♯83 ガマ先生
「神殿に行っても、全く変わっとらん……」
がっくりと肩を落とし、何だか疲れきった感じでガマ先生がぼやいた。
どんよりとした視線の先のアネッサさんは、そんなガマ先生の様子も全く気にしていない。
「ありがとうございますっ!」
「ほめてねーよ」
何だか二人だけで空間を作っておられる。
どうしよう。
目の前にある空気の壁を超えられる気がしない。
「あ、レフィアさん。物凄く分かりにくいかもしれませんが、気にしないで下さい。これ、特に怒ってる訳じゃないんです」
「ごめん。物凄くよく分からない」
怒って、怒り疲れてるようにしか見えん。
ガマ先生と私と、皆の注目を集めたまま、アネッサさんは腕を組んで頭を捻り、ぐるぐると回り始めた。
何だか考え込んでいるようではある。
止まってはいないので、まだ許容範囲らしい。
ハッと顔を上げて突然足を止めると、私達の方へと向き直り、ガマ先生をズバッと指差した。
「先生は顔も口も悪いんですが、こう見えて、性格が悪くて、ひねくれてるんです!」
「わざわざ喧嘩売りに来たのか、お前は」
あれ? と首をかしげるアネッサさん。
……何が言いたかったんだろうか。
「でも、腕は確かで経験も豊富なんです。なのにすぐ気を回し過ぎて、思ってる事も素直に言えない不器用者で、独りやもめで、診療所は綺麗なのに自身は汚いおっさんなんです!」
「いいからっ今すぐ帰れっ!」
ごめん。アネッサさん。
何を伝えようとしているのか、さっぱり分かりません!
アネッサさんはさらに困惑を深めている。
一生懸命考え込んでるみたいだけど、大きなはてなマークが頭の上に浮かんでいる。
少しだけ、ガマ先生に同情してしまう。
ガマ先生や『診療所』の中を改めて見渡してみる。
確かに、汚いおっさん以外の何者でもないのに、仕事場であろう部屋の中はずいぶんと綺麗に整っている。
床もベッドもボロボロではあるけど、隅々まで丁寧に掃除してあるのが、見るだけで分かる。
考えてみたらアネッサさんって、法主様の登用試験に特別枠(?)で合格してる秀英さんなんだよね。
例え元々頭が良くて、才能に恵まれていたとしても、誰かがそれを引き出さなければ試験には受からない。貧しい生い立ちであれば尚更、勉強する機会にだって乏しい。
私にはセルおじさんがいた。
それはとても幸運な事なんだって思う。
アネッサさんにとってきっとそれが、ガマ先生だったんだと思う。
……でも、ガマ先生はここにいる。
教え子のアネッサさんが試験に合格する位なら、ガマ先生だって、望めばそれなりの地位にいてもおかしくないだろうに。
それを望んではいないんだろうか?
……はて。
部屋の様子を見るに、仕事に対して不真面目な人では無いと思う。むしろ、信念を持って取り組んでいるとしか思えない。
「それで、手紙でお伝えした件についてなんですが、先生の意見を聞かせてもらえないでしょうか」
……信念。信念か。
「俺から言う事なんか何もねぇよ。そんな下らない事で一々こんな所に来るんじゃねぇ、帰れっ!」
確かに口は悪いと思う。けど、さっきから言葉の勢いの割には、一切手が飛んでこないのも気になる。
ただ単に、まだ飛んで来てないだけなのかもしれないけど、もしそうじゃなく、それがアネッサさんを気づかってのものだとしたら……。
「……私からも、お願いします。どうか先生のご意見をお聞かせください」
一歩進み出て深々と頭を下げる。
この先生は、信頼出来る人なのかもしれない。
「……簡単に人に頭を下げるもんじゃない。俺からは何も言えん。それだけだ。神殿のエリートどもならそのうち分かるだろ、このまま帰りな」
……これは、多分。……そうだ。
ガマ先生の態度に、一つの確信を得る。
アネッサさんの事、大事にしてるんだね。
「これは、神殿とは関係なく、私個人としてのお願いでもあります」
「え? 関係無くないですよ? どうしたんですか、レフィアさんまで」
あ・ん・た・はーっ!
頭いいのにっ! 頭いいのにっ!
ちゃんと裏を読めーっ!
「アネッサさん。リーンシェイドは寝てる時でも突然笑いだすんですよ」
「……え?」
「……レフィア様、何ですかそれは」
狙い通りアネッサさんが止まる。
鬼娘のドスの効いた囁きは軽く流しておく。
これで障害は消えた。
「改めて。これは私の個人的なお願いなんです。神殿は関係ありません」
「……あんたも結構。……いや、何でもない」
少し引かれてしまった。
多分あとでリーンシェイドにも怒られる。
でも泣かない。
泣いたら負けだ。
「確かに、聖女様にもお手伝いをしていただきましたが、疫神の応対をしたのは私達が主でした。なので疫神の残したお土産の意味も、本来であれば私達へ向けられたものです。神殿の方々にもお知恵をお借りしてはいますが、どなたからお知恵をお借りするのか、それは私達が決める事ですし、他の誰に文句を言われる筋合いもありません」
「……だが、神殿のエリートどもの顔を潰す事にもなる」
「潰すのは私であって、アネッサさんでもガマ先生でもありません。だってこれは、私個人のお願いなのですから」
後ろで勇者様がポンっと手を打った。
勇者様には伝わったっぽい。
ガマ先生もうーんと頭をガシガシとかきむしる。
……ちょっと、強引だったかな?
でもこれで、少しは援護になっただろうか。
……なるといいけど。
「……まぁ、そういう事なら。とりあえず適当な所に座りな。雑談するのに立ち話も何だ。わりぃが茶は出んぞ」
「ありがとうございます」
一言礼を告げて適当な椅子に座る。
……私しか座らなかった。マジか。
今更立つに立てん。何で皆座らないの!?
外面を取り繕いつつ内心であたふたしてると、勇者様がスパーンとアネッサさんを再起動させた。
「はっ!?」
「お前も座っとけアネッサ」
「え? あ、はい。……え?」
勇者様に促されて、アネッサさんも座る。
仲間仲間。
「とりあえず、だ。おおまかな事はこの馬鹿から手紙で伝え聞いてる。神殿内部の事を手紙に書いてよこす馬鹿は放っておくにしても、その疫神とやらはどの程度信用できるものなんだ?」
「え? 駄目だったんですか!?」
「……お前は後でマリエルから説教な、アネッサ」
「……ひぇ」
……頭いいのに。
何で分からないんだろう。この人。
「ほぼ間違いは無いと思います。私の村ではそれで何度も助けてもらいましたし。信用性はかなり高いと思います」
「そうか、なら話は簡単だ。神殿のエリートどもの頭が硬すぎるんだろう。自分達の見たいものしか見てやがらねぇ証拠だ」
「どういう事ですか?」
「神殿にある処方箋は膨大な量になる。関連する資料もな。それをひっくり返しても見つからないってんなら答えは2つだ。全く未知の病気か、未だに特効薬の見つかっていない病気か。そのどっちかしかねぇ」
さも当然であるかのように言うガマ先生に、アネッサさんがハッとしたように食い下がる。
「未知の病気だなんて、そんなの、分かる訳ないじゃないですか!」
「ああ、そんなん分かる訳ねぇ、だから分からねぇ事は後回しだ。先に未だに特効薬の見つかってねぇ病気の方から考える」
「特効薬の見つかっていない病気、ですか?」
「んなもん腐る程ある。例えを上げるだけでも黒死病に天然痘、黄熱病に七夜熱とキリがねぇ」
ガマ先生の上げる例えを聞いて、アネッサさんの表情が途端に膨れっ面に変わる。
「やっぱり性格悪いです、先生。どれも国崩しじゃないですか」
「国崩し?」
「その発症が確認されると国が滅ぶってんで、総じて国崩しと呼ばれる疫病の事だ。まぁ、そういう可能性もあるって事だな」
「……多分無いと思います」
「リグニア石が入ってるからか? もしそうならそれは思い込みだな。思い込みで可能性の枠を狭めるな。そんなんだから、分かるもんも分からなくなるんだ」
「ガマ先生は、疫神の残していったお土産の内容も、御存知なのですか?」
「さすがに知らん。そこまでは書いてなかったが……」
ガマ先生がチラリと勇者様を見た。
勇者様はちょこんと首を傾げるけど、すぐにその意味を悟ったのか、大きく口を開けて頷いた。
「神殿の買い取りか。……そりゃバレバレだわな」
「あそこまで必死に集めるなら、何かあったんだとしか思わんわな。リグニア石は万病に幅広く効果のある魔石だが、今言った国崩しと呼ばれる疫病には効果が薄い。まったく残念な事にな。お前ら、処方の中にリグニア石が含まれてると知って、国崩しを候補から外して調べてねぇか?」
「……してます。でもそれは、資料を読み返す上で必要な取捨選択であって、当然の事です!」
「俺は言ったハズだ。医者は言い訳するなと。頑張りました、仕方がなかったじゃ患者は救われねぇんだよ。やれる事は全部かたっぱしからやる。それ位の覚悟をもって挑むもんだと、そう教えたハズだろが」
「それは、理屈です!」
「覚悟の問題だと言ってるんだ」
「でも、そんなの……。無理です」
「無理でも何でもやるしかねぇだろ。現に行き詰まってるからこそ、俺なんかの所までわざわざ来たんだろうが。国崩しをも含めて探せば、もしかしたらヒントが見つかるかもしれねぇ。だったら、やるしかねぇよ」
アネッサさんがぐっと言葉に詰まる。
調剤部をはじめ、神殿の各所研究機関が、資料を片っ端からひっくり返しても、病気の特定に至らない。
現状は確実に、行き詰まりを見せている。
「ふぅ……。言えよ」
一息ついて、ガマ先生がアネッサさんから視線を外し、机の上にある書類の中から、いくつかの冊子を取り出す。
「覚えてんだろ? 俺の方でも調べてやるから、その処方とやらをおしえろ」
「……良いのですか? 先生」
「ここまで来ていいも悪いもねぇだろ。巻き込んだのはお前だ。俺は知らねぇからな、最後の所のけじめは自分でつけろ」
「……はい。ありがとうございます」
「ふんっ。いつまでたっても手のかかる弟子だ」
ガマ先生の悪態に、アネッサさんは深々と頭を下げた。
……いい先生じゃん。
「示された原料は三つあります。まず、乾かした芋茎が100グラム、リグニア石の粉末が0.5グラム……」
メモを取ろうとしたガマ先生の手が、ピクッと反応して止まる。
「……芋茎? それに、リグニア石を、0.5グラムだと?」
「はい。……何か?」
「リグニア石の粉末は最低でも5グラムからじゃねぇと入れる意味はねぇ。……いや、ねぇ訳じゃねぇが、それじゃあ効果は限定的になっちまう。何で0.5グラムなんて微量を……。いや、いい。あと一つは?」
「あとはリコリスの球根を干したものを150グラム。以上で……」
アネッサさんが最後の材料を口にした時。
ガマ先生が大きく目を見開いて、突然立ち上がった。
「リコリス……。だと?」
ただならぬ様子に何か不吉なものを感じる。
ガマ先生は、顔色を悪くして口元を手で覆った。
「先生? どうしたんですか、突然」
「……芋茎、微量のリグニア石、リコリスの球根。芋茎は間違いじゃなかったのか。リコリスの球根も。乾燥させてるのは何の為だ? ……水分、水分が余分だったのか。微量のリグニア石。……そうか、リグニア石か。ここでリグニア石を使って。……その手があったか。……くそっ。気づかなかった」
突然、ぶつぶつと独り言を始めてしまう。
驚いたような、何だか嬉しいような。最後にはこれ以上ないくらいに悔しそうな表情へと、百面相を見せる。
「先生? 先生っ!」
「……すまん。少し動揺してな。何でも無い」
「いえ、明らかに様子が変ですよ?」
訪ねるアネッサさんに無言を返して、ぐっと厳しい表情を見せた後、ガマ先生は机の引き出しから一つの瓶を取り出した。
それを、皆に見えるように机の上に置く。
「先生、それって……」
「ああ、アネッサは知ってるな。改めて言うのも何だが、俺はこの国の人間じゃない。行く宛も無いまま流れ着いてきたよそもんだ。前にいた国は滅んだ。……国崩しの所為でな」
ゴトリ、と瓶の底が机の上で音を立てる。
国崩し。……さっき言ってた疫病の事?
疫病が広まって、……滅んだ、国。
「次々と目の前で人が死んでいった。助ける事もままならないまま、妻と娘も死んだ。何とか助けてやりたくて、出来る事のすべてを試したが、……助けてやれなかった」
「先生……?」
「終いには俺も病魔に犯されてな。一度は完全に諦めた。……だが、死ななかった。俺だけが生き延びちまった。最後にやぶれかぶれで調合した、これのおかげでな」
「その薬が、……先生を?」
「薬なんて呼べる代物じゃねぇよ、これは。これを飲んだら三日は激しい腹痛と下痢が続く。まさに地獄の苦しみってやつだ」
「先生はそれを飲んだんですね。だから、助かった?」
「……間違いなく、これのおかげだ。これのおかげで俺は生き永らえてしまったんだ。……それからずっとだな。ずっと、これの研究を続けてる。これの何が効いたのか。……ずっとだ」
「それが、……まさか」
「だいぶごちゃまぜに入れたからな。余分なものも入ってる。弟切草、天草、月長石、千年人参、人狼爪……。そして、芋茎と、リコリスの……、球根だ」
周りが息を飲むのが分かった。
ガマ先生の前にいた国を滅ぼした、国崩し。
それに効果のあった、薬の原料。
「俺の故郷を襲った国崩しの名は……」
ガマ先生の手が震えているのが分かる。
青ざめた顔色に、睨み付けるような目元。
ただでさえ強面の面相が、さらに厳しく強張る。
ガマ先生はゆっくり、はっきりと病名を告げた。
「七夜熱だ」




