♯224 一つの決断
切り裂いた光の柱が、弾けた。
「がっ!? あっぐぅっ!?」
小太刀から迸る青炎が光の柱を断ち切った瞬間、解放された力の奔流が辺り一面を激しく吹き飛ばした。
荒れ狂う力の圧力に、咄嗟に小太刀を床面に突き立て、必死で耐える。
激しい爆音と震動が容赦なく駆け抜けた。
目を開けていられない程の圧力と、身体全体にのしかかる信じられない位の重圧に、根性で抗う。
光の柱は束ねられた力場。
コノハナサクヤがマリエル様の身体へと降りてくる為の、ただの回廊に過ぎない。なのに一瞬断ち切っただけで、凄まじいまでの反動が周囲に暴れ弾けた。
本当にヤバいものはまだ降りてきてはいない。そのハズなのに。
コノハナサクヤが降りてきてしまう前に、この光の柱を叩き切ってしまわないといけない。自身の中にある本能的な勘がそう判断しているのに、それが出来ない。
例え本人の意思が無かったとしても、正式な手順をもって進められてしまった降臨の儀式。それによって繋がってしまった女神との回廊は、凄まじいまでの力を内包していた。
断ち切ろうとして傷つけただけで、漏れだした力の余力だけで聖地そのものが吹き飛んでしまいそうになる。
それだけの力場を用意して迎える存在。
それが女神なのだと、忌々しい程に痛感もさせられる。
「……がっ、がはっ、げほっうぇっほっ」
無遠慮に殴り付けてきていた力の勢いが途絶え、自由になった呼吸に盛大に噎せた。深くえづく程に噎せ、床面に突き刺した小太刀にしがみつくようにして踏みとどまる。
ただ断ち切るだけじゃ、駄目だ。
この光の柱はどうにかしなければならない。
けど、力技で力場の塊のようなこれを無理矢理叩き切れば、行き場を失った力の奔流が辺りを吹き飛ばしてしまう。
ほんの少し傷をつけただけでこれだ、下手をすればこの聖都そのものが吹き飛んでしまいかねない。
「レフィア様っ!」
リーンシェイドが傍らに走り寄ってきた。
リーンシェイドも今の衝撃をまともに食らったのだろう、見れば全身に少なくないダメージを負っているのが分かった。
……多分私も、似たようなもんだろうな。
「くそっ! 近づくに近づけねぇっ!」
勇者様もまた、ボロボロになりながらも両手にしっかりと大剣を構え、光の柱へ向かおうとしている。
向かおうとはしているけど、光の柱からかかる圧力に近づけていない。
至近距離にいるからか、リーンシェイドも表情を苦痛に歪めていた。
もしかしたら持っている魔力の総量によって、光の柱からかかる圧力への抵抗力に差があるのかもしれない。
保有する魔力量だけならやたらと多い自負もある。
なんてたって、それが理由で女神の器とやらとして目をつけられてしまった位なんだから。
二人の様子に比べれば、光の柱から受ける圧力はそれほどにも感じられない。少なくとも、苦痛を感じたり近づけないという程でない。
手足に力を込め、小太刀を床から引き抜いて構える。
やるなら、私しかいない。
「……考えろ、考えろ、考えろ考えろ」
傍らに立つリーンシェイドの前に庇うようにして立ち、光の柱をまっすぐに視線の真ん中に捉える。光の柱と、その中に浮かぶマリエル様の姿を。
時間は無い。
だからこそ、思考を止めるな。
いつだってそうやってきた。
諦める? 冗談じゃない。
「レフィア様、……何を?」
落ち着け。考えろ。
焦るな気負うな諦めるな。
ヤバい時ほどよく見るんだ。
何がヤバいかよく見て見つめて見定めろ。
窮地の原因を探って見つけて取り除け。
何がヤバい。何がある。何を見つける。
考えろ。考えろ。考えろ。
「見てきたモノ。触れたモノ。感じたモノ」
どこかに答えがあるハズだ。
「考えろ。掴み取れ。手繰り寄せろ。たどり着け」
力の塊のような光の柱。
マリエル様とコノハナサクヤを繋ぐあの光の柱を断ち切らなければ、マリエル様は救えない。
断ち切らなければならないのに、もし断ち切れば、行き場を失った力が聖都を吹き飛ばしてしまうかもしれない。
けどこのままでは、今にでもコノハナサクヤはあの光の柱に導かれるままに、マリエル様の身体に降臨してしまう。
コノハナサクヤがマリエル様の身体に降りてしまったら確実に、マリエル様は二度と助からない。
マリエル様の魂の器では、女神の降臨に耐えきれない。
「……女神が降臨した後に、マリエル様の魂の器が完全に壊れる前に女神を倒して、『完全蘇生』でマリエル様を助ける。……駄目」
口に出して確認した自分の言葉を、自身で否定する。
それじゃあ、駄目だ。
そもそもあのセルアザムさんでさえも勝てなかったのに、私達に降臨した女神を倒せるかどうかも分からない。
確実なのは二つ。
あの光の柱を力任せに叩き切る事は出来ないという事と、マリエル様にコノハナサクヤを降臨させてはいけないという事。
矛盾した二つをどうにかしなければならない。
……無理難題が過ぎる。
鈴の音が耳元で、鳴った。
つい弱気になりかけた時、手の中で小太刀の柄が微かに震えたような、そんな気がした。
「……鈴の音が?」
同じ音が聞こえたのかふと、リーンシェイドも耳元を押さえて周りを見渡す。
……ごめん。そうだよね。
「弱気になってる場合じゃ、……なかったね」
イワナガ様の祝福と私の魔力から生成されたこの小太刀の、その核になっているのは鈴森御前、リーンシェイドのお母さんの、リンフィレットさんの頭蓋の欠片。
そこに宿る意思から、まだ諦めるべきじゃないと軽く叱咤されたような気がした。
……うん。まだだ。
まだ諦めるべきじゃ、ないっ!
「……今のは」
「リンフィレットさんに、叱られちゃった。まだ諦めたら駄目だって」
「……はは様に?」
困惑している様子のリーンシェイドに強い眼差しを返して、再び光の柱へと振り向く。
祭壇をすっぽりと包み込むようにして立つ光の柱。
女神に聖女を捧げる為の、祭壇。
千二百年前にこの地で、初代聖女アリシア様は悪魔王として暴れていたセルアザムさんを諌める為、その身に女神の降臨を受け入れた。
古ぼけたロケットの中のくすんだ肖像。
ふと、あの祭壇の裏に掲げられている肖像画が、脳裏に鮮明に甦る。
綺麗な人だと思った。
黒く長い、艶やかな黒髪とすっきりとした顎の形。
意思の強そうな目元にはそれでもどこか優しさを含み、楽しげで、穏やかで。
「初代聖女、アリシア様……」
女神を受け入れたアリシア様はその力を持ってセルアザムさんの行為を諌め、そして赦した。
セルアザムさんを女神に殺させない為に、自らの意思で、自身の魂の器を砕いた。
女神に完全に支配される事なく。……抗った。
抗ってみせたのだと。
「……私に力を、貸して下さい」
私に同じ事が出来るとは思えない。
多分私には、無理だと思う。
けれどもし、そこに少しでも可能性があるのなら。
そこに全力をつぎ込んでやる。
全力で、抗ってみせる。
マリエル様にコノハナサクヤが降臨してしまえば、マリエル様の魂の器は確実に砕け散ってしまう。
トルテくん。
オルオレーナさん。
目の前にいながら手が届かなかった。
同じように失ってしまったと思ったマオリは、イワナガ様のおかげでどうにか助ける事ができたけど。それでもぎりぎりだった。
もうこれ以上、目の前で失わせはしないっ。
「リーンシェイドっ! 勇者様っ!」
それは、一つの決断。
「今からあの光の柱を一瞬だけ止めるからっ、その隙にマリエル様をお願いっ!」
「いや、止めるって、どうやって!?」
「……光の柱は聖女を中心に束ねられています。聖女を連れ出してしまえば、力が行き先を失ってしまうのでは」
それを言えば多分、リーンシェイドは反対するだろう。文字通り鬼のように怒るかもしれない。
けどもう、これしかないと思うから。
もう止められないなら、これしか、ない。
「……大丈夫。任せて」
覚悟を飲んで大きく頷く。
怖さを度胸で押し潰す。
「……分かりました。この身に代えても聖女を」
「ありがとう、リーンシェイド」
渋々ながらも承諾してくれた姿に深い感謝を返す。
「ってか、おおぉいっ! 何をするつもりだっ!」
「こうっ、するのっ!」
戸惑っている勇者様を脇に光の柱の根本へと深く、深く踏み込む。
「くっ!? ……このぉっ!」
さすがにここまで至近距離に近づくと、その圧力も無視出来ない程に強くなってくる。
踏み込む足に気合いを込め、青炎に包まれた小太刀を下からすくい上げるようにして大きく振るう。
「てぇぃっ、りゃぁぁぁああああああああっ!」
根性入魂。
束ねられた力の外側から叩き切ってしまうと、切り口から溢れだす力が統制を失くして暴れてしまう。
だから今度は、光の柱となった力の束を受け止めるようにして、その根本から力の全てをすくい上げた。
小太刀から今までに無い位に大量の青い炎が沸き上がる。
単純な力と力がせめぎあう。
まるで重たいカーテンのように真上から押さえつけようとする光の柱を、滾る青炎が真下から支え、押し返す。
「どぉぉおおおっ、せっえぇぇええええええいっ!」
カタカタと震える刀身を押さえ込み、異常なまでの圧力に抗いながら小太刀を頭上近くまで持ち上げた。
光の柱の裾に、僅かな隙間が生まれる。
もう、ちょい。
……あと少しだけ、お願いっ!
激しい圧力に青銀の刀身が軋みを上げた。
ここまで、色々と力を貸してくれた小太刀が、その最後の力を振り絞って光の柱を下から持ち上げる。
「ぜぇぇぇいっ、りゃぁぁあああああああっ!」
肚の底に気合いこめて叫ぶ。
力の塊のような光の柱に対して、小太刀から沸き上がる青炎が一際激しく昂りを見せた。
渦巻く炎が光の柱を押し返す。
ぶつかりあう力と力の余波がドーム全体を激しく揺さぶる中で、青い炎がせめぎあいを制した。
マリエル様の身体が、光の柱から解放される。
スッと力なく、祭壇の上へと落ちていくマリエル様の身体を、飛び込んだリーンシェイドが抱き抱えた。
その姿を確認した時、パキンッと甲高い音が手元に伝わってくる。
限界を超えた瞬間だった。
最後の力を振り絞って光の柱を持ち上げた小太刀が、その刀身の真ん中から真っ二つに砕け折れる。
途端、力を失った青い炎を押し退けた光の柱が地面へと地鳴りを響かせて突き刺さった。
「あぐっ!? レフィア様ーっ!」
光の柱が再び地面に突き刺さる前に、辛うじてマリエル様を抱えて飛び退いたリーンシェイドがその勢いに吹き飛ばされたのが見えた。
激しく吹き飛ばされる二人を、勇者様が身体を張って受け止める。
その様子を、光の柱の内側から確認する。
「……ぐっ!?」
激しく押さえつけられる圧力に片膝をついてしまう。
相当な圧力だろうとは思ってたけど、ちょっとこれは、想像以上だったとしか言いようがない。
当然だろうなとも思う。
正式な手順をふんだマリエル様とちがって、こっちはイレギュラーな異物以外何者でもない。
けど、それでも。
束ねられた力の塊が光の柱を維持したまま暴れだしていない辺り、どうやら上手くいったっぽい。
力の行き先を失えば、光の柱が暴走してしまう。
光の柱を形作る力の奔流を暴走させないようマリエル様を救う為には、これしかなかった。
上手くマリエル様から私へと、力の行き先を移す事には成功出来た。
重すぎる圧力に、床に四つん這いになってしまう。
両手の握り拳にグッと力を込め、歯を食い縛る。
「レフィア様っ! 駄目ですっ! いけませんっ!」
光の柱の向こうでリーンシェイドが叫んだ。
マリエル様を勇者様に託して、こちらへ懸命に近づこうとしているけど、圧力が強すぎて前に進めないでいる。
そんな彼女に、無様な姿は見せられない。
大丈夫だからと見せる為にも、意地を絞り出して圧力に抗い、どうにか両足でその場に立ち上がる。
頭上から視線を感じる。
こちらを、……見ているのが分かった。
あの歪んだ美貌を持つ女神がこちらを見ながら、その歪な微笑みを更に歪ませているのが、分かる。
頭上に対して強い視線で睨み付ける。
元々、……私だったんだ。
最初に目をつけていたのは私だったんだから、これで望みの通りのハズ。イタズラに周りを巻き込んだり、マリエル様を捨て駒にする必要なんてない。
これであんたの、狙い通りでしょうがっ!
かかる圧力が一際大きく膨らみを見せた。
途方も無い程の力の塊が光の道筋を通って、ゆっくりと近づいてくるのが分かった。
歓喜の色を含んだ視線が、迫る。
でも、素直に降臨なんか、させてやらない。
あんたの自由になんか、絶対にさせない。
出来るかどうかは分からない。
もしかしたら出来ないかもしれないけど。
……でも。それでもっ!
初代聖女様がそうしたように。
アリシア様がセルアザムさんを守ったように私も。
抗ってみせる。
全身全霊であんたに、抗ってやる。
「……あんたと私のっ、意地の勝負だっ!」
光が、溢れる。
ありえない程の力が束ねられていた光の道筋を、それでもまだ足りないとまるで押し広げるかのように、途方も無い程の力の塊が頭上から迫る。
色も、音も、臭いも、五感が失われていく。
押さえつけられていた力から解放され、うってかわったかのような浮遊感が全身を包んでいく。
渇望。
慟哭。
……歓喜。
渦巻く感情に、意識が飲まれていく。
あやふやになっていく感覚の中で、思考が、感情が大きな波に飲まれるように削り取られていく。
その存在はあまりにも、大きかった。
大きすぎる存在に意識が、刈り取られていく。
けど負ける訳にはいかないっ。
ここで飲み込まれる訳には、いかないっ!
薄れいく意識の中で懸命に抗いながら、その意識の中心に残る思いに、心をすれすれで強く保つ。
……マオリ。
お願い、力を。
私に力を、貸して……っ。
そして。
世界が光に、包まれた。




