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♯84 七夜熱


※注意:病理説明があります。


 七夜熱。


 国崩しと呼ばれ、恐れられる疫病の一つ。

 発症が確認された町は感染を食い止める為、丸ごと焼き尽くすのだと聞いた覚えがある。


 だから、多分。……ガマ先生の故郷も。


 ガマ先生は静かに目を閉じて俯いた。

 黙って肩を震わすその姿を、じっと見守る。


「……まだ。まだそうと断定するのは早いが。お前達の話を聞く限りじゃ、その可能性が、……極めて高い」


「七夜熱。……七夜熱が聖都に。……まさか」


 アネッサさんの声も震えているのが分かる。

 黙ってしまった二人に、勇者様が問い掛けた。


「すまねぇが、俺はあんまり学が無ぇ。その、七夜熱ってのはどんな疫病なんだ? 様子からするととんでもねぇ疫病だってのは想像つくんだが……、相当ヤバいのか?」


 私も、詳しくは知らない。

 噂に聞く、恐い疫病だとしか……。


 ガマ先生は顔を上げて勇者様を見ると、頬を撫で擦りながらしばらく考え込む。そして、厳かに口を開いた。


「七夜熱ってのは、極めて小さな病原体が身体の中に入り込んで暴れる、悪夢みてぇな痢病だ。馬鹿みてぇな感染力であっという間に広まって、瞬く間に死体の山を積み上げていきやがる」


 憎々しげに言う口調に怒りがこもる。

 積み重ねられたような深い恨みを感じる。


 アネッサさんがコクリと一つ頷いた。


「七夜熱の症状についての詳細は、実はあまり知られていません。発生が確認されるとその町は封鎖され、終息後は焼き払われてしまうのも、理由のひとつではありますが……」


「要因は極めて高い致死率にもある。誰も残らねぇんだ。俺の見立てじゃ、致死率は九割を超える」


「九割って……。なんっじゃそりゃ。ほぼ助からねぇのかよ」


「助かったとしても、家族も家も、住んでた町すら失うからな。生き残ったとしても……。いや、何でもねぇ」


 一瞬、何かを言い淀んで、ガマ先生は押し黙った。

 その言葉の先にあるものを察して、場も静まる。


 ガマ先生は黙ったまま、机の引き出しから四本の匙を取り出した。薬の調剤で使うものだと思う。

 その内の一本を取り出して、足元にあるローテーブルの上に置く。


「まずは知らなきゃ話にならねぇ。俺の見立てですまねぇが、これまでに分かってる事を教えてやる」


「……先生、この匙は何ですか?」


 アネッサさんの質問に一つ頷き、ガマ先生は置かれた匙を指し示した。


「七夜熱は感染してから死に至るまで、おおよそだが、四段階に別れる。まずはその一段階目。潜伏期だ」


「潜伏期、……ですか?」


「ああ。七夜熱の病原体に感染しても、すぐにその症状が出る訳じゃない。だいたい、5日から一週間程の潜伏期間がある。……これが、奴等の恐ろしい所の一つでもある」


「ええっと。感染しててもその事に気付かずに、……行動範囲を広げてしまう、から?」


「そうだ。理解が早いじゃねぇか」


 褒められた。

 うしし。えっへん。


「症状が表に現れてねぇだけで、この時点で確実に感染してんだ。奴等は確実に身体の中に潜み、その数を増やし続けてやがる。静かに、ただ密やかにな」


「先生。その段階で感染の確認をする事は可能なんですか?」


「可能だ。……まぁ、程度にもよるがな。それ用の試験薬がある。俺が作ったもんだ。奴等はある特定の栄養素を好む。感染が疑われるヤツの唾液を垂らせば、奴等が唾液に含まれてるかどうかが分かる」


 今、……俺が作ったって言った。

 そういうのって、簡単に作れるもんなの?

 ガマ先生って、……どういう人なんだろう。


「感染してるかどうかが分かった所で、気休めにもならんがな。そして潜伏期を過ぎると、次に発症期に移る」


 二本目の匙を取り出して、一本目の隣に並べる。


「主な症状は、微熱、咳、身体に感じる倦怠感だな。白目がやや充血する事もある。特に腹痛をともなう事が多く、吐き気を感じたり、腹を下しはじめたりもする」


「……何か、流行り風邪みたいですね」


「目に見える症状はまさに風邪だな。大抵の奴は、二、三日もすれば治ると思い込んじまうし、わざわざそれを誰かに伝えようともしねぇ。だがこの時にはもう腹ん中で奴等は、ただひたすらに増え続けてやがんだ。誰にも気付かれねぇようにな」


 言葉を区切り、机の上の瓶を手に取る。

 ガマ先生の命を救った薬だ。


 ガマ先生はその瓶を二本目の匙の隣に置いた。


「そして残念な事に、リコリスの球根が最も効果的に効くのは、この段階までだ」


「……って、早くないですか? まだ見た目の症状は軽い風邪っぴきと同じくらいですよね?」


「見た目はな。お前達から処方を聞いて確信した。七夜熱の病原体は、リコリスに含まれる毒に弱い。この段階までならまだ、増殖するよりも先に、リコリスの毒で奴等を殺す事も可能なんだと思う」


「この段階を、……過ぎると?」


 ガマ先生が三本目の匙を取り出す。


「高熱期だ。ここで奴等は突然牙を剥く。それまで隠れ潜むように大人しかった奴等が、ここで一気にとんでもねぇ早さで増殖を繰り返し、爆発的にその数を増やしやがる。身体は高熱を発して、ひどい嘔吐や激しい下痢を繰り返す。この頃から吐瀉物や排泄物に、白濁したものが混じるようにもなる。……この時点でもう、リコリスの効果が目に見えて低くなりやがる。奴等を殺すよりも、増殖の早さの方が勝っちまうからだろう」


「効果が無い訳では、……無いんですね」


 改めて問い直すと、ガマ先生は肯定の頷きを返してくれた。


「効果が無いとは思わねぇ。だが、この段階までくると、増殖の早さが常軌を逸してやがる。爆発的に感染が拡大するのもこの時期だ。高熱期の患者が一人出ると、あっという間に感染が広がる。そこで初めて気付く訳だ、これはただの風邪じゃない、七夜熱だと。……だが」


「……気付いた時には、もう遅いって訳か」


 勇者様の呟きにも、ガマ先生は頷く。


「高熱期の患者が一人出た時点で、相当数の潜伏期、発症期の患者がいると見るべきだな。そんで、高熱期に至った病原体は、潜伏期、発症期にある奴等よりも危険性が高い。より活性化してやがる。高熱期の患者から感染した患者は、そうでない奴等よりも潜伏期、発症期の期間が短い。……ほぼ無いと言ってもいいぐらいだ。高熱期の患者が確認されてからの広まり方から推測すると、そうとしか考えられん広まり方をする」


 ……ごめん。何か怖くなってきた。

 そっと隣に立つリーンシェイドの手を握る。


「さっき致死率は九割と言ったが、それはこの高熱期までの話だ。段階が進むごとに致死率は跳ね上がる。だが人並み外れた体力さえあれば、極稀に、この高熱期から生還する奴もいる。……俺もその一人だ」


 ガマ先生が最後の匙を手に取る。


「だが、最後に訪れる衰弱期。ここに至った者で生き延びた奴はいない。ただの一人もだ」


 コトンっと、最後の匙を置いた。


「5日程高熱が続いた後、突然嘘みたいに熱が引く。……もちろん、病に打ち勝った訳じゃねぇ。ここから、死のカウントダウンが始まりやがるんだ」


「カウントダウン、ですか」


「もって3日だな。高い熱を出した後、七夜を経て死に至る。これが七夜熱と言われる由縁だ。熱は引くが、嘔吐と激しい下痢はさらに続く。この頃にはもう腹ん中は病原体で一杯だ。吐き出すものも白濁した汁みたいなもんしかねぇ。患者はしきりに酷い悪寒を訴えながら、朦朧とした意識の中でやがて、……死に至る」


 握った手に力がこもる。


「これが、七夜熱だ」


 リーンシェイドも、そっと握り返してくれた。


 これが、七夜熱。

 これが……。


「これが、この聖都に、……広まるってのか」


 勇者様が青ざめた顔で確認する。


「……もう一度言うが、そう断言する訳じゃねぇ。だが、俺の経験からして、そうである可能性が極めて高い。……そう言ってるだけだ」


「けど、その他の病気に、……行き当たりません」


 アネッサさんが唇を噛んで答える。


「過去の文献をどれだけひっくり返しても、これらの処方が該当する案件が無いんです。何も見つけられませんでした」


「もし、七夜熱が広まるとしてだ。聖都にいる人口が約80万人だとして九割、……どれだけの人が死ぬんだ?」


「半数以上の50万人は間違いねぇ。七夜熱が広まるとしたら、聖都はこれまでで最大規模の街だ。犠牲者数も過去に無い人数になる事は、まず間違いねぇだろうな……」


 予測される犠牲者の数に圧倒される。


 50万人? ……50万人の人が、死ぬ。


 ……。


 ……。


 でも、だからこその今、なのだと思う。

 私達はまだ、間に合う。


「でも、まだ七夜熱が広まってる訳じゃありません」


「……そうだ。まだ事が起こった訳じゃねぇ」


 はっきりと言い切った私の言葉を、ガマ先生が力強く受け止めてくれた。


「その疫神ってのが現れてから災厄が訪れるまで、どれくらいの猶予があるんだ?」


「だいたい、一週間から10日って感じでした」


「疫神が現れたのはたしか一週間前だったな。時間的にそう余裕はねぇが、その災厄ってヤツが潜伏期なのか高熱期なのかでも変わってくる」


 一週間、と呟いて、アネッサさんの表情が曇る。


「……私達が時間を、無駄にしてしまった?」


「アネッサ! 下らねぇ事考えてんなら、はたき倒すぞ。無駄じゃねぇ、必要な時間だったんだ」


「必要な時間……」


「お前達が必死になってこの一週間、調べに調べたからこそ、他に該当するもんがねぇって分かったんだ。こんなん、一足飛びに七夜熱だなんて言った所で誰が信じるよ。その一週間があってこそ、素っ頓狂な可能性にも信憑性が出てくるんじゃねぇか」


「……先生。……でも」


 俯きかけるアネッサさんを、ガマ先生が真正面から見据える。


「必要だったとは言っても、これ以上モタついてる時間はねぇ。どうにもならねぇ事でウジウジしてねぇで、今出来る事を考えろ。いいなっ!」


「……はい」


「返事が小せぇ! 腹に力こめろアネッサっ!」


「はいっ!」


「よしっ!」


 アネッサさんがぐっと顔を上げるのを認めて、ガマ先生は不敵に笑った。そして、そのまま、私達へと視線を移す。


「お前さん達に頼みがある」


「何ですか? 改まって」


 ガマ先生はそこで、床に手をついてしゃがみ込んだ。


「この薬が出来たんなら、それを俺に、大量に売って欲しい。この旧市街にはその薬を買えるだけの金を持ってるヤツなんていやしねぇ。だから俺に、それらを全部買い取らせてくれ」


「……ガマ、先生?」


 がたいのいい強面に、突然頼み込まれた。

 何だか私に頼み込んでいるようだけど……。


 何でここで私に?


「こんな暮らしをしちゃいるが、それなりの蓄えはある。……足らねぇ分も必ず払う。だから、この通りだ」


「あっ、ちょ。ガマ先生っ!?」


 頭を床に擦り付けそうになるのを、慌てて止める。

 何でそこまで、いや、分かるけど。

 それは法主様や聖女様が決める事だよね?


「安心しなガマ先生。レフィアさんなら必ず、法主や聖女にそう頼んでくれるハズだ」


「ちょっ、勇者……、様? そりゃ当然頼みますけど」


 いや、そりゃ私からも頼むし、法主様や聖女様だったら、頼まなくても何とかしてくれるだろうとは思うけど。

 こうして改めて頼まれると、何だか違和感を感じる。


「……な? それよりもガマ先生に頼みたい事がある。先生にはこのまま、神殿に来て貰いたい」


「俺が、神殿に……」


「ガマ先生は七夜熱が過去に流行した時の経験者だ。その知識と経験に、どうか頼らせて欲しい。頼む」


「だが俺は、……何も出来なかったヤブだ。その俺が神殿に行った所で」


「……違いますよね」


 それは、違う。


 勇者様の懇願に弱々しく項垂れるガマ先生の前に、さっとしゃがみこむ。床に向けられた顔を両手で支え上げて、顔と顔を見合わせた。


「その時と今では状況が違います。過去、ガマ先生が七夜熱に気付いた時には、すでに蔓延しきった状態だった。違いますか?」


「……確かに、そうだった。気付いた時には、もう」


「今はまだ、事ははじまってないんです。いえ、もしかしたらすでにもう感染者がいるかもしれないけど、今ならまだ間に合うんです。薬だってあります。今回は、治す為の薬があるんです」


 弱々しく沈みかけた目の奥に、強い意思の光が揺らめいた気がした。


 ガマ先生の口元が、固く結ばれる。


「誰かがやるんじゃないんです。私達や、ガマ先生、今この国にいるみんなで、それぞれに出来る事を、自分達でやるんです。やらなきゃいけないんです。ウジウジしてる時間は無いんですよね? さっき自分でそう言ってたじゃありませんか」


 ごつくて分厚い手の平が、そっと重ねられる。

 両手がガマ先生の顔から外されて、そのまま、強く握り返された。……強く、強く。


 ……。


 ……。


 強すぎる。ちょっと痛い。


 先生、私の手が潰れます。

 振り解く訳にもいかないので耐える。

 強く握り返される手がめっちゃ痛い。


「すまねぇ。そうだな、あんたの言う通りだ」


 ガマ先生の表情が、戦いに向かう人のそれに変わる。


「勇者様、すまねぇが逆に頼みたい。俺を、神殿に連れていってくれ! 直接神殿の上層部に掛け合いたい!」


「ありがたい! 助かる!」


 ガマ先生が立ちあがり、勇者様と固く握手をかわす。

 その二人の姿に、とても頼れるものを感じる。


「今度は俺達には武器がある。戦ってやるさ」


 場にいる皆が力強く、先生に頷いた。






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