♯41 禁忌の森
夜も明けきらない内に私達は宿を出て、目的の森の中に入った。早朝の森というのは不思議と気持ちが良い。
時折、山鳩の鳴き声がキンっとした空気の中で聞こえてくる。
「こんな所にまさかファーラット共が拠点を作ってやがったとはな。油断も隙もねぇ」
先頭に立って案内してくれてる大柄なオーガのあんちゃんが、目元を厳しくして辺りを見回す。
オーガのあんちゃんはギンギさんと言うらしい。
昨日宿屋で少し暴れはしたけれど、お酒を酌み交わしてよく話を聞いてみれば、そんなに悪い人という訳でもなかった。
いや、決して善人でもないけどね。
たまにカッとなってやり過ぎてしまい、それでよく失敗するらしい。
ウチの村にもいたな、そんなおじさん。
ファーラットに対する悪感情は今はどうにもしようがないけれど、八つ当たりめいた乱暴を振るってしまった事については、ちゃんと頭を下げて謝罪していた。
うん。小さな子供に暴力は駄目だね絶対。
「自信満々で案内してくれるのはいいんだけど、本当に心当たりがあるの? ギンギさん」
「まかしておきなってレフィアの嬢ちゃん。ここら辺りなら庭みてぇなもんだ。拠点に出来そうな自然洞窟にも、いくつか見当はついてる」
ギンギさんはこの森を狩場にする狩人なんだそうだ。昨日もこの森で狩りをしてたんだけど、成果が悪く、それもあって荒れていたらしい。
「まさかそんなにいくつも自然洞窟があったとは、実際に現場を知らなければ迷ってましたね、確実に」
カーライルさんが手元の資料を眺めてぼやく。
「なんつっても禁忌の森だからな。普段は俺達狩人ぐらいしかこの森にゃ入らねぇ」
「禁忌の森とか、何気に物騒な名前だね」
「50年くらい前だったか、この森から亡者の行進が起きたらしくてな。その時にここらの地形も穴ぼこだらけになったって話だ。ここいらじゃ、割れた地面から這い出てくる亡者の話は、軽くトラウマレベルでガキの頃から聞かされるな」
「亡者の行進、ですか。不穏なキーワードですね」
すでに荷馬車の入れる道ではなく、荷馬車は馬と一緒に途中で置いてきた。ギンギさんの仲間が見ていてくれているので、盗まれる心配はないと思う。
森の中は足場が悪く、本当にあちこちがでこぼこしてる。そのでこぼこの一つ一つが穴ぼこらしい。ぐわっと大きいのから、人1人の胴回り程度のものまで、大きさもまばらだ。
先頭をギンギさん、それにカーライルさんとアドルファスが続く形で、私とリーンシェイドが後からついていく。
「50年前というと、シキ様が名を上げた時のヤツですね。詳しい場所までは知りませんでしたが、まさかその地に足を踏み入れる事になるとは思ってもみませんでした。どこで何があるのか、分からないもんですね」
何やらカーライルさんが感慨深げにしている。
シキ・ヒサカ。ベルアドネのお母さんは有名人なんだなぁと思う。けど、50年前という所に引っ掛かってるのは私だけなんだろうか。
いやだって、50年前の人に17の娘がいるんでしょ? ……普通に疑問なんだけど。
一体、今いくつなんだろう。
これも魔族にとっては常識的な範疇の事なんだろうか。皆、自然に受け流してるように見える。
「亡者の行進があった、と言う事はこの近くに死者の迷宮があったという事なのか?」
「そういう事にはなってるが、詳しい事は知らねぇ。もし仮にあったとしても50年前にすでに潰してあんじゃねぇのかな」
「曖昧ですね。地元が聞いて呆れます」
リーンシェイドさんの反応が冷たい。
まだ昨日の事を根に持ってるっぽい。ギンギさんは苦虫を噛み潰したような顔をして後ろ頭を掻いた。
反省はしているっぽいけど、周りが許すかどうかはまた別の話だしね。
しゃーない、しゃーない。
「亡者が溢れでたから禁忌なの?」
「ん、まぁな。当時を経験したジジイ達には触れる事すら避けたい場所らしい。まぁそのおかげか、俺達にとっちゃいい狩場になってくれてはいるが……」
「こそこそ身を隠して悪事を働くにも丁度良い、という事でしょうね。あそこ。見てください」
カーライルさんが何かに気づいてそれを指し示した。
鬱蒼と生い茂る木立の向こうに、こじんまりとした荷車のシルエットが見えた。
多分ファーラット用の荷車なのだろう。この悪路の中ではやっぱり荷馬車は乗り捨ててたみたいだ。
「どうやらビンゴらしいな。ギンギ、よくやった」
「だからまかしときなって言ったろ。けどこんな所で乗り捨てていくとは、だいぶ慌ててたみたいだな。目的の自然洞窟はもう少し行った所にあるハズだ」
ここまで獣道しかなかったと思うんだけど、よくもまぁここまで乗り入れたもんだと感心する。
近付いてみるとそれは、大八車のようなモノで、荷台が申し訳程度に作り付けてあるだけだった。なるほど。これなら小回りがききそうで、ここまで乗り入れる事も出来ただろう。
荷台の上には当然だけど何も残ってない。
アドルファスとカーライルさんが乗り捨てられた荷車を入念に調べて、表情を厳しくさせた。何か見つかったのかと思って聞いたら、何も見つからなかったのが気にくわないらしい。
まるで言葉遊びをしてるみたいだ。
さっぱり意味分かんないんだけど。
「奴等の狙いが分からん。何を考えているんだ」
「何も考えてないとか」
「そうですね。荷車にも特に余分なものを積んであったようには見えませんでした。ここに運ぶ為だけに用意して目的の通りに使ったのでしょう」
「用意周到に準備してあった様子が気にいらんな」
「そんなハズは無いんですけど、何だか計画通りに進んでいるような感触をうけます」
「それがそもそもの違和感だな。ベルアドネが奴等に拐われたのは偶然が重なった結果に過ぎん。なのにさも計画通りであるかのような感じがするのは……。ええぃ。貴様の所為で考えがまとまらんっ! 妙な茶々をはさむなっ!」
「何でしょうこれ。レフィア様の一言がじわりと耳に残ってしまいます」
怒られた。理不尽だ。
荷車を後にして少し進むと、ギンギさんの言う通りに自然洞窟があった。入り口付近に手が入った痕跡があるらしく、まず間違い無いようだ。
けど、これは確かに。一見しただけだと他の洞窟とは見分けがつかないかもしんない。同じような穴ぼこはそこかしこにぼこぼこ開いている。
現場に詳しいギンギさんがいなかったら、特定するだけでそれなりの時間がかかってたかもしんない。
声をひそめて中の様子を探ろうとしたけど、外から伺う範囲に何かいる気配はしなかった。結構奥行きがあるっぼい。
どの道、中に進まざるをえないらしい。これは。
ギンギさんを先頭にして洞窟へと入っていく。
いやいやいやいや。
「ちょっと待って。ギンギさんも行くの?」
「最初にも言ったが、ファーラット達が何か悪だくみしてやがるんだろ? そうと聞いたからには黙ってられねぇよ。邪魔はしねぇから最後までつきあわせてくれ」
「すでに邪魔です」
「……鈴影の姫さんはキツイな」
「その名前で呼ばないでください。不快です」
鈴影姫か。こう喉元まででかかってるのに、思い出しきれなくて歯がゆい感じがする。
何だっけか。どこで聞いたんだったけ。
「すまんなギンギ。ここまで案内してくれて正直助かったが、これ以上関係のないお前を巻き込む訳にもいかん。ここで引いてくれないか」
「ここまで来て関係もクソもねぇでしょ。申し訳ねぇがこれは俺自身の問題でもあるんでね。昨日のあの子達には悪い事しちまったとは思うが、そうでもねぇネズミ共なら話は別だ。ここで戻った所で落ち着くもんも落ち着かねぇよ」
「報酬の事だったらここまでの分でしっかり払うよ? カーライルさんが」
「名指しで指定しないで下さい。そうでなくてもちゃんと用意しますので」
「報酬なんざ無くても構わねぇよ。そういう問題じゃねぇんだ。俺が納得できるかどうかなんでな」
ギンギさんはどうやら引く気は無いっぽい。
気持ちは分からないんでも無いんだけど。
さて、これは一体どうしたら良いのだろうか。
「まぁ、面倒臭いのでこのまま一緒に来てもらいましょう。問題は無いでしょうし」
「ありがとよ。恩にきる」
どうにもしなかった。
カーライルさん、考えるのを早々に諦めたな。
一旦仕切り直してから、再び洞窟の奥へと入っていく事になった。
リーンシェイドはどうにもギンギさんが気に入らないようで、いつにも増して反応が冷たい。
携帯用カンテラに灯を入れて、用心しながら奥へ奥へと進んでいく。ギンギさんも中に入るのは初めてだそうだ。それもあって慎重に進もうとして……、いくらも進まない内に、私達は立ち止まって顔を見合わせた。
これ、絶対におかしい。
「もの凄く嫌な予感がするんだけど」
「……奇遇ですね。今なんとなく俺もそう思ってた所です」
「なっ、なっ、なんでっ、こんなっ……」
カンテラで照らす先の向こう側、外の陽光の届かない洞窟の奥がぼんやりと光っている。
私達の中でもギンギさんが特に激しく動揺している。
「魔石、だな。魔石が光ってる」
「あに様、向こうの壁にもまだいくつか」
アドルファスとリーンシェイドが前に進み出て、ぼんやりとした光の元を調べはじめた。
「カーライルさん。私よく知らないんだけど、光る魔石って、自然洞窟の中にも埋まってるもんだったりするのかな」
「俺の記憶にある限りで申し訳ないんですが、聞いた事ありませんね」
「自然洞窟じゃねぇ……。ここは、……迷宮だ」
ギンギさんが顔色を悪くしながらつぶやいた。
「死者の迷宮が、まだ……残ってやがったのか」




