした際、階段から転げ落ちて絶命することになっている。
「ネットでイベントの評判を見たよ。『寿命、一週間どころか一年くらい縮まった!』って人もいたし、『むしろ延びたわぁ』って書いてる人もいたね」
「みなさん公平に、一律一週間分いただいたんですけどね。一週間分も残っていない場合は、マーキングしてからお引き取り願いましたし」
キリトは心外だという様子で肩をすくめる。
「縮んだって人は『人生で最低最悪の瞬間』がモニターに映し出されたわけだし、無理もないと思うけど。でもやましいこと考えてた人だから、自業自得だよ」
「人生最高の瞬間を映すモニタには、結婚式やプロポーズというのが多かったようですね。特に女性は――しかし、あれを彼らに観せるのは、なんの意味があったんですか?」
「意味っていうか、まぁ、僕の趣味半分かなぁ。人間について、僕にはまだまだ知らないことがたくさんあるからね」
「相変わらず、あなたの考えることはわけがわかりませんよ……どうしてそんなに、人間に近付きたがるんでしょうね?」
「僕にもわからないよ――だから近付きたいんじゃないかなぁ」
レイは真顔になってそうつぶやくと、近くを歩いていた作業員の脚を引っ掛けて転ばせた。
カシャン――と、倒れた途端軽い音を立てバラバラに砕けたソレは、次の瞬間にはまた元の姿に戻り、何事もなかったかのように作業に戻る。
「私には人間もよくわかりません。仕事では関わりますが、やはり理解できないことが多いです」
違う作業員の脚をまた引っ掛けようとしているレイをさりげなく止めながら、キリトは首を横に振った。
「今回のイベントでも『確実に寿命が縮む』と書いてあるのに何故わざわざやって来るのでしょう。何が起こるかわからないのに無駄に寿命を費やすなど、私たちにはとても考えられないことです」
「そりゃぁ、言葉そのままの意味だと誰も思っていないからさ」
少年はくすくす笑った。
「それよりさぁ、このイベントで『印』をつけた四十四人分は、僕の分としてカウントしてくれるよね?」
「そうですね。いただいた入場料でイベントスペースのレンタル料も賄えましたし……」
「お金だけじゃないでしょ」
レイの指摘に、キリトは渋々うなずいた。
「えぇ……確かに、一週間分ずついただいた寿命も結構な量になりました。これは本当に、私の臨時収入ということにしてよろしいんですね?」
「キリトにはいつもお世話になっているからさぁ。たまには僕からサービスしてもいいよね?」
「その裏に、なんの思惑もなければいいんですけどね」
「ん~? ないわけじゃないんだけどね?」
レイはまた『天使の微笑み』をキリトに向ける。
この笑顔は数ヶ月前知り合った少年から得たもので、今のレイが作れる唯一の『表情』だった。
「やっぱりあるんですか――今度はなんなんです?」
「実はさぁ、とある超ローカル線沿線の山の方に、いい感じの廃ホテルがあってね――」