♯93 選びとる道
雨音が遠くに聞こえる。
本格的に降りだした雨が、聖地を覆うドームの天井を激しく打ち付けている。けど、どこか遠い。
ぐんっと気温が下がり、湿度が増した気がする。
聖女様は私の反応を確かめるようにして、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
「本物の福音の聖女は、レフィアさん。貴女です」
待って。
何……、それ。
「意味がよく分かりません」
「本当の福音は、レフィアさんに下されたものなのです。私では、ありません。私は……、間違って選ばれた聖女なんです」
「止めて下さい。聖女様は聖女様です。誰に聞いたってそう言います。……どうしたんですか? 急に変な事を言い出したりして。何かあったんですか?」
聖女様の様子を見るに、決して冗談や悪ふざけで言ってるのでは無いと分かる。
分かるけど……。
だからこそ、尚更タチが悪い。
私が本当の福音の聖女で、マリエル様は間違いで選ばれた?
……んな訳あるか。
そんな訳、無い。
聖女様の意図が分からない。
どうして急にそんな事を言い出すのか。
「だいたい、聖女様に福音が無いって、そんなのっ。私だって持ってません! 女神様の福音? 祝福の祈り一つ出来ない私にそんなもん、ある訳ないじゃないですか」
「福音は、レフィアさんのものです」
「知りません。私にはそんなもの、ありません」
「福音とは、預言に過ぎません。自覚のあるものでは無いのです」
聖女様が意外に頑固だ。
物腰の柔らかい頑固者って、……相当やっかいだよ。
「何でそんなに、……私を聖女にしたいんですか?」
「したいのではなく、それが事実なのです」
「さっぱり意味が分かりません」
聖女様が視線を切って、祭壇を見上げる。
石造りの祭壇はただ静かにそこにある。
「福音とは、指し示す為の指標でしかありません。その資格を有する者を、指し示してるに過ぎないのです。資格とは、器があるかどうか。女神様を受け入れるに足りる、魂の器を持っているかどうかなのです」
「そんなもんありません」
私は私で手一杯です。
女神様どころか蟻の子一匹入る余裕もありません。
「人の持つ魔力量は魂の器の大きさで決まります。自身の魔力量が他人と比べてどれほどのものなのか。今のレフィアさんであれば、自覚があるのでは無いでしょうか」
……。
言葉に、詰まる。
フィア砦でセルアザムさんの封印を解いて、初めて自分の意思で魔力を引き出したあの日。あれから、日を追うにつれ、自分の魔力がどんどん身体に馴染んでいくのが分かる。
魔力感知も、だいぶ自然に身に付いてきた。
魔力を引き出す事も、今なら苦もなく行える。
そして……、分かった事。
周りの人達との、魔力量の違い。
ありえない程の、自分の中の魔力量。
「平均的な人の魔力量を蝋燭の灯りに例えるなら、レフィアさんの魔力量は、まさに小さな太陽です。常人を遥かに超越した膨大な魔力量。それだけの魂の器の大きさを、レフィアさんは持っているのです」
人の持つ魔力量は魂の器の大きさで決まる。
確かにそれは、セルアザムさんからも聞いた。
魂の器とか、目に見えないものを盾にして言われたって、素直に納得できるもんでもない。
……納得は出来ないけど、並外れてると自覚してる魔力量をそれだと言われてしまうと、反論もしにくい。
「私も正直目の当たりにするまでは、これほど隔たりのあるものだとは思ってもみませんでした。フィア砦でレフィアさんの魔力に触れ、その違いを思い知ったのです。人の努力の及ばない領域。それこそが、レフィアさんに下された福音の証なのです」
聖女様が畳み掛けてくる。
ぐっ。容赦の無い事でいらっさる。
「でも……。私は」
「ごめんなさい。……突然こんな事を言ってしまって。けれどその事実を踏まえた上で、レフィアさんには、よく考えて貰いたかったんです。今後の事を」
でもでもだってを繰り返す私に、聖女様はそっと頭を下げた。
自分がまるで、駄々をこねている子供みたいだっていうのを自覚してるだけに、申し訳なさが勝る。
けど、納得の出来る事と出来ない事は、……ある。
「今後の事、ですか? どういう意味でしょうか」
「レフィアさんが望むのであれば、私が退き、レフィアさんを聖女へと迎え入れる事も出来ます」
「ありえません。マリエル様こそが聖女様です」
即答する私に、聖女様は困ったように笑って、首を振った。
「焦らず、ゆっくりと考えて欲しいんです」
「どれだけ考えても一緒だと思います。私がマリエル様に変わって聖女になるだなんて、想像だにできません」
「レフィアさんにはその資格が十分にあるのですが、そういう事でないのです。私は、レフィアさんには事実をちゃんと知った上で、選んで欲しいと思っています。私は、選ぶ事が出来ませんでしたから」
一区切り息をつき、聖女様は言葉を整える。
「……私は、物心つく前に神殿に入りました。聖女として。それ以外の生き方を知る事もなく、です」
「……聖女、様」
「すでに私は聖女として生きていく覚悟を決めています。レフィアさんが何を選ぼうとも、私が52代目の聖女である事は何ら変わりません。例え退いたとしても、レフィアさんを支える為に神殿で生きていく事になるでしょう。私に福音はありませんが、これまでも、福音を持たない聖女の方が、そうである聖女よりも多いのです。そこに、私が加わるだけの事」
ふぅっと息を吐いて、聖女様が肩の力を抜いた。
私にとっても寝耳に水の、とんでもないカミングアウトであるけれど、それは聖女様にとっても同じだったんだろう。
緊張から、聖女様の身体も強張っている。
「私は選ぶ事が出来ませんでしたから。……それを後悔している訳では無いのですが、レフィアさんは私とは違います。レフィアさんには自分の意思で、選ぶ事がまだ出来るんです。……レフィアさんの福音の事も、私に福音が無い事も、まだ誰にも言っていません。今ならまだ誰も、知らない事なのです」
「……私が、自分で選ぶ」
「もしかしたら叔父様だけは、薄々気付いているかもしれませんが。……何もおっしゃられないのは、私の意思を尊重してくれているからなのかもしれません」
「……聖女様は、私に神殿に入れ、と?」
不安気な問いかけに、聖女様は否定を返す。
「矛盾するかもしれませんが、レフィアさんにはレフィアさんの人生を歩んで欲しいと、私は願っています。福音があるから仕方なく聖女になるのではなく、自分で考え、自分で選ぶ人生を、進んで欲しいんです」
「……それでいいんですか? 本当に」
「はい。それが、いいんです」
これ以上ない位に、聖女様ははっきりと答えた。
……本当に、それでいいんだろうか。
「それに、レフィアさんだからこそ、自分で選んで欲しいんです」
「私だからこそ、……ですか?」
「先程も言いましたが、聖女が存在する本当の意味は、……魔王を倒す事です」
……あっ。
聖女様が何を言いたかったのか。
まるで分かってなかった私は今、とんでもなく間抜けな顔をしてしまっているだろう。
ようやく合点のいった私を確認するように、聖女様は一つ、ゆっくりと頷いた。
「今のレフィアさんに、魔王を殺せますか?」
もの凄く嫌らしい質問だと思う。
そんなの、答えられる訳がない。
私が、魔王様を殺す。
自分の命を女神に捧げてまで。
……そんなの。
「……魔王様は、悪い人ではありません。訳も無く人の敵になったりなんか……」
「変な話ですが、私も同感です。今の魔王が訳も無く、人にとっての脅威になるとは考えにくい事です」
「だったら、何もっ、そんなありえない可能性の話なんかしなくてもっ!」
「可能性の話ではなく、覚悟の問題なのです。今世魔王はとてつもなく強いのだそうですね。勇者ユーシスからも、全く相手にもならなかったと聞きました」
「勇者様が、そんな事を?」
「仮に魔王が人の脅威になった時、レフィアさんは、……どちらに味方するのでしょう」
返答が、……出来ない。
私は人族で、魔王様は魔族の王様だ。
人族と魔族は、もう長い間争い続けている。
あっちでもこっちでも宙ぶらりんな私。
中途半端な立場に甘んじてる私に、どちらかを選ぶなんて事……。
「だから、……自分で決めろと」
だから、聖女様は私に言ったんだろうか。
自分で考えて、自分で決めろと。
自分の、……生きる道を選びとれと。
「……何だか、素敵な事だと思いませんか」
聖女様がふっと、雰囲気を和らげた。
顔が強張ってしまっているのか、そんな聖女様に対して、私は返事が出来なかった。
どこに、素敵な事なんてあるんだろうか。
「魔王を倒す為の福音を持つレフィアさんを、魔王は花嫁にと望んだんです。そうとは知ってか知らずかは分かりませんが、砦での魔王の様子からすると……、多分、魔王も福音の事は知らないのでしょう。なのに、レフィアさんを選んだ」
「……それが、素敵な事なんでしょうか」
「私から見たら、とっても。……魔王はレフィアさんを強引に拐いはしましたが、それ以上の事を無理矢理した訳では無いのですよね。むしろ、とても大切に扱っている印象も受けます。……もしかしたら拐ってきたのも、そうしなければいけない理由が、何かしらあったのかもしれません」
「それは……、何となく分かります」
あの魔王様が自分の我儘で、誰かを拐ってくるとか想像もつかない。
だから多分、私を連れて来たのも、そうせざるを得ない理由があったのかもしれない。
「望まれて、求められる。……福音のあるなしに関わらず。レフィアさんは、魔王が嫌いですか?」
「……変態で、挙動不審です」
ふふっ、と。聖女様が笑った。
「嫌いだとは言わないんですね。もしかしたら昨晩の悩みも、魔王の事だったりしませんか」
「……言いたくありません」
ぐっ……。聖女様がいじめる。
「単刀直入に聞きます。大切な事なので。……レフィアさんは、魔王が好きですか?」
それを聞くんかいっ!
単刀直入にも程がある。
私が魔王様を好きかどうか。
私は……。
……。
……。
あーっ! もうっ!
こうなったら認めるしかないじゃないかっ!
ここまで来て自分を誤魔化しても仕方ない。
うん。認める。
認めてやりますともっ!
それは自分でも痛い程に自覚もしてる。
「お人好しで変な所で頑固で、意外に真面目で苦労人で。強引な所もあるけど、押しに弱くて。頼りになるかと思えば結構抜けてる所もあるし、調子がよくてすぐにのせられちゃったりして。格好つけようとするとすぐに空回りしちゃったりするし、スケベで変態で悶々してるのに、それでもやっぱり優しかったりで……」
ついでに挙動不審でへたれだけど。
悔しいけど。
何か無性に腹も立つけど。
私は……。
「魔王様が……。好きです」
……。
……。
うがぉぉおおおおおっ!?
認めざる得ないから認めたけど。
何だこれ、何これ、何なんだこれっ!?
恥ずい! 恥ずい! 恥ずい!
顔が燃える。目が回る。頭がクラクラする。
分かってても、実際に口に出して言ってみると、結構、かなり、目茶苦茶恥ずかしい! これ!
うぉぉぉおおおおおおおっ!?
ぬぅぉぉぉおおおおおおおおおっ!?
恥ずかし過ぎて、顔を上げられない。
ただ口に出して確認しただけで、これかっ!?
こんなん、絶対本人には言えんっ!
本人目の前にして言ったら、三回転に半捻り加えて伸身のまま、絶対月まで飛んで行くぞ私!?
聖女様の反応が分からない。
恥ずかし過ぎてまともに顔なんか見れない。
自分で言っておきながら、自分の言葉に狼狽えまくってる私を、聖女様はそっと見守っててくれる。
そして、つとめて明るく切り出した。
「レフィアさんは、レフィアさんの望むように」
「聖女様……」
「あ、でも。もし魔王がレフィアさんをふったり、悲しませたりしたら、その時は神殿にいらして下さい」
「神殿に、ですか?」
「ええ。そうして、二人で魔王を倒しちゃうんです。レフィアさんの魅力が分からない魔王なんて、二人で協力して、ギッタンギッタンにやっつけてしまいましょう!」
「……それは、魅力的なお誘いですね」
聖女様があまりに明るく言うもんだから、自然、つられてつい頬が緩んでしまう。
「当代聖女と、本物の福音の聖女にかかれば、魔王何するものぞっ! です」
「とても心強い味方が出来ました」
ガッツポーズの聖女様と二人、ニヘッと笑い会う。
笑い会って、……私は頭を下げた。
「聖女様、ごめんなさい。こんな私に色々とよくしてくれて。でも、私は……」
言葉の先を、聖女様が遮る。
「謝ったりしないで下さい、レフィアさん。レフィアさんは、自身の選びとった道を、誰に構うことなく進んで行けばいいんです。進んで行くべきだと、私は思います」
「ありがとうございます」
聖女様に、心からの感謝を。
私に福音があるかどうか。
聖女様がここまでして言うんだから、多分あるんだと思う。けど、聖女様はだからと言って無理に押し付けたり、引き込んだりせずにいてくれた。
あくまで、私に選べと言ってくれた。
そうして、あやふやだった私の背中を押してくれた。
聖女様は、やっぱり聖女様だと思う。
福音なんて関係ない。
マリエル様こそが、私にとっての聖女様だ。
「私も、レフィアさんに会えてよかった。……この出会いに、祝福を」
何の為に何を祈るのか。
今の私にはまだよく分からない。
分からないけど……。
聖女様はただ静かに祈りを捧げている。
その姿は、とても清らかで美しいと思えた。




