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♯70 聖女教



「……なので、祈りを捧げるという行為一つを取ってみても、女神教と聖女教ではその対象が変わって来てしまいますの」


 中央神殿の中にある小さな礼拝堂。

 無骨な石造りの壁に囲まれた静かな空間で、私は今、聖女様からマンツーマンで講義を受けている。


「女神様による救済を求める女神教は、もちろん女神様に祈りを捧げるんですよね? それはとても分かりやすいんですけど……。女神教と違うって事は、聖女教は女神様に祈りを捧げたりはしないんですか?」


「私どもも、女神様に祈りを捧げる事もいたしますわ。けれど聖女教の本旨は自力救済にありますの。何でもかんでも女神様にお救いを求めていては、女神様とて困っておしまいでしょう。私どもはこの世界に溢れる、あまねく命に祈りを捧げ、その祝福を願うのです」


 聖都に到着したその当日は、色々と歓待を受けたり、互いの紹介や生活の仕方の説明を受けたりで、何やかんやとあっという間に終わってしまった。


 でもまさか、その次の日からさっそく聖女様による神聖魔法の講義が始まるとは、まったく思いもしなかった。


 まさか本当に聖女様がつきっきりで教えてくれるハズもないと、心のどこかで思ってたのかもしんない。もののついでに教えてもらえればラッキー、な位で考えていたんだけど……。


 結構ガチでした。


 何かごめんなさい。


「女神様に縋って救いを求める女神教と、自分で何とか頑張っちゃおうっていう聖女教ですか……。何かそう聞くと、女神教の方がズボラに聞こえますね」


「どちらが正しいと言う訳ではありませんのよ? 救いを求める心に貴賎はありませんから。ただ……、そう、アプローチの違い、と言うだけなのかもしれませんわね」


「アプローチ……、ですか」


 光の女神様からの福音を最初に受けた時、初代聖女様は修道女だった。ここ聖女教の神殿ではそれにあやかっているのか、皆が一様に修道士のような生活を送っている。


 それは、神殿のトップである法主様や聖女様であっても例外では無いらしい。


 これはちょっと意外だった。


 なのでもちろん、ここにいる間は例え国賓扱いであろうとも、私達もその生活のルールに添うようにと協力をお願いされた。……あくまでお願いだ。


 私達は外部の者であるので、それほど厳しい規則を強制させられる訳では無いらしい。その事にちょっとだけ安心する。


 朝は夜明け前に起床し、身の回りの掃除から始まる。

 基本、自分の事は自分でやらねばならない。

 それから参加自由の朝の瞑想の時間があり、法主様やお偉いさんの説法を経て、順次朝食を取り始める。


 これには、参加できれば参加して欲しいと言われただけだった。

 地味に助かる。

 誰だって朝は寝たい。


 朝食の内容はとてもシンプルで、薄めたミルクでとかしたオートミールに、ゆで野菜の塩スープ。ベーコンを二欠片と、煮豆を一掬い。……それでおしまい。

 さすがに食べる順番は法主様や聖女様など、高位っぽい人達から順番に食べていくのだけど、食事の内容そのものは同じなのだと言う。


 当然私達も一緒。

 実にヘルシーで小腹が空く。


 何でも以前は、法主様達高位にある者には別個にメニューが用意されていたらしい。それが現在のミリアルド法主になった時、別に作る手間が勿体ないと今のようになったそうだ。

 他の神官さんがそう、こっそり教えてくれた。


 ミリアルド法主って、ストイックだよね。

 周りで話を聞いてると信望も厚いらしい。


 少し考え込んだ後、聖女様が両手を開いて見せた。


「この左手が女神様に救いを求める心で、こちらの右手が自力救済を求める私達の心だとします」


 聖女様はそのまま両手を胸の前で組み合わせる。


「ですがどちらであっても、祈りを捧げる時にはこうして手を組み合わせて黙祷をします。この時組み合わせた手は、どちらかがどちらかを抱えていると言えるでしょうか」


「えっと、両手を組んでるんだから、……どっちだろう」


 目の前で両手を組み合わせて、うにょうにょと動かしてみる。


 うにょうにょうにょ……うにょん。


 ……どっちがどっちとかあるのか? これ。


「祈りを捧げる為に両手を組むのであれば、祈りを捧げる対象が何であったとしても、願いは真摯となりますわ」


「……なるほど。要はどちらでも構わないと」


「聖女教のトップとして、どちらでも、とは大きな声では言えませんが、要はそう言う事ですわ」


 別段困った風でもなく、聖女様はにっこり微笑んだ。

 確かに。聖女教の、それも当の聖女様が『どちらでも良い』とは言えんわな。……失礼しました。


 朝食が終わり、それぞれが自分に割り振られた仕事へと取りかかると、そこから私は、聖女様による講義の時間となる。

 私一人だけの贅沢特別講義だ。


 ベルアドネやリーンシェイドなんかも誘ってみたけど、魔族には元々神聖魔法の適正が無いらしく、聞いても無駄だと断られてしまった。

 何だか人と魔族の成り立ちに起因するのだそうだ。


 色々説明されたけど、光の女神様の祝福を受けて生まれたのが人間で、闇の女神様の祝福を受けて生まれたのが各種魔族なのだそうで、光の加護を必要とする神聖魔法は、その加護を持たない魔族には使えないのだとか。


 ひょんな所で人と魔族の違いを知ってしまった。

 そんな違いがあったんだね。


 なのでみんなとはこの時間、別行動を取っている。


 ばるるんはもちろん、法主様達と協定の為の土台作りを話し合ってるんだけど、何故か法主様の要望で、リーンシェイドもここに参加する事になった。

 何か色々と話を聞きたいのだそうだ。


 ベルアドネは知らん。

 多分どっかにいる。


 アドルファスとポンタくんはこの時間を使って訓練に勤しんでいる。神殿付きの騎士さん達と一緒に。


 ……まぁ、友好を深めるのは良い事だと思う。

 確かに一見して、魔族だとは分からないような人選ではあるけれど、意外にみんながここに溶け込んでいる事に驚きを隠せない。

 私達が魔の国から来たって事も、一部の人達以外には伏せているので、その事も大きいのだとは思う。


 個人レベルの付き合いで見れば、人間だろうと魔族だろうと、やっぱりそんなに変わらないんだなと実感する。

 

「聖女教って、女神教の分派な位のイメージしかなかったんですけど、こうして聞いていると、何だか随分と違いがあるんですね」


 信仰する地域の規模で言えば、女神教の方が圧倒的に広い。

 今までは単に上下関係だと思ってたけど、こうして聞いてるとその理由が何となく分かる。


 光の女神様に祈りを捧げる女神教。

 自力救済を求める聖女教。


 多分女神教の方が分かりやすいからだ。


「分派である事は間違い無いのですけどね。同じ光の女神様を信仰の柱としている者同士、あえて主張をぶつけあい、争うのは無益な事でしかありませんですもの。……ただまぁ、それで納得しない方々もちらほらと」


「自分の信じてるものが一番なのだから、それはそれで仕方ないんじゃないでしょうか。……そうでもなきゃそもそも、信仰自体の否定になってしまいます」


「信仰とは己の内にあって然るべきもの。他者との力関係によって成り立つものでは無いのですけどね。……レフィアさんの村では聖女教が一般的だと聞きましたが」


 うーんと頭を捻って思い出してみる。

 正直な所、あんまり女神教か聖女教かだなんて、普段から考えて生活してなかった気がする。

 ただ、光の女神様はすげぇーってだけだった。


 それは私だけの事では無く、一般的にみんながそうなんだと思う。

 だって聖女教だろうと女神教だろうと、祈ってるだけでは麦は育たないし、魔物も避けて通ってはくれない。


「多分聖女教……だったとは思うんですけど、正直な所はよく分かりません。折に触れて、光の女神様に感謝の祈りを捧げる事はしてましたけど、それもみんな形だけの事でしたから。他の人達もそんな感じでしたし」


「どちらの宗派であるかは、実はそれほど大切な事ではありませんの。……これも私が言ったとは言わないで下さいね。ただ、神聖魔法の本質は祈りにあります。自分が一体何に対して祈りを捧げているのか、そこがあやふやになってしまっては、祈りはどこにも届かなくなってしまいますわ」


 神聖魔法の本質は祈りにある……。


 ……。


 ……。


 あれ? 何だろう。

 どこかで私はそれを、目の当たりにしてる?


 私はそれを強く実感した事がある。


 確かにそう思うんだけど、はて?

 どこで見たんだっけか。


 ぼんやりとした記憶の向こうにある、確かな実感。


 ……何だか最近、こういうのが多い気がする。

 何だろ? ボケて来たかな、私。


 魔王様がハゲるより先に私がボケるのは……。

 何か嫌だ。

 

「祈りは真摯でなければなりません。術式の構築や魔力配分の調整など、技術的な事ももちろん大切ではありますが、自分が一体何に祈りを捧げているのか、まずはそこから、一緒に考えていきましょう」


「はい」


 祈りは真摯でなければならない。

 なるほどね。


 ボケるな。

 ボケるな。

 ボケるなーっ。


 ……。


 何に祈ればいいんだ? これ。






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