♯63 はじめました。と胸を張って
相変わらずの優しい物腰が心地良い。
セルアザムさんと話せて、いくらかささくれだっていた気持ちが和らいだ気がする。
こんな事を言ったら目を丸くして驚くだろうけど、セルアザムさんはまるで陽だまりのような人だと思う。
ぼかぽかしてて、穏やかで、温かい。
老紳士へちらりと遠慮がちに視線を移す。
悪魔大公セルアザム。
仰々しい肩書きとは裏腹に、こじんまりとした中庭に溶け込んでしまう穏やかな人だ。
腕を組み直す。微風に香る草木の香りに振り返る。一つ一つの所作が自然で淀みない。
あの魔王様にも、セルアザムさんの欠片でも包容力があればいいのにと思う。
「いかがされました?」
じっと見つめていても嗜めたりしない。大人な反応に、ついこそばゆくなってしまう。……へへっ。
「私、今回とっても頑張ったんです。頑張ったんですけど、……駄目でした」
視線を外して、ピンクのバラ達を眺める。
セルアザムさんは決して言葉の先を急かそうとはしない。私の言わんとしようとしている事を、ただじっと待っていてくれる。
……うん。昔と何も変わっていない。
「自分を卑下する訳でも、無力さを嘆いてる訳でもないんです。例え出来る事が無くても、全力で向き合えばいいというのも確かだと思うから。無力である事が悪いとは、決して思いません」
何も出来ないという事に罪は無い。
もし仮に、それを罪だというのなら、それは出来る人の傲慢さなのだと思う。
でも無力である事と、無力であり続ける事は、似ているようでいて全く違う。
「無知である事を恥じるのも違うと思うんです。でも、だからと言って、今の何も出来ない私のままでいいとも思えません」
無力である自分に真正面から向き合うという事は、無力である自分に甘んじる事ではない。
今回私が強く思った事。その反省。
立ち上り、姿勢を正してセルアザムさんに向き直る。
真正面に視線を構え、胸を張る。
悩み悩めよ悩むる乙女。
けれども自分を恥じる事なく。
「もしも明日の私が、一年後の、二年後の私が何者かになれるのだとしたら、私はその時にこうして胸を張っていたいんです。新しい私を『はじめました』と、胸を張って言える、そんな自分でありたいんです」
出来る事が無いのなら一つずつ増やしていこう。
何も知らないのであれば一つずつ学んでいこう。
無力である事を悲観する事無く。
役立たずであったとしても恥じる事無く。
私は常に前向きであり続けたい。
そういう自分に私はなりたい。
私の真正面からの視線を、セルアザムさんは静かに受け止めてくれている。柔和な表情の奥から、揺るぎない眼光が真摯に注がれている。
「何が出来るのかは分かりません。もしかしたら、何も出来ないのかもしれません。……でも、今の私では、私自身が満足できないんです」
覚悟を決めて、一歩前へと踏み出す。
私は、セルアザムさんに深々と頭を下げた。
「こんな私ですがどうかこれからも、ご指導ご鞭撻の程をお願いしますっ!」
教わるのならセルアザムさんがいいのです。
セルアザムさんに教わった剣術で、私は、リーンシェイド達を助ける事が出来た。だからと言う訳でもないけど、私はセルアザムさんから色々教わりたいです。
……。
……。
時間がゆっくりと流れる。
駄目……、かな。
「顔をお上げくださいませんか」
顔を上げると、セルアザムさんが目尻を和ませていた。
私の顔を確認するとゆるやかに一つ頷いて、ピンクのバラへと視線を移す。
濃いピンク色のスプレーバラが、晩春のそよ風にさざ波のように揺れていた。
「……アリシアはとても不器用で、まっすぐな女性でした」
目を細めて、遠くを懐かしむように、セルアザムさんが呟く。視線の先を追っても、ただ花が揺れているだけだけど、……多分、見てるものはその先に重なるモノなんだろうなと思う。
この穏やかな老紳士には何が見えているんだろう。
「見つけていただいたペンダントは、私からアリシアに、唯一贈る事の出来たものでした。私は、彼女から貰ったものの、その何分の一の欠片でさえ、返す事が叶いませんでした」
セルアザムさんがゆっくりと振り向く。
物悲しい、けれども優しい瞳に私が写る。
「アリシアは、当時の私の、未熟に過ぎた代償の身代わりとなって、命を失ないました」
「……セルアザムさんの、……身代わりに?」
「皮肉なものです。魔族と人族。魔族は総じて人族よりも屈強な肉体と長い寿命を持ちますが、人族の中には稀に、神域にも届きうる魂の器を持つ者が生まれる事がございます。……魔族には決して届きうる事のない領域へと至る者。アリシアもまた、そんな魂の器を持つ者の一人でした。……レフィア様。貴女と同じように」
……はい?
私? ……何でここで突然私に?
思いがけず振られた言葉に、一瞬キョトンとしてしまった。
「マリエル村にてレフィア様とお会いしたのは、決して偶然ではございません。人の中に稀に生まれる特別な魂の器を持つ者、アリシアやレフィア様のような者を、私は人の世界に紛れ探し続けておりました」
「特別な魂の器……ですか? ごめんなさい。不勉強で、何の事だかよく分からないです……」
「人の持つ魔力量は魂の器の大きさで決まります。その特別な魂の器を狙う者。とても強大な敵がレフィア様を狙っています」
……敵?
不穏な言葉に緊張が走る。
四魔大公の筆頭と言われるセルアザムさんが、はっきり“強大”と言う程の、……敵。
「セルアザムさんの封印は、魔力を引き出せないように縛り付けてあるように思えました。……使える魔力量に制限をかけたのは、もしかして、……隠す為、ですか?」
「ご推察の通りにございます。最初からわずかでもと、時間稼ぎのつもりにございました。敵の目を眩ませておく間に対抗する為の体制を整える。……とは言え、まさかこんなに早く封印が解ける事になるとは、いささか予想外ではございましたが」
「……ごめんなさい。私」
「いいえ。必要な事であったのだと思います。ですが封印が無くなってしまった以上、レフィア様の事はすでに見つかってしまったと考えるべきでしょう」
「……見つかる」
見つかる。
……見つかってしまった。
そんなような事をどこかで言われた気がする。
とてもあやふやで、薄いカーテンの向こう側にあるかのような、おぼろげな記憶。
……あれは、夢?
よく思い出せない。
思い出せないけど、とっても爽快で気持ちが良くて、何だか嬉しいような、……とても怖いモノを見たような気がする夢だった。
『ようやく、見つけた』
……確かに、そう言われたような気がする。
あれは……、何? 誰だったんだろうか。
あれが……、敵?
「未だこちらの準備も万全ではございませんが、あちらも、動き出すにはしばらくの時間を必要とするでしょう。……心配には及びません。私どもが必ずや、レフィア様をお守りいたします」
うーん。……何というか。
ちょっとでも誰かの役に立ちたいから、少しずつ何かを出来るように頑張ろうとしてたのに……。
三段抜かしぐらいで話が大きくなってる気がする。
まずもって、私が特別な何かを持ってるとか……。
ありえなくない?
冷静に行こう。冷静に。
「……何だか、途方も無い話ですね。ただの農家の娘なのに、ここに来てからどんどん話が大きくなっていってるみたいで。びっくりの連続です。ほんと」
「まことに申し訳ございません。少し気が急きましたようでございます」
「とりあえず、先の事がどうなるかは分かりませんが、よろしくお願いします。セルアザムさん」
「いえ、こちらこそ。どうぞよしなに」
天高く空は晴れ。
晩春の風はすでに初夏の香りを含んでいる。
夏が来る。
私自身の事も含めて何かが大きく変化していく。
その足音が少しずつ、近づいて来てるような予感がしていた。
──第二章「福音の聖女」終
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