♯52 フィア砦
木々の枝をぬって狼が空を飛ぶ。
「うぎゃぁぁぁあああああっ!」
今、枝がガサっていった! ガサって!
ガサっていって葉っぱが掠めていった!
狼の背中に全身全霊で必死でしがみつく。
だってこれ、鞍とか持ち手とか何もないんだもんっ! こんなの、ちょっとすべっただけでつるっと落ちちゃうじゃん! つるっと!
「いやぁぁぁああああああ!」
「……騒ぎ過ぎですわよ、レフィア」
ベルアドネが涼しい顔をして見下ろしてくる。
くっ、何でそんなに余裕綽々なんだ貴様はっ!
「……しっかり掴まっていれば落ちる事はない。いい加減落ち着いて座ってろ」
「だからっ! こうしてっ! これ以上ないくらいにしっかりと掴まってるんじゃないっ! ぬぅお!?」
「……ちょっと意外でしたわ」
何が!? 意外!? 何が意外なの!?
今ちょっとそれ所じゃないからっ!
奈落の中では平気だったのに。なんで!?
絶対あっちの方が高かかったハズ、なのにあの中では全然平気だった。
底が見えなかったからか!? きっとそうだ!
ちらりと地面に視線をうつす。
あ、地面が遠い。
「いやぁぁぁああああああ!」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。
何で地面が見えるだけで、こんなに股の間がスゥーっとするんだ!? ありえないっ!?
「……叫ぶな。落としはせん」
「ぜ、絶対だからねっ! 絶対落とさないでねっ! 今約束したからねっ! 絶対だよっ! ぉぉおおふっ」
身体がすくむ。
空飛ぶの、……嫌い。
しばらく行くと目的の砦が見えてきた。
案外すぐそばにあったっぽい。早くっ早くっ!
禁忌の森を縦断するように切り開かれた道につながった、少し開けた場所にあるようだ。
恐る恐るそぉっと顔を上げる。ひぃ。
ふいに、アドルファスが狼の高度をあげた。
「なんで!? なんでさらに高くするの!?」
「このままじゃ砦の城壁にぶつかる。いいから貴様は黙って掴まっていろ」
木々の背を高々と飛び越えて、狼が飛翔する。
ちくしょう……。狼が空飛ぶとか反則だ。
高い所から見た砦は正方形をしていた。
砦にしてはそこそこ大きいんじゃなかろうか。一辺あたりが多分200メートルくらいだと思う。目立って高い建物はなく、全体的に平べったい感じがする。
ふと視線をずらすと、岩荒野のど真ん中に布陣している一団がいるのが見えた。
砦から3キロぐらいは離れてると思う。
あれが……、聖女様達の一団だろうか。
大陽は西の空にだいぶ傾いて来ている。
夜が……、来る。
「ふぇっ!? え! え? え!?」
日没への不安を感じていたら、狼の高度が急にがくんと下がった。
「城壁の内側に降りる」
「え? やだっ! ゆっくりっ! ゆっくりね!」
アドルファスの口元がニヤリとした気がした。
え? 嘘、やめて。嫌。嫌だっ!
うごぉぉぉおおおおおっ!?
「びぎゃぁぁぁあああああっ!?」
この野郎、いきなり急降下しやがった!?
おまっ、このっ、後で絶対泣かすっ!!
城壁の内側に突き刺さるように着地する。
狼から降りる時のどさくさ紛れに、アドルファスの膝裏を蹴り飛ばしてやった。……くそぅ。
どうやら近隣の住人達も砦の中に避難しているらしく、壁の内側にも人集りがちらほらとしている。
迎えの近衛騎士達との挨拶もそこそこに、私達は魔王様のいる建物の中へと急ぐ。
途中、確認したい事があると言って、ベルアドネはどこか別の所へ行ってしまった。
迷子になるなよ。
一緒に連れてきた瀕死のファーラットは、アドルファスが近衛騎士団の救護係に頼んで預かってもらう事になった。ここまで連れて来たんだ、どうにか助かって欲しい。
慌ただしく砦内を進んで行くと、少し広い建屋の中に見慣れた鎧姿が騎士達に囲まれてるのが見えた。
あ……。
「レフィア! 無事か!?」
ヤバい、何故か知らないけど涙が出てきた。
なんでだっ!?
なんで安心してるんだ私は!?
魔王様の姿を見たら安心して涙がでてきちゃった。
くそぅ、変態なのに。挙動不審なのに。
なんで魔王様がいるってだけでこんなに安心するんだろう。
自分でも訳が分からない。
病気か? 私は。
「お、おい。ど、どうしたんだ急に……」
「自分でもよく分かりませんっ!」
「な、泣くのか怒るのかどっちかにしろ……」
「じゃあ怒ります」
「……怒るなよ」
とりあえず涙を拭く事にする。
多分、気の迷いだ。忘れてしまおう。
「魔王様、亡者の行進だそうです。奈落から亡者達が溢れでてきていますっ!」
「あぁ、報告は受けている。今騎士団の者達も使ってこの辺りの住人を砦内に避難させている所だ。城に残っていた騎士達とも合流した。亡者達への対策はまだだが、砦内には余剰の物質も用意してある。亡者の行進を収めるまでは、何とか持つだろう」
「……凄い。何か魔王様がとても頼りになるように見える」
あれ? 何だろう。ちょっと格好良く見える。
目の前にいるのは誰だ?
何か私の知ってる変態さんと違う。
もしかして中身が入れ替わってるとか?
「上げるのか下げるのかどっちかにして、とりあえずは休め。城を抜け出した説教は後でしっかりとするからな。……無事でよかった。あまり心配させてくれるな」
「……はい。ごめんなさい」
うっ、後で怒る宣言されてるのに、顔が緩んでしまう。あれか!? つり橋効果っヤツか!?
きっとそうだ! 空飛んだからだっ!
何言ってるんだ私はっ!? 何か恥ずぃ!
「あ、迷宮内で聖女様に会いました。今頃は勇者様達とも合流しているハズです」
「聖女と、……そうか」
「まだ日没までいくらかあります。すぐにでも引き返せば、聖女様達も国元に戻れそうですね」
「……無理だろうな」
「はい?」
「余程の愚者でも無い限りは、一団を持って今すぐここを動くような愚は犯さんだろう」
「……え? だって、もうじき夜になるんですよ? 亡者達も次々と増えて来ているんですよ? それを、あんな岩荒野のど真ん中にいたままでなんて……」
魔王様の言ってる意味が分からない。
亡者達の怖さと数の圧力は身を持って感じた。
あんなの、ちゃんと備えてでもいない限り、耐えきれるような生易しいもんじゃない。
今すぐにでも逃げなければ、間に合わない。
「……何故、聖女様達が逃げるのが愚かだと?」
「亡者は生者を求める。ヤツラが国元に逃げれば、悪戯に亡者を岩荒野の向こう側へ呼び込む事になる。それで逃げ切れればまだマシな方だがな。夜は死霊の時間だ。夜闇の中の亡者の動きは人間のそれを凌ぐ。疲れる事も息絶える事も無い亡者から、果たしてどれだけ逃げ切れる事か。……俺ならば動かんな」
……嘘だ。そんなの、嘘だ。
「だったら、聖女様達はあそこで亡者の群れを迎え討つつもりでいると? あんな、岩荒野の、何も遮る物もない所で……?」
迷宮の中で亡者達に押さえつけられた時の感触が甦る。
あの恐怖が、聖女様達を取り囲むのだ。
「ならばいっそ、彼等をこの砦の……」
「駄目だっ!」
私の言葉を遮って、魔王様が声を荒らげる。
「それは出来んっ! ヤツラは人間で俺は魔王だ。ヤツラは俺の庇護下にはない。守るべきでない者達をこの砦の中に入れる事は出来ない」
「だけど、このままじゃっ!」
「くどいっ! 駄目なものは駄目だっ!」
「……魔王様」
魔王様の中に、断固とした意思を感じる。
そう、だよね。魔王様だもんね。
魔の国に生きる者達に対する責任があるんだ。
それはきっと、私なんかが考えてるよりもずっと大きくて、重くて、大切な事なんだと思う。
その天秤を揺らして、魔王様が駄目だと判断したのなら、多分、そういう事なんだろう。
駄目だよね、そりゃ。
「ごめんなさい。無理を言いました」
「いや、俺も大声を出してすまなかった。分かってくれとは言わんが、人間を魔の国の住人と同じように守ってやる事は……、出来んのだ」
「……はい。分かっています」
つい、甘えてしまった。甘え過ぎてしまった。
魔王様があまりにも優しいから、その優しさに、当然のように寄り掛かってしまっていた。
私にそんな権利も資格も無いのに。
あーっ! くそっ! 自己嫌悪っ!
そもそもこれは私の問題のハズだ。
魔王様に頼ってどうするっ! うん。
「……どこへ行くつもりだ、レフィア」
「聖女様達の所へ、私も行きます」
「駄目だっ!」
踵を返そうとした私の手首を魔王様が掴んだ。
「いくらお前でも、それは駄目だっ! 絶対に行く事は許さんっ!」
「いいえ。行きます。魔王様の優しさに応える事が出来ないのは申し訳無いと思っています。本当に、感謝してもしきれないくらいです。でも、私は行かなくては駄目なんです」
「死ぬぞっ! 自分だけが特別だと思うなっ!」
「特別だなんて思っていません。けど、聖女様達はここまで助けに来てくれたんです。ただの村娘でしかない私の為に、わざわざ危険を冒してまで助けに来てくれたんですっ! その私が、目の前で亡者に飲み込まれようとしているのを見殺しにして、砦の中に籠ってる訳にはいかないじゃないですかっ! そんなの、何よりも私が自分を許せなくなりますっ!」
「わがままだっ! そんなものはっ!」
「それでも構いませんっ! 私は行きますっ!」
手首を掴む魔王様の手が痛い。
振りほどくにほどけないほどの力で握り絞められている。
それが魔王様の思いやりの強さだと思えば嬉しくもある反面、私はやっぱり、行かなければいけないと強く思う。
でもちょっと……、いや、かなり痛い。
って、痛い。マジで痛い。
ちょっ、折れる折れる折れるっ!
「アドルファスっ! モルバドットっ! この分からず屋を閉じ込めておけっ! 絶対に逃がすなっ!」
「ちょっ、ま、魔王様っ!? 痛い痛い痛いっ!」
「この強情っ張りの馬鹿女がっ! 自分に酔って死地に向かえばそれで満足するのかお前はっ! そんな事は絶対にさせんからなっ! 両足を切り落としてでも砦内に閉じ込めてやるっ!」
「例えそうされたって、両手で這ってでも行きますっ! 手がなければ口でっ! どんな事をしてでも行ってみせますっ!」
「根性だけは立派だが馬鹿だろっ! ただ意地になってるだけじゃねぇかっ! 聞き分けろ頑固女っ!」
あー。うん。気の迷いだったっ!
絶対違うっ! こんなデリカシーの無いヤツに、安心だとか頼りになるだとか、絶対無いっ!
ちょっと格好良く見えたとか、無しっ無し!
「……魔王様、少々お話がございますの。よろしいでしょうか」
段々と底レベルな口喧嘩に変わりつつある所で、いつの間にか来ていたベルアドネが口を挟んだ。
……どこ行ってたんだろう、この娘。
「ベルアドネか。それは今で無くてはならんのか」
「はい。亡者どもを収める方法についてですの」
「……このままここで聞こう。話せ」
このままって、このままかいっ!
手首が相当痛いんですけどっ! 乱暴者っ!
「ご存知の通り、このフィア砦は外敵に対するものでは無く、私の母シキ・ヒサカが、死者の迷宮の封印が解かれたもしもの時の為に作らせたものですの。それ故、この砦は規模に対して匿える収用人数も多く、また、色々と備えてあるものもございますわ」
……そうなんだ。初耳だ。
ベルアドネのお母さん、マジ有能。
「……前置きはいい。何をするつもりだ?」
「備えの中には、ヒサカの秘術を用いる為の儀式魔法用の魔法陣もありましたわ。本来であれば、母が自らそれを行使するつもりであったのでしょうが、母でなければ使えぬ、という訳でもありませんの」
「お前が、それをやると言うのか」
「申し訳ないのですが、母と同じ事は出来かねます。第一それ用の骸兵の用意もございませんし。……ですがその魔法陣を少しだけ書き替える事によって、亡者どもも、その元凶である奈落の穴もろとも浄化させてはいかがと」
「……それが、出来るのか?」
魔王様の問い掛けに、ベルアドネがちらりと私を見た気がした。
……私? なんでここで私を?
「それを今確認してまいりましたの。私であれば可能でございますわ。……ただ、三連式連環術を用いようと考えておりますので、協力者が必要ですの」
「説明を続けよ」
「此度用いる術式は、保有する魔力量の多い者を起点に置き、魔力を増幅させ、その増幅させた魔力を使って魔法を行使させるものですの。ですので、起点、制御、構築と3人の術者を必要としますわ。見た所、そこにおられるレフィアは魔法の構築は出来ずとも、尋常ならざる魔力を有してるご様子。是非ご協力をお願い出来ればと」
……私? 魔力量?
そういえば、リーンシェイドにもそんなような事を言われたような気がする。
私は魔力量が人よりも多いかもって。
……かもだよ?
「分かった。レフィアを使え、許す」
人を便利アイテムみたいに言うなよ……。
「だが、魔法の構築をするのがお前だとしても、もう1人が足らないのでは無いのか? 騎士団の中から魔法陣の制御が出来る者を探すか」
「いいえ。私は魔法陣の制御をいたしますわ。これはヒサカの秘術の一つですの。むしろ私以外に制御出来る者はおらぬハズ」
「ならば魔法の構築はどうするのだ。お前以上に魔法の構築に長けた者など、この砦にはいないぞ?」
「この砦の中におらずとも砦の前になら、いますわ。そもそも相手は亡者の群れ。神聖魔法こそが最も効果が高いハズ。ならば神聖魔法の構築に最も長けた者を連れて来れば、話は何よりも早く済みますわ」
……あれ? 何だ? この流れは。
「神聖魔法……。聖女マリエルか」
「奈落の中にて彼の者の神聖魔法の実力は、実際にこの目で確認いたしております。あれほどの使い手はそうはいないでしょう。……利用しない手はありません」
魔王様が何かを考え始めた。
何か、ベルアドネが凄い。天才に見える。
「だが、聖女が素直に協力するとも思えんが」
「否が応でも協力せざるをえないようにしてしまえば、それでよろしいかと」
「せざるを……えない?」
「例えば、そう……。1500人の人質がいるとか」
おい。ベルアドネ。何を考えてる。
「人質、か」
「人質、ですわ」
魔王様がさらに深く考えはじめた。
……まさか、本気で?
勇者様達を人質にして聖女様に言う事を聞かせるとか、本気で言ってるんだろうか、そんな事。
そんな……。
そんな……、事?
……あれ?
私の混乱をよそに、ベルアドネが私にむかって軽く片目を瞑った。
……おや?
「よし、分かった。お前の言を取り入れよう。その方針で行く。すぐにでも準備にかかってくれ。……レフィアっ!」
「は、はい」
「聞いた通りだ。お前がヤツラの元へ行って、何としてでも聖女をこの砦に連れてこいっ! 人質としての聖女の仲間も一緒にな。人質の数はこの場合だと多ければ多い程いいだろう。すぐにでも行って来いっ!」
えっと……、あれ? 何だ? これは。
何が一体どうなったんだ。
「モノは言いようですのよ。イノシシ娘さん」
ぐっ……。ベルアドネにイノシシ言われた。
何だこれ。物凄く屈辱に感じる。
でも、もしかしてこれ、ベルアドネが私に助け船を出してくれたんだろうか。
何か、……とっても意外だ。
「アドルファス! モルバドット! 騎士100名を連れて聖女達の陣営までレフィアを護れっ! 人間を守る必要は無い、お前達はあくまでレフィアの護衛だ! いいなっ!」
「「はっ!」」
「……ただ、まぁ、これ以上亡者が増えても困る。もし目の前に死にそうな軟弱者がいたなら、手を出しても俺は怒らんから、そのつもりでいけ」
「確かに、亡者が増えるのは困るな」
「護るつもりはありませんが、蹴り飛ばしてやってでも、亡者にはさせないようにしてやりますわ」
……魔王様。アドルファス、モルバドットさん。
「日没までだ。日が落ちるまでは城門を開けておいてやる。それがタイムリミットだと思えっ!」
「ありがとうございますっ! 魔王様」
「礼を言うのはお門違いだな、レフィア。俺は聖女とその人質を連れて来いと言ったのだ。勘違いするな」
「……はい。ありがとうございますっ!」
「……聞けよ、人の話を」
タイムリミットは日没まで。
それまでに聖女様達を砦の中に。
時間は、……ほとんど無い。
私はアドルファス達とともに、すぐさま砦を後にした。




