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♯39 我が行くは誰が為ぞ



 何は無くとも腹ごしらえ。


 壁に張られたメニューをざっと見渡す。

 弱肉定食と書かれた所に目がいった時だった。

 ガダァアン! と店内の机の一つが、勢いよく蹴倒された。


「ふざけるなっ! 何だこの店はっ!」


 大柄な角付きが声を荒らげている。

 途端に、そこそこの客入りだった店内が騒然としだして、何事かとお客さん達が立ち上がりはじめた。


 いや、そこに立たれるとメニューが見えんがな。


「何でファーラットがこんな所にいるんだ! 汚ならしいネズミ共の運んだ飯なんか食えるか!」


 じゃあ食うなよ。出てけよ。邪魔すんな。

 ってか、……ん? ファーラット?


 途端、慌ただしくなった店内に響く怒号に、今最も気になる単語を聞きつけて耳を立てる。

 酔っ払いの喧嘩かとも最初は思ったけど、どうやら何かが違うっぽい。


 ……立ち上がった所で、人垣でよく見えん。

 なんでみんなこんなにデカイんだか。


「何するんだあんたっ! 気に食わないんならとっとと出ていけばいいだろうがっ!」


「ああっ! 誰がこんな所で飯なんか喰うか! 二度と来るかこんな店っ! いくぞってめぇら!」


 座ったまま、人影の隙間からこそっり覗くと、騒いでる当人の姿が見えた。

 大柄な角付き。多分オーガだろうな、あれ。白の宮の再建の時にも城内で何度か見たし、何となくだけど分かる。


 随分と大柄だと思う。よくお育ちで。

 強面で腕っぷしも強そう。


 その角付きが興奮冷めやらぬまま肩をいからせて、座っていた仲間達を促して店を出ていこうとしていた。

 どこにでもガラの悪い輩はいるもんだね。


 ……件のファーラットさんはどこだ?


「ぎゃひっ!」


「おっと、うっかり足が滑っちまたな」


 ……うっわ。このオーガのあんちゃん嫌らしいにも程がある。

 席を立つついでに、怯えて震えていたファーラットを勢いよく蹴りあげやがった。


 城内で見たのよりも二周り程小さい。

 ……多分子供だ、あれ。


「ジジに何するんだっ! あやまれっ!」


「やめろっ、テセっ!」


 この宿の主人なんだろう、毛足の長い犬みたいな獣人が押し止める。けど、蹴り飛ばされたのと同じくらいの背丈のファーラットの子供が、大柄なオーガに掴み掛かっていった。


 ……おい。無茶だろそれは。


「足が滑ったっていってんだろ。喚くなっ!」


「あぐっうぅぅっ!」


「おにぃちゃんっ!」


「その子を放せっ!」


 2メートル以上の大柄なオーガと1メートルあるかないかの小柄なファーラットの子供。

 オーガのあんちゃんはファーラットの子供を軽くあしらい、造作もなく片手で持ち上げた。

 そりゃそうだ、挑みかかった勇気は大したもんだけど、そうなるわな。


「黙って出ていってやろうとしたのに、絡んで来たのはコイツだろがっ! 薄汚いファーラットのくせに生意気なんだよっ! くそがっ!」


 ……いや、あんちゃん。

 黙ってないよね。相当やかましいよさっきから。


「あっぐっ……」


「悪かった、代わりに俺が謝るからその子を放してやってくれないか」


「ご、ごめんなさい。おにぃちゃんを許して下さい」


「なんでだよっ! コイツがジジを蹴飛ばしたんじゃねぇか! コイツに謝る必要なんかねぇよ!」


 ……。


「やかましいクソネズミがっ。おぅお前らっ! 今からコイツで賭けねぇか。何発殴ったらコイツが謝るかによっ!」


「やめとけよ、謝る前に死んじまうって」


「坊主、せめて3発は耐えろよっ!」


「無理だろ。1発で中身ぶちまけそうだな」


「おにぃちゃん!」


「やめろっあんたらっ! まだ子供だぞっ!」


 オーガのあんちゃんがファーラットの子供を高く掴みあげて、ごっつい拳を握りしめる。


「ほらっ、いくぞっ! まずひとぉぉおおつ!」


 ばごっぉぉおおおんっ!


 乾いた音を立てて、手に掴んでいた先の部分が粉々に砕け散った。

 またえらく派手に砕け飛んだもんだ。


 ザワツキとドヨメキで騒がしかった店内が、まるで水を打ったかのように静まり返る。

 周りの視線を一身に浴びながら、オーガのあんちゃんはゆっくりと振り返った。


「何のつもりだ。女」


「0発。その子を一発でも殴らせるつもりは無いから、賭けは私の総取りでどうかな」


 砕け散った椅子の脚を放り捨てる。

 後ろ頭を思いっきり椅子で殴り飛ばしてやったのに、ビクともしねぇでやんの。そんなんで砕ける椅子も椅子だけど、コイツも相当頑丈っぽい。

 見た目通り脳ミソまでムッキムキの筋肉がびっしりと詰まってそうだ。


「コイツらに同情しようってんならやめときな。コイツらにそんな価値はねぇよ。無駄な義侠心沸かせてねぇで、怪我しねぇうちに引っ込んでろ」


「知らないわよ。これから美味しくご飯を食べようって時に、口の不味くなるような事目の前でしないでくれる? 出てくならさっさと出てけばいいじゃない」


「やたら度胸があるみてぇだが、女だからって容赦する気はねぇぞ」


「そんな小さな子供でも容赦しないんだから、端から期待してないわよ。このウスラバカ」


「ちっ」


 舌打ちをひとつ。

 それが合図と言わんばかりに、オーガのあんちゃんは掴んでいたファーラットの子供を放り投げた。

 私は一も二もなくその子を抱き止める。

 多分来るであろう背中からの衝撃に備えながら。


「あぐぅっ!」


 こんにゃろ。

 案の定ファーラットの子供を抱き抱えた瞬間を狙って、背中からおもいっきり蹴り飛ばされた。

 思った以上の衝撃に息がつまる。

 本当、容赦ねぇでやんの。このあんちゃん。


「げほっ、げっふ、えほっ」


「だ、大丈夫か!? おねぇちゃん!?」


「っけふ。あー、心配ない心配ない。大丈夫だから。それより、ちょっと離れててね」


 抱き抱えてたファーラットの子供を床に下ろす。

 初めて抱き抱えたけど、ちっちゃくてやわっこい。思ったよりも毛が細くて柔らかかった。

 よくもまぁ、こんな子に乱暴出来るもんだ。


「今からあっと言う間にあのあんちゃんを、めきょっと叩きのめしてやるから」


 不敵な笑みを見せつけて立ち上がる。

 まだ息は苦しいけど、ヒーローの見せ場っぽい感じがするから痩せ我慢で耐える。

 ふふふ。何か今の私。かっこよくない?


「さぁて! 覚悟はいいかしらっこのデクノボウ! ここからはずっと私のターンだかんねっ!」


 バっと振り向きポージングを決める。


「……ぐっ。ち、ちくしょう」


「まだ喋れる余裕があるのですか。咄嗟の事で加減を間違えたようです。一思いに殺してしまった方が早かったですね」


「なっ、なっ、なんだっコイツはっ!?」

 

 顔を腫らしたオーガのあんちゃんが、リーンシェイドに片手で吊り上げられてた。

 白髪に角つきの、怖いバージョンの方だ。

 これは相当怒っておられるご様子。いつ下りてきたのか分からなかったけど、蹴り飛ばされる所を見られちゃったっぽい。


 タイミングがいいんだか悪いんだか。


 さて、うーん。どうしようか、これ。

 始めようかと思ったらすでに終わってるし。


「おねぇちゃんのターンなかったね」


「……だね」


 振り上げた拳が少しさみしい。


「なんなんだよてめぇらはっ! コイツらはファーラットだぞっ!? なんでそんな平気でいられるんだよっ!」


「……なぁ、おい。あれ」


「まさか、だろ。マジかよ」


 皆の注目を浴びたままリーンシェイドがオーガのあんちゃんを床に放り投げた。

 店内が不穏な空気にざわめく。


「鈴影姫……」


 誰かが呟いた声がやたらはっきりと聞こえた。


 途端、リーンシェイドの雰囲気が変わった。


 これ……、いつぞやの地下迷宮で自分の事を話してくれた時に見せた、酷く冷やかな雰囲気だ。


 鈴影姫……。鈴影姫?

 何だっけか。どっかで聞き覚えのある名前だ。


「た、頼む鈴影の姫さんよ。そいつもやり過ぎたが、そいつは両親をファーラットに殺されてんだ。そいつがファーラットを怨みに思う気持ちも、分かってやってくれないか」


 オーガのあんちゃんの連れの一人がリーンシェイドに近づいて頼み込む。


「コイツらはなっ! スンラから命がけで逃げ延びた俺達を騙して、目の前で嬲り殺しにしやがったんだっ! コイツらは親の仇なんだよっ! 悪いかっ! 今の魔王様だって、コイツらに報復する事を何もとがめやしねぇじゃねぇかっ。魔王様だって俺達の怨みを分かってくれてんじゃねぇのかよっ!」


「黙りなさい」


「あぐぅっわっぐ!」


 リーンシェイドが正面からオーガのあんちゃんの首元を鷲掴みにする。

 ……握力凄いね、リーンシェイド。


「だから何だと言うのです。私のちち様はこの国の人々に殺されました。貴方の言う通りであれば、今から私が貴方を八裂きにしても、文句はありませんね」


「す、すまねぇっ! 鈴影の姫さんっ! この通りだ、そいつを許してやってくれっ!」


 何だかついさっきまでと立場が入れ替わってる気がする。

 いやぁ、リーンシェイドのあねさんパネェよ。

 パネェけどさ、……少し気になる事言ったよね。


「ねぇ、リーンシェイド。今そのあんちゃんが言ってたのって、どういう事? 魔王様はファーラットを虐げるのを、何もとがめてないの?」


「いえ、それは……」


「ああっ! コイツらはスンラの威を借りて好き放題してやがったんだっ! 魔王様が代わったって無かった事にはならねぇよっ!」


「あんちゃんは少し黙っててね。例えそうだとしても、スンラなんて10年以上前の話であって、今のこの子達には関係ないでしょうが。怨みを晴らすにしても相手が違うじゃない」


 今はそれよりも魔王様の意向とやらが気になる。


「ねぇ、リーンシェイド」


「陛下は、報復を受けるのも自分達のした事の責任なのだと。ファーラット達の現状に何も手出しはしておられません」


「スンラが死んでから10年以上経ってるのに? この子達みたいに、関係の無い子達が巻き込まれてても?」


 リーンシェイドは押し黙ったまま、ついっと視線を申し訳なさそうにずらした。


 ……そっか。


 ファーラット達はよっぽど恨まれてるんだろう。恨まれてるんだろうけど、魔王様はそれをそのまま放置して知らんぷりしてるんだね。

 そういう事か。


 何だろう、この気持ち。

 何か、ちょっと寂しさを覚える。


「『力とは力無きモノの為にあってこそ意味をなす。』……嘘じゃん。意味、なしてないじゃん」


「それは……」


 リーンシェイドの横を通り過ぎて、床にへたり込んでるオーガのあんちゃんの前にしゃがみこむ。

 襟元を正して埃をさっと払った。


「椅子で殴ってごめんね。でもあんちゃんにも蹴飛ばされたんだから、あいこだよね」


「あ、ああ……。お前、一体」


「怨みに思う気持ちも分かるけど、仇討ちなら仇討ちで、ちゃんとした相手にぶつけないと駄目だよ」


「……レフィア様、陛下は決して無法を奨励しようと言う訳では……」


「リーンシェイドも助けてくれてありがとう。うん。魔王様にも魔王様なりに色々あるんでしょ?色んな人達がいて、色んな事情があるんだもの。……そういう事でしょ?」


「レフィア様」


「私に何かを言う資格なんて無いし、言える立場でもないもの。気をつかってくれてありがとう。でも、気にしないで」


 オーガのあんちゃんがのそりと所在なさげに立ち上がり、そのままこそっと店を出ていこうとする。


 ……。


 あーっ!もう辛気臭いっ!!

 もっとこう、スカっとシュババっと決める予定だったのに。

 こういう落ち込んだ空気は大いに好かん!

 このまま終わらせてたまるかっ!


「ちょっと待ったぁああ! あんちゃん達!」


「……んだよ、まだ何か文句があるのかよ」


「元々ご飯食べに来たんでしょ。まだ何も食べてないじゃないっ! 一杯奢るから食べていきなよ」


「はぁ!? 空気読め空気を。この流れでんな事出来る訳ねぇだろ! 針のムシロだろが」


 その空気が気に食わないんだもん。


「自分のした事の責任でしょ?酌の一つでもしてあげるから我慢なさいな。それとも、早々にしっぽ巻いて逃げる? だったらまぁ、仕方ないかな。肝っ玉が小さいのは誰が悪い訳でも無いもんね」


「誰が逃げるかっ! 受けてやるよっ! 酌でも百でもなんでもしやがれっ!」


 そーだ。そーだ。

 辛気臭い時は酒だ酒。

 多少強引な気もするけど、どんちゃんやって嫌な事は飲み干すべし。


「リーンシェイドも一緒にね。ね。ね」


「……はい」


 よしっ! 飲むべさ! 食うべさ!


「明日に備えて早めに休むって言いませんでした? 俺」


「言ったな」


「何でこんな事になってるんでしょうか」


「さぁ……。俺は知らん」


 店内をあげてのどんちゃん騒ぎになった頃、階段を下りてきたカーライルさんがアドルファスにぼそっとぼやいていた。







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