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♯215 断罪のシナリオ(法主の後悔6)



 中央神殿前の大広場。


 普段であれば賑わいの中心であるハズの広場は、物々しい雰囲気の中に息を潜めていた。


 暗澹とした曇り空の下、周りをぐるりと取り囲むラダレストの兵士達。その内側に集められた聖都の住民達は皆、一様に不安げな表情を浮かべている。


 広場の中央に設けられた断頭台。


 例え聖都の住民の命を見逃して貰ったとしても、その最高責任者である者の首となれば話は別になる。世の中そこまで都合良くはいかない。誰かが、この敗戦の責任を負わねばならない。


 静かな視線に見守られる中を、裸足で進む。


 もしもの時の為の一手だった。


 武力衝突回避の為の手段をとる間もなく、すでに引き返せない状況の中でどうにか繋いだ、一本の道すじ。


 戦端が開かれる事が確実なのであれば、考えるべきはまずそれをどのように収めるか。


 始める事は至極簡単ではあるものの、一度開かれた争いの門扉を閉じるのは決して容易では無い。


 魔王軍の救援には心から感謝している。

 あの時我々は確かに、勝利への光明を掴みかけていた。結果として我らは敗けたが、それは決して彼らの所為ではない。


 突如として姿を現したスンラ。


 そのスンラに対して戦いを挑んだ魔王の生死が不明となり、魔王軍は撤退した。


 もちろん、それで良い。

 それで良いのだ。


 彼らが救援に駆け付けてくれたというただその事実が、この覚悟を決める為の何よりの理由にもなる。


 これは元々、我々に課せられた戦いなのだから。


 顔を上げ、しっかりと前を見定める。

 自分の歩むべき道、信じる未来を見定めて。


 最も優先すべきはこの国の領民の命。


 この国に生きる者達。特に聖都の住民達を始めとした者達の中で、確実に、将来へ残さなければならない思想が芽吹き始めている。


 人族と魔族はもう、戦い続けるべきではない。


 千年続く怨恨の連鎖をどこかで我々は断ち切らねばならない。このままではいけないのだと。このままでは我々は、そのどちらかが死に絶えるまで憎み合い、殺し合い続けねばならなくなるだろう。


 その終焉の行き着く先はきっと、我ら人族の滅亡に他ならない。今後も今世魔王のような者が現れて魔族が団結するのならば、我々人は、決して魔族には勝てないだろう。


 そうなる前にどこかで我々は、この長きに渡る断絶と怨嗟を乗り越え、互いに隣り合う相手として向き合わねばならない。


 その為にも、芽吹きつつあるこの動きをここで止めてしまう訳にはいかない。この流れを将来へと繋げていかなければならない。


 魔族への友好に傾きつつあるこの国の領民を、この国の将来を担う子供達をここで、失う訳にはいかないのだ。


 その為の一手。


 領民の命と引き換えにこの身を捧げる事が出来るのであれば、それ以上を望むべくもない。


 ロシディアの傭兵王はこれ以上ないタイミングで、こちらの思惑以上の条件を提示してくれた。


 しばらくは苦しい時代が続くかもしれない。


 だが例えここで私が死んだとしても、芽吹き始めた友好の兆しは必ず、未来へと繋がると信じる事が出来る。


 信念と思いを込めて歩みを進める。


 一歩ずつ近づくにつれ、断頭台の黒光りする刃の鋭さがありありと見て分かるようになってくる。


 ぶっちゃけ、痛そう。

 痛いと思う間もなく終われるだろうか。


 ……終わりたくないな。


 出来れば死にたくない。生きていたい。


 法主なんて割に合わない役職などとっとと引退して、一人の司祭として穏やかな日々を過ごしたかった。


 目線を斜めにずらす。


 あんまり断頭台を見つめ続けているとせっかくの覚悟と決心が鈍ってしまいそうになる。……うん、良くない。


 兵士に付き添われ、なるべく断頭台を視界にいれないようにしながら壇上へと上がる。


 思えば普通はここまで目隠しとかされるのではなかろうか。出来ればほんの少しだけでも、そういった心使いが欲しいと思うのは贅沢だろうか。


 しばらくすると壇上の脇に、一人の神殿騎士が進み出てきた。アリステアの神殿騎士ではない。どこか豪奢な身なりはラダレストの神殿騎士だろう。


「これよりっ、ラダレスト本神殿総大主教よりお言葉を戴くっ! 慎んで受けるようにっ!」


 定型の前振りが終わると、反対側の端から大袈裟な法衣に身を固めた人物が数人の従者を引き連れ、壇上へと姿を現した。


 オハラ総大主教だ。


 滅多に人前に出てこない彼が、まさかこんな場に姿を見せるとは。


 多少の驚きに立ち尽くしていると、両隣の兵士に力づくで押さえつけられて跪かされた。どうにか顔を上げるが、この体勢は中々に辛い。


「女神様はこう申された。邪悪なる魂に対する慈悲とはその存在を滅する事のみにあると。我ら光の女神様よりの大いなる祝福を受けし人族にとって、魔物とはけっして相容れぬ存在。その存在自体が悪であるのだと」


 静まり返った場にオハラ総大主教の声が響く。


「そこに捕らわれたるミリアルドなる者は、女神教に連なる分派の一つを取りまとめる立場にありながら、女神様の教えに背き、魔物達を招き入れ、あろう事か手を結び、我ら人族に害を及ばさんとした。人として、正に許されざるべき所業っ!」

 

 得意気に語る口上の内容に対して、固く口を閉ざしていた群衆の間に小さな響動めきが広がった。


 人族に害を及ばさんとした等と初耳だろう。

 もちろん私にもまったく身に覚えがない。


「不相応な立場に酔いしれて己の分を忘れ、その忌まわしき所業を招いたる罪は何よりも重い。よってこの者を光の女神の慈悲の下、斬首の刑に処すっ!」


 恍惚とした表情を浮かべながら嫌らしく目元を歪ませ、オハラが高々と宣言を終える。


「最後に。何か言い残す事はあるか」


 見下す視線が勝ち誇った嘲りに染まっている。

 何がそんなにこの者を歪ませたのか。それを思えば哀れにも感じざるをえない。


「法主という立場が不相応である事に、否定はしない」


 思いを口に出し、その声があまり震えていない事に自分でも少し驚いた。臆病であると自覚はしているが、案外差し迫ってみれば冷静にもなれる自身を今更ながらに知る。


「だが、己の立場に酔いしれているのは果たして私か貴方か、そのどちらであろうか」


 言いかけた所で兵士が槍を突きつけて言葉を止める。その様子にオハラは寛大であるかのような余裕を見せ、兵士の行動を諌めた。


「……末期の慈悲だ。続けよ」


「言葉を交わし、心通わせる事の出来るハズの者を悪と断定し切り捨てる。それが故の千年の因業。その因業を未来に背負わせ何とするかっ。人を教え導くのであればまず自らがその責を追い、決断すべきでは無いのかと。私は貴方にこそ問うっ!」


「教え導く立場であるからこそ、自ら女神様のお言葉に従うのであろう。戯れ言を申すな」


「だが我らにはこの地に生まれ、この地に育つ未来ある子供達に対する責任がある。確かな未来へと続く礎を残す義務があるのだ。女神の言葉を盲信してその礎を血と怨嗟で染め上げ、破滅へと続くのが分かっていながら次代に託す。それが責任ある立場の者の成す事とは到底私には思えぬっ!」


「女神様への信仰を盲信と蔑むか」


「信仰とは己の内にあって自らを律するものっ! 決して他者に対して強要するべきものではないっ!」


「……それは明らかに女神様に対する侮辱であるな」


「我らには女神より賜った自由がある。祝福を受け、自由に生きる権利があると教典にもあるハズだ。我らは自身の目で見て、耳で聞き、言葉と心を通わせる事で自らの隣に立つべき友人を自ら選ぶ、その自由があるべきではないのかっ! 女神の言葉を重んじるのであれば貴方こそ、その自由を蔑ろにすべきではないっ!」


「それはあくまでも人族の中での事。そもそも魔物には光の女神の祝福が無いではないか。教義を勝手に解釈して都合の良いように変えられては困るな」


「教義を勝手に解釈しているのはどちらか」


 思えば、オハラとこれだけ言葉を交わした事が今まであっただろうか。オハラだけでは無い。我ら聖女教は今まで女神教の者達とその教義について、言葉を交わしてはこなかった。その事が悔やまれる。


 互いに女神をその信仰の頂きに抱く者同士、互いにもっと言葉を交わすべきだったのだと。


「生きる為の信仰であっても、信仰の為に生きるべきではない。我らは互いに殺し合う為に、そんな事の為だけに生を受けた訳ではなかろうっ!」


「女神の言葉は何よりも尊い。悔い改めよ」


「それでも私は……」


 同じ言葉を話し、同じ文字を使っていても、分かり合えるとは限らない。そう限らないからこそ、私達はもっと言葉を交わすべきだったのだと。


「私は、自らの隣人は自らで選ぶ事が未来に繋がる道であると、そう信じている」


「法主を断頭台へ」


 言うべき事は言った。


 信じるものの為に。

 信じる者達の為にこの身を捧げる。


 その事を今一度確認し、覚悟を決める。


 頼りなき、力無き法主であった事が悔やまれる。

 だがその最後で未来の礎の為になれるのであれば、最後まで法主としての矜持を保ち続けるのも悪くないと、今はそう思えた。


 両脇の兵士から立つようにと促される。


 断頭台の前へと立たされると、一人の修道女が進み出てきて手枷の鍵が外された。


 これでいよいよ断頭台へ両手首と首が固定されるのだと、最後の時に観念の思いが募る。


 ……やっぱり目隠しはしてくれないらしい。


「……ごめんなさい。法主様には伝えるなと言われていたので」


 目の前の修道女が申し訳なさそうに耳元で囁く。


 見ればそのケープの下の顔はどこか見覚えがあった。ラダレストの者ではない。中央神殿の者でもなかった。


 確かそう……。


 勇者ユーシスが懇意にしていたアリステア冒険ギルドのギルド員で、よく受付けや使いをしていた女性だ。


「……アリシア、殿?」


 思わず零れた言葉に、アリシアが何とも言えないような穏やかな微笑みを返した。


 その次の瞬間。大振りの大剣による剣閃が槍を構えていた兵士達を凪ぎ払った。


「……なっ!?」


「法主を守れっ!」


 大剣を構えた兵士の一人が壇上へと躍り出て叫ぶ。


 その叫び声に呼応して更に数人の兵士が抜剣し、円陣を組むようにして周りを固めていく。


「これは、一体……」


 突然の状況の変化に唖然としていると、目の前に立つ大剣を構えた兵士の一人がヘルメットを脱ぎ捨てた。


 そこには、ボサボサ髪とまばらな無精髭を生やした馴染みの深い人物がいた。


「すまなかった。段取りを打ち合わせる時間が無くてな。文句ならヴォルドに頼む。全部アイツが悪い」


「……勇者、ユーシス」


 何故ここに……っ。


「血迷ったか、勇者ユーシスよっ!」


 憎々しげなオハラの声に反応し、周りの兵士達が勇者を取り囲む。更に飛びかかってきた数人を、勇者は一振りの元に凪ぎ払った。

 

「貴様っ、何をしているのか分かっておるのかっ」


「生憎とな。元々俺は女神なんかよりも法主の方が大事なんでね。……わりぃなっ!」


 いや、それはそれで問題があるぞ、勇者よ。


「それでも勇者かっ!」


「ああ、よく言われ慣れてるよっ!」


 従者達に守られて壇上から逃れようとするオハラに、それを逃すまいと勇者が迫る。


 勇者の勢いを止めようと周りの兵士が殺到するが、その実力差は歴然としていた。振るわれる大剣をいなす所か受け止める事すら出来ずに、次々と吹き飛ばされていく。


「そ、そこまでだっ! 動くなっ! 民衆がどうなっても構わぬのかっ!」


 正に勇者がオハラに肉薄しかけた時、広場を取り囲んでいた兵士達が群衆に対して一斉に刃を向けた。


「……ちっ、届かなかったか」


 群衆を人質に取られ、勇者の足が止まる。


 ……だが、不思議とその表情には焦りが無い。


 まるで想定内の事であるかのようにも見えるが、その理由が分からない。


「勢いだけでどうにかなるとでも思ったかっ! やれっ! この場で勇者を叩き殺せっ!」


 勇者の様子に気が付かないのか、オハラは更に上擦ったかのような金切声を上げて叫ぶ。


 吹き飛ばされた兵士達が立ち上がり、立ち止まった勇者の周りを取り囲んでいく。


「動くなよっ! 動けば広場の群衆がどうなるかっ、そこで己の愚かさを悔やむがいいっ! やれっ!」


「お止めなさいっ!」


 オハラが大声で号令をかけたその時、威厳ある玲瓏とした声が広場に響いた。


 ラダレストの兵士達の動きが一様に止まる。


 その女性が兵士の一団を引き連れて広場に姿を見せると、更に大きな動揺が広がっていくのが分かった。


 その中でも、オハラの動揺が一番大きいように見える。


 大きく目を見開き、そこに姿を見せた最高位の法衣に身を包んだ女性をじっと、凝視するばかり。


「……何故、ここにっ」


 それは間違いなく、ラダレストにいるハズのリディア教皇その人だった。


 呆然とするオハラに対して、兵士の一団とともに広場に姿を現したリディア教皇は、高らかに宣言を突き付ける。


「オハラ総大主教。貴方を、……更迭します」






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