♯89 枕を寄せて
薬の一斉無償配布から三日が過ぎた。
蟻の穴さえ見逃してはいけない。
周辺の村々や、聖都に出入りしている人達にまで、今も配布し続けている。
ピリピリとした緊張感が続く中、未だ七夜熱の発症報告は上がってきていない。
ガマ先生曰く、あと数日しても発症報告が無ければ、そこでようやく、七夜熱の発生を回避出来たと判断してもいいのだそうだ。
今はただ何事も無く、無事に時間が過ぎるのを待つばかり。
……落ち着かない。
後は待つしか無いのだと頭で分かっていても、何かしてないとソワソワしてしまう。
出来るだけの事はしたハズだと、自分自身に何度も言い聞かせ続けている。
これは、あれだ。出したラブレターの返事を、今か今かと待ち続けているような、そんな感じに似ている。書いた事無いけど。多分そうだと思う。
貰った事も無いけど。
……。
……。
何でわざわざラブレターに例えたんだ。私は。
何だか落ち着かないので、フラフラと内殿をうろついてみる。
落ち着かないのは私だけじゃ無かった。
内殿のあちこちでは、糸の切れた凧のようなお方々が集団でフラフラしていた。
皆様と痛い程に気持ちが共感できる。
折角なので私も混ざってフラフラしてみた。
……。
……。
毛がないと書いて不毛だ。
何やってんだろう、私。
分かってる。フラフラしてるんだ。
独りモラトリアムしてると、何だか見覚えのあるお嬢さんがオロオロしているのを見つけた。
フラフラじゃない。明らかにオロオロだ。
「ユリフェルナ……、さん?」
確か、あまり素敵ではないハラデテンド伯爵の、お父様とは似ても似つかない素敵なお嬢様だ。
貴族のお嬢様が内殿にいるなんて珍しい。
何だか顔色も悪く、とても不安気に見える。
……どうしたんだろうか。
知らない仲でも無いし、声をかけようかな。
良い気晴らしにもなりそうだし。
「レフィアさんも、落ち着きませんか」
「どぅわっふっ!?」
口を開きかけた所で不意に呼ばれ、変な声を出してしまった。
振り返ると、聖女様がにこやかに固まっておられた。
すみません。……お見苦しい所を。
「……ちょうどそこに、ユリフェルナさんを見かけたもので」
「ユリフェルナさん、ですか?」
視線を戻すと、すでにユリフェルナさんの姿はそこになかった。
何か、様子が変だったけど、大丈夫だろうか。
「皆さん、あからさまにソワソワしておられるようですね。ユリフェルナさんもきっと、落ち着かないのでしょう」
「……そうかもしれません。やるだけの事はやったので、後はガマ先生の判断を待つしかありませんしね」
聖女様の表情もどこか固い。
そりゃ、誰よりも不安だよね。
何よりもこの国を背負ってる立場なんだから。
「緊張するな。……っていうのも難しいですよね。けど、もう少し気を楽にしても、とは、私も思います」
「そうですね。……分かってはいるのですが。やはりとても難しいです」
困ったようにしょげる聖女様。
何だかとってもお疲れのご様子。
もしかしたら、……ちゃんと寝れてないのかも。
そりゃ結果が確定するまで、枕を高くしてとはいかないか。
「レフィアさん達には、何だかとてもお世話になってしまいました。招いておきながら、不甲斐ない事です」
「いえいえっ。こんな私でも役に立つ事があれば、どしどし使ってやって下さい! 聖女様の役に立てるなら、それだけではりきりマックスですし」
「ふふっ。ありがとうございます。では、こちらも、ちゃんとお礼をしなければなりませんね」
「大丈夫ですよ? その天使スマイルを独占出来るだけで、じゅーぶんなご褒美ですから」
マジらぶマイ天使。
美人の笑顔は何よりのご褒美さ!
……思考が何かおっさんっぽいな。
聖女様といい、リーンシェイドといい。
見目麗しい女の人を見てると、何というか、同性であってもこみ上げてくるものがある。
いかん。これじゃあまるでどこかの悶々とした魔王様じゃないか。
修正。修正。
乙女の矜持を取り戻そうと決意を固めていると、聖女様がキリリッと姿勢を正した。
「そうはいきません。是非何かお礼をさせて下さい。用意出来るものは限られますが、出来るうる範囲で、ご要望にお答えいたしますので」
ご褒美。ご褒美か……。
見返りを求めての事じゃないから、そう言われてもな……。
あんまり謙遜し過ぎるのも却って失礼だし。
かといって、欲しいものがある訳でもないし。
うーん。……どうしよう。
チラリと聖女様を伺うと、ニコリと微笑んでくれる。
綺麗な人だよなぁと思う。
これでいて、勇敢だし、責任感もあるし。
真面目で面倒見もいいし、何より誠実だし。
なれるんだったら、私もこうなりたい。
こんな人が、私なんかに、こんなにまでよくしてくれて。
むしろ私の方からお返しをしたいぐらいだ。
……。
……。
お返しか……。
「本当に、何でもいいんですか?」
「ええ。構いません。何か、おっしゃって下さい」
「……本当に?」
「本当に、です」
……ならば。
「なら一度、聖女様と枕を寄せてみたいです!」
「……はい?」
聖女様が固まった。
……。
あれ?
「……ええっと。……その。……はい?」
再起動しようとして、わちゃわちゃと首を捻って、また固まってしまわれました。
何か大道芸のパペットみたい。
貼り付いた笑顔が困ってらっしゃいます。
……そんな変な事、言ったっけか。
「えっと……。枕を寄せて、お茶やお菓子を用意して。ゴロンと寝転びながら、どうでもいい話なんかを聖女様としてみたりしたいなぁと……」
「あ、ああっ。はい。そ、そういう……、ああ、なるほど。あは、ははっ。ははは……」
戸惑い、狼狽えて、さらには赤面してあたふたしだした。どこか安心してるようでもあるのは、気のせいだろうか。
「村でもたまーにそうやって、仲のいい友達と、祭りの後なんかに夜更かしとかもしてたんです。聖女様ともそういう事が出来たらと思って。……根が田舎者なんで、すみません。……畏れ多いですよね、ごめんなさい」
「いえ、ごめんなさい。違うんです。レフィアさんがそっちの趣味の方かと焦ってしまって。あー、びっくりしたー。うっかり勘違いしてしまう所でした」
そ、そっちの趣味!?
そっちってどっちだー!?
「いや、無いです! 無い無い!」
「ですよね。……よかった」
変に勘違いさせてしまったらしい。
無いです。無いですからね?
そーいうのは魔王様の担当ですから!
「やっぱり、……駄目でしょうか」
「んー。どうでしょう。今までそんな事、考えた事もありませんでしたから。夜のお茶会とでも考えれば、それで良いのかもしれませんけど」
「出来れば、そーいうので無くて、もっとフランクなのがいいかなー? ……とか」
「ふふ。フランクに、ですね」
酷い勘違いもあったもんだ。
けど、勘違いと分かり納得してくれたのか、聖女様は悪戯気に笑ってみせてくれた。
つられて私も笑い返してみる。
ふふ。
これこれ、この笑い方。
何かよくない?
年頃の娘さん! ……って感じで。
私もこういう笑い方が、自然に出来るようになりたい。
「ふっふっふ。ふふふふふっ」
「……何か企んでるのですか?」
何も企んでません……。何故だ。
「一応叔父様に確認と許可を取ってみますね」
「あ、じゃあ……」
「何だか、楽しくなってきてしまいました。駄目ですね。これじゃあ、レフィアさんへのお礼にならないかもしれません」
「やったー!」
聖女様とのお泊まり会、けってーい!
いや、すでにお泊まりしてるけどさ。
一つ屋根の下とは言っても、その屋根が広大な神殿の屋根じゃ、お泊まり会とは言えないしね。
折角の機会なので、私と聖女様に加えて、リーンシェイドと、おまけのベルアドネを加えた四人でする事になった。
聖女様の私室でのお泊まり会、改め、深夜のフランクなお茶会。
……こんな機会、滅多にないよね。
さっきのユリフェルナさんの様子に、ほんの些細なひっかかりを覚えつつも、心はすでに聖女様とのお泊まり会に浮かれてしまっている。
気にはなるけど、どうしようもない。
聖女様とどんな事をお話ししようか。
気持ちをからりと切り替える事にした。
しばらくして、街に下りていたリーンシェイドが神殿に戻ってきた。何でもレダさんに、聖都で買ってきて欲しいものがあると頼まれていたのだとか。
手隙の時間を見計らって、一人で用事を済ませてきたハズなんだけど。
何だかリーンシェイドさんの様子もおかしい。
妙に殺気だっていらっしゃる。
正直怖いです。リーンシェイドさん。
身体の周りに死霊が浮かんで見えてます。
……一体何があった!?
おっかなびっくり、聖女様との深夜のお茶会の話をすると、殺気を放つ鬼姫様は静かに頷いてくれた。
触れれば斬れそうな緊張感に及び腰になる。
リーンシェイドはしばらく黙り込んだ後、ぽそりとベルアドネの居所を聞いてきた。
そんなもん知るわきゃない。
正直にそう言うと、すぅーっと周りの温度が下がった気がした。
「そうですか……。そうですね。見つけ出しておきます」
剣呑な雰囲気を背負ったまま、鬼姫様は内殿の奥へと消えて行った。
……。
……。
おい。ベルアドネ……。
今度は一体、何やらかしやがった。




