表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

47/236

♯47 奈落



 ベルアドネの手首を掴んだまま、私達は暗い穴の中へと落ちていった。


 しばらくして、消えていた音が戻ってくる。

 淀んだ空気が頬をなでていくのが気持ち悪い。

 重力の加速を全身で感じる。


 どこか冷静でいられるのは、途方もなく深い穴で、まったく何も見えないからだろうか。

 ただひたすらに、暗い。

 ふとすると、本当にベルアドネの手首を掴んでいるのかさえも不安になってくる。


 ……私の手の中にあるの、本当にベルアドネの手首だよね? 首とかだったらどうしよう。

 助けるつもりで絞め殺してたりしてたら泣くに泣けない。笑うしかない。笑っちゃ駄目か。


「光よ! 迷える我らに導きを与えたもう!」


 聖女マリエル様の澄んだ声が響いて、落ちていく私達を光の膜が包み込む。

 ふわりとした浮遊感に身体を支えられた。


 光る膜のおかげで見えるようになった。

 といっても暗闇の中、3人の顔と、一緒に落ちてきたファーラットが分かるくらいでしかないけど。


 でもこれで、はっきりと手元が見えるようになった。掴んでたのはちゃんと手首だったようだ。私は安心して、そっと手を離した。


「聖域結界を展開しての領域浄化と、同時に落下制御をかけています。どうか落ち着いて、暴れないでいてください」


 聖女様の魔法らしい。……何かすごい。


「……三種並列構築(トリプルキャスト)とか、そんな事まで出来るんがやか、聖女っていうのは」


「このぐらいなら余裕……、と言いたい所なのですが結構ギリギリです。結界の外へ落ちる心配はありませんが、何があるか分かりません。結界内は浄化していますが、外は瘴気で満たされているようですので」


 何やら高等技術っぽい。

 薄い膜でおおわれた外側は、確かに高密度の瘴気が立ち込めている。どう見ても身体によさそうには見えない。周りに充満する瘴気の靄の向う側に、何やらモゾモゾと動いてるような気配がする。……音かな?


 何だろう、これ。


「ここは、どうやら奈落の中のようですね」


「奈落? 何です? それは」


「この世に妄執を残した亡者がいる所です。浄化されず、妄執に取りつかれた亡者達は奈落に落とされ、そこから這い上がった所を再び落とされるのだそうです。妄執が削ぎ落とされるまで、それこそ永遠に」


「死者の迷宮に穿たれる穴は、その奈落の壁に開いた横穴のようなもんだがね。本来であれば、妄執を削ぎ落として身軽になった亡者達は天上を目指しやーすが、そこに横穴が開いてしまう事によって、亡者達がそちらに殺到しはじめやーす。それが亡者(デッドマン)の行進(ウォーキング)と呼ばれる現象だがね」


「……聖女様はともかく、ベルアドネが何だか賢く見える」


「わんしゃを何だと思っとらーすか、おんしゃは……」


 何って、変態残念娘だとしか。


「50年前、亡者(デッドマン)の行進(ウォーキング)を押しとどめた後、その穴を塞ぐ事が出来ずに封印するしかなかったって、おかあちゃんからは聞いとるがね。ほら、見やーせな」


 ベルアドネが手の平に光の玉を作り出し、それを無造作に結界の外へと放り投げた。

 周りがパァっと明るくなる。


 どうやら縦に長い空洞のような所のど真ん中に浮いてるっぽい。幅は多分100メートルくらいあるだろうか。周りの壁は何やらモゾモゾしてる。


 這い上がっては落とされ、また這い上がっては落とされを繰り返すとか、何とも陰険な造りだ事で。

 そりゃ途中カットの出来る穴があれば、そこに殺到する気持ちも分からんでも無い。


 這い上がる。……這い上がる?


 ハッとなった私は瘴気の向う側へと勢いよく振り返った。よく見ると円柱状になっている壁一面に、モゾモゾと蠢く何かがしがみついている。

 数が多すぎてよく分からなかったけど、この周りの壁をすき間なく覆いつくすあれらが、全部亡者なのか!?


 とにかく数がすさまじい。

 このどでかい、上も下も果てが分からないような深い縦穴。その壁一面にしがみつく亡者達。

 これが全部、地上に溢れるの?


 マジか。


 事の重大さをようやく実感出来た気がした。


「まずは元の場所へ戻らねば話にならないのですけれど、……今は落下を止めるので精一杯で。ごめんなさい」


 聖女が申し訳なさそうに言う。

 いや、それ言ったら私なんて、何も出来ないのに飛び込んで来てしまったただの役立たずだから。


 知識もなければ魔法が使える訳でもない。

 さっきは咄嗟に行動しちゃったけど、何やってんだろう私。何だか今回の一連に関して、空回りばかりしてる気がする。


 一緒に落ちてきたファーラットの様子を見る。

 焼け焦げた毛皮の、所々に靄がかかっているのが分かる。どうやら瘴気に冒されてるらしい。聖女様の浄化がかかった結界内にいるのにそう見えるって事は、随分と瘴気を身体に浴びてしまったのだろう。

 何の気なしにそっと毛皮に手をそえると、手が触れた所から瘴気が薄れて立ち消えていった。


 ──あ、そうか。瘴気って乙女に弱いんだっけ。


 何も出来ないんだから、せめて撫でてあげるくらいはしてもいいよね。


「謝りやーすな。聖女が謝らなければならん事なんか、何もあらせーへん」


「ベルアドネ、さん……。」


「聖女もレフィアも、これをよう見てちょーよ」


 ベルアドネが私達に両腕を立てて見せた。

 白くて細い手首には、しっかりと赤く、二人の手形が残っていた。……痛そう。


「ごめんなさい。とっさの事でつい」


「あー、何かごめん。痛かった……よね、やっぱ」


 後先考えず、ただベルアドネの手首を掴む事しか頭になかった所為か、よっぽど強く握りしめてしまったらしい。何の比喩でもなく今にも折れそうな程に細い手首だ、本当に折れなくてよかった。


「だから、謝りやーすな。そうでねぇ、恨み事を言いたくて見せたんでねぇだて。確かに、どえらい痛かったけど、痛くて痛くてたまらんかったけど、今までこんなに痛みが残る程強く掴まれた事無かったけど……」


「……おい」


「……冗談はともかく、おかげで目が覚めやーした。ありがとうな」


 少し悪戯めいた顔をして、ベルアドネは頭を下げた。

 ……気のせいか顔をほんのり赤らめて。


 うっ、……ヤバい、顔がニヤける。

 だ、騙されるな! 例え見た目だけなら赤面の美少女でもコイツはベルアドネだ。趣味で魔王様の全裸像をこっそり量産するような女なんだぞ。


 くっ……。外見がいいと卑怯だ。


「おかあちゃんの封印が解けると思って、自分でも知らない内に焦って、身がすくんで、諦めとったがね。本当にレフィアの言う通りだがん。自分の命を差し出してでも時間を稼がなあかんとしか、考えとらんかった」


 憂いを含んで、ベルアドネは顔をあげた。

 やっぱりこの子、妙な色気のある綺麗な顔をしてる。


「足元が崩れて、奈落に落ちるんだと分かった時、正直すぐにあきらめとった。もう駄目だ思うて、頭真っ白んなって、何も考えられせんようなっとった」


 ベルアドネがそっと赤くなった手首をひきよせて、愛しそうにさすった。


 ぬぅぉぉおおお。誰だ!? これ誰だ!?

 何だこれ? 私の知ってるベルアドネと違う!


「けどな、その中で二人が駆け寄ってくるのが見えたんだがね。奈落に落ちていくわんしゃに、自分の事も省みずに、必至で手をのばしてくれる二人が、はっきりと見えとりやーした。……痛かった。二人に掴まれた手首はどえらい痛かった」


 ……だからごめんてばよぅ。


 ベルアドネが私達をしっかりと正面から見据える。


「それで、目が覚めやーした。わんしゃ、とんだ思い違いをしとったんだと、はっきり分かったんだがね。ヒサカの者としてやるべきは軽はずみに命を放り投げる事でねぇす。生きて、行き足掻いて、この事態をどうにか収める事こそ、シキ・ヒサカの娘であるわんしゃのやるべき事なんだと」


「ベルアドネさん……」


 聖女様がほだされた。


「まさか人間の聖女やレフィアに、こんな事を言う事になるとも思わんかったけど、……ありがとうな。こんなわんしゃを助けに来てくれてありがとう。手を差しのべてくれて、本当に……」


 ……。


 慎重にベルアドネの頭に手をかざして、そろーりそろーりと撫でてみる。


 無言の視線が重なる。


「……おんしゃ、何しとらーすか」


「いや、瘴気に当てられて気でも狂ったのかと思って。こうして撫でてれば治るかもしんないからさ」


 なでなで。


 なでなで。


 ほんのり赤かった顔が、見る間に真っ赤になっていく。

 ちょっとぷるぷるしだした。


「……お、おんしゃ。こっ恥ずかしいのを我慢してまで礼を言うとるんを茶化しやーすなっ!」


「お、本当に戻った。乙女の右手マジ万能」


「がーっ! わんしゃの気の迷いでやーしたっ! どーにかしとったわっ! もう金輪際おんしゃには礼なんてせんわっ! 絶対したらせんっ!」


 うん。面と向かって言われるとこっちだってむず痒いんだもん。普段のままでいようよ。ねっ。


「……妙な気持ちです。まさか自分が魔物を助ける為に自身を省みずに飛び込んでしまうとは、……思ってもみませんでした」


「聖女様……」


 ベルアドネにほだされたままの聖女様がぽつりとこぼした。少し何かに戸惑っているようにも見える。


「聖女様、それは違います」


「何が、違うのでしょうか」


「魔物ではありません。彼女は魔族なんです」


 今なんとなくだけど、リーンシェイドが私にあの時、魔物との違いを説明したくなった気持ちが分かる気がする。


「魔族、……ですか?」


「はい。彼女やこの魔の国に住む者達は魔物では無いんです。子を成し、育み、悩み、私達と同じように生活を営みながら、喜び、悲しむ、魔族なんです」


「レフィア、……おんしゃ」


 私がここに来て知った事。見た事。思った事。

 上手く伝わるかどうかは分からないけど、それを、欠片でもいいから、聖女様に知ってほしい。


 彼女達は魔物じゃない。

 魔族という、一つの命ある者達なのだと。


 相手が聖女様だからこそ、知って欲しい。

 この人だったら分かってくれる。

 願いにも似た信頼。ほのかな期待。


「……思う所はありました。実際に目で見て戸惑う事も。ですが、そう……、魔族。そういう事なのですね。ふふっ、何だか分かったような気がします」


 聖女様は少し戸惑ったような表情を見せたけど、すぐに頬を緩ませて、自分を納得させているようだった。

 これ、分かってくれたっぽい。

 聖女様ってやっぱりすごい。きっとカーライルさんの同類に違いない。


 うん。何だか空気が和らいだ。

 亡者の蠢く奈落のど真ん中で醸し出す雰囲気ではないけど。


「よし。ほな戻るだがね」


 パンっと手を打ってベルアドネが顔をあげた。


「戻ると言ってもどうやって? 戻る手段がありません。ベルアドネさんには何か策があるのですか?」


 聖女の問いかけにベルアドネは不敵な微笑みで答えた。どうやら何か自信があるみたいだ。


「ふふんっ。この骸姫にまかせやーせ。ヒサカの誇る必殺の秘術、見とらーせなっ!」


「ヒサカの、……秘術?」


 うん、ごめん。

 中々いい雰囲気の中で何だけど、その微笑み、嫌な予感がしてならない。


 私の不安をよそに、ベルアドネは魔力をねりはじめた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ