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♯98 振り抜かれた拳



「駄目です! レフィアさんっ!」


 ハラデテンド伯爵の横っ面をぶん殴ってやろうとしたのに、アネッサさんが飛び込んで来た。

 小柄なアネッサさんに身体ごと抱きつかれ、振り上げた拳を下ろす事が出来ない。


 強引にハラデテンド伯爵との間に肩をねじ込ませ、身体を張って私を止めようとしてくれている。


 勢いに負け、胸元を掴んでいた手が外れた。

 ハラデテンド伯爵はそのまま尻もちをついて、這いずるようにして後ずさっていく。


「駄目です! 伯爵はこれでもこの国の重職者、外の国からのお客さんであるレフィアさんが手をあげては、問題になります!」


「だけどっ、だけどソイツはっ!」


「ごめんなさい……。でも、駄目なんです!」


 手を出しては駄目なのは分かってる。

 でも、それでも我慢が出来なかった。


 コイツは旧市街にいる人達を人柱にすると言った。

 そこで懸命に生きてる人達を敢えて犠牲にすると、堂々と大声でのたまわったんだ。


 薬を買えない貧乏人は死んでもいいと。

 必死で生きているトルテくんやダウドさん達に、死ねと言い放ったんだ。


 そんなのっ、そんなの許せるわけが無い!


 激情が込み上げて、言葉が声にならない。


 やり場の無い怒りで身体が震えるけど、強い意思をこめたアネッサさんの、真剣な眼差しに押さえ込まれる。


「い、いきなり何をする! この野蛮女がっ!」


 距離を取りつつ中腰で起き上がるハラデテンド伯爵が、気を取り戻したのか大声で喚きはじめた。


「これだから信用ならんのだ! 魔物の国からきた者達など神殿に入れるべきではなかった! 魔王の愛人など、迎え入れるべきではなかったのだ!」


「ハラデテンド伯! 黙りなさい!」


 ハラデテンド伯爵の暴露に、室内が騒然となる。

 聖女様が怒りも顕に静止を呼び掛けるが、興奮したハラデテンド伯爵は止まらない。


「黙りません! この際だから言わせていただきます! 魔王と友好を結ぼうなどと、夢物語にも程がある! 相手は暴力にものを言わせる魔物達なのですぞ! この娘を見ろ! 突然殴りかかってきたんだ! 魔王の愛人など、所詮こんなもんだ! 友好など、出来るハズもない!」


「黙りなさい! それ以上は私が許しません!」


「法主も聖女もどうかしております! コイツらに騙されているのです! どうか目をお覚まし下され!」


「ハラデテンド! いい加減にしなさいっ!」


 聖女様が身を乗り出して叫ぶ。

 あの聖女様が、ここまで激昂するなんて。

 あまりの迫力に、ハラデテンド伯爵も一瞬怯んだ。


「だ、騙されているのです。……そうだ、騙されているんだ。疫神だなんだのと、あんなもの、聞いた事もない。七夜熱だってそうだ。今まで聖都に疫病が発生した事なんてなかった。……コイツらだ! コイツらがこの都に疫病を持ち込んっ、ぐぼぉっ!?」


 最後まで言い切らない内に、顔面に鉄拳がめり込む。


 アネッサさんの渾身の一撃が、喚き続けるハラデテンド伯爵を吹き飛ばした。


「やっかましいわっ! このウスラデブが!」


 小柄な身体のどこにそんな力があるのか、呆然とする周囲のお偉いさん方をよそに、ハラデテンド伯爵は鼻血を吹き上がらせて目をまわした。


 さすが旧市街育ち。

 腰の入ったいいパンチに感心してしまう。


「お前なんか、レフィアさんが殴るに値しないって言ってんだよ! 代わりに私が、その腐った性根を叩き潰してやる!」


「ふ、ふざけるな! 貴様っ! 自分が何をしてるのか分かってるのか! 貴様ごときを神殿から叩き出すなど、いつでも容易にできるのだぞ!」


 鼻を押さえながらも、さらに喚くハラデテンド伯爵。

 アネッサさんに殴られたというのに、ハラデテンド伯爵を気遣う者が一人もいない。


 この状況が、分かってるんだろうか。


「上等だよ! そんなもん、こっちから願い下げだ! 私がガマ先生の所から神殿に来たのはねっ! 全部旧市街に住む仲間達の為さ! あんたの言う通り、旧市街に住むみんなは、薬が買いたくても買えない、医者にかかろうとしてもかかれないっ、そんな貧乏人ばかりさっ! でもね、でも、だからこそ、ガマ先生は旧市街に居続けてくれたんだ、その気になれば、どんな地位だって望める医術の腕がありながらも、ガマ先生は旧市街に居続けてくれたんだよ!」


 アネッサさんの声に嗚咽がまざる。

 黙ったままのガマ先生は、そんなアネッサさんから視線を逸らさず、真剣な表情でじっと見守っている。


「そんな、そんな先生の元を去って神殿に来たのは何の為だと思う? 私だって、私だってね! 出来ればガマ先生の元にいたかった! ずっとガマ先生に教えを乞い、側で手伝っていたかったさ! でもね、それじゃ駄目なんだよ! それじゃあ薬が足らないんだ! それじゃあ旧市街のみんなの所に、薬が届かないんだよ!」


 アネッサさんは涙声になりながらも、さらに感情の吐露を止めようとはしない。


「法主様の試験に挑んだのは、薬の研究をする為だった。設備と資料の揃った神殿なら、もっと薬の研究が出来ると思った。もっと薬の研究をして、価格をおさえ、旧市街のみんなにも買えるような薬を作りたいからっ、だから神殿に入ったのに! なのに、なのによりにもよって薬をすり替えた? 旧市街のみんなに薬が配られなかった? ふざけるなっ! 冗談じゃないっ! だったら、だったら私は何の為に神殿に入ったんだ! どれだけ研究したって、お前みたいなのが薬を止めちまったら、みんなに届かない? ふざけるのも大概にしろ! そんなん、こっちから願い下げだよ! こんなとこ、こっちから出てってやるよ!」

 

 矢継ぎ早にまくしたてるアネッサさんに、誰もが口をはさめずにいた。

 アネッサさんの願いが、真っ直ぐにつきささる。


「た、たかが研究員風情がっ! 大口を叩くのもいい加減にしろっ! お前ごときに何が出来る! 特効薬が出来たのは、ガマ殿の力添えがあったからではないか! お前達はそれが何の薬かも分からずに、ただ時間を無駄にしただけで、何一つ成果を残していないっ! 七夜熱が旧市街に広まったから何だと言うのだ! 我らには特効薬がある! 感染拡大など、起こりえないのだ!」


「防疫を舐めるなっ! このど素人がっ!」


 アネッサさんがハラデテンド伯爵へと大きく詰め寄り、たじろぐハラデテンド伯爵の襟元を掴み上げて、怒声を張り上げる。


「万全な薬なんてどこにも存在なんかしないっ! どんな薬だって、飲むタイミングと量が大事なんだよ! 特効薬があるから大丈夫? そんな訳あるかっ! 高熱期に至った七夜熱の病原体は活性化してしまうの! 活性化した病原体にはリコリスの効果も薄くなる! こんなのっ、何度も何度も繰り返して説明してんだろがっ! 自分の良いように解釈ばっかりしてんじゃねぇ!」


「なっ、そ、それじゃあ……、特効薬を飲んだとしても」


「感染の可能性は誰にでもあるの! 私も、あんたも! 薬を飲んだから平気? このドアホウが!」


 ……アネッサさん。

 怒り方がガマ先生そっくりになってきている。


「あんたの言う『信用の置けない』『野蛮』な魔王が、せっかく届けてくれたリコリスの球根だって、その効果を望めなくなる。そもそもレフィアさん達がいなければ、七夜熱が発生する事も、その薬の処方だって何一つ分からなかったんだろうが! それを恩に着るならまだしも、言いたいだけ罵りやがって、信用の置けないのはどっちだよ! あんたかレフィアさん達か! そんなのっ、火を見るよりも明らかだろうが!」


「ぐっ……。くっ、うるさいっ! うるさいうるさい!」


「目を背けるなっ! 全部あんたがやった事だろうが! 自分でやった事を、しっかりと自覚しろ!」


「わ、私はっ! 私はこの国の為を思って!」


「そこまでだっ!」


 アネッサさんとハラデテンド伯爵の口論が白熱し、感情の極まった所で、法主様が声をあげた。


「そこまでにするんだ、二人とも。アネッサ、君の言い分も分かった。ハラデテンド伯爵もだ。それ以上は、もういいだろう」


 法主様の鶴の一声に、興奮した二人がそれぞれに我に返る。

 息を荒らげながらも、手を放して距離をとった。

 

「……法主様、今、伯爵の言った事は」


 ざわつきの収まらない周囲の中から、一人の男性が法主様にハラデテンド伯爵の言葉の真偽を尋ねる。

 何についての事かをはっきりとは口にしないけど、それが何を尋ねているのかは何となく分かる。


 私達が、魔の国から来たという事実だろう。


 その事は、ごく限られた一部の人にしか知らされてはいなかったハズだった。

 どよめきは、猜疑の視線となって注がれる。


「事実だ」


 法主様ははっきりと認め、さらに続ける。


「そして、レフィアさん達を聖女マリエルが友人として、魔の国よりアリステアへ招いたのもまた事実だ。偏見や先入観からの無用な混乱を起こさぬよう、この事は一部の者以外には伏せてあったのだが、……もう、その心配もいらないだろう」


 法主様は一度言葉を区切り、ゆっくりと皆の顔を見渡した。


「魔王をはじめ、魔の国よりの客人達が、真に我らの友人たりえるかどうか。それは、これまで皆が目の当たりにしてきた通りであると、私も思う」


 ゆっくりと、でも力強く確信をもって話すその言葉に、いつのまにか室内のどよめきも静まる。


「我々は魔王と魔の国からの友人達のおかげで、この難局を乗り越える手段を手に入れる事が出来た。それもまた、まぎれもない事実なのだから」

 

 法主様はばるるんを見て、ベルアドネ、リーンシェイドへと一人ずつに確かめるように頷きを重ね、最後に、私に対して小さく微笑んだ。


 ……ミリアルド法主様が人気がある理由が、何だか分かる気がする。

 この法主様は真面目で、どこまでも誠実なんだと、そう思った。


「ハラデテンド伯。この国を思えばこその言い分は、痛い程に分かった。だが、貴殿はしてはならぬ事をし、言ってはならぬ事を言ったのだ。その処分はこの事態が収まった後に下す事とする。その方が少しでも償いの気持ちを持ち合わせているのであれば、それまでに、行動で示されよ」


「……はい、法主様。申し訳ありませんでした」


「アネッサ。誠に不甲斐なき法主ですまぬ。私では、君の夢を叶える為の場を、用意してあげる事が出来なかったようだ。本当に、申し訳ない」


「いえ……、法主様、私はっ」


 何かを言いかけるアネッサさんを、法主様はそっと制した。


「だが私は、この国を委ねられた法主として、君の行動に処罰を与えねばならない立場でもある。君が神殿を去りたいと願うのであれば、私はそれをひき止める事が出来ないだろう。情けない事に、ね。アネッサへの処分もハラデテンド伯同様、この事態の終息を待って行うものとする。アネッサ、決して悪いようにはしないと誓う。だからどうかこの事態が収まるまででいい、それまで、そなたの力をこの情けない法主に貸してはくれないだろうか。……頼む」


「……とんでもありません。法主様のお心のままに従います」


「ありがとう」


 アネッサさんとハラデテンド伯爵が、揃って法主様に頭を下げた。


 ……二人の心境が今どうなっているのか、顔を伏せた姿からはうかがい知る事も出来ない。


「レフィアさん。はるばる招いておきながら、情けない姿ばかりをお見せしてしまい、本当に申し訳なく思う。だが、事はこの聖都に住む人々の命に関わる。恥の上塗りを承知で改めてお願いしたい。どうか我々に、この難局を乗り越える為にも、あなた方の力をお貸し願えないだろうか。この通りだ」


 法主様がその威厳のこもった頭を、深々と下げた。


 ばるるんが、ベルアドネが、そしてリーンシェイドが、それを受けて私に視線を注いでくる。


 私は、形式上の代表でしか無いのに……。

 リーンシェイド達はそれでも私に、法主様に返答をしろと促す。


 そんなの、……決まってるじゃん。


「顔をお上げください、法主様。私こそ、激情に我を忘れて、危うく法主様方の誠意を無下にしてしまう所でした。大変、申し訳ありません。事は国の大事。そんな時に招かれた客人だからと知らぬ顔が出来ようもありません」


 ……そもそも私もアリステアの人間だし。

 何だか普通に魔の国の者として扱われてるので、あくまでも素知らぬ顔でそれで通し貫く。


「こちらからもお願いいたします。どうか是非、私達にもお手伝いをさせて下さい」


「寛大なお心に、感謝を」


 ここまで来て知らん顔が出来る訳もない。

 リーンシェイド達にも異論は無いようだ。


 そして、法主様より非常事態宣言がなされた。

 七夜熱の発生を認め、これより聖都は封鎖される事になる。


 一切の出入りが、出来なくなるのだ。


 法主様の宣言に、場の雰囲気が戦う者達のそれに変わる。


 会議の後、旧市街へと現状調査に赴いた神官さん達からの報告が届けられた。


 旧市街を中心に、高熱期にあるとみられる者が新たに12人確認され、ガマ先生の検査薬に陽性反応のみられる者も多数確認された。


 戦いが、……はじまる。


 人と七夜熱との長く厳しい戦いの幕が、ここに切って落とされた。






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