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♯62 アリシアに捧ぐ


 数日後。


 とりあえず帰ってきた魔王城の一角。

 だだっ広い魔王城にはその広さ故か、中庭と呼ばれる場所がいくつもある。

 その内の一つ。南側の兵舎と尖塔に挟まれたこじんまりとした場所に、今私はいる。


「……変態魔王め。絶っ対許さない」


 恥ずかしさが一周回って殺意を覚えたあの日から、魔王様とは一切口を聞いていない。

 砦から魔王城へ戻って来ていくらか日も経つのに、あの変態は謝る素振りさえ見せない。謝って来ないものをこちらから許すつもりも無い。絶対。


 変態め。

 一瞬でもドキッとした私がどうかしてた。


 いがいがとした気持ちのまま、ふと足元の、申し訳程度に作られた小さな花壇に目を落とす。決して意匠を凝らしたものではないけれど、丁寧に作られた感じの花壇だ。

 その小さな花壇に咲く、少し濃い目のピンク色をしたバラ。

 鼻先を仄かにかすめる甘い香りを嗅いでいると、とがった気持ちがほどけていくのが、自分でも良く分かる。


 この場所は陽当たりが良い。

 5月も終わる今日この頃では、陽気の中にも少しずつジリジリとした夏の気配を感じる。

 木々の間を抜けて肌を掠める微風の涼しさが心地よい。

 目にも艶やかなピンクのバラがふわりと揺れる。


 ……ここ、和む。


 まさか城内にこんな良スポットがあったとは。

 別の用事があって来てみたけど、これはめっけもんだった。

 善きかな。善きかな。


 ふと目の前にあるバラを見て違和感に気づいて、そっと、茎の根元の方を指で辿ってみる。


「一本の茎にいくつも花が咲いてる……」


 あれ? バラって一本ずつ咲くもんだと思ってた。


「スプレーバラでございます。お気に召されましたでしょうか」


「ほぇぇ。バラにも色々あるんですね」


 背中からかけられた声に振り向くと、相変わらず穏やかな面相の老紳士がいた。待ち人来たり。セルアザムさんだ。

 セルアザムさんに用があるのならここで待ってればいいと聞いて待ってたんだけど、ここ、もしかしてセルアザムさんの個人的なスペースだったりするのかな。


 いや、まぁ。魔王城の中庭を個人的に使える人なんて、だいぶ限られてくるんだろうけどさ。


「丁寧に育ててあるって感じですね。セルアザムさんが育ててるんですか?」


「年寄りの手慰み。……でございますが、幸いにして良い色をつけるまでにはなりました」


「可愛い色ですね」


「ありがとうございます」


 老紳士と肩を並べて花を愛でる。

 濃いピンクのバラだなんて、男の人には似合わないかもなんてちょっとだけ思っちゃったけど、そんな事も無いな。これ。たおやかな物腰の上品さが、よくお似合いでございます。

 ピンクのバラが似合う男の人って、……格好いいよね。


 この上品さの欠片でも、あの魔王様にあれば……。


 ……。


 ……。


 あれば何だ?

 何を考えてるんだ私は。


 いや、無いから。

 無い無い。絶対無い。


「……いかがされました?」


「何でもありませんっ! ……何でもありません」


 つい語気が荒くなってしまった。

 ……面目次第もございません。


「砦より戻られてからずっと、陛下も元気がございません。……そろそろお許しになられては?」


「……知りませんし、許すつもりもありません」


「……これは手厳しいですな。さて、困りました」


 人の知らない所で勝手に全裸人形作って遊んでたヤツの事なんて、私は知りません。


 目尻に皺を寄せて頬笑むセルアザムさんは、あまり困っているようには見えなかった。


 ……うん。こうして改めて見ると、分かる。

 逆に、何で今まで気づかなかったんだろうか。

 初めて会った時からどこか懐かしい感じはしてたのに、記憶の中で繋がったりはしなかった。


 ……当然か。

 まさかとも思わないよね、普通。


 懐から折り畳んだ絹のハンカチを出して、そっとセルアザムさんに差し出した。勿論、その中に包んであるものを本人に返す為に。


「これ、お返しします。城内の廊下で見つけました。……大切な物ですよね?」


 ハンカチを受け取ったセルアザムさんは、小首をかしげながらも中を開き、少し戸惑った表情を見せた。

 ……珍しい。セルアザムさんでも驚くんだね。


「これを……。何故私に?」


 ハンカチにくるまれていたのは、ちょっと前に拾った、古ぼけたペンダントの飾り部分だ。

 これで、ようやく落とし主に返せた。


「砦でちょっと色々あって、魔力が前よりもはっきりと見えるようになったみたいなんです。魔力って不思議ですよね。人によって色んな色や形があって、それぞれに特徴があって。長く身につけてたりすると、その人の魔力の残滓のようなモノも残ってたりして」


「……それで、私のモノだと?」


 自分の中にある封印を解いたあの時から、確かに私の中で大きく変わったものがある。日に日に身体に馴染んでいく魔力と、それに呼応するかのように高まる魔力感知。

 世界は結構魔力に溢れておりました。


「……私の中に封印があったんです。とても優しい感じのする封印でした。まだよくは分かってないんですけど、あの封印は、きっと私を守る為の封印だったんじゃないかなって思ってます。黒いベルベットのリボンみたいな魔力で編み込まれた封印でした」


 セルアザムさんへと向き直る。


「そのペンダントに残る魔力とおんなじモノでした。あの黒いベルベットのリボンって、昔、お守りにって私につけてくれたモノですよね。……セルおじさん」


 意を決してその名を呼んでみる。

 確信はしてるけど、……本当はどうなんだろう。


 元行商人だと言っていたセルおじさん。

 昔村に住んでて、剣術とか文字とか雑学とか、幼かった私に色んな事を教えてくれた人。


 目の前の老紳士とは似ても似つかない小太りのおじさんだったけど、魔力の形が全く一緒だった。その表情の作り方も、優しげな物腰も。

 気がつけば気がついた分だけ、確信が深まる。


 セルアザムさんは表情を崩さず、私の視線を真正面からじっと見つめ返している。その表情からはあまり感情が読めないけど、多分、間違いないと思う。


 どうしよう、何か緊張する。


 ふいに、セルアザムさんが頬を緩ませた。


 ……お?


「ずいぶんと……、懐かしい呼ばれ方でございます」


「……やっぱり、セルおじさんだったんだ」


 おお。

 素直に教えてくれて、……ちょっと安心する。

 はぐらかされたらどうしよかと思ってた。


「かれこれ5年になりますか。お久しゅうございます。レフィア様もお美しくなられまして。見違える程にございます」


「セルおじさんは痩せましたね。……っていうレベルの変わり様じゃないんですけど。もしかして、魔法で姿形を変えてたりしてたんですか?」


「左様にございます。ただ、魔法では無く、そのように外見を変える秘薬がございまして。……よくお分かりになられましたね」


 薬か……。なるほどね。

 外見を秘薬で変えてたんなら、分からなくてもしょうがないか。一つ納得だ。


 ……すげぇ秘薬もあったもんだ。


「まさかセルおじさんが魔族だったなんて、……今でもまだびっくりしてます」


「あの頃は人の間に混じって暮らしておりましたもので。魔族である事は誰にも秘密にしておりました。申し訳ございません」


「……うーん。何か違和感。セルおじさんだけどセルおじさんじゃないみたい。……今だけでも昔みたいに話してくれたり、……しませんか?」


 かしこまった喋り方に違和感が残るんだもの。


「昔のように、ですか。……まったく。レフィアちゃんは相変わらずのようで。元気で何よりだけど、もうちょっと落ち着いた方がいいと思いますよ」


「それそれっ! セルおじさんだ! ははっ、本当に……、セルおじさんだ。……もう、会えないかと思ってた。ぐずっ。……黙っていなくなっちゃうんだもん。……ひどいよ」


 うっ、ヤバい。

 そんなつもりも無いのに、勝手に涙ぐんじゃう。


「……すみません。最後の挨拶ぐらいはしたかったのですが、レフィアちゃんの姿がどうしても見当たらず、やむを得ませんでした」


「へへっ……。もうちゃんって年でもないですけどね。ごめんなさい。つい涙ぐんでしまいました」


「これは重々申し訳ありません。立派な淑女になったのですからちゃん付けは失礼でしたね」


「まったくです。……いひっ」


 うぉぉおおおおおお!

 セルおじさんだ!

 セルおじさんだ!

 セルおじさんだぁぁぁあああああ!


 懐かしい! 懐かしい! 懐かしい!

 嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!


 ……あ、そうだ!


「セルおじさんが魔族だったのなら、もしかしてマオリも魔族なんですか? っていうかマオリは? 今は一緒じゃないんですか?」


「マオリさ……んは、村では親子で通してましたが、古い知人から一時的に預かっていた子でした。マオリさんは私とは違い、魔族ではありません」


「あ、やっぱり! 何かそんな感じじゃないかなぁとは思ってんだ。セルおじさんはこんなに優しいのにマオリはだって馬鹿だもん。そっか。……マオリは魔族じゃないんだ。……そっか」


 似てない親子だったし。

 そっか。やっぱり実の親子じゃなかったんだ。


 ……。


 ……。


「……じゃあ、マオリは今はいないんだ。ちょっと残念かな。……ははっ。……ちょっとだけ、ちょっとだけ会ってみたかったな」


 ほんのちょっと……。だけだかんね。

 いないと分かると寂しくもなる。

 ただそれだけの事、だよね、きっと。


「すぐ側にいますよ」


「……へ?」


 思いの他しょぼくれてしまっている自分に驚いていると、まるで慰めるようにセルアザムさんが微笑んでくれた。

 その言葉の内容にキョトンとしてしまう。


「マオリさんもすぐ側にいます。今は少し元気がありませんが、健康に問題はありません。とても立派になっておいでです」


「え、じゃあ、マオリも魔の国にいたりするの? 魔族じゃなくても? おーっ! 会いたい!会いたい会いたい!」


 魔族じゃないって言ったのに、魔の国にいるの? 何で? あれ?

 でもいるなら会いたい! 会ってみたい!

 一瞬残念だと思った所為か、会いたい気持ちが余計に高まってしまった気がする。


「はい。……ですが今はまだ少し勇気が足らないようで、レフィアさんにお会い出来るのには、……もうしばらく時間が必要かもしれません」


「えー。何だろうね、それは。勇気とか意味わかんない。さっさと会いに来ればいいのに。相変わらず面倒臭いヤツ」


 あのヘタレめっ。

 ウダウダしてないで会いに来ればいいのに。


 でも、そっか。

 マオリもここにいるんだ。

 ……そっか。そっかそっか。


「ま、生きてるんならそれでいいや。」


 自然と頬が緩むのが止められない。

 思ってもみないマオリ情報に気持ちがふわつく。


「大きくなってるんだろうな……マオリも。もう背丈抜かされちゃったかな? ヒゲとか生えてたらどうしよう。眼光鋭い剣士とかになってたりして。無理だろうな……弱かったし。……泣き虫は治ったかな」


 5年経ったマオリを想像してみる。

 元々がお人形さんみたいに綺麗な顔してたから、更に磨きがかかって、きっと美形になってるんだろうな、とは思うけど。……どんな感じになるんだろうか。


「まぁ、マオリの事だから。間違っても魔王様みたいな変態にはなってないよね。会うのが楽しみだなー」


 うきうきワクワクが止まらない。


「……おいたわしや」


「……?」


 セルアザムさんがそっと顔を背けた。






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