♯54 閉じられた城門
騎馬の一団が岩荒野を疾走する。
1500人が騎乗する1000騎の騎馬が、一塊となって走り抜けるその様子は、さすがに壮観という他にない。
耳をつんざく地鳴りがとにかく凄まじい。
……鼓膜がジンジンする。
一団は聖女様と騎士団長さんを先頭にして、縦に長い凸型陣形を組んで進んでいた。
アドルファスとモルバドットさんもそれぞれに隊を分け、ハの字になって、一団のさらに外側を覆うようにして並走している。
私がいるのは集団の後ろの方で、殿を務める勇者様と法主様が私のすぐ後ろにいたりする。
砦から出てくる時にちらっと見えたけど、すでに、かなりの数の亡者達が地表に溢れ出てきていた。
砦の中に入る為には、さらに増えているであろう亡者の壁をぶち抜いて行くしかない。
否が応でも緊張が高まる。
「レフィア様……」
狼を駆るリーンシェイドが側に近づいてくる。
あの後、心配して駆け寄ると、リーンシェイドは穏やかな笑顔を返してくれた。まさかあんな行動に出るとは思ってもみなかった私は、その笑顔に何も言えなくなってしまった。
『レフィア様のお役に立てるのであれば、何という程の事でもありません』
そう言った彼女に、いつにも増して凛として綺麗だと思わされたっけか。……そういうのって、ズルいよね。
益々愛しくなってしまうじゃないか。
魔王様を放っておいて、本当にリーンシェイドを嫁に貰いたくなる。
私は、一つ頷いて大丈夫だよと彼女に伝え、ちらりと横目で空の様子を伺った。
東の空はもうすっかりと暗い。
間に合うか……。
いや。間に合えっ!
「「おぉぉぉおおおおおおおおおお!!」」
先頭から鬨の声が上がった。
空気が震えて、地響きのような衝撃音が轟く。
どうやら先頭が亡者の群れに突っ込んだらしい。
「来るぞっ! 手綱を緩めるなっ!」
激しい騒音の中で誰かが叫んだ。
疾走する馬の速度を緩めずに身体を小さく屈める。
ここで怯んでは駄目だ。
一気に駆け抜けるっ!
視界の端に疾走する亡者が見えた。
……って、おい。
疾走っ!?
「はっ!」
すかさずリーンシェイドが魔力を帯びた小太刀で打ち払い、疾走していた亡者は粉々になって、後方の夕闇の中に消えていった。
消えていったけど……。
何っ!? あれっ!?
迷宮の中にいた時と全然動きが違うっ!
今の、疾走する馬に追い付きそうなくらい俊敏に、シャカシャカ動いてたっ! シャカシャカっ!
「……すでにグールに変異している個体もいるようです。レフィア様も油断されませんよう」
リーンシェイドがさらにピタッと側に寄って来た。
グール……。あれがグールか。初めて見た。
何て言うか、こう……。キモっ!
目茶苦茶キモいっ!
見た目も動きも相当キモいっ!
集団の先頭の方で光が激しく明滅した。
感じからすると、聖女様の魔法だろう。
まるでそれが合図であったかのように、それぞれ騎士さん達の背中に騎乗していた神官さん達も、銘々に魔法を使い始めた。魔法の構築と行使による光が、あちらこちらで夕闇の中を駆ける私達を照らし出す。
「砦だっ!」
誰かが声を上げた。
見ると前方に城門を開けた砦が視界に入った。
夕日は今にも地平線に沈みきろうとしているけど、このまま行けば、何とか城門内まで辿り着けそうだ。
……いけるっ! これなら間に合うっ!
確信を得た瞬間、視界の外から飛び込んできた影が、すぐ目の前を走る騎馬の馬首に取りついた。
え?
何!?
……グールだ。
何ちゅうえげつない動きをするんだ、コイツらはっ!
騎馬がバランスを失い、勢いを乗せたまま横転するのが、スローモーションのように目に映る。
ドクンっと鼓動が大きく高鳴る。
手綱を掴んだままの騎士さんの身体が宙に浮く。
魔法を構築しようとしていた神官さんの表情が驚愕に歪んで行く。
──駄目っ!
ゆっくりと、コマ送りで展開される惨状。
地面を跳ねるように転がる馬体。
蹴りあげられる、抉られた土の塊。
大きく放り投げ出される人影。
騎士さんが、……神官さんが。
──ドクンっ。
声を出す間もなく、後方へと転がり落ちていく。
「っ!?」
思うよりも早く身体が動いてしまった。
力一杯手綱を引いて、馬首をとって返す。
「レフィア様!?」
リーンシェイドの呼ぶ声が聞こえる。
けど、馬体を返して、周囲の流れに逆らって後方へと走りだす。
地面に倒れ伏せた二人へと、殺到しようとしていたグール達に馬ごと突っ込む。
「しっかりしてっ! 大丈夫っ!? 立てるっ!?」
「っぐ。す、すまないっ」
馬から飛び降りて、ふらつく二人を支え起こす。
落馬した二人は、地面にしたたかに打ち付けられていた。騎士さんはなんとか立ち上がれそうだけど、神官さんの方は足を痛めたみたいで、一人で立ち上がるのは無理っぽい。
嘶きとともに馬が引きずり倒された。
……しまった。ヤバい。
馬から降りてしまった自分の失敗に気づく。
立ち止まるべきじゃなかった。
騎士さんと二人で、間に神官さんを抱え、すぐさま砦に向かわなければいけない。神官さんが激痛に呻き声を上げる。……ごめん、痛いよね。でも少しの間だけ堪えて。
飛びかかってくるグールを騎士さんと協力して叩き落とす。
くっ……。迷宮内にいた時と全然違う。
早いし硬いしきしょいっ!
「でぃぁぁあああああっ!」
怯んでしまいそうになる自分に喝をいれる。
「レフィア様っ! ご無事ですかっ!?」
後から追い付いたリーンシェイドが、周りの亡者達を蹴散らしてくれた。
騎士さんと神官さんをリーンシェイドに託す。
「リーンシェイドっ! 二人をお願いっ!」
「レフィア様もお早くっ!」
「どう見ても定員オーバーでしょ」
「駄目ですっ! ここは聞けませんっ!」
「……時間が無いのっ! ごめんっ!」
「レフィア様っ!」
狼のお尻を思いっきりひっぱたいてやる。
馬と同じ扱いで大丈夫かとも叩いてから思ったけど、リーンシェイド達を乗せた狼は、勢いよく空へと飛び上がっていった。
馬と一緒でよかったみたい。
立ち止まっている暇は無い。
狼を見送るのも早々に、私もすぐさま駆け出す。
……武器くらい持ってこればよかった。
「あっ……」
甘く見てたつもりは無い。……けど。
あっという間に周りを囲まれてしまった。
走り抜けるどころか、逃げ場が……ない。
「……多すぎるでしょ、あんたら」
躊躇えば躊躇うだけ孤立して囲まれてしまう。
意を決して目の前の亡者の壁に飛び込む。
「どっぉせぇぇええええぃっ!」
「ぜぇりゃぁぁぁあああああっ!」
飛び込もうとした亡者の壁が吹き飛んだ。
「嬢ちゃんっ! 無事かっ!」
「早くこちらへっ! レフィア殿っ!」
「はいっ!」
勇者様と法主様だった。
ありがたい。やっぱり頼りになる。
……あれ? 二人とも馬は?
「すまんっ法主。俺も馬がやられたっ!」
「走りぬけるぞっ!」
「……はい」
うん。一人より二人、二人より三人だ。
とにもかくにも走るしかない。
時間がせまる。
迫る亡者達を打ち払い、掻き分け、……走る。
太陽が沈む。
砦の城門が見えた。
「くそっ! ここまで来てっ!」
視界の向こうで、城門が閉まっていく。
聖女様達は無事に砦の中に入れたんだろうか。
ふと心配になってもみたが、……違う。
今はそんな事よりも自分達の事を考えないと。
さらに飛びかかってくる亡者を蹴り飛ばす。
砦の分厚い城門がキリキリと音を立てて閉じていく。
すでに日没の時間になってしまった。
……あと少し、あと、少しなのにっ!
目の前の亡者達を弾き飛ばして、砦への道を急ぐけど、……足りない。届かないっ!
後から後から湧いてくる亡者達の壁が、……途切れてくれないっ。前へ、……進めない。
渾身の力を込めて目の前の亡者をはたき飛ばした時、重苦しい音が地面に響いた。
「あっ……」
砦の城門は完全に閉じられてしまっていた。
城門まで、あと、わずか200メートルも無い。
「くっ……」
間に合わなかった。
……間に、合わなかった。
気づけば、夕日は完全に地平線に飲み込まれ、辺りはすっかりと暗くなってしまっている。
日没までに、間に合わなかった。
亡者の群れのど真ん中に、孤立してしまった。
……。
嘘だ。
こんな、こんな所で……。
こんな……。
「立ち止まるなっ! この馬鹿どもがっ!」
怒号とともに、激しい剣撃が亡者の壁を吹き飛ばした。
……。
……は?
「それでも勇者かっ! ボッサンっ! とっととこっちへ法主とやらを連れて来いっ!」
「なっ!? あ、あいつは!?」
……嘘。なんで。
閉じられた城門の外側に、魔王様がいた。
魔王様がただ一人で亡者達を凪ぎ払い、そこに立っている。
「魔王様……」
「レフィアっ! 来いっ!」
「……はいっ!」
……ヤバい。胸が、熱くなる。
なんだこれ。何なんだ、これは。
魔王様が開けてくれた道を走り抜ける。
魔王様は魔力をこめた剣撃で亡者達を払い続け、私達の逃げ場を確保し続けてくれている。
「城門脇の通用口から入れっ! 貴様らで最後だ!」
「……何故お前が俺達を」
「いいからとっと入れっ! ボッサンっ!」
「……すまん。礼を言う」
法主様と勇者様が、城門脇にある小さな通用口から砦内へと滑り込む。
続けざまに背中を押され、私も砦内へと放り込まれた。
そして、外側から扉が閉められた。
……え?
待って。……待ってっ!
「魔王様……。魔王様が、まだ外にっ!?」
扉に閂がかけられ、二重三重に格子が重ねられていく。
まだ、魔王様が外にいるのにっ!
背筋がスゥーっと寒くなる。
強固に固められた扉がとても冷たいものに感じられた。
……こんなの嫌だ。
こんなの、嫌だっ!
「魔王様!?」
「よくやったなレフィア」
「……へ?」
頭上から魔王様が降りてきた。
どうやら城門を飛び越えてきたらしい。
……何ちゅう人間離れしたジャンプしてんだ。
……人間じゃなかった、そう言えば。
「聖女達は全員砦内まで辿り着いた。お前達で最後だ。間に合うかどうか正直冷や汗もんだったがな。よくやった……。って、お、おいっ!?」
「魔王様!」
込み上げてくる衝動を押さえきれず、魔王様の鎧に力一杯抱きついた。
……怖かった。本気で怖かった。
亡者に取り囲まれたのもそうだけど、それよりも。
扉の向こうに魔王様が残った事が、何よりも怖かった。
……魔王様と隔たる事が、怖かった。
本当の本当に、怖かったんだよぅ。ぐすん。
「レ、レフィア? どうした、震えてるのか?」
上擦った声で、明らかに狼狽しながらも、魔王様の手が肩に添えられる。
……。
……。
ヤバい。
何やってんだ私。
何やったんだ私はっ!?
恥ずぃ! 恥ずぃ! 恥ずぃ!
頭に血が昇って、とんでもない事してないかっ!?
今なら顔でお茶を湧かせられるぞっ! 私!
熱い! 熱い! 熱い!
ヤバいっ! すぐにでも離れたいのに、離れたら顔を見られてしまうっ! こんな顔、見られたくないっ!
え? 何!? 何なの? これ!?
どうしよう。
どうすればいいんだ!?
どうにもならないぞっ!?
焦れば焦るほど顔が熱くなるっ!
離れたいっ! でも離れられないっ!
うがーっ!? うぎゃおーっ!!
「愛を確かめ合ってるとこで悪いんだが」
「だっだだだ、誰がっ! そんなんじゃないですっ!」
勇者様の声で我に帰った。
勢いに任せて魔王様から距離を取る。
何か悔しいから、ついでに蹴り飛ばしておく。
「……無言で蹴るな、無言で」
……悔しい。ぐっ。
「……魔王だったのか、お前が」
「言わなかったか? ……そう言えば言ってなかったかもしれんな。まぁ、大した事じゃないだろ。気にするな」
「大した問題だろが……」
あれ? 何だろこれ。二人知り合い?
……にしても違うような、違わないような。
「叔父様っ!?」
「レフィア様!」
聖女様と鬼姫様が駆け寄って来た。
片一方はとても心配そうな感じで、もう片一方は、……これ以上ないくらいに目茶苦茶怒ってらっしゃる。
どちらがどっちとは敢えて言うまい……。
「ごめんなさいっ! もうしませんっ!」
先手必勝平謝りっ!
「今度ばかりは絶対に許しませんっ! お城に戻ったらとことん厳しくいかせていただきますからっ!」
……効かなかった。ごめんなさい。
「レフィアっ! 聖女とともに砦の最上階へ行けっ!」
「あ、はいっ! ……聖女様、一緒に来て下さい」
「え? あ、はい」
聖女様を先導して砦の中へと走る。
「他はここで亡者達を食い止める。ボッサンにも、法主にも、場所代ぐらいは働いてもらうからな」
悪戯めいた不遜な物言いで魔王様が言うのが聞こえた。
気恥ずかしくて振り向けないのは内緒だ。
やっちまった感がする。
よしっ! 忘れてしまおう。
……さぁ、ここから反撃でぃ。




